9月30日
○本日贈られた本
 講談社より「清水寺」講談社
 鎌田東二さんより「聖地感覚」角川学芸出版
○今日頂いた本
 N.Y.の伊勢とみさんより「Courbet」メトロポリタン美術館
 世田谷美術館より「ダニ・カラヴァン展」世田谷美術館

近所の主治医の先生に診てもらいに行くと、いつも「猫ちゃんお元気ですか」なんて言われちゃう。「先生、ぼくが診てもらいび来ているんですよ」といつもこんな感じで、診察室には猫と犬の写真と絵がところ狭しと壁に貼ってあるので、知らない人には獣医と間違いそう。

ポール・ニューマンが亡くなった。1964年パリのシャンゼリゼ通りの裏の路に面したあまり大きくないホテルの入口で子供を抱いて立っている彼の写真を撮った。サインを求めたが「子供を抱いているから」と言って断られたことがあった。ポール・ニューマンはぼくの中でマーロン・ブランドと比較されていたが、このことは石原裕次郎に対して小林旭みたあいな立場だったかなとふと思ったのだった。

僕の郷里では倒れたとか、疲れたとかを「へたった」というが、ぼくは目下時差でへたっている。へたりながらマンガばかりを読んでいる。子供の頃(小学生)漫画家を志望しながら、才能のないのを認めた時から、マンガに対して興味を失った。それ以来、ちげ義春と楳図かずおに出会って再び興味を持った。それ以来また空白があって今、また古典・名作文学のマンガ本三昧の生活(隠居と大井に関係あり)を続けている。

へたっているために制作ができない。こんな時に限って頭の中では書き続けている。だけどあんまりそれをすると本番で意欲を失ってしまう。

昨夜はタカラジェンヌの轟悠さんが郷里のうちに遊びに来たら、家の前はファンだらけになってしまったという夢を見たと別の夢の中でこのことを語っていた。そしてもうひとつの夢はやはり郷里の夢でどの道を通ると駅に近いかを友人に教えたという夢をまた別の夢の中で誰かに語っているという夢を見た。

9月28日
○N.Y.で頂いたCD/DVD
 坂本龍一さんよりCD「HASYOMO:The City of Light/Tokyo Town Pages」「RYUICHI SAKAMOTO KOKO」
 坂本龍一さんよりDVD「LIFE/PLAING THE PIANO/056-RYUICHI SAKAMOTO」
○N.Y.で買った本
 「DAN McCARTHY」
 「Hernan Bas」
 「Salvador Dali An Illustrated Life」
 「Peter Doig」
 「August Strindberg」
 「Goran Djarovic」
 「Moma Contemporary Highlights」
○N.Y.で頂いた本
 Momaのキューレイターより「Design and the Elastic Mind」 /「Safe」
 グッゲンハイム美術館のアレキサンドラ・モンローさんより「CAI GUO-QIANG:I WANT TO BELIVE」

9月27日
従野昌美さん
早速「インドへ」(文春文庫)を読んでいただいたそうで、ありがとうございました。あの中でも特にカシミールの旅は最高でした。勿論ベナレスではもろ「死」を見ます。いや死を通して生を見るというべきか。現在はカシミールには入れるのでしょうかね。またネパールのカトマンズーももう一度行ってみたい所です。インドに興味のある方は一読してみてください。

牧賢司さん
最近集中的に増刷された光文社文庫の本、かなり以前に書いたもので、現在のぼくがそこにいるかどうかは保証出来ませんが、あの時はあの時(若い頃)の考えが記憶されていると思います。間もなく(11月号?)やはり光文社文庫で新刊(死の向こうへ)が出ます。もとの単行本は1998年、10年程前に書いたものですが、子供の頃からの様々な死に対する想いを綴ったものです。決して恐ろしいとか怖い本ではありません、むしろその反対です。

