6月30日
◎今週戴いた本
 平野啓一郎さんより「決壊(上)(下)」平野啓一郎著
 講談社より「日本妖怪大百科01~10」

◎今週戴いたCD
来住しげ樹さんより
「ギリシア神話を知っていますか」阿刀田高
「脳と人間」茂木健一郎
「芭蕉翁、夢は枯野をかけ廻る」嵐山光三郎

兵庫県立美術館の「冒険王」展の感想を書いたブログがどんどん出始めました。ほぼ目を通していますので、それぞれのブログに感想を書いて下さい。

6月28日
IKUSOさん
ぼくの80年代の日記は創造の格闘技です。こんなしんどい時期があなたの「一番為になる」んですね。やがて暗いトンネルは抜けられるでしょう。それからぼくは蟻が大好きです。だから彼等は危険を犯してもぼくの所にやってくるようです。

中村マリさん
昨日(6/27)兵庫県立美術館の「冒険王」展がオープンしました。神戸に来てくださるそうですね。東京展とかなり印象が変わっています。両方を見た人はその違いを楽しんでくれているようです。 『鎮魂の海』の馬上の武士は平家の亡霊としておきましょう。

北島聖子さん
神戸展のトークショーが人気があるようで、毎日申し込みがどんどん来ているそうです。ぜひお早めに。また東京に変わって関西地区の方からのメールが日に日に増えてきました。大半は目を通しています。

兵庫展のオープニングとぼくの誕生日が一致しました。これは本当に偶然です。オープニングのあと誕生日パーティーが開かれ、プレゼントの山を抱えたまま西脇の美術館のもうひとつの個展のオープニングに深夜西脇に向かいました。「冒険王」展のオープニングは東京、金沢、富山などの遠方からも450人以上の人達がいらして下さいました。一段落のあと別室で親しい人達、例えば浅田彰さんらと長時間楽しい話ができ大変面白かったです。ただオープニングではあまりにも人が多かったので一人一人とはゆっくり話ができなかったのが残念です。期間中、トークショーや、公開制作などで何度も会場に足を運ぶことになり、関西の友人、知人に会えるのが楽しみです。

世田谷展で完売した魔除猫のストラップやガチャポンが用意されましたが、数に制限があるそうです。早めに!

6月26日
「冒険王」展の兵庫県立美術館の展示会場は世田谷美術館と違ってガラッと変わって、同じ作品が別の作品のように見える錯覚を起こす。同一シリーズ群でも作品の並びが変わっただけで意味も変質する。これは新しい体験だ。両方観た人がいればきっともうひとつの「冒険王」展を体験することになるだろう。作家のぼくが言うくらいだから、観賞者はもっと新鮮な目で以外な発見をしてくれるかも知れない。

神戸もぼくが住んでいた頃とは別の街になってしまい、街の雰囲気が変わってしまった。ぼくの中で記憶されている雰囲気は時間の中で吸収され、霞かに残った時間の足音だけがコトコトと音を立ててぼくの目の前を影のように急いで走り抜けていく。

6月25日
アトリエの玄関に集結する蟻が踏まれないようにスタッフが板の橋をかけてくれる。これで一安心。隠居生活にはこのようなことが大問題になるのである。

「冒険王」の東京展が終り、兵庫県立美術館に会場を移すことになった。
会場構成もかなり変わるのではないかと思う。そのチェックに神戸へ。
この美術館の全身である兵庫県立近代美術館で1997年に一度個展を行っているので、11年振りに再び開催されることになった。この間かなり作風が変化しているので、以前と比較して見てもらえるのではないか。
これからの4日間は神戸からブログを送ることになります。

6月24日
ニ見浦の夫婦岩のど真ん中に富士山が見えて、その背後に日没の太陽がまるで絵に描いたように見えるのが夏至の日だけれどぼくが行った日はその前日だった。この日は雲っていたし日没前だったので自然の奇跡にはお目にかかれなかった。夏至は一年で一番長い日だが、これから一日一日、日が短くなって秋に近づく。あんまり嬉しくないねえ。でもヘルマン・ヘッセは老人になると春が嫌いで秋の訪れが楽しいといっているので、ぼくもヘッセに共感しなきゃいけないんだけれど、この淋しさは老境に至らないとわからない心境だと思う。老境こそ人生の中で最も成熟する時期で、老人のくせに青年のような物の考え方をしているようじゃ、人生の成熟を知らないで終わるころになりかねない。

