2018年08月31日
神戸のY+T美術館(横尾美術館)より、手を加える昔の作品を持ってきてもらう。途中まで描いたまま未完で終っていた昔の作品に加筆するため。人生はやり直しできない(できる場合もある)けれど絵はいくらでもやり直しができる。

Y+Tより作品返却と発送の立ち会いに平林さん来訪。彼女は21世紀美術館で個展以来、当時の学芸員で今はY+T美術館で、展覧会のキュレーションをしてくれているが、いつもオリジナルなファッションで、またいつも神戸の珍しいお土産も。

デジタル印刷になってから、印刷の持つ情緒が失くなって、カリカリしたものになった。そしてそれを受け入れてしまった。音楽もアナログからデジタルに変って耳も心もデジタルが評価の基準になった。というか、われわれがそー決めてしまった。

アナログが排斥されて、デジタルが受け入れられたことで、曖昧な美意識がなくなった。あいまいさはアナログとデジタルの接着力の役割を果たしてくれたのが、今はそれがない。

以前にも書いたが、上京した時、先輩デザイナーが「白黒はっきりさせないと東京ではやっていけない」と言った。ぼくはその後も、それ以前もズーッと曖昧さを自分の美意識としてきたけれど、これが通じない社会になっている。

時にはどーでもいい、どっちだっていい、しゃーないやんけの生き方が、脳の支配から自由にしてくれると思う。

ぼくは脳をあまり信じないタイプだ。脳の考えることは損得が中心だから。その点体は正直でウソつかない。

脳は妥協するのが好きだけれど、体は気分に忠実でしたいこと、したくないことに正直だ。

誰かの紹介で仕事の依頼をされることがあるけれど、こーいう場合ぼくはほぼ断わることにしている。頼まれた方も困る。中には紹介者がないと引き受けないという人もいるというから、仲介者を立てるんだろうなあ。

2018年08月30日

同級生と


以前デザインした西脇市産山田錦を使用した日本酒のラベル。西脇市長さんが右手に持っている純米大吟醸はJALのファーストクラスで出るお酒。左手に持っている純米大吟醸はJALのビジネスクラスで出るお酒。




車中で駅弁

2018年08月28日
心当りのある家はほとんどない。建て替えられてしまっているからだ。変らないのは山の形だけだ。この山の向こうからB29やグラマンが毎日のように飛んできた。今はその心配がない。と同時に迫力もない。


ホテルの部屋から町の全貌が見える。昔のわが家を探すが建物の背の高さが邪魔で見えない。どうせ壊されているんだから見えないのは当り前だ。

旅に出ると便秘になりやすい。顔見知りの薬局で以前サンプルをもらった。今日もタップリサンプルをもらった。これで安心。多分飲まないで治りそう

ぼくの絵の主要テーマにY字路がある。Y字路は西脇が第一号だ。その第一号を描いたY字路の中心の家をモニュメントにしたいという。だったら黒一色に真黒っケに塗るのがいい。近い内に真黒っケの家ができる。神のいたずらに見えたら最高!


同級生10数人とお茶を飲みながら雑談する。われわれは一体何才なのかわからなくなる。顔もフラッシュバックして、10代になったり80代だったり、行ったり来たりしている。

郷里西脇に帰省。先ず墓参り。死者は墓石の下には眠っていないことぐらいわかっていて墓参り。死者はいつも生者と一緒にいる。だから墓石に手を合わせて参ると死者も同じように自分の墓に手を合わす。これでいいのだ。

2018年08月27日
若い頃というか、10年ほど前と違ったな、と思うのは、なんでもない、ほんの小さいことに感動というか、ジワーッとした喜びのようなものを感じるのは年のせいかな。

何度も言うけれど、80を超えると大げさなことより、目立たない小さなことに感動する。個人的欲望、社会的欲望が次第に薄れていることは確かだ。それがどーした、という感じかな?

美容院で頭をいじっている間、ズーッと眠っていたので、終って鏡を見た時は10秒ほど前とは違う自分がいたので、びっくりした。

自分の声まで段々聴こえなくなったので、自分が聴くために大きい声で話すよーになった。だから咽がイライラする。(アレッ? このことはこの間言ったっけ?)年を取ると小津安二郎みたいに、同じことを繰り返すんだよね。

この間からDeNAが巨人に二連勝。いつの間にか巨人ファンからDeNAファンになっている。根拠はない。

2018年08月23日
インドのアーメダバッドで映画の看板を描くシネアーティストと凄く大きい作品のコラボをしたことがある。ぼくの指示したイメージの絵を描いてもらって、その絵にぼくの手法で描き加えたり、ぼくの絵の一部を彼らに描いてもらったり、実にエキサイティングだった。