9月26日
○本日贈られてきた本国書刊行会より「美術史1.2.3.4.6.7巻」エリー・フォール著

灘本唯人、宇野亜喜良、和田誠、それにぼくの4人で60~70年代中心に制作したイラストレーションの展覧会ができないかな?と四人と会って話し合った結果、銀座のgggギャラリーで来年9月に開催することにほぼ決まりそうだ。当時四人はお互いに銀座のオフィスで仕事をしていた。そんな若い時代の作品をこの際虫干しのつもりでお披露目するのも面白いのじゃないかと、そんな四人の友情の証しみたいなことを考えた。現在の若いイラストレーターが昔の若いイラストレーターの時代の作品をどう見てくれるか、そんな興味もあります。

喘息と鼻風邪を抱えてフラフラ、フワフワ、モアモア、ヘラヘラ、ヒョロヒョロしながら、アドレナリン作用を利用して制作のアイデアを夢想しています。

ぼくはいつも海外旅行から帰ってくると時差ボケ(不眠)で1ヶ月ほど地獄の生活を味あわせられる。とはいうものの創造とは皮肉なものでこのような地獄の中から育まれるのであります。

■フリードマンベンダギャラリーでの滝のインスタレーション

滝のインスタレーション
滝のインスタレーション  
滝のインスタレーション    
滝のインスタレーション 滝のインスタレーション  


9月24日
死の瞬間とそのあとの夢を見るが、こんな夢を見たのは全く初めてで、表現のしようがない。死の瞬間は眠りに入る瞬間とほぼ同じで、死の意識は皆目だった。そして気がついた時は壮絶な光景の中にいた。現実の風景に似ているが、その物の存在のあり方が異なり、それぞれの事物の発する波動のエネルギーが生命そのもので、地上で知覚できる色彩の領域をはるかに超えており、絵具何百色使用しても再現できるようなものではなく、色彩自体が息づき呼吸をして、その事物の内部からとめどなく色彩が湧き出てくる感じで、視界は360度近くが同時に見ることができた。そして、そのどこかのポイント(相当離れた地点でも)に意識を集中すると、そこがカメラのズームアップのように目の前に現れて見ることができた。ぼくが見たこの死後の光景は言葉でも絵でも伝える術をぼくは知らない。視界そのものが流動していて世界が生命体のようだった。この恐ろしいほど美しい光景はぼくの魂に深く刻み込まれたことを確信した。そして夢の中で三度目が覚めたが、眠りから覚めたというより、死の世界の中で三度ばかり生の世界に戻ったという感じで、再び死の世界に戻ることができた。ダンテの「神曲」とかスウェーデンボルグの「霊界」を見せられたような気がした夢だった。

9月22日
N.Y.から帰った次の日15時間眠ったかと思うとその次の日、風邪気味で結局一晩中一睡もできず、とうとう本格的にダウンしてしまった。とはいうものの今朝は少し快復したが、一日中ベッドの中で休養を決め込むことにした。とにかく休養第一だ。あとのことは健康であればなんとか解決するだろう。N.Y.de得た新しいアイデアをベッドの中で思索だ。これはパフォーマンスを伴う新作のシリーズ。そのためにも肉体を鍛える必要あり。その内インフォメーションを流します。

9月21日
NHK教育テレビで11月の毎週水曜日(午前10:25~10:50)と翌週水曜日(午前5:05~5:30)に「知るを楽しむ人生の歩き方」に4回出演します。テレビ出演は一年半振り(もっとかな?)です。収録は兵庫県立美術館での「冒険王」展の会場でのインタビューと、富士河口湖の近くの二ヶ所です。その "テキスト" がすでに書店で発売中のはずです。内容は子供の頃から現代までの自伝的なものです。全体のタイトルは「少年の心得」で、1,他人まかせの巻、2,死を考えるの巻き、3,自由を求めるの巻き、4,老いと少年への巻、の4回放映ですが、テキスト本の方がもう少し詳しく語っています。テキストとテレビではかなり内容的にも違っているはずです。テキスト本は10月放映のやなせたかしさんと合本になっています。

