2019年10月30日
だけど職人は、朝起きて、「さあ、今日は何をしようかな?」と考えることはない。やることが決まっているからだ。でも作家(プロ)は、「さあ、何を作ろうかな?」と考える。そーすると、ぼくはその中間かな?

絵は趣味で描いていることが大半なので、やっぱり職人的かな? と思う。

プロの画家はこーいう風に考えないけれど、自分はプロ(作家)なのかアマチュア(職人)なのかよくわからない。

絵は考えたり作るものではなく、自分の性格がそのまま出れば、それが個性になったりオリジナルになると思う。

2019年10月23日
千代の富士の化粧廻しを3種類デザインしたことがある。引退後、本人からこの原画が欲しいといわれ、差し上げたことがあったが、彼が九重親方時代にその一点をオークションに出品した。幸い僕のニューヨークのギャラリーが落札して、その事実が判明。あきれ果てたことがある。

そしたら、最近、また他の一点が千代の富士の友人という人が東京の古美術商に持ち込まれた。作品を現金化するのが目的であれば、「欲しい」と言わずに横綱は僕から購入すべきだったと思う。横綱を尊敬していただけに、大いに失望した。

2019年10月15日
あせる人は年を取っていくことにあせるんだろうなあ。この人の年のデメリットは一体何才なんだろう。

仕事はしない、読書もしない、こんな状態だとあせると思うでしょう。勿論あせる人もいると思うけれど、何にあせっていいのか自分にはあせる対象が見つからないのであせりよーがない。

何もしない考えないことは変化しないことではなく、次々にやってくる意思の去来のすさまじい変化を眺めていることなんだ。

病気もしょっちゅうだと忙しいけれど、年に1回程度の入院はアクセントになって何かが変化する。変化しないほどつまんないことはない。

何もしないことはつらいと思うけれど、何もしないことは実に快適だ。1日中座禅をしているようなものだ。つまり思考停止状態だから。

体調がもうひとつというのは、アトリエの中が雑然としていることと比例しているように思い、アトリエの大々的な模様替えをすることにした。すると体調にすぐ反応して、体の中が整理されていくのがわかった。体と環境は大いに関係あるように思う。

評論家もキュレイターも、作家も読者も鑑賞者もコレクターもメディアも、真面目過ぎませんか。「表現の不自由」展に対しても真面目です。真面目になればなるほどアートから離れていきます。

ここ1ヶ月以上、無職状態。真面目じゃこんなことできません。そう、今年いっぱいはうんと不真面目にならなきゃ。真面目なところからはアートは生まれまへん。

散歩中の磯崎憲一郎さんに会う。あんなに元気よく歩けない。年令の差感じるね。それにしても今の若い人も、作家も、マスコミもえらい真面目になってきましたねと彼。だから、うんと不真面目さを見せなきゃいけない。それをアートでやってまんねん。

2019年10月09日
ラサール・石井さん
お会いしていませんが、展覧会など見ていただいているそーで、ありがとうございます。またお見舞のツイートも、ハイ、あせらずゆっくり養生します。

大勢の方から体調を心配していただいて、勇気づけられています。まだ1ヶ月以上、仕事の関係者には会っていません。進行中の仕事、中断していて申しわけありません。

2019年10月02日
やっぱり躰が思い通りに動かない。脳内ビジョンだけが思い通りに動いているが、その「思い通り」という意味って何?



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