彼等はアッという間にハケのような筆1本でスターの顔などそっくりに、ローゼン・クエスト顔まけの技術で描き上げてしまう。

またヒンズーの神々の絵を描く宗教画家ともコラボをした。この絵もアッという間に仕上げてしまう。職人の技術は凄い。アーティストは基本的に職人でなければならない。

紙スキの手法で、布スキの技術者ともコラボした。こちらは紙スキの技術と同じ手法で、布の中に木の葉や鳥の羽、その他の日常品をスキながら、どんどんそれらを加えてコラージュ作品を作っていった。

来週は郷里で紙をスキながら、コラージュ作品を制作する。すでにこの工房で何点も作っているが、きっとインドを想い出しながらの制作になるだろう。1日に5点制作する予定。即興で作るので早くできてしまう。

アーメダバッドには2回行った。1回目は制作、2回目は制作とドキュメント映画の制作。この記録ビデオは発売しなかったが、展覧会などで上映した。現在ビデオはどこにあるんだろう。一度見てみたい。

7回のインド旅行は、ぼくの人生の中で、ここだけポコッと穴が開いた空洞のようで、別の次元にスリップしたアリス的体験だった。

インドの旅は「インドへ」(文春文庫)と「ぶるうらんど/短篇小説集」(中公文庫)に描いている。この2冊は旅行記とスリナガルを舞台にしたカーマスートラ的小説です。インドに興味のある方はぜひ。

インドを回想したのは、この暑さだけれど、インドより日本の方が暑い。インドをガイドしてくれたインド人が、日本に来たけれど「この暑さはダメ!」と言ってすぐ帰国してしまった。インドは暑くてもカラッとしていて、日本のように湿気がない。

インドのスコールは、イグアスの滝みたいで、一寸先きが見えないくらい。ザーと降って、ピタッと止むと、濡れた道路から湯気がたって、雨が蒸発。あとは強烈な太陽で、車が走ると砂ぼこりが立つ。奇跡を見ているようだ。

ある占いができる人が、インドに旅行中「絵を教えて欲しいという人が来るので用心しなさい」と言った。まさかと思っていたら、ホテルにモナリザを模写した絵を持って30代位の画家風の人が「教えて欲しい」とやってきた。どうしてこーいうことがわかるのだろう。

未来はすでに決定しているのだろうか? ぼくの人生にとって重要でもない事柄なのに、どうして先きの出きごとがわかるのだろう。この占いのできる人は知り合いだけれど、時々この人の頭の中に語ってくる声があるという。

インドには何かにつけて不思議なことや体験をしてきた。何かあるね。

2018年08月22日
夏はカレーでパワーアップ。あのインドの灼熱の中で毎日カレーを食べるインド人を見習ってカレーはぼくの夏の風物詩というか健康源。

日本のインド料理店の大半はネパールのポカラという小さい村の出身者が圧倒的に多い。どうしてポカラの人が多いのか、今日も行くので聞いてみよう。

この間、初めて黒ゴマを大量にまぶしたナンを食べた。これはインドでもお目にかからなかった。ぼくはいつもナンとサフランライスとマトンとホーレン草にラッシーとチャイが定ったメニュー。

インドでは到着後一週間で皆んな揃って下痢をする。水は飲まなくても果物の中に水が混入してたり、また強い香辛料が原因だと思う。

インドへは7回行った。全部プライベート旅行だった。仕事で行ってもインドは面白くない。日程も定めないで、その日の気分でしたいことをするのが一番いい。インドで病気になってここで「死ぬ」と思うのも貴重な体験だ。

スリナガルで滞在した時は、家族の顔も思い出せなくなったし、自分の職業さえ忘れかけていた。そして日本列島がどんどん遠ざかって小さくなっていった。帰るのが面倒臭くなって、一体何日いたのだろう。こうしてインドが自分のものになっていく。

今はインドには行かないけれど、インドはぼくの中に横たわっていて、形を変えて姿を表わしている。

インドレストランの大半がネパールのポカラの出身者なのが不思議だったので聞いてみると、成城界隈だけでも6店舗。この店舗を経営している社長がいると聞いた。その社長はインド人だと思うけれど、もしかしたら日本人かも知れない。確かめてみよう。

インド人はフォークやナイフを使わないで、指を器用に使って食べる。左手は不浄とされているので右手で食べる。

インドでは額面通りで物は買わない。インドの買物は面白い。値切方がわかり出すと愉しい。インド旅行の愉しみのひとつは買物だ。

ある時、子供が売りたいものがあるから連いて来いといって、水瓜畑に連れて行かれて、この水瓜を安くしとくから買え、という。子供と何の関係もない他所の畑に植わっている水瓜だ。

ある時、瀬戸内さんが店から出てこない。何をしているのだろうと思って店に戻ると、瀬戸内さんは一生懸命値切っている最中だ。一向に値段が成立しない。一体いくら値切っているのかと思うと日本円で百円位。彼女はルピーの計算ができないのだ。

