8月31日
○送られてきた本
 新潮社より「巡礼」橋本治著

K.F.さん
ダリもマグリットも作品は完成されていると思います。未完の完成かはわれわれの問題ではなく本人の問題じゃないでしょうか。あなたが言われる「計算されたカチッとした絵」だから完成とか、粗雑に描かれているから未完とはいえないんじゃないでしょうか。こーいうことに拘らないで自由に鑑賞されては?

Y.M.さん
ぼくに対する関心よりも、自分はどうかということが大事じゃないですかね。自分に問いかけてみては?

年令と共に時間が短くなるというが、去年ぐらいから時間が長く感じるようになった。今年だってまだ8月が終わらないのかとか、21世紀美術館のオープニングからまだ一ヶ月経っていない。もう二ヶ月以上前にオープンしたような、また一週間も長い、一日だって長い。この感覚って一体どこから来ているのだろうか。他主的な仕事(生活)に切り替えたからだろうか。そのくせ今年ほど沢山制作した年も珍しい。まだ四ヶ月もあると、また絵も増える。隠居宣言以来、時間の源流に昇っているような気がしないでもない。近代以前の時間がまだ反復していた頃に。キリコの「イタリア広場」に立っている感じ。

○送られてきた本
 山田明さんより「模倣犯ピカソ100年の謎を解く」山田明著

8月28日
岡本太郎美術館の公開制作2日目。成城学園駅から乗ったら昨日と違って空席がなかった。腰が痛かったので座りたいと思った。電車が停まって、客がどーっと降りて空席ができた。早速座れて、やれやれと思って、ホームを見たら、降車駅の向ヶ丘遊園だった。降りることを忘れて座ることばっかり考えていたもんだから、とうとう新百合ヶ丘まで連れていかれてしまった。

2日目も盛況(公開制作のこと)。昨日2時間、今日2時間半、なんとなく完成。残りの時間(4時迄)はトークに切り換え。Y字路が次第に溶けかけ、崩れかけ、消えかけの方向に来た。

完成した(といってもぼくの作品は全て未完ですが…)公開制作の作品は岡本太郎美術館で展示される予定です。日時は追ってお知らせします。現在も太郎作品と一緒に11点展示されています。太郎空間の中では不思議な出合い方をしています。

8月27日
○本日送られてきた本
 淡交社より「高台寺」小堀泰巖/飯星景子著

今日は岡本太郎美術館で公開制作をしました。予想以上に盛況で驚きました。一日では描けなかったのでまた明日も制作します。多くの宿題を残して帰ってきたので、さぁ最終的にはどんな絵になるやら。観客者のエネルギーがそれを決めてくれることでしょう。とにかくこの美術館の環境は素晴らしい。時々、この場所で制作してみたいと思いました。では明日。

電車に乗ることはあまりないが、成城学園駅から向ヶ丘遊園駅まで急行でたった5分。驚いたことに横も前も斜めもケイタイとパソコン操作の人などで、ケイタイを持たない電車にも乗らないぼくとしては全く新しい風景の中にまぎれ込んだよう。こんな光景に驚いているぼくは21世紀人じゃないことはわかりますが、こんなぼくに驚いているのはむしろ皆さんでしょう。

8月26日
普段あまりしないけど、トイレットペーパーで鼻をかんだら、すごくいい匂いがした。何の意味があるのだろう。お尻に鼻があるとでも思っているのだろうか。ティッシュペーパーで鼻をかむ時、いつもホコリの臭いがするのは鼻に対する嫌がらせだろうか。

わが家のタマは終日台所のテーブルの上に乗っかっている。しかもその上の何か小さい物の上に座る。時には極小のお皿の中に両手だけを入れる(乗る)。それで体全体がお皿の中にはいっていると思っているのだろう。猫は頭隠して尻隠さず的なところがある。一部分と全体の違いの差はさほど重要ではないのだろう。そんなところはぼくに似ている。

