2011年10月31日
今日は天気はいいがなんとなくうすら寒い。昼は桂花できのこ入り焼きそばを食べる。角川書店から「ツイッター、その雑念のゴミばこ」の書評誌が何冊か送られてきた。またこの間近所の東宝撮影所で撮影中の高倉健さんのスタッフの方達にアンパンを100個差し入れたがそのお礼状が高倉さんから届いていた。アトリエに行くが制作する気がせず、週刊読書人の連載エッセイを書く。



2011年10月30日
元宝塚歌劇団のトップ大和悠河さんの招待で日本青年館の「ドリーム・フォァエヴァ」を観る。鳳蘭、麻路さき、大和悠河、風花舞、星奈優里、初風緑らの元タカラジェンヌの出演。麻路さん以外の人達はポスターで一緒したまあ顔見知りばかりの人。大和さんはぼくの絵の描いたダウンジャケットを持っているそうだ。これは知らなかった。2時間余のショーはもろ宝塚の舞台そのもの。それに往年のトップスターを一堂に介しているだけに大満喫。

2011年10月28-29日
2泊3日の富山から帰ってきた。1日目は2時間位で目が覚めた。旅先きではよくあることだ。そんな次の日は体力をつけるために栄養になるものを食べると元気になる。空気のいい海へ行って、波打際でマイナスイオンを受ける。そして富山近代美術館の常設展で西欧の美術に触れると、又元気になる。

富山近代美術館の2階のギャラリーでは当館がコレクションしているぼくの油彩画や版画のミニ個展が開かれています。

2011年10月26日

もう朝だと思って、よく眠ったと満足して起きたら、まだ12時過ぎで2時間しか眠っていなかった。1~2時間本を読んで、次に起きたのは7時過ぎだった。博報堂の人達6人来訪。東京をテーマにした作品の依頼を受けるが、ぼくの考えと掛け離れているので、無理だと思う。昨日あんなに夏のように暑かったのに、今日は冬のように寒い。明日から富山に行くがもっと寒いかも知れない。美容院にシャンプーに行く。

富山県立近代美術館の個展が開催。昨年開催した大阪・国立国際美術館に出品したポスターの中から4(YO)5(KO)0(O)点を選出したポスターを展示しています。オープニングは明後日の28日。一般公開は29日からです。また当日はトークショーを行います。

○本日の寄贈本
守安敏久さんより「メディア横断芸術論」守安敏久著/国書刊行会


2011年10月25日

来週の秋の神戸での新しいプロジェクトのために、県の人達とミーティングをする。夕方まで昨日古書店で買ったウォーホルのカタログを読む。

日本経済新聞出版社の苅山さんと「奇縁まんだら」の最終巻の出版と同時に4冊まとめたボックスのデザインの打ち合せ。また、来年出版の予定の日本近代文学者のポートレイト画集に掲載する作家名の選択などする。

2011年10月24日


ハロウィン(成城の町)。スパイダーマンのお父さんは馬だ。


2011年10月21日
○本日の寄贈本
平凡社より「少年少女昭和ミステリ美術館」森英俊、野村宏平著

昨夜六本木のホテルでピッツバーグのアンディ・ウォーホル美術館の館長エリック・シャイナーさんと鉄板焼の夕食。帰りが遅くなったので中々寝つけず、朝方ウトウトする。NHK出版の林さんとフリーの編集者の中村さん来訪。絵本を描いてくれないかと、以前からしばしば頼まれているが、そろそろ腰を上げる時期にきたかなという感じだ。アトリエにある作品を倉庫に入れるためにアラタ・アートセンターの加藤さんが撤収に。今日は寒くて足元から冷える。この間朝日新聞に書いた書評「父、高山辰雄」の著者であるお嬢さんの高山由紀子さんより、お手紙、お花、「源氏物語」の著書が送られてきた。書評でお花や著書などいただいたのは初めてで感動する。