百円値切れば大儲けした気分になれる。小さい子供が「1ルピー、1ルピー」と手を出してついてくる。1ルピーは当時33円位だった。瀬戸内さんは3ルピー位に延々時間を費やしていたわけだ。

インドの時間は止まっているのか流れているのかわからない。時間で約束などできない。こーいう時間体験をすると、適当でおおざっぱな生き方の良さがわかってくる。人とテンポがあわないのはインドの後遺症かも。

昔から(20代の頃)新聞の死亡記事は見落としたことがない。今朝も5~6人の訃報が載っていたが、全員ぼくより若い。彼らはそれなりに全うして亡くなったのだろう。自分はまだ全うし切れず生かされている。彼らが残した人生だと思えばちゃんと生きなきゃ。

処女作「1メートル70センチのブルース」は10数年間のエッセイ集だけれど、その各項目にはエッセイを書いた日の死亡記事を毎日転載した。エッセイ(日常)を死一色で塗り込めたかった。

毎日が生の連鎖なら毎日が死の連鎖である。20代の頃からというか10代の頃から、すでにそーだったが、死について考えなかった日はない。死と共に今日まで生きてきたって感じだ。

自作のどの作品にも死が見え隠れしている。というか生が見え隠れしているというべきか。

肉体を持って生まれた以上、肉体の消滅は宿命的なんだから、その宿命である死を想うのも宿命じゃないのかね。

死を想うことは暗いんじゃなく、極楽トンボになることではないかな。

極楽という場所は死後に行く場所のひとつである。死んだら、そこが極楽だと思うのは主観。客観的にそこが必ずしも極楽ではないかも知れない。

極楽に行くか、地獄に行くか、煉獄に行くかは、現世の今この瞬間が決定するものだから、結局は自分が選択することになるはずだ。

死は決して未知のものではない、既知のものだ。だって現世にくる前には死の世界からやってきたんだから。http://bit.ly/1Xgurj  

2018年08月21日
人間と猫が同居することは大変なことだ。またおでんがおしっこしてしまった。と言って追い出すわけにはいかない。いくら人間言葉で諭してもわからない。自分で自分を諭すしかない。こーいう猫を飼ってしまったのは自分の人生で約束して、生まれてきたのか?

人間関係なら避けられるけれど、人猫関係じゃ避けられない。というかオシッコも含めた人猫関係を成立するしかない。猫は悟ってくれないのでこちらが悟るしかない。変な修行だ。

絵には進歩はないということを確信している。何10年、何100点描いても進歩はない。あるのは変化だけだ。進歩は自分に近づくけれど変化は自分が遠のくというか、見えなくなる。もしかしたら自分というのは見えない存在なのかも知れない。絵がそれを教えてくれる。

ある意味で絵を描くことは本を何100冊読むことのように思う。本は読んでも身につきにくいけれど、絵は身につく。どう、つくのか知らないけれど。意味も言葉も消える。そんな風に身につく。

絵は未知との遭遇だと思う。この場合の未知は空飛ぶ円盤ではなく知らない、まだ会ったことのない自分のことである。 http://bit.ly/1Xgurj  

仕事(絵の制作)って変なもので、描かなきゃ、いつまでも描きたくない。ところがひょんなことで描き出すと、次々と描きたくなる。毎日コンスタントに描き続ける人は多いけれど、ぼくは気分屋さんだからそーはできない。

ぼくは子供の頃から気分屋だった。多分ひとりっ子だから両親がそーさせたんじゃないかな。そう考えると気分で生きるような仕事につくもんだ。

作品のスタイルがないのも気分屋だから、ジッと同じことができないんだ。自分の中の色んな気分に目移りしてしまうんだ。

このことは絵を描くことだけに限らない。本でも、すぐ別の本に目移りしてしまう。同時に5冊も6冊も10冊ぐらい平気でコロコロ変る。その複数の部分が頭の中でゴチャゴチャに混ざり合っている。自分の絵みたいに。

現在、日経新聞の夕刊に山田詠美さんの小説の挿絵を描いているが、自分でも驚くほど毎日の絵のスタイルが変る。変るから続くのだ。

変らない場合もある。現在死んだタマの絵を描いている。100枚ぐらいになりそう。もう半分は越えているけれど、この絵だけは全く同じスタイルだ。なんでかな? タマに対する愛情が変らないからかな?