アトリエの玄関に大蟻もいるけれど子蟻がざっと一万匹以上、潜在的には十万匹位いるんじゃないかと思うほど次から次へと地上に出てきている。そういえば先週は蛇も出て来て玄関前で死んでいた。地熱の温度が上がったのか、それ以外の理由か知らないが、地震がないことを祈りたい。それに反してわが家にはネズミがどんどん我が物顔で猫を無視して走り廻っている。危機を察知したネズミは家の外に出るというが、わが家はよほど安全地帯なのか外から中に入ってくる。これも困ったものだ。

6月23日
不思議なことにウォーキング・シューズを買ったら、そんなこととは知らず万歩計をくれる人がいて、いかにもこの二つをセットで実行しなさいと言われているようで、つい笑ってしまう。坐禅じゃないけれど日本の修行は形から入ることが多いが、ウォーキングもそれ専用のシューズを履き、万歩計を持つと中味まで出来上がった気になる。

6月22日
◎今週戴いた本
宮野正浩さんより「少年ケニヤ(第一巻~第十三巻)」山川惣治著。
朝日出版社「ヘルマン・ヘッセ/老年の価値」M・ヘッセ/F・ミヒュルス/岡田朝雄訳

◎今週読んだ本
「夜光人間」江戸川乱歩著

知人の編集者から「少年ケニヤ」の昭和23年発行版全13巻を戴いて興奮しています。ぼくはどちらかというと「少年ケニヤ」の前身「少年王者」世代で、当然「少年ケニヤ」もよく知っていますが、今こうして「少年ケニヤ」を見るとぼくの中の少年性は未だ衰えず永遠を確認しています。ぼっくの想像は大人社会とは無縁です。

ぼくの「隠居宣言」には小林秀雄とヘルマン・ヘッセが大きく関わっていますが、今日「ヘルマン・ヘッセ/老年の価値」という本を送られて、ちょっと不思議に思っています。というのもこのところ以前のようにあんまり本を買わなくなりましたが、それに対して、逆にぼくにとって「今」必要な本が自然に贈られてくるようになりました。

6月21日

伊勢にて  
黒ねこ  

鳥羽の水族館で初めてじゅごんという水生動物を見る。手(ヒレ)が2本ある実にシンプルな何もない巨大なホルモン焼肉のかたまりみたいな生き物だった。可愛いといえば可愛い。再び伊勢に戻って昔の風情をそのまま残したお土産物通りで、牛丼を食べたが、バラ肉の吉野家風の牛丼を期待していたらステーキ風で牛丼らしくなかったりする。赤福で赤福を買う。「今日中に食べてください」とわざわざ賞味期限を伝えられる。お土産物通りの横丁に上田秋成の「高野聖」の中に出てくるような女性が着物姿であみ笠をかぶってアイスキャンデーの箱を自転車を引きながら売っていた。道ばたでバッタリ昨日会った神社本庁の女性の神官に会ったので、赤福が出している宇治金時を一緒に食べた。

伊勢駅のホームに黒猫がいて懐いてきた。東京に連れて帰りたかったが、タマとケンカをすると困るので、パンをあげて別れた。

6月20日
お伊勢さん

伊勢神宮に寄りたいと思ったので前日神社本庁に連絡しておいたら、外宮、内宮を案内してもらい、お参りの便宜までしていただき、境内を1時間半位歩いた。その後各地から研修に来ておられた神官の方達(約50名)の前に出されて、そこで挨拶と言われたが、突然のことで何が何やらさっぱり状況がわからず、研修者もなぜぼくがこの場に現れたのか全員が狐につままれた状態でありました。こんな変なことは滅多にありません。

鳥羽の島々がパノラマ的に見える14階のホテルの部屋から書いています。昨夜のタイのニューハーフ・ショーを観て、足裏マッサージをして江戸川乱歩の「夜光人間」を読みながら眠る。4時に目が覚めて、また寝、7時に半起床。8時朝食。

6月19日
◎今週頂いた本
林史郎さんより「銃後の花ちゃん」(滝田ゆう著)
宮沢みちさんより「雲奔る」 (藤波周平著)

ピーナッツ入りのせんべいを三日間(一日に一枚)食べたら舌がザラついてきた。さらに甘い物を食べるとまたザラつく。近所の薬剤師さんに聞くとピーナッツ・アレルギーではといわれたが、あれから10日以上も経つがまだおかしい。日替わりメニューでいつもどこかがおかしい。ひとつ治るとまたひとつ発生する。こんな具合に絵が日替わりで違うものが描ければ最高だ。