2011年10月20日

「カーサブルータス」が仕事場特集の単行本を出すというのでアトリエの撮影に。仕事場は巨大なゴミ箱に見えるけれど、ぼくにとってはサンクチュアリなんだけれども創作の実験室と呼ぶべきかな。ああでもない、こおでもないと繰り返すわけだから錬金術師のつもりなんだ。夜は久し振りに六本木で、今日着くアメリカからの来客と夕食をすることになている。いつもの就寝時間より遅くなりそうだ。

無計画で誰の絵だから判らないようなものを描いて、しばらく放置していた。そんな時、ニューヨークから帰ってきたスタッフがハロウィンの切り紙

2011年10月19日
国書刊行会の清水さん来訪。来春ニューヨークで開催予定のコラージュ作品展に合わせて、アメリカと日本で作品集が出版される予定。アメリカ版と日本版が違うスタイルになるかも知れない。日本版は少し遅れて出すことになりそう。それよりもまだ一点を作っていない。そろそろ制作に入らなきゃ。今日は朝日新聞の書評委員会だけど、リストを見ると特に書評したい本がないので、欠席する。それと頭痛気味だ。天気のせいかも知れない。

2011年10月18日


2011年10月17日
朝、事務所に顔を出すと、子猫どもが暴れまくって、地震の跡みたいになっているが、つい笑ってしまう。午後は走る車の中で語ろうというラジオ番組で、ロバート・ハリスさんと。走る車の中で語るというのは意味があるようでさほど意味がない。今日は絵を描く気がしなかったので、エッセイ2本書く。

○本日の寄贈本
gggBooksより「100gggBooks/100 Graphic Designers」
河出書房新社より「音楽が降りてくる」湯浅学著
二玄社より「岡本太郎VS柿沼康二」

2~3年に1度くらい絵の審査を頼まれる。毎度のことだが重苦しい作品と軽快な作品に分かれる。重苦しい作品は力作だが、大抵は文学臭が強い。これにまどわされないよう注意する。でも最終的にはこれらの作品は落ちることが多い。

主題も技法も重苦しくニヒリスティックで、ペシミスティックで、センチメンタルで、私的だ。どうも日本人は文学的な絵画に傾く。現代的であろうとするために前記のような感情を導入するようだ。絵画は文学、詩、音楽、彫刻ではない。絵画はあくまで絵画として自立する。

西洋のいい作品には文学臭が全くない。乾いていて軽い。ほくは文学に興味があるだけに、絵画に於いては文学は天敵だと思うようにしている。絵画には絵画の「神」を宿らさなければならない。また観賞者は絵画の中にその「神」を見い出さなければならない。

ピカソ、キリコ、デュシャン、ミロ、マチス、マネ、ウォーホル、バスキア、全部軽い。じとっとした苦痛に満ちた重苦しい表情を現わした日本の絵画にはやり切れない私小説の世界がある。画家としては自戒しなければと思う。

事務所は子猫問題でパニック状態。とにかく子猫は走り廻り、何とでも格闘する。まるで猫のサーカスを見ているようだ。まだ引き取ってもらうにはもう少し時間がかかりそう。親共々4匹全員バラバラにしたくないので、一括まとめてみたいな貰い手はいませんかね。こんな時、猫動物園があるといいのに。

2011年10月16日
インフルエンザの種痘をする。最近は注射針がうんと細くなったので全く無痛。ちょっと寒かったので、熱い中華めんで体を温める。午後はアトリエで1時間ほど仮眠したあと天気がいいので公園のベンチでココアを飲みながら夕方まで読書をする。ぼくにとってはゼイタクな時間だ。

2011年10月14日
フランスのリオン現代美術館の館長さんが来訪。2年後のリオン・ビエンナーレの調査である。玄関前の2〜30匹いたメダカの姿が見えない。忽然と消えた。この間の大雨の次の日から姿がない。放射能の雨で死んだのかと思って心配だったが底の方にいた。スタッフの相島君がニューヨークから帰ってきた。ミルトン・グレイザーとポール・デェイビスとミルコ・イリックと会ってミルトンとミルコの画集をもらって帰ってきた。