とはいうもののこのまま最後まではいかないかも知れない。どこかで急変するかも知れない。気分と生理にまかせているから何が起こるかしれない。

ぼくみたいなタイプの人間は集団で何かやるとか、他人と組むことはなかなかできない。赤瀬川原平みたいに、色んな仲間と一緒になって色んなことをやっていたが、あゝいう徒党を組むってことは出きない。

ひとりの知恵より「三人寄れば文殊の知恵」って色んなことができそーなんだけれどやっぱり、ひとりっ子でわがままに育てられたせいか、できないねえ。

昔、赤瀬川原平が「ハイレッドセンターに入らない?」と言った(本人は忘れている)けれど、ダメだねえ、YMOに入らないと誘われた時だって記者会見の時間にトンズラするんだから。やっぱり、ダメなんだなあ。#赤瀬川原平 #YMO

本質的に協調性がないのかも知れない。だからぼくの内なる声が「やめとけ!」と言うんだと思う。 http://bit.ly/1Xgurj

2018年08月20日
久し振りに公園へ。樹の下のベンチで思いついたことをノートに書きとめる。自分に対する疑問などを。例えば、なんで画家になったんだろうとか? 答えのない問いばかりが浮かぶ。

つまり、どうでもいいことばかりだ。それがどうしたとか、何の意味があるのか、とか。意味など必要ないじゃないの、とか、考えることの無意味について考えてみるとか。

昨日から描いている絵が、まるで他人の絵のようで面白い。これがもし、本当に他人が描いた絵なら、どう思うだろう。ジェラシーを感じるか、全否定するかのどっちかだ。

よく見ると素人っぽい。そこが下手とも上手とも取れる。自分でありながら他人のような絵が描けたということは大変いいことだ。

何を描いても自分になるくやしさってあるものだ。自分の中には複数の小さい自分がいる。その小さい自分にまだ役を与えていない。それはダメだ。役を与えて小さい複数の自分をどんどんステージに登場させなきゃ。

カメラを買う代りにアイフォーンを買って、やっと写真の撮り方を覚えた。まだメールも電話も、何ひとつできない。このアイフォーンの中にはぼくの未来がいっぱいつまっている。だけど使い果たせない。でも使い果たせるよーになるとつまんない人生になりそーだ。

絵がどんどん上手になることは、どんどん下手になることだ。この意味わかりますよね。またどんどん下手になることは、どんどん上手になることだ。

わからないことをわかろうとする。芸術はわからんことはわからんでいい。わからんということが芸術に必要なんだ。

でしょう? わかる芸術なんて、そのうちつまらなくなるから。

2018年08月16日
丸田さん、約60年振りです。丸田さんも難聴とか「会議が地獄」はよくわかります。ところで現在はどこに? ツイートありがとうございました。以前のお顔もかすかです。変られて当然ですね。

難聴者は高いビルのエレベーターは、益々悪化させるそうです。飛行機の着陸時など怖いです。どーなんでしょうね。

難聴は病気だと思っていないですが、今より悪化すると、人との会話ができなくなるのがつらいかな? と思います。まあ筆談でやりますかね。

明日で生誕3万日とは? あゝ、そーですか。よく調べていただきました。ありがとうございます。82才と言われるより3万日の方がいいですね。

わが家のおでんが布団の上で時々おしっこをする。砂を入れたトイレが部屋にあるにもかかわらず、無視して布団でする。大変困っている。これは病気ですかね? 対処法があれば教えて下さい。

逆に怒るといけないんでしょうかね。また怒っても理解していないみたいだし。

まさかおむつをさせるわけにもいかないし、部屋中で全部トイレにするわけにもいかないし。こういう猫の養護施設はあるんでしょうか。

また、どこへ、誰に相談すればいいんでしょうか? ちょっと深刻です。

右手を頭の後に廻して鼻をつまむとシャックリが治るという占いでもないですかね。誰か猫博士はいらっしゃいませんか?

ツイートで今日がぼくの生誕3万日目だと知らされました。82才なんて老年令でいわれるより3万日目といわれた方がいいですよね。ここには年令が感じられないのがいいです。明日は3万1日目ということになります。たった3万日目かと思うと若い気がします。

これから年令表示の時は日数がいいですね。毎日数えてなきゃいけないので、カレンダーを持ち歩かないと間違っちゃいますね。

2018年08月15日
でもこの格好で外出しても誰も不思議がりません。本物の工事夫だと思っているからです。その時の気分は最高です。 http://bit.ly/1Xgurj  

公開制作を逆手にとって工事夫のコスプレでもやりました。この時は学芸員も工事夫やトビ職のコスプレです。この格好で美術館のレストランに入ってお客様が店員に文句をいいました。本物の人夫だと思ったんです。

今度の「公開制作展」では制作中のビデオを流したり、スナップ写真も展示するようです。そして会期中、公開制作も行ないます。

アトリエができてから公開制作はしなくなりましたが、イベントとして面白いので個展開催中に美術館でやって下さいという、今度は逆指名されます。「よっしゃ、それじゃやりましょう」となって公開制作が増えたのです。