和歌さん
岡本太郎美術館での公開制作を突然中止、延期にして申し訳ございませんでした。ちょっと腰が…。もう大丈夫です。テーマはやはりY字路です。でもトビ服は一寸暑いので今回はPCPPPは中止です。150号を2日で、上手くいけば2点どうかな?まぁ描いてみないとわかりません。ご質問の山口小夜子さんの絵は一点描きました。アメリカから出ている「アンディ・ウォーホル・インタビュー」紙に掲載されています。その複製は…?ちょっと思い出せません。わかったらお知らせします。とりあえずコピーのコピーを掲載します。金沢21世紀美術館でのトークショーに急遽、平野啓一郎さんが来てくれることになりました。その時にでもどうぞ。10月24日(土)です。多分午後になるでしょう。後半はかなり混雑しそうです。すでに1ヶ月で3万人の入場者だそうです。


8月25日
9月2日〜9月29日までギンザ・グラフィック・ギャラリーで「銀座界隈隈ガヤガヤ青春ショー」という1960年代の作品(それもあまり日の目を見ない)を展示します。「ヘー、これが?」というウンと初期のイラストレーションなど、三島由紀夫さんの「終わりの美学」や「手紙の書き方」など当時(66年)「女性自身」に連載した挿絵の原画(見つかったんです)も出品します。

8月24日
ひとつ客観的に自分を観察してみようと思って、ぼくについて論じられた「横尾忠則・画境の本懐」(KAWADE道の手帳)を読み始めた。友人、知人を初め多くの論者の評論が各時代ごとに論じられているのを、今こうして改めて読み起してみると、鏡に写っている自分ではない、写るはずのない背後がまるでマグリットの鏡の中の人物が、手前の人物の背を反復させている、なんとも奇妙な絵があるが、思わずそれを想像してしまった。ところで関係ないがこの絵の鏡の前に置かれている本の題名はなんだっけ?ポーだったか「ファントマ」だったか、エエ、、、、、、ト?もしポーだったら「黄金虫」だったかな?よし、今夜画集で調べよう。

8月23日
○本日送られてきたCD
 高橋鮎生さんより「dna」ayuo and seashell

秋口になうrと毎年持病の喘息の徴候に見舞われるが、今年は特に新型インフルエンザのターゲットにされている。特に老年の喘息持病者でぼくは逃げ場がない。しかもこれからの季節は移動が多く人混みの場所に行く機会が多い。流れ弾の飛び交っている中を歩いているようなものだ。

8月21日
○本日送られてきた本
 講談社現代新書より「日本語という外国語」荒川洋平/「ハップル望遠鏡宇宙の謎に挑む」野本陽代/「 日本銀行は信用できるか」岩田規久男/「戊辰雪冤」友田昌宏
 岩波新書より「四コマ漫画」清水勲/「司法官僚」新藤宗幸

○本日送られてきたCD
 細野晴臣さんより「POSTYMO」YELLOW MAGIC ORCHESTRA

イチローは投手が投げた球が自分のところまで届く間に、予想していた球でないことがわかった時、その間に打撃法を考えて、そして変えるという。絵を描く時、このように描こうと思って筆を走らせた時、これは違うと思うことがあり、瞬時に筆の動きなり技法を変えることがあるが、イチローの話で、スポーツも絵も瞬時に対応を変化させることは同じだと思った。

発信が遅くなりましたが、本日の岡本太郎美術館の公開制作は中止になりました。来週、木・金の2日間行います。

金沢21世紀美術館の個展「未完の横尾忠則」展が現地からの報告ではかなり熱しているそうだ。大勢の人達がブログで報告してくれているのも嬉しい。この美術館は本当に一見の価値ありの海外でも話題の美術館です。館内は都市の構造に似ていて、通りから通りへ、そして大中小さまざまなスペース(展示空間)に立ち寄りながら一巡(番号指示に従って)できる。「未完の横尾忠則」展は七つの部屋に分離されており、どの部屋にもぼくの異なった主題と様式の作品が展示されている。珍しがられているのは1981年から2008年までの28冊の日記(他2冊)がケースに入って、そして今まで使用したパレット117点も額に入れて(作品化)展示されている。それと滝のポストカードの鏡の間はちょっと乱歩的蟲惑世界ですよ。