リオン美術館の館長らと


田原総一朗さんが「一個人」11月号で連載「老いの流儀」でぼくのことを書いてくださっていますが、田原さんとぼくの縁は誰もが不思議だというけれど、この一文を読んでもらうとそうではないことが分かります。老境に達すると皆同じ考え方になるのかも知れません。

田原さん。認知症のシンポジュムでの教訓は知らぬ間にぼくも実践していました。ただ散歩の3キロにはちょい満ちていませんが、90才代を晩年と呼ぶのは嬉しいですね。
◯本日の寄贈本
麿赤児さんより
「怪男児麿赤児がゆく」朝日新聞出版
二玄社より「岡本太郎vs柿沼康二」
ミルトン・グレイザーより
「MILTON GLASER/DRWINGS IS THINKING」OVERLOOK
ミルコ・イリックより
「MIRKO ILIC/EYE TO HAND」MIKSER BOOKS

2013年10月13日
○本日の寄贈本
姜尚中(かんさんじゅん)さんより「あなたは誰?私はここにいる」集英社新書
NTT出版より「芸術の陰謀」ジャン・ボードリヤール著
ワイズ出版より「写狂老人日記」荒木経惟著
講談社より「母のまなざし、父のまなざし」いわさきちひろと香月泰男著
西川隆範より「地獄と極楽」風涛社
国書刊行会より「怪談」ヤン・シュヴァンクマイエル画/ラフカディオ・ハーン著

朝日で書評を担当するようになってからは書評本しか読まなくなってしまったとは前にも書いた。といって書評をしなくなると、他の本を猛烈に読み始めるのだろうか。反動って必ずあるから、そうなるかも知れない。

ぼくの生活や仕事の変化は反動の作用がかなり関与していると思う。

ところで最近、芸術なんて概念で語られる制度としての芸術なんて必要ないんじゃないかとおもうようになった。こんなモンから解放された方が人生を最大限に遊べるんじゃないかな。

2011年10月12日
温泉ホテルの朝の大浴場は気分がいい。入賞作7点を午前中に決める。朝風呂のせいで、頭も体もボヤーとなる。審査が早目に終ったの、帰京時間を大幅に変更する。車中、ユリイカの連載エッセイを7枚ぐらい書くが、書き上げたわけではない。

宮本三郎美術館の審査会場にて
左から横尾、山本容子さん、酒井忠康さん


2011年10月11日

米原経由で小松に行く。小松といえばこの間自衛隊機のエンジンが飛行中落下した。いつもエンジンが落ちるわけじゃないが、つい思わず上空を見てしまう。飛行機での先着の世田谷美術館長酒井忠康さん、版画家の山本容子さんらと合流。宮本三郎美術館で開催されるデッサンの公募の審査のために小松に来た。600点以上の中から70点位選ぶ。かなり狭き門だ。数が多いのでくたびれた。夜は市長の招きの夕食で賑う。

何かに怒ることがあると、その怒りを作品にぶっつけることにしている。すると元の怒りの対象がどーってことなくなる。

絵が終わりに近づくと、こんなはずじゃなかったと思うことがある。そんな時、自分の中の野生の暴力みたいなものが表出して、絵をぶち壊したくなる。何点かに1点はぶち壊して、自作のどの系列にも属さない作品を作ってしまうことがある。

明日描く絵が決まらないまではなるべくアトリエを後にしないことにしている。明日何をしていいのかわからない日は決して今日が充実したとはいえない。明日の見えない今日は実に暗いが、明日の見える今日は夜もよく眠れる。

ぼくのツイートに違和感を感じる人も多いはずだ。そう思う人は時間がもったいないからフォロワーをさっさと退散した方がいいと思うよ。徘徊老人は独りでブツブツささやくから。