展覧会の 骨休みをかねて伊勢神宮へ行ってきます。以上。

6月18日
従野昌美さん
ぜひ兵庫展にも足を運んで下さい。岡山なら隣の県ですからね。東京では後半ガチャガチャ (ガチャポンともガチャとも言うそうです) がなくなってしまいましたが、兵庫では用意されるそうです。

アトリエの前で子蛇が蟻にたかられて死んでいました。「蟻踏むな!」の標識役に立たず今日も犠牲者が出ました。

Madam:Tさん
あなたみたいに会場で眠っている人が何人もいました。片っ端からアップで撮影しました。その中にあなたもいたかも。どんどん寝ちゃって結構です。ぜひ追っかけて来て下さい。兵庫まで。兵庫は兵庫で盛り上げます。滅多にやらない公開制作を行います。今度は女性群とトークショー。プリンセス・天功さん。そしてタカラジェンヌは宙組のトップ大和悠河さん。黒一点は小説家の平野啓一郎さん。

6月17日
鈴木康代さん
遠路群山から足を運んでいただきありがとうございました。午後5時からの入館じゃ観賞時間が1時間そこそこだったでしょう。でも最終日は6時半頃までねばった人もいたように思います。もう今後これだけの展覧会は東京ではあるかどうか、ちょっと疑問です。もっとじっくり見ていただくなら、もう一度神戸か、来年の金沢21世紀美術館(世田谷展とは異なります)へぜひまた来て下さい。

由香利さん
絵の中の時計ねえ?どの絵が何時だったか覚えていませんね。でも意味のある時間を表していることだけは確かです。絵をよく見れば時間のヒントがあります。小さい所に気づいていただいてありがたいです。言っておきますが絵の中の全ての事物は必然性によって描いています。

讃岐博行さん
度々メールどうも。朝7時20分から並んでいただいたそうで、オープンの10時には美術館をぐるりと取り囲む長蛇の列になっていたので、中も大変だったですね。そう、ガチャポンは4,000個以上あったのが最終4日前に完売で申し訳なかったですね。カタログも本も、グッズも売れ切れ続j出で期待に答えられなかったですが、神戸展では新作グッズなども用意され、また補充されると思いますよ。

夕方になるとアトリエの玄関の蟻の動きが激しくなって、全員がある方向に走り出した。50センチの高さのブロック塀を乗り越えて、隣の空き地に戻って行くのをやっとつきとめました。

箱田裕司さん
「なぜぼくはここにいるのか」はぼくのかなり古い本です。間もなく絶版になっていた光文社文庫がバタバタと何冊か出ます。その後同文庫で新刊も出ます。

6月16日
最終日の「冒険王」展に駆けつけてくれた人達で会場は大混雑状態になってじっくり観賞できなかったできなかったのではないでしょうか。糸井重里さんとのトークショーには会場のキャパの倍の人達で溢れ、ドアを開けっ放って、まるでいんどの映画館状態になってしまいました。トークはトルネード状態と言っておきましょう。トルネードを意味して下さい。長くて短かった2ヶ月が終わって、6月27日より兵庫県立美術館に移ります。一部展示作品の変更があったり、演出は全く変わります。やっと関西地方の方々に観ていただくことになります。

今週頂いた本。
在本 彌生さんより「マジカル・トランジット・ディズ」(在本 彌生著)
花田紀凱さんより「昭和不良写真館」(百瀬博教著)

展覧会が終わって、虚脱感に襲われるのかと思ったら、逆に開放感が体の中からジワジワと滲み出てきた。ある意味で夢から覚めた状態で、さぁまた絵でも描きますかという感じである。展覧会についての膨大なブログが毎日プリントアウトされて、それを読むのも、そろそろ終わりに近づいた。でも兵庫県立美術館で始まると、オープニングやトークショーや公開制作などで度々神戸にいくことになる。旅を兼ねた展覧会はまた別の趣きがある。絵を描くのも旅、絵を見るのも旅、ホテルで夢を見るのも旅。内なる少年の存在そのものが旅(物語)である。

アトリエのアプローチに次のような道路標識ができた。これでひとまず蟻の犠牲者は減るだろう。

蟻の看板 蟻を踏まないように「標識」



6月14日
「冒険王」展の図録を何度か増刷を繰り返しているけれど、ついに間に合わず、多分土曜日で品切れになるでしょう。最終日の日曜日は図録がないと思いますが、会場(ミュージアム・ショップ)で予約を受けつけ、後日発送することになりそうです。それでも手に入らない場合は兵庫県立美術館(6月27日より)で手に入れて下さい。

