6月30日
○本日の寄贈本
藤原書店より「身体の歴史Ⅱ」A・コルバン/J・クルティーヌ/G・ヴィガレロ監修
夏石番矢/鎌倉左弓さんより「俳句縦横無尽」
松本徹さんより「三島由紀夫を読み解く」松本徹著

ブログはしばらくぶりです。ツイッターにも書いているけれど、ちょっと「異次元へ旅」していました。自分を見つめる旅ですが、いわゆる精神世界への旅ではなく、肉体世界への旅をしてきました。

ついにというか、とうとうメダカの生き残りも死滅しました。水底に仁丹のようなキラキラした玉が沢山沈んでいるけど、もしかしたら自分の命と引き換えに卵を残して往ったのかも知れない。

6月25日
○本日の寄贈本
NHK出版より「ロスト・シティZ」ディヴィッド・グラン著

ツイッターでも同じ内容を報告したけれど、魚の骨が咽に刺さって救急患者扱いで総合病院のの知人の耳鼻咽喉科の先生2人がかりで、鼻からチューブをいれたり、咽の奥を掻き回してやっと骨をゲットする。朝日新聞の書評委員会の夕食での惨事。結局夕食は病院の自販機のタイ焼を先生が買ってきて下さって、2匹食べ、帰宅して1匹食べ、次の朝も1匹食べた。タイ焼には骨がなかった。

書評を引き受けているために毎日本を読み続けている。嬉しいやら悲しいやらの結構忙しい仕事だ。書評の場合はどうしても世読みたい本ばかりとは限らないので、まるで、勉強させられている感じ。この年になって雑学的に乱読するとは思ってもいなかった。

6月23日
○本日の寄贈本
西田書店より「ペイソス」鈴木正明著
集英社文庫より「放火」サンドラ・ラタン著
後藤英彦さんより「ばれん」後藤英彦著

急に雨になった。おそば屋に自転車を置いたまま。傘を借りて帰ってきた。にわか雨なので傘なしで歩いている人、走っている人、自転車の人にやたらと会う。子供の頃雨の中を歩いたり、走ったりするのが結構好きだったが、この年でやると風邪を引いて肺炎になって死んでしまいそう。ピカソやイサム・ノグチさんも風邪で肺炎で亡くなっているので、年取ってからの風邪は要注意だ。風邪は健康改善のためにいいことだと言っている本もあるけれど、その若者もそれほど長命ではなかった。やっぱり風邪は万病の元というのが真実だと思う。

今日は久し振りで朝日の書評委員会に出席の予定。2度ばかり欠席が続いた。本を読むのが遅いので読んでいる内に内容を忘れてしまって書けなくなった本もある。面白いと思って読み出したけど読了後やっぱり「ムツカシイ」と止めた本もある。自分に責任があるのか、コレッという本に出合うのはマレである。

7月13日から大阪国立国際美術館で全ポスター900点が展示される。その会場構成の打ち合わせ。これはかなりエキサイティングな展示会場になりそう。関西の人だけでなく、東京方面の人も見て下さい。 向こう何十年、つまり死ぬまでにこれだけの規模のポスターを展示することはありません。期日が近づいたら詳細はブログで。

死んだはずのメダカ2匹が広い水槽内で泳いでいる。人数が激変しても知らん顔だ。また2匹になって特に友情が芽生えた感じもなさそう。ただ何事もなかったように泳ぎ続けている。一生の間に泳いだ長さを距離にするとどこまで行ったことになるのだろうか。こーいうことはメダカ博士の研究対象にはならないんですかね。

6月22日
○本日の贈本
瀬木慎一さんより「美術市場総観」瀬木慎一著
諸田玲子さんより「奸婦にあらず」/「思い出コロッケ」諸田玲子著
萩原朔美さんより「劇的な人生こそ真実」萩原朔美著
偕成社より「きみはなぜ生きているのか」中島義道著

今日は国立新美術館で「ポスト印象派」展を休館日のガラガラの会場で日本経済新聞の紙面対談のために作家の諸田玲子さんと観賞しました。主に、モネ、ゴッホ、ゴーガン、セザンヌの絵を見ながら語り合いました。画面を細かく見ながら語りましたが、普段絵を見てしゃべるということはないので、しゃべりながら変な感じでした。そのあとに出たお弁当のおかずの量の多いことにも驚きました。半分も食べられないほどのおかずの数々。帰りの車では眠ったままです。

6月18日
藤巻一也さん
いつも何をやってもメンドーだと思ってますよ。だけどそのメンドーにまた惹かれるわけです。メンドーでないものは逆に面白くないです。そのメンドーを克服して初めて何かを発見したり、なしとげたりするのです。本当に世の中メンドーなことだらけです。逆にそう思ってしまえばメンドーも消えてなくなるんじゃないでしょうかね。メンドーだからこそ挑戦する。メンドーを超えたらメンドーは失くなるでしょうね。