ところが頭がおかしくなると、何をやってもいいという気分になるのです。そんな気分を逆に利用するしかないのです。だからアトリエでは描けない大胆で、時には滅茶苦茶になる。こーいう得点を利用するのです。

ところがやってみると背後から見ている人の視線が矢のように突きささる。息を凝らして、シーンとしたまま、キャンバスを走る筆の音だけだ。あなた、こんな緊張感の中で絵を描いてみて下さい。頭がおかしくなります。

背後から見られて描くのは死ぬほどつらい。でも場所がない時はどこかを借りなきゃいけない。それが公開制作の始まり。

アトリエは人に見せる場所ではない。絵を描くところなど見せたくない。喜んで公開制作をしているわけではない。

公開制作などしたくなかったけれど、美術館などで場所を貸して欲しいというと、大抵、条件として公開制作をしてもらえればと言われる。嫌だったけれど描く場所が欲しいので公開を認めた。

今度公開制作展(神戸のY+T美術館で/Y+Tはぼくのイニシャル、今後神戸の横尾忠則現代美術館のことをY+T美術館と呼ぶことにします)を2019年1月から開催です。画家に転向した時、アトリエがなかったので、色んな公的な場所で公開制作をしてきました。

眼鏡2個(サングラスと老眼鏡)紛失して心当りを探し廻ったが結局、身の周辺からでてきた。近くを見ないで遠くばかり見ていたが、こーいうことは他のことでもよくあることだ。

ほとんど諦めていただけに出てきたことの方が不思議だった。不思議とは奇跡でも何んでもない現実的なことなんだ。

お盆休みのせいかどこからも事務所に電話が掛からなかったそーだ。シーンとしていて難聴ってこんな感じなんだ。

難聴のことでツイートしたけれど大勢の方から親切に色んな治療法を教えていただきありがとうございます。片端から試してみます。

周囲というか、街というか、世間が静かな時は、時間も止まったように沈黙している。難聴ってこんな感じです。

難聴になってからは一生懸命にならなくなった。適当になった。ねばならないの体質ではなくなったようだ。ものの判断も生理にゆだねることになった。結局アートも生理でやっている。難聴の高徳かな?

ハンディはハンディではなく、ハンディは好条件かも知れませんよ。

昔に比べたら仕事のスピードも量も落ちてきた。というか、適当になってしまった結果かも知れない。戦うとか、励むとか、争うとか、競うことが無意味に思えるよーになった。年のせいかな。早死するとこの感覚が味わえないまま終る。

今まで医療関係のテレビ番組をよく見ていたけれど、今は一番興味のない番組になってしまった。

ぼくは休暇を取るのが下手だ。正月、盆の休みをとってどこかに行くとかはできない、というか面倒臭いと思ってしまうタチだ。ぼくの友人、知人たちは上手に休暇を利用する。あれができないんだなあ。ひとりでアトリエにいて、あれこれ妄想してテレビで旅番組を見る。

昔はよく、アメリカ、ヨーロッパ、インド、南太平洋など喜んで行っていたがよくあんなことをしたなと思う。映画館や、東京から横浜へ行くだけでも大変だと思ってしまう。

それと、もうひとりではどこにも行けない。大阪、神戸もひとりじゃ、何が起こるか、わからないので、誰かサポート的な人がいないと。お金を払うのも結構難しい。物を買っても忘れてしまう。まあ若い頃もそーだったけれど。

道に誰かに会って会話を交しても相手が誰だかわからないことなどしょっちゅうだ。お金を払うのを忘れて店を出ることもある。これも若い頃からなので認知症だとすれば50年前からだ。

コマ切れに眠るのでアトリエのソファーでよく居眠りをしている。これって気持がいいけれど、目が覚める時、一瞬どこにいるのかわからないことがある。ホテル? 新幹線? 劇場? 自宅? と思い出す間の何秒かが楽しい。

今はサプリメントは一斉止めた。食物に変化をつけて、その時食べたいものを食べた方が効果があるように思う。また、あんなに病院好きが、さっぱり行かなくなってしまった。先生から「他所の病院に行っているのでは?」といわれるほどだ。

ぼくは本質的に職人だと思っている。職人は朝起きたらやる仕事が決まっている。だけどぼくは何も決まっていない。すると職人じゃないのかな? じゃ芸術家? だとすれば怠け者だ。中々腰を上げないので、職人じゃないな。でも気分は職人だ。

一生懸命やるのが嫌だ。やっぱり生理や気分や衝動で動くので、芸術家に近いんだけれど、我を通すとか、社会と戦うとかはしない。その前に遊んでしまうんだなあ。

このツイッターを日記だと思っている人が多いが、日記ではない。前にも言ったが毎日の日記は「週刊読書人」の新聞にくわしく書いている。それをまとめた4年間の「千夜一夜日記」(日本経済新聞出版社)はすでに出ています。 http://bit.ly/1Xgurj  