箱田裕司さん
小学生の頃は漫画家になりたくて「漫画少年」という雑誌に毎月応募していましたが一度も入選しませんでした。それ以来あきらめました。だからマンガの描ける人はうらやましいです。ぼくは想像したもののデッサンが残念ながら描けません。やっぱりものを見なきゃ描けないんですよね。 努力と慣れですかね。その方法が分かれば今からでもやってみたいですね。

6月13日
讃岐博行さん
トークショーっていうのはその日の気分、会場の雰囲気、相手によってどうにでも変わります。だいたい計画なしでスタートします。だからどんな内容になるのか、やってみないと全くわかりません。上手くいく時もあるかと思うとそうでもない時もあります。2人でするスポーツに似ているかも知れません。だけど勝負はありません。その場の雰囲気が上手く作れればまず成功といえるかな?です。そしてお互いのキャラが出ればそれで十分です。

ミューさん
高校生ですか?あなたのように作品からエネルギーを吸収したという人もいる反面、エネルギーを吸い取られたという人もいます。いずれにしても作品とエネルギー交換をした結果でしょうね。ぼくの作品の前では洋服の前を開くようにしてエネルギーを吸収して下さい。自分を開いてオープンマインドの方は吸収するのが得意です。自分をシャットアウトすると疲れます。ご質問の作品の制作は命ある限り続けます。発表形式は毎回変わりますが、時々ブログをチェックして下さい。

6月12日
キャビンアテンダント

新雑誌「diaries」の取材でカメラマンの在本彌生さんが来られた。その昔、10年前にイタリアに行って、その帰りの桟内(アリタリア航空)で日記を書いている時、日本のスチュワーデスから声を掛けられたことがある。話していると彼女は写真を撮っているとおっしゃった。その後展覧会のチケットを送り、お礼状をいただいたが、それ以来会うこともなかったが、時々あの場面を思い出すことがあった。そんな彼女が今日、プロのカメラマンとしてぼくの前に現れた。そして写真集「マジカル・トランジット・デイズ」をプレゼントされた。会えたのも嬉しかったが、いつの間にか写真集を出すカメラマンになっておられたのが嬉しかった。「まるで幽霊に会ったみたい」と言ったら「ハイ、お岩さんです」と2日前に福島だったかでハチに刺されて、赤くはれた右目を細めて笑われた。

日本人の平均睡眠時間は6時間半だそうだ。理想は7時間だと以前聞いたことがあったが、あくまでも平均だから誰もがピタッと6時間半で目が覚めているわけではない。もっと沢山眠る人やその反対に短時間の人もいるわけだ。ちなみにぼくは7時間である。途中起きて本を読んだりテレビをつけたりすることはあるけれど、トータルで7時間は眠っている。ぼくが健康で一番気をつけているのが睡眠だ。次に運動と食事と便通である。あとはなるべくストレスのないように思い悩まないことだ。でも一番の健康はやっぱり創作かも知れない。創作がストレスを解消するのは間違いない。ストレスになりたくないので創作する。その結果が作品を量産させているのかも知れない。

ブログに「冒険王」展を観た人が遺作展みたいな感じがしたと書き込んでいる人がいましたけれど、ぼくは一作一作を遺作のつもりで書いているので、遺作集大成みたいなものです。今後も何度か遺作展を行いますので、また観て下さい。

6月11日

世田谷冒険王展の風景  
世田谷冒険王展の風景  

世田谷美術館の学芸員の塚田美紀さんから、「冒険王」展の最終週がスタートしたが、平日でも1,000人以上、日曜日は2,000人を超えたといって興奮気味のメールが届いた。今までは、アッ展覧会やってるな、という気持だったけれど、塚田さんのメールで急にソワソワし初めた。で、じゃあどうすればいいの、ということで、ぼくはアトリエでただ絵を描くしかないんだなあと思った。土曜日は子どもの頃ニューヨークで住んでいた頃からよく知っている高橋鮎夫君が12時と2時に美術館のどこかでミニコンサートを開くことになっている。その時にでも行ってみようかな。勿論最終日の糸井重里さんのトークショーには歯が痛くなければ出ます。あんまり痛いとどーかな?歯歯歯歯。