6月17日
この間夕食の後急に頭痛が激しく、心臓の鼓動も早く、頭が物凄く熱くなり、息苦しくなったので、救急車を頼もうと思ったら、妻があわてて110番にした。「こちら警察、事件ですか?」。「間違いました」。そこで近所のクリニックも終わっていたが、無理にお願いして診てもらうことになった。ところが血圧も酸素も、異常なし。体温だけが36.5°。普段35.8°位。だから7分高い。心電図を取ってもらうが異常なし。全く正常。先生と話をしているうちに次第に落ちつく。外に出ると涼しくて頭痛も治り気分がいい。帰って体温を計ると35.8°で正常。あれは一体何だったのだろう。そこでよく考えたら豆ごはんにほんの少しミリンを入れたのが原因で、単に酔いがまわっただけだとわかった。

今日みたいに暑いと、脱水症状を起し、時々過呼吸になる。そんな時はビニール袋に息を吐いてそれを吸うと安定する。過呼吸で絶命するこということはないが、初めての人だったらかなりあわてます。

また、最近座っていて立つと、貧血を起こしたみたいに心臓がドキドキとする。これって何なんだろう。若い頃、風呂でよくなっていたけれど。

6月16日
渡邊曜子さん
作家のお嬢さんにぼくの小説をそんなに誉めていただき、嬉しいやら恥ずかしいやらです。小説は仕事ではないので、また気が向けば書くかも知れません。それから昨夜の「隠居大学」はダラダラした核のないどうでもいいような話で怠屈だったと思います。ツイッターの方は毎日つぶやいています。
http://twitter.com/tadanoriyokoo

酒井さん
そうですね。地方の中には因習が残っています。一層のことそんな中で自分を鍛えたらどうでしょう。あなたの新しい変化に富んだ意識を持ち込んで下さい。

6月15日
ブログよりツイッターに対する興味が多いのですかね。ツイッターは勝手にフォローした人からつぶやきが入ってくる受動型だけどブログは能動的だからメンドー臭いんですね。世界は益々メンドー臭くなる一方です。ぼくなんか生まれつきメンドー臭い人間だから、世間がメンドー臭くなると、せめて自分だけはメンドー臭いことをあえてやらなきゃという気になります。

メンドー臭いけれど「隠居大学」で天野祐吉さんとのトークに夕方から浅草に出かけます。天野さんに会うのは久し振りです。もう40年のつき合いです。でも合うのは2年に1度あるかないかです。ぼくはベタベタ人とつき合いません。それこそメンドー臭いじゃないですか。

前にも書いたと思いますが、メンドー臭いけれどもう一度書きます。ぼくのスタジオにイギリス人の男の子がいたことがありました。その理由は彼から英語を習うためです。だけど彼はどんどん日本語が上手くなってしまったので役に立たなくなりました。その彼がある日「メンドークサイって何?」と聞くのです。ぼくが一日に何度も「メンドー臭い」と言うからだと言うのです。「メンドー臭い」なんて英語は知りません。それから彼はニューヨークに渡りました。そこで会った時、彼はやたらと「メンドークサイね」なんて言うのでした。

○本日の贈本
椹木野衣さんより「反アート入門」幻冬社
六燿社より「桂離宮」石元泰博著

6月14日
○本日の贈本
椹木野衣さんより「反アート入門」椹木野衣著
姫路市立美術館より「アンソール版画展」カタログ

今日やっと大阪・国立国際美術館でのポスター展のカタログの校正が完了し、すでに凸版印刷で刷り始めたそうだ。ポスターは900点収録されている。約400ページで足の上に落としたらケガ間違いなし。

メダカが5匹の内3匹死んだ。残った2匹も昨日死んだかも知れない。書斎に行っていないので確認はできていないけど。

たかがメダカだけど、あの元気に泳ぎまわっていた姿は今は記憶の中だけだ。

6月12日
○本日の贈本
水声社より「知られざる傑作他」バルザック著

暑かったが公園の木陰でハワイに関する本を読む。涼しい風が吹いてくると気分はハワイだ。アトリエに戻ってハワイアン・ミュージックを聴きながら絵を描く。ハワイを知ると様々な日本とアメリカとの関係が見えてくる。もうひとつハワイを想うと健康が回復してくる。

バルザックの「知られざる傑作」は傑作だ。この際もう一度読んでみよう。

6月11日
毎週一点、日経新聞の瀬戸内さんの人物論のための肖像画を描いている、すでに120〜30枚描いてきたか。全員がすでに亡くなった人だ。生きている人と違って亡くなった人の方が描いていて身近に感じるのはなぜだろうか。まるで目の前か、横にいるような気がしてならない。彼等には極力感情移入をしないで描いているが、それでも何か語りかけられるように感じる。全く会ったこともない人だというのに。絵を描くという行為は一種の思念伝達だから、できるだけ知らん顔をして描くことにしている。

書評のために読んだ本が、どうしても気乗りしないことがある。そんな時はパスせざるを得ない。本の良し悪しと関係なく、こっちの気持ちのせいだ。ピタッと来た時は書いていても楽しいが、時には「お仕事」になってしまう。