2018年08月14日
ストーリイ性のある夢から最近は現実のひとこま夢に変ってしまった。物語夢はエンタテイメントで大衆性があるがひとこま夢は観念だけの現代美術的で、ちっとも面白くない。

若い頃の夢はSFチックで、円盤に乗って地球外惑星に旅したり、かと思うと、マリア、キリストが出現する夢で、もうあんなスペクタクルでこの世離れした夢は見なくなった。

最近の夢に出てくる人はほとんど死んだ人で、でも夢の中では死者という実感はない。昔は死んだ人が出てくると本当に幽霊のような出方をしたが、こっちも最近は面白くない。 http://bit.ly/1Xgurj

2018年08月13日
日、一日、難聴がひどくなっていく。一昨日より昨日、昨日より今日という感じだ。難聴で何軒もの病院を訪ねたけれど、結論的には治らないということらしい。最近は自分の声もバイブレーション化して、聴きとりにくい。つい自分のために大きい声を出す。すると咽が痛い。

近代医学はあきらめて、民間療法を探すしかない。いい民間療法はないでしょうか?

1対1で話す時は補聴器を装着するけれど、相手同志でしゃべっている時は、ほとんど意味不明。だから3人以上のミーティングはダメです。

トークショーに出席してもマイクの声が、ぼくの耳には変質して聴こえるので音声だけで話の内容まではわからない。

テレビ局のマイクは特殊なのか、相手の声は聞こえる。そのマイクをいつも2人が携帯していればいいんだろうけれど、そんな面倒臭いことはできません。

難聴のために断わる仕事も結構ある。対談も相手の方の声の質や、話し方によって、さっぱりわからない人もいます。

ぼくがしゃべるので、相手の人は話が通じていると思っている人が大半なので、相手はどんどんしゃべります。もうお手上げです。

聴こえないことで便利いいこともあるけれど、聴こえないことで生活がしやすくなったということは今のところは全くゼロですね。

大抵の人はぼくがそんなに悪いと思っていないので、勝手に話しかけてくる。展覧会のオープニングに顔を出しても、役に立たないんです。ぼくに話し掛ける人は仕事関係の人で特殊なしゃべり方をしてくれている人です。だから「エサを与えないで下さい」状態なんです。

ツイートは声も耳も関係ないのでOK。難聴になってからツイートの数が増えているように思いますね。

絵は声も耳も関係ないので、助かっています。絵も会話だけれど言葉ではなく気分や、生理や、感覚なのでOKです。

でも耳が聴こえなくなってからは言葉の生活から離れるので言葉を並べる文章にもハンディがあります。言葉の数が減ってきたり記憶が薄れたりの進行も起こっています。 http://bit.ly/1Xgurj  

昨日は一日にサングラスと老眼の2つの眼鏡を失くした。文化的生活必需品がなくなったので、一日風景を眺めるしかない。

こんな風に躰の中の細胞も毎日、ひとつづつ失くなっていっているのだろうか。

年を取るということは何かを失くしたり忘れていくことかも知れない。そして死んだ時、一生の記憶がワーッと蘇ってくるのだろう。

それにしても眼鏡は一体どのくらいの数失くしたかわからない。置き忘れた場所に今でもあるのか、誰かが拾って愛用しているのか?

物が失せる法則のようなものがある。例えば現在愛用している品が他の物に目移りした時、現在使用しているものを失くするか壊すかのどっちかだ。物にも意識があるように思う。