9月20日
10時に就寝して1時に目が覚めて猫がゴハンを要求する。そのあと実に下らないどの局も低俗番組にいささかがっくり。再び眠って目が覚めたら午後の1時15分。15時間の暴垂。その間電話が二度あったというが全く知らない。こんなに眠ったのは自分の人生でも珍しい。N.Y.での時差が取れないまま、これじゃあ再び日本の時差で悩むことになりそう。夢を見たが、ほとんど臨死体験だ。生きながらに死んでいたのだった。こりゃまずい、どこかに出掛けた人と話さなきゃと思って、世田谷美術館の「冒険王」展の学芸員、高橋さん、塚田さんに会ってN.Y.報告などする。また開催中のダニ・カラヴァン展を観る。一言「素晴らしい」かった。湿った日本に乾いた砂漠の風が吹いている、現代の千夜一夜物語の世界にしばし酔う。

一昨日はN.Y.の生活、今日は東京。この激しい格差の中で、当たり前にいる自分が変だ。両者はぼくの中で地続きになっている。もっと激しく感情が揺れてもいいはずなのに冷静だ。まるで何も起こらなかったように。

文春文庫の「インドへ」が久し振りで増刷された。すでに19刷で、18万8,000部で初版が1970年代だから、ロングセラーの内に入るだろう。インドに初めて行ったのいはまだインドが日本でそれほどポピュラーではない時期だったので当初単行本の部数は「売れないだろう」といわれて、初版が4,000部だった。それが編集部の読みに反して、すぐ増刷され、その後回数を増し、やがて文庫本になった。まあインドブームの火付け役にもなった本である。インドに行くようになったのは1967年ニューヨークでのインド体験(ヒッピームーブメント、サイケデリック・カルチャー、精神世界ブームなど)と三島由紀夫さんからの最後(死の2日前)のメッセージで「君もそろそろインドに行ってもいいだろう。インドは行ける者とそうでない者がいる」(この三島さんの言葉はぼくのエッセイや発言を通して有名になってしまった)。と言われて決心してインドに行った。その時に書いたインド紀行である。その後6回行くことになった。その頃のインドと現代のインドはそんなに変わっていないと思う。ぼくを大きく変えた旅行だった。今ならどんな感想を持つだろう。自分でもう一読してみるつもりだ。

9月18日
やっぱり飛行機では眠れない。本を読んだり、映画(インディ・ジョーンズとカンフー映画)を観る。とにかく機内は苦痛だ。来月のスペイン行きはちょっと決めかねられないなぁ。成田空港を出るなり湿気に襲われる。でもこの湿気がホームシックを解消してくれるのだ。グッゲンハイムの学芸員のアレクサンドラ・モンローさんが、ぼくのY字路(特に宮崎のY字路)に湿気を感じるといったけれど、これは観念で描けるものではない。ぼくの体が描いたものだ。

9月17日
チェルシーのギャラリーだけで500もあるというが、その内の有名なギャラリーを何軒か廻る。性の露出(ホモセクシュアル)や戦争、暴力の病んだアメリカを描いた作品が多い。そしてどんな作品が「受けている」かどんな作品を「描けばいいか」がよーくわかった。受けたいならそうすればいい。受け線をねらうのはそんなに困難なことではない。でもぼくは自分のやりたいことだけをやるという信念が今以上に固まった。

9月16日
N.Y.でタクシーを拾うのは場所によっては至難の技だ。人と約束しているので遅れられないが、いつも危機一髪で女神が舞い降りてきて助かった。今回はそれの連続で、本当に女神の存在を実感する出来事の多発だった。まさに「冒険」の連続だった。

冒険だから絶体絶命という状況に遭遇する。そんな崖っぷちに立った時、何度も奇跡が起こった、そんな今回のN.Y.の旅だったとは前記でも書いたが、スピルバーグの映画ではないが「あなたは一人ではない」という感を何度も味わった。「二人同行」という仏教の説法(?)を地で行った感があった。