6月10日
昨夜は瀬戸内寂聴さん八十八歳の米寿を祝う会を平野啓一郎夫妻とわが夫妻で中華料理を食べながら、年令を超えた元気の秘密を探るが、結局何がそうさせるのかよく解らないが、あの好奇心の強さであったり、すぐ行動に移す無邪気さというか無防備さなんだろうなとただただ関心しながら、色んな料理が出たが結局最後に出たあずきタピオカのデザートが一番美味しかったという晩餐会でありました。

玉木新雌さん
やる気がなくなることはぼくにもあります。その時は無理に抵抗しない方がいいと思います。だけどいつまでも怠けていると抜けられなくなります。もし仕事(職業)があるなら、その仕事に専念すると意外に簡単にネガティブな状況を脱出することができます。考えるより先ず行うことです。

6月8日
○寄贈本
インターシフトより「なぜ直感のほうが上手くいくのか?」ゲルト・ギーゲレンンツァー著/小松淳子訳

一ヶ月振りでオイルマッサージを受ける。血行がよくなっていくのを実感。またそれ以上にリラックスもできる。オイルマッサージは月2回、その間に普通のマッサージを1回。これがぼくの健康メニューだ。他に早朝散歩。公園のベンチが書斎に早変わり。心身共に自然との交流が創作に結びつく。

パリから友人の白羽あけみさんが来て、とんかつを食べる。そのあと白玉あずき。ヨーロッパのアートシーンの話や、友人達の死の話になる。彼女は今開催中のローザンヌのマルセル、「デュシャンの滝展」に出品しているぼくの滝のインスタレーションを見に行ってくれた。ギャラリーから滝のポストカード(案内状)や名前入缶ボタンやシンポジウムの出品者の寄せ書きなど送られてきたので、それを作品化するつもり。

イッセイ・ミヤケのデザイナー藤原大さんがイギリスのグリニッジ天文台に行って、現地で見つけたキャップをプレゼントしてくれた。黒に赤いラインが縦に入っていて、「O°O'OO"」(何だろう?)と白で刺繍がしてある。

6月7日
○本日の寄贈本
西川隆範さんより「シュタイナー<からだの不思議>を語る」西川隆範訳
日本経済新聞社より「オルセー美術館2010〈ポスト印象派〉カタログ」
有限会社リリオより「ラスト・ソング」ニコラス・スパーク著/雨沢泰訳

日経新聞に瀬戸内寂聴さんの「奇縁まんだら」に取り上げられる人の肖像画を描いています。原画は6号キャンバスの大きさです。相手によって絵のスタイルが変わります。これって、ぼくのお遊びですが、資料の写真が証明写真みたいなのが多く結構苦労します。特に興味の湧かないのは全く知らない人を描く時です。第一似ているのかどうかさえ解りません。別に似る必要はないんですが…。

来月に入ったところで、日経新聞出版社から、新書版がでます。「猫背の視線」というエッセイ本です。ツイッターのエッセイ版みたいなものです。体と心について書きました。



6月4日
飯田さおりさん
病気ほどつらいことはないですよね。薬が害になるのは医者も認めています。昨日検査が全てパスしました。医師の一言で快復するんだったらこれ以上の薬はないですね。ぼくは自分で病気を作って自分で治すと以前医師に言われましたが本当にその通りです。

パリのソルボンヌ大学の先生とフランス大使館のフランス人が3人来ました。フランスの現代作家は国内作家で、なかなか国際作家になれないが、どうもアートビジネスと関係あるようです。その点ドイツは国際作家をどんどん輩出している。この点日本もフランスに似ているのかも知れない。日本人は自国の作家に対して自信がないのかも知れない。

○本日の寄贈本
高柳誠さんより「光うち震える岸へ」高柳誠著

林功太郎さん
インドは知らず知らず死と深く関わってしまいますね。ぼくの年令になると死はリアリティを持ち始めます。一層のこと無視してやりたくなります。逆転させて死の側に立つと生に俄然興味がでるのではないでしょうか。

6月3日
○本日の寄贈本
論創社より「観じ漫画」大竹誠編

病院で気になる個所を調べてもらう。どこも悪くない。「よかった」と思うと同時に「ほんとかな」と疑う。まあ人間ってこんなもんだろう。

6月2日
○本日の寄贈本
保坂和志さんより「小説の自由」保坂和志著

前にも書いたと思うけれど、本当に本を買わなくなった。書評(朝日新聞)の候補本と、寄贈される本を読むだけで十分だ。必要な時に必要な本が手元に入ってくるように思う。これって自然の摂理ではと思わされる状況にピタッと治まる。

本を読むのがニガ手だったけど、書評をやるようになってからはそんなこといっておられない。本を読むのが「仕事」だなんて今まで考えてもみなかった。集中して意識しないと本は読んだことにならない。どんな本でもついつい真剣に読んでしまう。たとえミステリーでも真剣に読んだ方がずっと面白い。

6月1日
○本日の寄贈本
角川文庫より「若冲」狩野博幸著

今日また採血する。血糖値を調べるためだ。糖尿病になると体がだるく、意欲が湧かないという。それに近いから調べることにした。面倒臭いというのはぼくの口ぐせなので、子供の頃から糖尿病だったりして。

病院はどこも大流行りだ。病人が多いと安心する。他人の病気と自分とは何の因果関係もないというのに。

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