8月20日
ぼくのベッドの頭の部分はちょっとしたスペースがあって、そこに本を山積みしている。今にも崩れそう。平野啓一郎さんはこの間の地震で自署が頭の上に落下してコブまで作ったとか。本って凶器なんだと思わされるのは本の下敷きになってこの前亡くなった女性の一件だが、何もしなくても落ちそうなのに地震では落ちなかったベッドの上の本なんだけど、ほとんどが洋書の画集だけど、かえてしっかりした分厚い本なので少々の揺れではビクともしなかったのかも知れない。この間瀬戸内さんが明日まで渡さなければならない文章がなかなか書けないので困っている時、上(どこの上かは不明)から一冊の分厚い本が坊主頭に落ちて来て、「コノーッ」と思ってみたら、ぼくの日記本(分厚い)で、仕方ないので読み出したら面白くなって、とうとう朝まで読んでしまった。お陰で仕事にならなかったわよ、とぼくに電話があった。そこでぼくもその日記を引張り出して読み始めたら、やっぱり面白い。こんな面白い本があるのかというほど面白かった。その本は横尾忠則の「画家の日記」という1987年に出版されたもの。22年前の本。この頃は絵が思うように描けないと苦しんだりボヤいたりしていたので、そんな人の不幸が瀬戸内さんには面白かったのだろう。ぼくが面白いと思ったのはそこでの苦悩が今では解決しているからヒト事のような自分が影絵のように踊っているからで、今はあほらしくあんな生き方はバカだと思うからつい笑ってしまうらしい。その頃は好きなことをしないで、嫌なことばかりをしていたからだろう。でもこれを続けているといつかそれが反転して、すきなことしかしない、嫌なことはしない、ようになるもんだ。

○本日送られてきた本
 ぴあより「忌野清志郎の世界」忌野清志郎

忌野清志郎さんとは阪神大震災のあった年に神戸でかなり大きい展覧会を開いて、その時、細野晴臣さんに協力を求めて、展覧会でアボリジニの人達にも出演してもらったが、その時、忌野清志郎さんに来てもらった。そんな因縁があってオノ・ヨーコさんが武道館でジョン・レノン・スーパーライブのコンサートを開いた時、彼の日本語の「イマジン」に感動して、楽屋で久し振りに彼に会ったら、「何か一緒にやりましょうよ」と持ちかけられたのが、まさに彼が死んで、彼の展覧会のポスターがこんな形でコラボレーションになるとは思わなかった。彼の描く絵は物欲しそうなイラストレーターが束になってかかってもかなわないほどの力とエネルギーのあるれた言霊画になっている。

ボストン美術館のキュレイターが来て「シャンバラ」展の要請を受ける。すでに当館がコレクションしているぼくの作品(10点シリーズ)だが、むしろその後の作品に興味を持ったので、もう一度仕切り直しをしたいとのこと。シャンバラは70年初頭ぼくがヨーガを習い始めた頃に興味を持ったヨーガの根本原理としてのシャンバラで、さらに10年以上このシャンバラ世界の哲学を学ぶことになるが、この影響はぼくの肉体を通して現在の作品の中に無意識的に浸透している。美術館がシャンバラを主題にするなんて、普通じゃ考えられないが、それだけに楽しみだ。

8月18日
今日取材を受けた雑誌は子供の頃の話だった。編集者が持ってこられた前号の同じ欄には平野啓一郎さんが出ていた。彼は子供の頃から作文が得意で、フィクションみたいな作文ばかり書いていて、クラスメイトからおかしな奴だと思われていたらしい。そりゃそうだ。小説を書くみたいにウソばっか書くんだから。その点ぼくは文章が書けなかったから絵ばかりだった。絵は別にウソを描いても誰からも批判されない。小説だってウソが通用する世界だけれど、どこかで真面目な態度でなければ書けない。絵は不真面目な態度でも真面目でも、どちらだっていい。いつか芥川賞をもらった若い女性の作家が言っていた。「私は本当のことしか書かない」と。エッセイは本当のことを書くけど小説はウソでいいんじゃないですか?でも彼女の「本当のこと」とはリアリティのことかも知れない。それとも、しっかり表現に取り組みたいということかな。ぼくは表現などどうでもいい。またテーマもどうでもいい。描いている内に表現は意識しないで自然に表現される。テーマだって気がつけばテーマが描けているものだと思っている。本当のこととか表現なんてあんまり考え過ぎると袋小路に入って出られなくなる。ピカソなんかは本当のこととか表現のことなど全く眼中にないんじゃないですか。