9月15日
リンダ(ジャパンソサエティのトークで通訳してくれた)とブルックリンへ行く。今回初めて地下鉄に乗る。まるで地下の工場で、弾丸のような騒音を立てて電車が入ってくる。「現代」という感じがしない。ベン・シャーンの絵の時代だ。「下北沢」みたいなブルックリンがあるということで行った。街の一角に触れただけで帰ったので、その中味はよくわからなかった。マンハッタンに比較すると、やや静かだ。オシャレの店があるようだ。本屋の中にいた大きい黒猫に触れたことが、嬉しかった。一日に何度も猫を触っていたから、ちょっと猫の禁断症状になっていたからだ。ブルックリンで気がついたのはサビ止めのような赤茶色のビルが多いことだった。この色とマグリットのような空の色がうまく調和していて、絵画的(エドワード・ホッパー的?)だった。

久し振り(といっても9年?位)に坂本龍一君と日本食をご馳走になる。アメリカは特定のアイデンティティを要求するが、彼もぼくも複数のアイデンティティをもっているので共通の悩みがある。昼食のあとぼくの個展会場(フリードマン・ベンダーギャラリー)に行く。細野晴臣君とは時々会うが、坂本君とは滅多に会えなかったが、今回は色々と話ができた。来年(1月?)日本で成城の椿のとんかつを約束する。

9月14日
ラリー・リバースが亡くなったことをN.Y.で知った。ポップアートの時代にジャスパーやウォーホル、ジム・ダインらの活躍する中で、ちょっと不思議な(といっても説明しにくいが、ポップアートの素材であるマスメディアをモチーフにしながら、絵画的描写を否定しなかった画家とでもいうべきか)作品を描く作家で、当時(70年初頭)ローリング・ストーンズの社長のアール・マクグラスの家で、ラリー・リバース(アールの親友でコレクター)の作品を沢山みたこともあるし、ロングアイランドのイーストハンプトンにあるポール・デイヴィスの友人の家で食事会があった時、ラリー・リバースに会い、その後どういうわけか彼の夫人とも何度か会った(記憶が薄れていて、どこで、何のためかは思い出せない)ことがある。60~70年の熱かったN.Y.も遠くなりにけりか。

スティーブ・キャンベルと言っても知らない美術関係者(世田谷美術館所蔵)が多いが、ぼくは彼の大作を2点持っている。彼と同じような方向を目指していた時期にコレクションをしたが、そのスティーブ・キャンベル(スコットランド)も亡くなったと知った。これはショックだった。このニュースを知ったのはN.Y.だけれど、わが家にある彼の作品の意味が変わるからだ。

9月13日
短期間の滞在で沢山の人に会ったり、食事に招待されるので、凄く忙しい。日本の5,6年分のことをやっているようだ。今日、日本食店で坂本龍一君にバッタリ会う。彼と一緒の二人の日本女性は二人共ぼくの個展をすでに見てくれていて、カタログにサインをする。明後日に食事をする約束をする。日本で会った最後は35年程前じゃなかったかな。彼に聞いてみないとわからない。

グッゲンハイムからセントラルパークの中を通ってMOMAまで歩く。さすが妻は足が棒状になって、MOMAのベンチで居眠り。「MOMAハイライト」がベストセラーになって、行列を作って買っているが、ぼくの作品がは入っているのでこのことは嬉しい限りだ。

毎朝部屋に入るニューヨーク・タイムスのレイアウトと写真がとにかく素晴らしい。日本の下品なレイアウトと無責任にコビたような写真にはガッカリする。芸術的な写真をあえて使用しているようにさえ思える。またそれを選択する編集者の見識の高さに、あまりにも芸術、文化度の差を見て悲しくなる。