これからの老人人生が愉しみだ。体は弱る。記憶は落ちる。物忘れも激しい。黙っていてもシンプルになるしかない。シンプルな生き方の本など読まなくても生きたサンプルが自分だ。

加齢と共に物覚えがどんどん、日に日に悪くなり、記憶も激しく忘れていく。固有名詞は昔から忘れるが、最近は外来語が出てこない。普通名詞も随分忘れた。こんな調子だからエッセイの仕事もあんまり引き受けられない。講演やトークショーもそろそろ限界だ。新しい人生の始まる予感だ。

2011年10月10日
7時にアトリエに入る。絵を眺めている内につまらなくなり、大幅に変更したくなる。ヤケクソというか破壊したくなる。自分の中の暴力性が表出するのだ。今日は描くより眺めている方が長かった。

2011年10月9日
日曜美術館の「岸田劉生」の番組を見る。古本屋でビジュアル本4冊買う。午後アトリエ横の遊歩道を通って野川へ。熱いココアを飲んでアトリエに戻って現在進行形の絵と次回作についてとことん考える。長時間かかったが、考えがまとまったので安心して帰宅。

2011年10月8日
久し振りに朝の散歩に野川へ行く。川の鯉など写真を撮る。この前の大雨で川の水が増水していたので鯉も下流に流されたかと心配していたが全員健在だった。米粉パンは夕方に買いに行った方があることがわかった。朝食だから朝かなと思ったが、朝食だからこそ前日の夕方なんだ。主婦の感覚がないのでわかりません。東京新聞夕刊の文化欄に大きいインタビュー記事がでていた。

野川の鯉


2011年10月7日
○本日の寄贈本
磯崎新/浅田彰さんより「建築と哲学をめぐるセッション1991-2008」/
「ビルディングの終わり、アーキテクチュアの始まり」磯崎新/浅田彰著(鹿島出版会)
NTT出版より「芸術の陰謀」ジャン・ボードリヤール著
メディカ出版より「祖父、ソフリエになる」NPOエガリテ大手前編

咽の薬が切れたので病院へ。総合病院は診察を受けないと薬だけは出ないのだ。半日時間がつぶれてしまった。午後はアトリエへ。

ぼくの絵の見方は他の人とちょっと違うと思う。どのように見るかというと「描くように見る」のだ。見ながら描き、描きながら見るわけ。すると絵の秘密が解るわけ。

絵の秘密を解くのがぼくの見方だ。どんな絵にも秘密がある。絵が解る、解らないは秘密を知ったか知らないで決まる。

絵が解らんという人は、その絵の秘密が解けなかったわけ。作者も気づかない絵の秘密ってあるものだ。下手には下手な秘密がある。

「婦人公論」の筒井康隆さんの老人論(そんなカタイ話ではない)を読んだ。ぼくと似ているところは「嫌なことをいっさいやめた」とこだ。老人になって嫌なことをやるなんて老人になった値打ちがない。老人には老人の値打ちがある。

人が見て嫌なことやっていると思っても本人はちっとも嫌でないこともある。でも本当に嫌なことを引き受けてみて、やっぱり嫌だなあと感じて、初めて何が嫌なことかが解るのだ。嫌なこともしないで、最初から嫌なことはしないと言うのは臆病かも知れない。

若い頃は来るもの拒まず式で、嫌なことを嫌というほどやってきた。だから今は好きなことだけをやっているというわけ。

2011年10月6日
福岡アジア美術館での来年の企画展(インドとのコラボレーション)の出品依頼と作品の選定のミーティングをする。ボストン美術館のシャンバラ展、カルティエ現代美術財団のプリミティブ展にしろ、ぼくのかつてのエスニックぽい絵画作品の出品依頼が立て続けにある。今日は制作せず。