怠惰な快感を味わっている。ムカシの自分が1度も味わったことのない快楽。何もすることのないことをする快感。世間の視線と逆の視線を持つことの自由さ。怠惰を美学にすると時間は流れなくなる。時間が土石流のように濁流化し始めるとアッという間に時間に押しつぶされてしまう。といって抜き手を切って逆流に挑むこともあるまい。ただ神のように傍観してれば何かが過ぎ何かがやってくるに違いない。

目が「コロコロ」したり「チクチク」するのでそんな目の異物感に効く目薬はないか?と薬局に尋ねたら、パッケージに「目がコロコロ、チクチクする時に」と書いてある目薬をくれた。あまりにイメージにピッタリなので喜んだ。実際にすぐコロコロ、チクチクが取れた。でも奥の方でボコボコした感覚があることに気づいた。コロコロ、チクチクは普遍的らしいが、ボコボコはまだ個人的なようだ。だから個人が個に変われば普遍的になるはずだ。人間も人間的な間はダメで個にならなきゃダメだ。

八月歌舞伎公演「石川五右衛門」を新橋演舞場に観に行く。市川海老蔵が出るので海老柄のアロハを着て行く。男性客はほとんど見ず。史実と異なって秀吉(市川団十郎)が五右衛門の父親だ。最後は釜煎りになるのだが、そこは新作五右衛門、親子のヒューマニズム劇で処刑はまぬがれる。結果はかえって歌舞伎的。悪行も徹すれば善行になる?

今年も夏休み返上。スタッフは順番に休みます。休むと疲れるので、アトリエか、書斎へ行きます。そして何かしたいことを考えて、それと戯れます。〆切も制約も条件もない仕事(〜とはいえないかな)です。そんな中で、芝居を観たり、病院でどこか悪くないかを診てもらったり、オイルマッサージに行ったり、メダカを観察したり、蟻の交通整理をしたり、街中を歩いたり、本を途中まで読んだり、外食してみたり、公開制作を考えたり、温泉旅行のプランを練ったり、わらび餅を食べに行ったり、そして9時までにはベッドに入って10時までには眠ります。

8月17日
前にも書いたかどうか忘れましたが、9月2日〜9月29日までギンザ・グラフィック・ギャラリーで「銀座界隈ガヤガヤ青春ショー」という1960年代に銀座でイラストレーター、灘本唯人・宇野亜喜良・和田誠とぼくの4人が仕事場を持っていて、よく会ってイラストレーションの未来を語っていたそんな青春時代をふと想い出してぼくが「言い出しっぺ」になって60年代の若かりし頃の作品をお互いに見せっこしたり、見てもらうのはどう?という4人展です。ぼくの場合はぼくがぼくになる前のメルヘンチックな作品などと、その後のペン画の原画を出品します。4人でギャラリートーク(9月18日4:00p.m.)もあります。

8月15日
ぼくは盆も正月も休日も祭日も休んだことがない。といって働きづめでもない。つまり平日との間に区別がないということで、普通の画家や作家と同じことかも知れない。以前はウィークディとウィークエンドの間には気持ちの切り替えがあったけれど最近は地続きになっている。事務所にスタッフがいないかいるかという違いだけでぼくのやっていることには変わりない。やっていることは絵を描くか文を書くか本を読むことだから、これも頼まれ仕事はごくまれで、気が乗るとエッセイや小説を頼まれもしないで書いておくので別に仕事という感覚からは遠い。絵の方はもっと自己本意だ。仕事という感覚がなければ、「休んだことがない」という言い方はおかしい。「毎日が休日」という言い方にすべきかも知れない。つまり人生は「仕事」ではなく、「休息」または「思考との戯れ」というべきかも知れない。単に「遊び」といってもいい。一生かけての「大仕事」ではなく「大遊び」だ。