9月12日
オープニングの翌日はジャパンソサエティでトークショー、キュレイターのエリック・シャイナーの質問を受ける形。通訳は古い友人のリンダ・ホークランド。まぁ評判はよかったようだ。昔は緊張して一言もしゃべれない時期があったけれど、今はあがるということはなくなった。外国でのレクチャーの方が気が楽でやっていて楽しい。その昔ドイツで通訳とステージでケンカして降りたことはあったが、今はムキになることもなく答えたくないことは流してしまうことにしている。こんなことが受けたりするのも、アメリカだからだろうか。

今日はたっぷり本を買う。アート雑誌に個展の作品が大きく掲載されているのが何冊かあったり、世田谷美術館の展覧会の批評がでているのもあった。MOMAではまた知らないうちにポストカード50選集に作品が入っていたので買う。MOMAがコレクションしている作品の出版権はどうも彼らにあるらしい。

9月11日
部屋の真正面にエンパイヤステートビルが見える。今日はワールド・トレード・センターが崩落した9.11だ。昨夜からワールド・トレード・センターの跡から青い2本の光線が雲まで伸びていて雲にまるで天使の頭上の輪が描かれている。その9.11がフリードマン・ベンダ・ギャラリーでの個展のオープニングだ。ミルトン・グレイザーとミルコ・リリックと昼食。二人共9年振りに会う。グレイザーは劇場の屋上に立体彫刻を制作中。ミルコは中国などの仕事におおあらわ。グレイザーに「9年間の間に何か変わったことはあったか?」と聞いたら、「何もなかったけれど幸せな人生だった」という。彼はぼくより6才年長だ。ミルコはまだ50代。ミルコはグレイザーとぼくに「二人は若く見えるけれど、本当に若いのはぼくだ」といって笑った。

画廊のカタログとは思えないほど立派なカタログを作ってくれた。日本では考えられない。ちょっとした美術館のカタログのようだ。今夜のオープニングが楽しみのような怖いような。どうも落ち着かない感じだ。早く明日になってもらいたい。またアメリカの友人、知人から、個人的に会いたいという連絡が沢山入っていて、目下時間調査におおあらわだ。それにしては10日間の滞在は短過ぎる。今日は二度目のMOMAと、ウィットニー・ミュージアムとメトロポリタン・ミュージアムを駆けめぐる。画集など買う。展覧会を観ていると一刻も早く帰って絵が描きたくなってきた。

気が重いオープニングが始まった。画廊の前でタクシーを降りると道路に人があるれている。まさか別の会合だろうと思っていたら画廊からはみ出したのか、これから入ろうとする人なのか…。広い画廊の中はぎっしり寿司詰めで、1メートルも前に進めない満員電車状態だ。何かの間違いじゃないのと思いたくなる。ぼくはオープニング・タイムより1時間も遅れていった。待ち構えたようにカメラマン達が滝のインスタレーションの内部にぼくを立たせて写真を撮っている。どんな顔をしてどんなポーズをとっていいのかわからない。大半が知らないアメリカ人ばかりだ。そんな中に日本人の知人を見つけるとホッとする。アメリカ人は一人一人が感想を述べにくる。わざと語りかけるくらいだから、誉め言葉ばかりだが、あんまり誉められると疑いたくなる。いちいちここでは書かないが有名な人が沢山いる。世田谷美術館や兵庫県立美術館の比ではない。一体何人いるのだろう。どんどん増える一方で、700人、800人、もしかしたら1000人もいるのじゃないかと思われるほど、身動きがとれない。時間が経っても人が帰らずに増える一方だ。何かの間違いじゃないかと、ぼくは何も信じていないような気分だ。逆にエライ冷静でいる。早く帰って絵でも描きたくなる。このあとまだ大きいディナーパーティーが待っている。ホテルに帰ったのが12時過ぎで、ぼくの生活のルールから完全に逸脱している。

