2017年06月30日
絵は一枚描くと一枚出来る。描かなければ一枚も出来ない。もし100枚描くと、描かなかったはずの100枚の絵が見れるんだから、やっぱり描こう。陽の目を見ない絵が身体の中にいっぱいあるらしい。それが出たがっているはずだ。

どんな絵が描けるのかいつも自分ではよくわからない。描けてしまってから、ヘェー、こんな絵ができたんだ、といつも感心する。ピカソがあんなに沢山描いたのもそーいうことだったんだ。

絵は下手も上手いもない。描くか描かないかだけのことだ。

2年以上、音楽から遠ざかっていたのがボウズのノイズキャンセリングで音楽を聴くようになってから、魔薬にはまった感じで、目の前というか、耳の穴がパッと開いた感じで、もはや創作の生活必需品でありがたいと感謝しています。とにかくこの瞬間は難聴は妄想だったことがわかった。

難聴だということを忘れて人に質問することがあるけれど返ってくる言葉はさっぱり理解できない。「しまった!」質問などするんじゃなかったと思う。

どこに行くのも通訳が必要になってきたが、現在のギクシャクしたコミュニケーションも面白いけれど、あくまでも一対一の場合のみで、相手が二人以上の場では、ほとんど会話に加えられないので、とり残されてしまう。

2017年06月28日
去年骨折した左足親指の上に重いものが落ち「しまった!」と整形外科に行くが別状なかった。ぼくの周辺の人がこの間からよくコロコロところんでケガをするのが流行っています。注意しましょう。

朝から庭のメダカの瓶の中の泥掃除をしていたら、胃食道逆流症や腰痛、それに足の骨折跡への二次災害などで身体が忙しい。

午前中、整形外科、午後は眼科。瀬戸内さんが共通の知人に「横尾さんどうしてるかな?」と聞くと大抵の人は「入院していらっしゃるんじゃないでしょうか?」と言うらしい。その内「死んでいらっしゃるんじゃないでしょうか?」と言われそう。

2017年06月26日
死についての哲学書を読んだ。人は死ぬと無になると決めつけて書いた本で、人は皆そう思っているとその哲学者は言う。死んでも無になるとは限らないと思っている人も沢山いるはずだ。

するとこの哲学書は無にならないと思う人は読書対象ではないということ? と同時に知性のない人ってことになるんだろうなあ。

人は死ぬと無になると思う人、そう思わないという人にとっては死生観はガラリと変る。あなたはどっち?

瀬戸内寂聴さんと電話で、ぼくは週刊誌を仏教書として読んでいるので面白くって、というと、「あら、そう、私も週刊誌ばかり読んでいるわよ、二人共同じことしているのね」。

今日は「週刊現代」と「週刊ポスト」を読んだ。明後日は「週刊新潮」と「週刊文春」だ。でも描いている絵は全然週刊誌が反映していない。反映しているとすればエネルギーかな?

庭のメダカの健康のことを考えると、雨が降ってくれればいい。ぼくの健康にとっても雨が必要だ。

雨は情緒を豊かにしてくれる。絵の表面には情緒は必要ないけれど描く本体には必要なんだなあ。
同級生の死のリストを絵に描いているシリーズがあるけれど、なぜか親しい同級生は皆んな元気だ。「わしは死なへんような気がする」という同級生の言葉は勇気づけてくれる。

このところ全然猫を描いていない。ストレスとプレッシャーがやってくるのを待っているのだ。

今日は80才最後の日。子供の頃から虚弱体質で大人になっても病気から見離されないまま、まさかの年令にわれながら妄想が現実になっていることがおかしいといえばおかしい。

同級生の死のリストを絵に描いているシリーズがあるけれど、なぜか親しい同級生は皆んな元気だ。「わしは死なへんような気がする」という同級生の言葉は勇気づけてくれる。

2017年06月23日
庭に飼っているメダカの瓶の泥を掃除したら、2〜3匹のメダカの生存者を確認。泥と落葉で埋まった瓶の中で長年よく生きていたものだ。以前水槽で飼った時は数ヶ月で死んでしまった。やはり自然の中のアニミズムが生命を維持させたんだろうなあ。