失くしたり、忘れても絶対出てくるという強い確信があると本当に出てくることがある。その反対に愛情を失った品物は自然にどこかに消えてしまう。

失ったことは偶然かも知れないが、そのことによって生活が変化する。そういう時期に来ていたから紛失したのかも知れない。

何事でもそれなりの理由があるが、ぼくはあえて追求しない。まあ、そーなったんだ。しゃーないやんけ。絵の描く行為ってこーいうもんだ。

気がついたらこーいう絵になっていたんだ。これでいい。他のことも、この考えでいけばいい。

芸術は理屈ではない。理屈っぽい人は、どんどん芸術的感性から離れていく。

郷里をテーマにした作品を描こうとしている。でも考えてみればほとんどの作品が郷里での体験が舞台になっている。もっというと、郷里から一歩も出ていないということだ。

夜、見る夢のほぼ90〜100%が郷里が舞台で、そこに登場する人々はその後に会った人達や死んだ人達だ。

だからぼくの夢はノンフィクションとフィクションが合体していて、ストーリーはメチャクチャ、ヌーボーロマン以上だ。

ぼくにとって夢は夜見る映画である。この映画の監督は自分なのかそれとも「誰か?」なんだろうが、その創造力は時には天才的だ。

しかも自分が主役で、下手すると命を落としかねない、スタントなしだ。バーチャルなんてもんじゃない。主役といっても芝居ではないんだ。肉体を伴ったドキュメントである。

だけどこの映画の大抵が未完で終る。カタがつかなくなって「ヤーメタ!」って具合で未完で終る。

一度、首を斬られる(処刑で)首から、斬られるところ、そして斬られた後、墓石屋で自分の墓石を作って、墓へ行く、そこで終る夢を見たことがある。

死んでも生きている夢だ。今までの中でベスト1か2ぐらいの夢だ。こんな夢を毎日見ていると昼間の現実なんてバカバカしくなって、24時間寝ていたくなるよね。 http://bit.ly/1Xgurj  

2018年08月10日
LM.CのmayaさんとAijiさんがアルバム "FUTURE SENSATION"(LPサイズでCD/DVD3枚組)ができたと届けてくれる。#LMC


この前、ツイッターで手土産はあんこなどの甘系はダメで猫やメダカのエサならOKと書いたら早速、凄くきれいなリボンつきプレゼントの包装のお土産に「何」? と思ったら猫とメダカのエサだった。彼等が帰ってから気づいた! そのセンスがなかなかヒップだ!

アイフォンの使い方がわからない(写真しか撮れない)ので今日はAijiさんが色々教えてくれた。マスターするまで時間がかかりそーだけれどなんとか時代の波に乗ろう。

半分の年令のビジュアル系のロックアーティストから吸収するエネルギーはツーマッチ! 10月のライブが楽しみだ。

最近は音楽とファッションの世界からのアプローチが集中している。中々、年を取っている暇がない。

昨夜、1時間半ほどUFO特集をやっていたけれど、古典的で古いねえ。彼らTVの(制作者)が考えるUFOは子供だましで、現実のUFO問題はとんでもない次元に来ているというのに。 http://bit.ly/1Xgurj  

難聴になってから、人と話す機会が少なくなった。話したいことがあって話しかけるがその返答が全く聞こえないので、「しまった」話さなければよかったと思う。

今朝の朝日新聞の鷲田清一さんの「折々のことば」で寺山修司の「話しあい」などではなくて、むしろ「黙り合い」だ、と言っている。#寺山修司

寺山修司は電話が好きで毎日よく話した。彼の印象は黙る人間というより話す人間だった。彼の話に僕はいつも黙って聞いていた。

今、難聴になると、話しかけられるのが一番困る。相手の言葉を無視せざるを得ないからだ。

黙ることで想像力が必要というか、働かせなきゃならない。こんな状況で寺山修司はぼくに対してどんな行動をとるか見てみたかった。

「話し合い」より「黙り合い」と言う寺山は演劇で実践したかも知れないけれど日常では無理だったのでは。ぼくと寺山との関係では、よくしゃべったなあ。それをいつも笑いながらぼくは黙って聞く側だった。

とにかく絵を描くようによくしゃべった。彼のおしゃべりは、「黙りとおした」結果だったのだろうか。

彼は喫茶店などでしゃべってない時は、常に視線を流していた。きっと目でしゃべっていたのかも知れない。しゃべりながらも、よく目を動かしていたなあ。

ぼくは絵を描く時は無言だ。だけど膨大な量の言葉にならない言葉をしゃべっているのかも知れない。だから絵が描けるんだ。

そして不思議なことに描いた絵になぜか文字または言葉を入れたくなる。なぜだろう? かつてデザイナーだったからだ、という人がいるが、そんなもんじゃない。 http://bit.ly/1Xgurj  

2018年08月09日
フランシス・フォード・コッポラの「黒澤明を語る」(黒澤明DVDコレクション)で、最も偉大な作品を50〜100本選べと言ったら黒澤作品がその中に10本は入るね、と言う。ぼくも同じ意見だ。フェリーニにもその位入れたいね。#フランシス・フォード・コッポラ #黒澤明

ぼくは映画から大きい影響を受けている。やっぱり黒澤とフェリーニ、そして小津とゴダールだ。ちょっとアングルを変えて、ホドロフスキーからもね。彼とは対談したことがあるけれど彼の狂気とエロティシズムと死はぼくのモチーフでもある。#フェリーニ #小津 #ゴダール #ホドロフスキー

生前、黒澤さんの家が近かったので、アポなしで訪ねて、いつも4時間位、とっておきの話を沢山聞いた。話も大事だけれど、本人に会うことでインスパイアーされることって大きい。

だから、ぼくは興味のある人は出来るだけ本人に会うことにしている。ただ会うだけでいいんです。その人が発散しているエネルギーの場の中に包まれることが大事なんです。1分でも10分でも、そりゃ1時間以上もいれば充分。 http://bit.ly/1Xgurj  