隣りの野良


2011年10月5日
朝から雨。雨降り日は体調がもうひとつだけれど、この間病院で咽を診てもらって以来快調で今日は雨の中よく歩く。ジョージ・ハリスンとラビ・シャンカールのCDとDVD(計4枚)のボックス入りと、エンヤの新曲アルバム、レディ・ガガの最新アルバムを買う。午後今日買ったCDを聴きながら夕方まで例によって例の絵を例の如く描く。



親ダマ


子ダマ

2011年10月4日
今日はワハハ本舗の喰始(たべはじめ)社長が何か面白いこと楽しいこと、アート的なことができないかと相談に来られる。こちらのいいなりにやるという条件なら可能だ。本日は先ず喰始さんをご賞味させていただきました。夕方はオイルマッサージへ。少し足が冷えているので根菜をとるといいとのこと。

ツイッター、その雑念のゴミばこ」(角川書店)読んでいただけましたか?(新規のフォロワーの方々へのPRです)ぼくも最近やっと読みましたが、書いたことを忘れているのが実に多いのには我ながら驚いています。つぶやきは本人には記憶されないことが判りました。

2011年10月3日

糸井重里さんのお嬢さんが黒タマ一家見学に友人のカメラマンの池田さんと事務所へ。子黒タマ3匹にえらい感動。以前近所のSさんの家の子猫を人にあげてしまって親猫が毎日泣き続けて狂人(猫)になってしまったことがあるので親子セットで貰ってもらうのが条件だけど、もらってくれるかな?
今日は日経新聞の「奇縁まんだら」の単行本化の打合せをする。四巻揃ったところでボックス入りのセット販売も予定されている。それ以外の近代文学者の肖像画を集めた画集も予定されていて、すでに30人ほど描いているが、引き続いて描くことになっている。夕方までこの間から製作中の絵も描く。



成城からの夕焼け


隣りのシーサー

本からは知識、絵からは智恵が得られる。知識で頭がよくなっても智恵がないと悟れない。なーんちゃって。

頼まれ仕事をやるよりも、好きなことをやっている方が、金になる。理に合わないけれど本当だ。

大問題をテーマにすると逆に自分を見失う。小テーマの中にこそ大問題が隠れている。

関西で言う「ちゃらんぽらん」が好きだ。スタイルのないスタイルだ。「ちゃらんぽらん」人間は人に信用されないけれど、大事なことは自分を信用することだ。

「白黒はっきりさせろ」とデザイナー時代に先輩からよく言われた。そんな不自由なことしたくなかった。どっちだっていいことばかりやってきた。その方が考えないで好きなように生きられる。

どうでもいいことは大事だ。どうでもよくないことは権威を指向する。

賞味期限ぎりぎり、あるいはその手前で筆を置く。それがぼくの絵のコツだ。それを越すと絵も腐る。

「明日は明日の風が吹く」。心がさすらうのはいいことだ。一ヶ所に固定してしまうと、変な思想が生まれる。

その日暮しがいい。ぼくの中にはそんな感覚がある。その日の気分次第で気がコロコロ変る。それを絵が一番物語ってくれている。関西系はどことなくラテンっぽい。

2011年10月1日
画家の大半は絵画の意味や内容に触れた事柄でビッシリ埋まっているが、最も重要な表現や技術について触れた評論は非常に少ない。時には皆目だ。絵画を伝記的または文学的に知識のみでしか語らない。

こらじゃ本当の絵の見方(感性)が解らないまま頭がかたまってしまう。

9時過ぎアトリエへ。昨日の続きを描く。昼、増田屋でナベヤキウドン。久し振りに本屋へ。ゴヤの画集と論語の本を買う。アトリエで製作中の作品完成。次作(100号)にすぐ取りかかる。間が空くと怠け心が出て描かなくなる。製作中ズッとタンジェリンドリーム全曲、片端から聴く。70年代によく聴いたものだ。そーいえばアルバム内に入るポスターを作ったことがある。そんなことを想い出した。



黒タマ一家


タマ

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