8月14日
○本日送られてきた本
講談社より「古仏巡礼」講談社編

久し振りにアトリエの前で散歩中の田村正和さんに会う。「いくつになったの?」と聞くと、「64」と答え、「横尾さんは?」と返されたので「72、イヤ73かな?」と言う。「お嬢ちゃんは?」と聞くと「もう2人子供がいる」と、「正和さんも、もうお爺ちゃんだね」と、こんなとりとめもない話しをしながら、彼の家の前で別れる。
早朝に書斎に行ったせいか、メダカの水槽がテーブルの上にシルエットに映って、テーブルの上をメダカが影絵のように泳ぎ回っている。それを長時間眺める。映像装置がなくても映像が見られる。

知らなかったけれど、アメリカのミルウォーキーのハガティ美術館で、クリス・エヴァンス、エデュアルド・パオロッイ、ジェーン・ハモンドら現代美術の作家6人で“Jump Cut Pop”という展覧会が開催されていることを、今日当館からの報告で知った。7月22日-10月4日まで。まさかと思うけれどミルウォーキーに旅行する人がおられれば…。

アトリエに来た大抵の人は蝉が鳴いていますねという。ぼくには聴こえない。冬でも鳴いている耳の中の蝉の声が大きいので、外の蝉の声は聞こえない。

金沢21世紀の個展のタイトル「見完の横尾忠則」、「君のものは僕のもの」、「僕のものは僕のもの」。これはぼくの子供の頃からのコンセプトです。未完で生まれて未完で死ぬ。「君のものは僕のもの」「僕のものは僕のもの」はぼくの模写の思想です。三島由紀夫さんは「人は人、俺は俺」だったけれど、又一方では「俺は自分に厳しいけれど、人にも厳しい」だった。

金沢21世紀の方は一日2000人の入場者だそうですが、腰がヘロ、ヘロ、ゴキ、ゴキ、へナ、へナ、コチ、コチでロココ時代の遺物のコルセットが腰に食い込み、妙に直立不動だったり、だらしなく寝ころがったりで、金沢に行く日までには治ると思うけれど、何の確信もありません。あるとすれば過去の全ての病気は全部治ったということです。

8月13日
PIE BOOKSより「日本の図像」
Leslie Keeさんより「stars」Leslie Kee

金沢21世紀美術館の個展カタログ「未完の横尾忠則」(美術出版社)が全国書店でも発売されています(しています?)。

8月12日
○今日送られてきた本
ポプラ文庫「文豪てのひら怪談」東雅夫編

—この本の中にぼくの掌編小説「小岩様と尼僧」も載っている。
「新潮」で新芥川賞作家の磯崎憲一郎さんと対談をする。内容は内緒。10月号の「新潮」を見てもらいましょう。僕の前に磯崎さんは師匠でもある保坂和志さんと対談すべきだと思ったら「文学界」9月号で行われていたので、これでいいんだと思った。保坂さんを紹介してくれたのが磯崎さんで、金沢21世紀美術館での個展のカタログに文章を書いてもらっている。作品を見る視点が違うのでアッと思ったり、ハッと考えたり、ヘーッと感心したりした。保坂さんは猫中心に生きている小説家で、時々顔を合わす高村薫さんも同じ。小説家をここまで振り回す猫も大したものだ。わが家の猫もメダカも金魚も蟻もぼくをここまで振り回す神道力はない。磯崎さんの子供さんは小説家の猫と同じほどの神道力があるので大したものだ。その振り回す力が芸術を生むのだろう。ぼくはどうやらぼくに振り回されている。

8月11日
昨日、腰の治療にいっただけで、今日はかなりいいです。持病になるのではと思うほどここ一ヶ月ひどかったのがたった一回で、今日など行かなくてもいいくうらい。でもMRIとかもう一度あの温熱マッサージを受けたいので行ってみるか。それにしても超混んでいるのです。日本は病人天国です。