いわきのスパリゾートハワイアンズへ行ってフラショーを観てからは、アトリエでハワイアンを聴きながらハワイのホテルのビーチの見えるプールサイドで本を読んだり、スケッチをしたり、原稿を書いたりしている自分を想像していると眠くなって、時間の流れが止まったような錯覚を起こす。ぼくはいつもこうした錯覚の中で生きている。

6月10日
昨日、世田谷美術館に行こうと思って無線タクシーを呼んだら、すぐに来た。あんまり早いので聞いてみたら、わが家の横っちょにいたという。そして美術館から3時間後に帰ろうと思ってまた無線タクシーを呼んだら、今度もすぐ来た。隣のスポーツセンターにいたという。さらに驚いたことに、往復共同じタクシーだった。勿論運転手さんも同じである。

この季節になると蟻がアトリエの玄関に集まってくる。ぼくが子どもの頃から蟻が好きだったからか、公園のベンチに座ってもしばらくすると蟻が寄ってくる。外に出る時はいつも蟻を踏まないように注意して歩いている。でもアトリエには時々人が来るので中には踏みつぶされる蟻もいるので、このブログを見て来られる編集者の方には蟻を踏まないようにお願いします。

昨夕は品川区のY字路を撮影(「東京人」連載)に行きました。そおういえば原美術館の近くの交番がY字路になっていたっけ。交番の立地条件としてY字路が選ばれることが多いようだ。見晴らしがいいということと、わざわざY字路を住居にしたがる人は少ないので、土地的価値はあまりない。だから交番ぐらいしか建たないのかも知れない。

「想い出劇場」のポップアップはぼくが石和温泉で食アレルギーになり救急車で病院に担ぎ込まれたエピソードを作品化したものですが、このポップアップを買ってくれた人の従姉妹が、その時ぼくを世話した看護婦さんだったことを西村画廊の西村さんから知りました。世間は狭いですね。
水夫清さん
糸井重里さんとは古い友人です。展覧会の最終日15日(日)に二人のトークショーがあります。奈良からは無理ですね。

北村哲朗さん
ドクロ絵皿セットは結構受けています。ロス・アンジェルスの友人のクロムハーツの社長など沢山まとめて買っていきました。友人へのプレゼントだそうです。アメリカン人好みでしょうね。

荒井さん
ルソーの絵の中にシャーロック・ホームズをちらっと描き入れていたのがよくお分かりでしたね。「タカラヅカを見た夜の夢」の手前の人物のモデルは轟悠さんです。そっくりさんには描かなかったんですが歌劇団のプロデューサーの一人は「成瀬こうきみたい、彼女はとうとうトップになれなかったけれど横尾さんの絵の中でトップになれたね」なんて言ってました。

?????さん
そうなんです。ぼくのブログと長男の英のブログを間違える人が随分いることが最近わかってきました。展覧会場で声を掛けてくれた人や取材の編集者からもトンチンカンな質問が出ています。

藤原咲さん
どういう気持で絵を描くか?ですって。簡単です。いい気持になって描きます。というより描いているといい気持になるものです。

M.Mさん
8日に確かに美術館に行って、サーッと会場を一巡しながら、この展覧会のキューレイションをした学芸員の塚田さん(女性)に写真を撮ってもらいました。わが事務所のスタッフではありません。あなたが気づいたグッズ以外にもフィギュアとか皿とか、クリアファイル、ノート、一筆箋、バッグ、マウスパッド、レターセット、タオル、マグカップ、ランチョンマット、カンバッチ、腕時計、版画、ポスター、DVD、ポストカード、その他書籍など沢山ありますがお気付きじゃなかったのですか?

日曜日に小林旭のコンサートに行った。今の若い人は彼をどの程度知っているのだろうか。ぼくと彼は同年輩で、ぼくが20才の頃、日活アクションスターの一人として石原裕次郎と人気を二分していて、彼はマイトガイと呼ばれ国籍不明の無宿者の若い主人公を演じていた。彼はまた裕次郎と同様歌も歌った。そんな彼の歌を聴きにいったのであります。客の大半は彼と同年輩の人で結構夫婦連れが多かった。ショーの半分はトークで、「小林旭」を第三者的に語っていた。歌で綴る小林旭の人生論という感じで、彼と一緒に人生を歩むというややノスタルジックなショーで、それにしてもとっても70才に見えないところはさすがだ。何が彼をさすがにしたのかわからないが、客席の70才は彼と違う時間を生きていたとしか思えない。というのは小林旭は今も全盛の頃の時間で生きているから時間が流れていないのである。