9月15日(土)−12月24日(月)「横尾忠則 在庫一掃大放出展」(神戸・横尾美術館)が開催されます。この展覧会の出品作品は全て未公開のもので、ぼくも見るのが初めて(?)のものばかりが展示されます。というわけで人に見せられない、見られたくない作品ばかりです。

画家に転向する前夜のものから、まあ、見て欲しくない下手くそな作品がズラリと並びます。この展覧会を見た人は大抵自信をつけて、「われこそは!」と絵を描きたくなるはずです。そーいう意味では自信を与えることになるでしょう。

美術館の倉庫の奥から引っぱり出してきた作品を中心に、一部所有者からお借りしたものもあります。「在庫一掃大放出展」とはうまいタイトルです。(失礼なタイトルですよね)デパートの残り物大売出しみたいだけれど、別に販売はいたしません。

この展覧会を機に入場者がグンと落ちるか、反対にピンとはね上がるかはわかりません。それにしても初期のスタイルの模作時代から今日の変化し続ける作品まで、デコボコ道を歩むような展覧会です。

学芸員は、それなりに色々仕掛けを考えているよーです。もし入りが悪いと学芸員の責任で、もし超満員になれば、作家の私の作品が穴(けっ)作だったことになりましょうか。

展覧会のカタログは毎回豪華(?)判です。今回のガラクタ展(誰もそうは言っていない)でもカタログは立派です。一度来館して、過去のカタログもぜひ手にとってみて下さい。

東京では向こう100年、絶対展示しない作品ばかりです。お見逃しなく。

これは余談ですが秋(9月だっけ?)にはニューヨークのマーク・ベンダ画廊で新作中心の個展も。国内では銀座のggg(スリージーギャラリー)で40年前の「幻花」挿絵展も。 http://bit.ly/1Xgurj

2018年08月06日
最近は毎日のようにカキ氷アイスを食べている。昔はもう少しサラッとしていたけれど、今はノタッとした感じで口の中に甘さが残る。この残った味が添加物なんじゃないかな。止めとこ。

久し振りで歯が痛くなって歯医者に行く。大したことなくても、ストレスになるからだ。クリーニングと消毒で治療は終った。甘いもの、冷たいもののせいかも。

最近は毎日のようにカキ氷アイスを食べている。昔はもう少しサラッとしていたけれど、今はノタッとした感じで口の中に甘さが残る。この残った味が添加物なんじゃないかな。止めとこ。

かと思うと物すごくよくわかる人もタマにいる。こーいう人ばかりになれば難聴は世界からなくなるのに。

今、面白いことを実験しようとしている。難聴画である。難聴の状況を絵にした場合、こんな風になるんだという絵だ。

昨日、高校野球で松井が始球式でボールを投げたらワンバウンドだった。ヘタクソといいたいけれど、その昔、後楽園のマウンドからキャッチャーにボールを投げたことがあるけれど、びっくりするほど遠い。やっぱりワンバウンドになった。今じゃゴロしかコロがせない。

2018年08月02日
絵は描き始めたら終りがない。きりがない。食欲と似ている。腹8分を通り過ぎて大抵過食になる。それを知っているので、腹7〜8分で終ろうとする。すると未完状態だ。絵は本当に難しい。

描き過ぎても、描き切れなくても、筆を置く瞬間がわからない。そんな状態でいいのかも知れない。あるのは初めだけで終りがない。

火星大接近だというので富士見橋に行って夜空を探したが生憎ガスっていて見えなかった。カップルがいただけで誰も火星見物人はいなかった。

やっぱり運動不足なのかフラリフラリと歩いている。いつ頃からフラつくようになったのだろう。つい、2、3年前はそんなことがなかったように思う。同年輩者らしい人を見かけるが、ぼくよりもゆっくり歩いている。ぼくもゆっくり歩けばふらつかないのかな。

かと思うと、その日によってツカツカ歩ける日もある。最近は昔の写真を見るよーにしている。やっぱり昔は若い。1〜2年前の写真でも、今より若く見える。あと1〜2年すると、今の自分の写真も若く見えるのかも知れない。写真を撮る時はなるべく若そーに撮ろうと思う。

意識しなきゃ老化も早いけれど意識すれば老化の速度を遅らせることもできる。

9時にベッドに入って10時過ぎに眠るようにしている。6〜7時(途中で起きることもある)睡眠ってとこかな。アトリエで、気がついたら筆や本を持ったまま仮眠していることもある。絵を描く時は頭が空っぽになるからつい睡魔に襲われる。

勿論、眠れない時もある。そーいう時は本よりテレビを観る。ますます頭が冴える。冴え疲れすると、いつの間にか眠っている。

このところ文章の仕事がちょっとたまっている。まあ、あまのじゃくなんだけれど結局は現実逃避がしたいだけだ。



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