8月10日

◆誰かのブログを見ていたら20世紀美術館の展示作品が、あんまりスタイルがバラバラなので大勢の人の絵でぼくの絵がどれだかわからないといっている人がいたが、あれは全部ぼくの絵ですよ。横尾工房で模写したのは「天国と地獄」の作品だけです。他は全部横尾の作品です。お間違いないように。

この作品のみが30人による模写作品(横尾工房による)です。

写真右から特任館長の蓑豊氏、学芸員の平林恵氏。


腰痛は歯のマッサージによるものというのは関係ないと今日行った整形外科のクリニックでいわれた。同じ姿勢を続けることがよくない、といわれても絵を止めるわけにはいかない。座った姿勢は立っているよりよくないとのことで、だったら小説書きは止めて、立ち絵だけにするか。背骨の間隔が少しつまっていたので年令のせいかと聞くと90才でもつまってない人がいたり、若くてもつまっている人がいるらしい。除々につまってきてぼくみたいにある日突然悪くなることもあるらしい。今日はマッサージと温熱治療に、血流をよくする注射を受けるが、最近の注射針が細くなったので昔のような緊張感がなくなり、どっちかというと注射嫌いじゃないぼくなんかはちょっと物足りない。他にコルセットを胴に巻かれて帰ってくる。処方箋では、はり薬とぬり薬が出る。明日はMRIをとりに行く。病院好きのぼくはここしばらく通うことになるので、忙しくなりそう。それとオンボロ自転車が腰にどうもよくなさそうなので早速自転車を買うことにした。

◆自転車名-Time Trip。自転車耐用年数約15年。その間2度盗難に会うも戻ってくる。
サドルはカラスによる被害で、取り替えても再びカラスによって穴を開けられる。

8月9日
歯のマッサージで、歯の痛みがケロッと取れて喜ぶもつかの間翌日から突然腰が痛くなった。歯のマッサージで腰の痛みが取れるというので、腰を歯で治療してもらっている患者もいるくらいなのに、ぼくは悪くもない腰が痛くなってしまった。最初は本来の腰の位置がずれていたのが歯のマッサージで正しい位置に戻されたために痛むということもあるかも知れないと思っていたが、もう一ヶ月以上になるというのに段々痛くなってきた。そこでしばらく忘れていた導引術を昨日から始めた。すると気のせいか少しは楽になったような気もする。少し様子を見て、整形外科に行ってみよう。若い頃と違って精神より肉体だ。芸術を創造するためには精神みたいな不安定なものに頼ってはおれない。

8月7日
今日メダカが虫の息で死んでいくのをじっくり見届けました。透明の身体が呼吸が止まると同時にイナゴみたいに白くなりました。自分で死に化粧をしたという感じです。隔離された3匹は元気ですが、大きい水槽の中には生存者9匹になってしまいました。まるでロシアン・ルーレットみたいで次は誰だ?という感じになってきます。

○本日送られてきた本
中本千晶さんより「なぜ宝塚歌劇に客は押し寄せるのか」中本千晶著

そーいうとしばらくタカラヅカは観ていなかった。知人のトップが皆んな卒業して芸能界に入ってしまったのがひとつと、やっぱり男役のトップが女優になるのはなんとなく淋し過ぎますね。

目下近代日本の文学者の肖像画を制作しています。もう150点位描けました。もう少し続けます。このシリーズが終わったら次は海外の芸術家(文学、美術、映画、音楽等)の肖像画と考えていますが、これは一生仕事です。他にアンリー・ルソーの改竄シリーズも続行中です。現在、金沢21世紀の個展には「冒険王」以後のルソーが10点追加されています。

8月6日
○本日送られてきた本
水声社より「北回帰線」/「クリシーの静かな日々」
集英社より「世界の歴史」(全10巻セット)

10月に写真集「東京Y字路」(国書刊行会)の出版に合わせて西村画廊で10月20日より初の写真展を開催するために今日は現地でインスタレーションの構想を練る。ただ、額に写真を入れて展示というものにはならないだろう。