花田氏とのトーク

月曜日(9日)は休館日ですが「WILL」誌の編集長の花田紀凱さんとのトーク番組(テレビ)を会場で行いました。内容はまあ色んな話です。チャンネルは7か9です。いつの放映かは聞き忘れました。一日中チャンネルを廻しているといつか映るでしょう。

6月9日

ロス・アンジェルスから出版社とカメラマンら4人が展覧会を観にくる。ぼくが1970年に出した「横尾忠則全集」を持って来た人がいたが、この本は結構外国人に人気があって、ミック・ジャガーやデビット・ボーイナどロックミュージシャンが持っているのもその後アメリカの出版社から出たせいもあろう。ぼくにとっては38年前の画集なのでゾッとしないでもない。

小林旭は例の足を引きずりながら歩くスタイルは昔と同じで、2時間ステージを左から右へ、右から左へと休みなく歩き続けながら歌うのだが2時間歩き続ければ何十キロにもなるはずだ。これはクセとしかいいようがない。クセのないスターは本当のスターになれないと思うよ。

◎先週読んだ本
「春昼」(泉鏡花)
◎先週見たDVD
「フラダンス」(邦画)
「リバティーン」(洋画)
◎先週頂いた本
酒井忠康氏より「開化の浮世絵師・清親」 (酒井忠康著) 
原研哉氏より「白」(原研哉著)
◎先週の観劇 
小林旭コンサート(相模大野グリーンホール)

6月8日
昨日は小林旭のコンサートに行った。今の若い人は彼をどの程度知っているんだろうか。ぼくと彼は同年輩で、ぼくが20才の頃、日活アクションスターの一人として石原裕次郎と人気を二分していて、彼はマイトガイと呼ばれ国籍不明の無宿者の若い主人公を演じていた。彼はまた裕次郎と同様歌も歌っていた。そんな彼の歌を聴きにいったのであります。客の大半は彼と同年輩の人で結構夫婦連れが多かった。ショーの半分はトークで、「小林旭」を第三者的に語っていた。歌で綴る小林旭の人生論という感じで、彼と一緒に人生を歩むというややノスタルジックなショーで、それにしてもとても70才には見えないところはさすがだ。何が彼をさすがにしたのかわからないが、客席の70才は彼と違う時間を生きていたとしか思えない。というのは小林旭は今も全盛の時間で生きているから時間が流れていないのである。とにかく静止した時間の不思議を感じる2時間でありました。

この間温泉旅行の一環としていわき市のスパリゾートハワイアンズへ行ってきた。そのビーチシアターでグランドポリネシアンショーを観た。これはこれで楽しめた。かつてこの地には炭坑があったが、それが廃坑になり、町は経済的ピンチに堕ち入った。そこで起死回生を計ったのが町の少女を集めて結成されたフラガールだった。その町起こし物語が映画「フラガール」であることを知ったぼくはDVDで昨夜見た。炭坑の町のド素人の少女たちがハワイ帰りの美人ダンサーにしごかれながらついに舞台に立ち、大観衆の中で喝采を博すまでの物語を映画化したものだが、日本人の情感に受ける要素がたっぷりで、この年の日本アカデミー作品賞などを総なめした映画である。泣かせどころを突いてくる映画で、スクリーンの中でもよく泣くが、映画館の客席でも泣かされた映画だったのだろうなと想像しながらベッドの中で観ていた。

6月7日
関谷誠子さん
ぼくの描いたルソーの作品群では笑ってくれます。笑いながら泣く、泣きながら笑う。でもあなたの場合はそのどれでもないんですね。もしできれば小説「ぶるうらんど」を読んで下さい。答えがあるかも知れません。

6月6日
昨日は新潟から川上雪担老師が弟子を5.6人連れて世田谷美術館に来られた。雪担さんとは20数年前に浜松の禅寺で会って以来だった。立派なお坊さんの顔になっておられて嬉しかった。ぼくと同じ年である。お坊さんは若い頃から坊主頭だから、最初から老人なので、年を取っても変わらない。雪担さんは東大文学部出のバリバリのインテリだけれど、そんな所はミジンも出さないけれど、著書などを読むとこれが凄い。「脱落」(悟る)した人の存在は、存在事態が希薄でいい。また20世紀美術にも造詣があり、モーツアルトしか聴かない、この間見た熊谷守一展がよかったそうだ。この辺はぼくも同じだけれど、あそこまで希薄じゃないな。