ぼくは家猫と野良猫とメダカと蟻を飼っている。蟻は野良蟻で放し飼いなので来客が踏まないよう交通標識を地面に貼っている(今年はそれが自然消滅している)が、去年に比べると蟻の人数が少なくなっている。

難聴と耳鳴のため音楽が聴けなくなってしまっていた。色々工夫したけれど音は不充分で困っていたところ、ボーズから「QUIET COMFORT 35」ノイズキャンセリングというヘッドフォンを提供してもらって試したところ2年振りにぼくの耳にかつての音楽が戻ってきた!! 凄い!!

もう、人生から音楽は半ばあきらめていたので、奇跡が起こったような感動だ。耳の健常者が装着するともっと凄いことになりそう。

2017年06月21日
何もしない日こそ、実は一番よくしているのかも知れない。何を???

何かしている時よりも何もしていないと感じる時の方が実は何かをしているのである。

今日はよく雨が降る。雨は自然界の生理現象だから、ぼくの創造の源泉が生理なんだから、自然はきっと何かを創造する必要があるに違いない。

先週十和田湖の最高に絶景という場所にタクシーの運転手に連れていかれた。険しい崖をよじ登って道なき道を引きずり廻された。絶景ならどーして展望台を作らないの? と聞くと、ここは危険地帯でこの間も熊に四人食われて死んだ! と言う。何んちゅう運転手だ! それを先きに「言え!」と言うんだ。

まあぼくは「死なないつもり」というエッセイを出しているので「死なないつもり」だけどさ。

「死なないつもり」は死なないように用心したいということ。郷里の同級生の一人が「俺は死なないんちゃうやろか?」と言った。この発想というか思想というか、極楽トンボっぽいけど関西人はどこかラテンぽくっていいよな。

東京に来た当時、ある先輩から喫茶店で「何? 飲む?」と聞かれて「何んでもええです」と言ってエライ叱られたけれど、ぼくは今でも「何んでもええ」、「どっちでもええ」という優柔不断なところがある。

この優柔不断さがぼくの創造の核や! と言ったら、何人の人が怒るやろ?

亡くなった作家の山口洋子さんは、よく「しゃーないやんけ!」と言って、あんまり自己主張しなかった。よく野球を観に行ったけれど、負けたら、いつも「しゃーないやんけ!」とケロッとしていた。

そんな山口さんは「しゃーないやんけ!」と言って死んじゃったのやろか?

ぼくは死ぬ時、「しゃーないことない」と言いそうだ。だけど人間は誰でも結局「しゃーないやんけ!」と思って死ぬしかないんちゃうやろか。

ロマン・コッポラさんとテレビ電話にて打合せ。

町田の版画展、最終日のサイン会は疲れました! 300人のサインは初めて、夜は整体院で肩もみ。

十和田市現代美術館の「十和田ロマン」展も始まりました。新作のタマの絵30点も展示。夏休みをかねて、どうですか?

十和田市の商店のウィンドーに魔除け猫のステッカーが貼られていて街ぐるみの展覧会!

発売したばかりの「BRUTUS」のカバーです。勿論中身もあります。









2017年06月19日
十和田市現代美術館の個展がオープンした次の日、町田市立国際版画美術館の個展が終りました。オープニングもクロージングも大盛況でした。どうもありがとうございました。

東北新幹線車中が暑くて、Tシャツ一枚になり、氷の入ったタオルを首に巻いて冷やすが効果ない。車掌さんに「もう少し冷やして!」と頼むが、定温だという。すじ向いの客は逆に頭から毛布をかぶっている。ぼくとその人とのどちらかがおかしいはずだ。