◆金魚荒らしに来る野良猫を見張る我家のタマ
 
◆近所の器量のいい猫

8月5日
◆「わが家の前の工事現場のステンレスの壁に子供達が絵を描いています。
無心の表現にグッときました。」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

暑い日は地熱のせいか蟻は歩いていません。蟻の足裏を観察してみたいと思いますが、あんまり小さ過ぎてよくわかりません。マンガなどでは蟻は靴を履いていますね。指がないと下駄は無理でしょう。

8月4日
hondaさん
金沢21世紀美術館の個展カタログは間もなくアートプラネット・Yの方で販売されるのじゃないでしょうか。MoMAのグッズも目下交渉中のようです。何しろまだ東京のMoMA shopでも発売していないので…?

メダカぐらいかな?内臓が外から全部見えるのはこれが猫や犬など、象、ワニ、蛇、馬、牛などまた人間もこんな風にレントゲン写真か解剖模型みたいに透明で見えてしまうと怖いですね。

今日久し振りでメダカの数を数えたら21匹いたのが13匹になっていた。消えた8匹の内3匹の死体は確認したけれど、あとの5匹の死体はどこに消えたのだろう。残ったメダカはそんな異変にも気を止めていないようだ。人間もこのレベルに達しなきゃ!

中嶋えりさん
21世紀美術館の個展のパートに「横尾工房」による30数票のぼくの1966年に描いた「天国と地獄」(故・澁澤龍彦氏所蔵)の作品を今回再制作(当然当時の絵と同じものにはならない)した絵を「工房」の皆さんにさらに再制作してもらったのが展示されていますが、中嶋さんもそのお一人だったんですね。ありがとうございました。さらにあと30人ばかりの新入りの方達が参加されるので、この作品はどんどん期間中に増殖します。それはそうとこの30数点の中にまぎれこんだぼくの作品はとうとう自分で発見できず、やっと学芸員の方によって教えられました。それほど見事な出来(模写)でした。期間中、他の作品も少しずつ増える予定です。リピーターの方はすの新作を発見してみて下さい。

8月3日
萬典子さん
メダカが水槽の中で近親交配が行われるために弱い個体が増えるとは、驚きました。自然に戻してやりたくなりますね。それにしても未だ孫が生まれません。

早速21世紀美術館を観ていただいた方々からメールをいただいています。ありがとうございます。世田谷美術館の酒井館長とのトークが21世紀美術館のホームページで見られるかも(?)じゃなくて会場のモニターでだったかな(?)どっちだったか忘れました(!)

金沢では左足首が痛く、川崎和男さんのデザインの車椅子で館内を移動していました。よりによってオープニングレセプションですよ。また胸や脇腹に小さい痛みを感じて、もしや帶状疱疹かなと、すぐ、病院に行こうと思ったのですが、今朝のオイルマッサージで少しは治ったかな(?)と。

左から 金沢21世紀美術館館長秋元雄史氏、横尾泰江、
川崎和男さんデザインの車椅子に乗る横尾、担当学芸員平林恵氏


21世紀美術館の会場構成は今までのどの美術館とも異なったものになっています。7つの大小の部屋に分かれていますが、非常に見易いのと、意外性に富んでいます、昨年の世田谷美術館、兵庫県立美術館の「冒険王」とは全く別物です。未発表作品満載というとこです。

ブログなどで「未完の横尾忠則」展のテーマは「模写」と決めつけていて、どれがぼくの絵か?なんて思っている人がいますが、ぼくの全作品は「模写」ではなく「表現」です。妙な思い込みで見ないで下さい。「反復」と「模写」は違いますからね!

8月2日
長い金沢の旅からやっと今日、帰ってきました。21世紀美術館での展覧会も1日にオープンしました。初日だけで一般客が1,000人を超えました。とにかくこんな活気のある美術館は、まるでニューヨークのMoMA並みです。今日はゆっくり休みます。

○送られてきた本
南木佳士さんより「生きのびながらだ」南木佳士著。淡光社より「西芳寺」藤田秀岳/下重暁子著


↑↑ GO TO THE TOP ↑↑