今朝(6/6)の朝日新聞に世田谷教育委員会が小学四年生の展覧会見学拒否問題が大きく取り上げられていたが、すでに読まれた方も多いと思う。それにしても教育委員会側はこちら(美術館と作家)に対して何の連絡もない。こういう教育にたずさわる人間の無責任な態度こそ問題じゃないでしょうかね。彼等は一体何を恐れているんですかね。彼等の恐れが逆に裏目に出るということが解らないんですかね。

6月5日
長男のブログと間違えている人が時々いるようで、ぼくが食べ物にえらい関心を持っているとか、骨折を心配してくれる人がいるけれど、骨折は長男ですよ。ぼくは長男に比べて食べ物に対する興味は非常に希薄です。ぼくのブログはこの "VISION" だけです。念のため。

「ザ・ロッキー・ホラー・ピクチャー・ショー」を朝の5時にテレビで観た。60年代の後半だったかニューヨークで観た「ロッキー・ホラー・ショー」のパロディ映画のようだった。主人公がアリス・クーパーに似ていたが、途中で眠ってしまった。そして間もなく夢を見た。すると夢の中にこの映画の主人公が出てきたので、「あなたはアリス・クーパーか?」と聞いた。すると彼は「俺はアリス・クーパーだ」と言った。夢でそう言ったからといって、彼が本当にアリス・クーパーかどうかはわからない。昨日も細野晴臣さんと話していたんだが、「ぼくは最近、以前のような超自然的な夢を見なくなって、日常の延長のような夢しか見なくなった」と言ったら、彼も「ぼくも同じです」と言った。今朝の夢も日常の延長だけれども、ひとつ変わっているところは映画の主人公がそのままの格好で夢に出てきて、会話を交わしたことだった。

世田谷美術館のミュージアムショップにガチャポンが何台かある。この中に魔除猫が4種類(赤・白・黒・金)入っていて他にピンク猫のシークレットが入っているが、このシークレットを出したいために1万円使ったけれどもとうとう出なかった人もいるかと思うとたった一回でシークレットを出した人も何人もいる。ぼくはまだやったことがないけれど、一度やってみよう。でもムキになりそうだなぁ。

「ザ・ロッキー・ホラー・ピクチャー・ショー」 の主人公の名前を調べた結果、アリス・クーパーじゃなかった。じゃぼくの夢の中に現れたヤツはなぜ自分がアリス・クーパーだと名乗ったんだ。結局夢の中に現れる人間は本人が想像した人間であるということだ。また登場人物は全て自分の分身であるということもいえそうだ。

6月4日
北橋愛さん
そうですね。未完といえば全部未完です。未完のまま生まれてきて、完成して死ねばいいですが、作品も同じだと思います。描き終わっても完成ということはないです。

織田直美さん
昨日は細野晴臣さんと会場を巡りながらの対談だったのです。仕事中なんですが、そう見えなかったでしょう。話変わりますが、土橋さんは確かぼくのいる頃は事業局長だったと記憶しています。ペイペイのぼくなんか近くに寄れない存在でした。長谷さんは直属の上司で随分可愛がっていただきました。(失礼。神戸新聞社時代のぼくが20才の頃の話です)

MASAさん
日常では誰もいちいちY字路なんて気づいていません。ぼくだってそうです。

川村美和さん
画家に転向した最初の個展(1982年?かな。京橋の南天子画廊)の際、すでに成城に住んでいましたが、アトリエがなく、近所の家を妻が訪ね廻って、やっと木村さんの家にたどり着いて、しばらく部屋をお借りして制作をしました。今でもよく憶えています。木村さんの奥様の顔も記憶しています。その奥様はすでにお亡くなりになったこと今初めて知りました。まだお若かったじゃないでしょうか。木村さんの家で描いた絵は、世田谷美術館、富山近代美術館、大阪国立国際美術館、大原美術館(倉敷)にコレクションされています。これらの作品は「横尾忠則絵画全集」(平凡社)に収録されています。問い合わせていただければ見ることができます。

大山多恵子さん(眠兎さん)
兵庫県立美術館での「冒険王」展のプリンセス・天功さんとのトークに来られるとのこと。楽しいトークになりそうです。

6月3日
一昨日(6/1)は世田谷美術館で3回目のトーク・ショーを中条省平さんと。中条さんには「横尾忠則・画境の本壊」(河出書房新社)でなかなかいい評論を書いていただいたり、「芸術新潮」(七月号)で対談したりしているので、「もう語ることがないんじゃないかなぁ」とおっしゃっていたけれど、その辺はさすがだ、話をどんどん次々展開させて、結構話しが面白くなったんじゃないかな。会場にいらした方は如何だったですか?
中条しょうへいさんとのトーク  
・中条省平さんとの対談  
   