2017年06月14日
明日から十和田市現代美術館へ。明後日オープニング。翌日午前中は公開制作。といっても猫の小品を描くだけ。なんでも十和田は寒いと聞いた。新幹線の中も冷房で寒い。いつも夏に風邪を引いちゃうんですよね。人工的な風邪を。

次の日曜日で町田市立国立国際版画美術館の版画展が終ります。生涯最後の版画展です。どうしても行けない人は神戸の横尾忠則現代美術館(9月9日〜12月24日)へ。

十和田ではタマの絵(30数点)展示しますが、最終的には100匹、とタマ以前のすでにこの世にいない猫10匹以上も描いて、東京のどこか、まだ場所は決まっていませんが、ここ2年くらいの間にできないかな? と思っています。

昔にくらべれば描くのが歩くのと同じように、うんと遅くなりました。遅いけれど一点の絵を描くのはモタモタしないでサッと描いて、あとはそれ以上にじっくり、ゆっくり休みます。

ヘロヘロ、ヘナヘナ、ブルブル、ビリビリ、ニョロニョロ、ヒョロヒョロ、モタモタ、ぐにゃぐにゃ、ポツポツ、フニャフニャ、トロトロ、ファファした如何にも老人の絵というのがわざとではなく、自然に描けるといいなあとは将来の夢です。

そして自分以外誰も評価しない絵を。評価ってのはそーいうものです。評価は他人がするのではなく、自分がするものです。

2017年06月09日
町田の版画展いよいよ18日で終ります。このあと版画展は神戸のぼくの美術館(9月9日より)へ巡回します。町田へは急いで! 急いで!

十和田市現代美術館では17日の午前中、公開制作をします。といっても猫のタマの小品ですが、気が向いたら2点、でも午後帰京しますからね、急がなきゃ。

その翌日は町田の最終日。これも気が向けばサイン会と思っているけれど実際美術館でのサイン会をするのは初めてじゃないかな?

昨日は東宝スタジオでロマン・コッポラの映画に協力してほしいという打合せをアメリカとテレビ電話でする。映画の中のレコードショップに並ぶ架空のレコードジャケットのデザインなんだ。これっぽちのことでもコッポラはわざわざ外国人のぼくに依頼するって、大げさだよね。

映画なら撮影所の美術の人にチョコチョコと描いてもらって、ハイOKって感じだろうね。

朝日の書評って、書評家が本屋で選んで書いていると思っている人が多いけど、そーじゃないのよね。書きたい本が別の書評委員とバッティングして書けないってこともあるのよね。

朝日新聞の書評8年間133冊分の書評集が7月に光文社新書で出ることになったけれど、新書本ってちょっと面白いよね。タイトルは「本を読むのが苦手な僕はこんなふうに本を読んできた」ってちょっと長ったらしいよね。

書評以外のぼくのここ一年半ばかりの愛読書は「週刊新潮」「週刊文春」「週刊現代」「週刊ポスト」「週刊朝日」時々「サンデー毎日」。スキャンダル記事がぼくにとっては仏教書なのよね。「因果応報」「自業自得」。教訓になります。

2017年06月01日
町田市立国際版画美術館もあと2週間となりました。アッという間に時間が経過します。50年間で制作した版画全てでたった250点です。版画家ではないので、作品がドンドン増えることはないと思いますが、この個展を機に全く新しい作品に挑戦したい気持もあります。

6月18日の町田の国際版画美術館の最終日午後にでもチラッと行ってカタログなど単行本のサイン会を気が向いたらしてもいいかな? と思っていますが、前日まで十和田市現代美術館の個展のオープニングに出席していますので、疲れていなかったら、のことにしましょう。

東北の皆様、2、3年前の青森県立美術館の個展に続いて、今度は十和田市現代美術館の個展が今月6月17日から始まります。オープニングの翌日かな(?)小品の公開制作を2時間ほど行ないます。美術館に問い合せて下さい。



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