中条しょうへいさんと対談  
・対談後、中条省平さんと  


中条省平さんとは一昨年パリのカルティエ美術財団で個展を開いた時に「マリークレール」の取材で初めて会いました。実はその前に「三島由紀夫の死んだ日」を中条さんが編・監修をしておられた時に文章を依頼されたんだけれど、過去に何度か書いているので、書けないと言ったら、じゃ絵を提供したことがありました。そんな経緯があって、今回の2冊の本でお世話になったというわけです。

昨日中条さんから送られてきた白夜書房刊のマルセル・プルーストの「失われた時を求めて」(第2巻)の翻訳・解説は中条さんです。元々は大長編小説でとっても読みこなせない作品だけれど、中条さんの訳されたはコミックです。第1巻を読んだ感想は決して小説には負けてないと確信できます。

今日(6/3)細野晴臣さんと世田谷美術館で対談(スタジオボイス誌)をしました。もう彼とは一体何回対談したことだろう。今までで一人の人との対談は一番多いんじゃないかな。最初は70年代初頭だったと思うな。展覧会場を実に時間をかけて(1時間以上)観てくれました。
自分の音楽の創造とからめて見ているようでしたね。ぼくだって音楽をそういう風に聴いていますからね。細野さんが見た夢をぼくが描く約束をしているんですが、あんまり描かないので、今日はバシッと催促されてしまいました。もうイメージは出来ているので、あとは一気呵成に描く瞬間を作り上げていくだけです。一ヶ月目標で待って下さい。
細野さんと世田谷美術館にて
・監視のおばさんに扮する横尾と細野晴臣さん
 
細野さんと世田谷美術館館長と横尾
・対談後に細野晴巨さん、世田谷美術館酒井館長と


今日は世田谷美術館の酒井忠康館長から氏の著作「開化の浮世絵師・清親」を贈本される。清親はぼくの私淑している画家で、以前からこの人の評伝が読みたかったが、こんな身近にいる人(酒井さん)から、いきなり手渡ししされて驚いてしまった。必要なものはいつもこうして自然に集まってくるものだ。

6月2日
相澤大康さん
いわき市から長文のメール拝受、ありがとうございました。わざわざ遠方から「冒険王」展、それはそれはご苦労さんというか、お礼をいわなきゃ。市役所にお勤めだそうですが、もし展覧会などの機会を市が持たれるようなことがあれば、どうぞ小学生達にもアートを観せるようにしてあげて下さい。

水島督さん
そうなんです。最近は子供づれの観賞者があの教育委員会の見学拒否事件(?)以来増えているんです。そんなメイルや、収集した多くのブログで見ます。教育委員会の思惑が逆転しているようです。

今日も、明日も、明後日も、その次も、その次の次も「ほぼ日」の糸井さんとの対談は続きます。

小西里奈さん/相澤貞子さん
何度でも展覧会場に足を運んで下さい。最近はリピーターがどんどん増えているようです。東京での次の展覧会の予定は今のところないので、最後の大きい展覧会かな?

北島聖子さん
世田谷、兵庫と両方観ていただけるんですね。兵庫県立美術館でのトーク・ショーは世田谷とガラッと変わって女性群(といっても2人ですが)と作家の平野啓一郎さんです。女性群は調整中とか、決まり次第発表します。それに3~4日間の公開制作も予定してます。

藤巻一也さん
社内で「隠居宣言」を廻し読をしないで、買って欲しいと平凡社さんは叫んでいますよ(笑)
是非798円出して買って下さい。

6月1日
ぼくの小説「ぶるうらんど」の一章目に夫婦が登場して延々と会話を交わすのですが、この小説を読んだ人は大抵横尾夫妻だと思うらしいんですよ。そう思っちゃうとこの小説が解らなくなるんですよね。でお無理もないのです。日本の小説には私小説が多過ぎるからね。だから読者がそう思っちゃうんですよね。こんな国はどこにもないですよ。日本だけですね、私小説が適用するのは。ぼくは私小説が嫌いだな。なんだか小ちゃい世界におさまって、「聞いて、聞いて、私の人生を」と言っているようで、普遍的じゃないですよね。

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