9月10日
不眠のままニューヨークの第一日目は終わった。展覧会場の滝のポストカードのインスタレーションはかなり上手くいっている。ちょっとしたアミューズメントだ。どこに移動するのもギャラリーの車(運転手付レンタカー)だが、ニューヨークをこんなに車で移動したことは今までになかった。だいたいニューヨークの街は歩く所だからだ。でも10日という短期間の滞在を考えると時間を優先すべきだ。夜は安藤忠雄さんが内装したという広い日本レストランで画廊のオーナーやこの個展のキュレイター(エリック・シャイナーはこのぼくの展覧会の仕事を最後にピッツバーグのアンディ・ウォーホル美術館のチーフ・キュレイターで行くことになっている)らと夕食。それにしても料理のサイズ、量の多さにど肝を抜かれる。胃薬を飲んで寝る。

こちらでつらいのは夕食時間が9時頃で遅いことだ。いつも9時にベッドに入るのにその頃から食事だ。時差のせいで、短時間で目が覚めたり、まだ体がN.Y.になじんでないので、心と体が一致せず。朝食はハワイのセクストショップのオーナー(ぼくのコレクターでもある)に、去年ハワイに行った時、ちょっとそそのかしたことが、彼を刺激して、とうとうN.Y.に第二店舗を持つことになり、次はギャラリーを考えているという、このメチャメチャ実行力のある人とホテルのレストランで。ここまで書いたところで彼が来た。このあとMOMA(ニューヨーク近代美術館)のキュレイターと会う。「ダリ」展の会場ツアーと館内レストランでランチギャラリーのオーナー、マックとキュレイターのエリック同伴。そーいえばMOMAがぼくのポスターを販売したいと東京のオフィスに連絡があったけ。

MOMAは休館だったけれど、2人のキュレイターの案内で館内を廻る。人がいないので実にゆっくりと作品を観賞できた。ダリの展覧会がメインでキルヒナーが小個展。ダリが映画にかかわった作品(例えばヒッチコックとかディズニーとのコラボレーション)の珍しいのが映像で観ることができた。休館日だけれどブックストアだけは開いていた。館収録の代表的な作品がポストカードになっているが、この中にびくが1967年に初めてニューヨークに来た時、依頼されて作った「NEW YORK」という作品がポストカードになって販売されていた。何の通知も受けていないので初めて知った。それを20枚買った。以前だってカレンダーを2種類買ったら、両方に作品が掲載されていた。目下大量に積まれて販売されている「MOMAハイライト」というMOMAが選択したモダンアート350点と「MOMAハイライト80年代以後」という80年代以後の代表作を集めた本にも作品が出ていたので、これも買う。特に前者「MOMAハイライト」は日本語版もあった。

街を歩いているとウォーホルと一緒にいる気がしてならなかった。ウォーホルの伝記や彼の「ぼくの哲学」を読んでいるせいか、まるで彼がぼくの中に入っていて、彼の視線で物を見ているような気になる。

個展のインスタレーションに立ち会って、あれこれ指示を出すが、そのうちくたびれて、わからなくなってしまった。やっぱりギャラリーの人にやってもらうのがベストかも知れない。どうもぼくはインスタレーションがニガ手のようだ。

9月9日
機内に入るとここはアメリカだ。だから食事も洋食にしてコークを飲む。持ってきたアンディ・ウォーホルの伝記を読む。気分は67年に彼のファクトリィに行った時点に戻った感じだ。当時のニューヨークと彼の生活が克明に描かれている。そして67年は彼にとって最も注目され多忙な年だったことを知る。そしてその翌年彼は撃たれる。ぼくにとってはまるでドキュメント映画を見ているようだ。知り合いのアーティストや人物が出てくるのでリアリティがあり過ぎる。この機は1967年のニューヨークに着陸するような錯覚さえおぼえる。

機内ずっと本を読んでいたので眠らなかった。画廊からの迎えの車でチェルシーのホテルにチェックイン。チェルシーは下町でザワザワしているが、10年ほど前とさほど変わらず、とにかくホテルで遅い昼食のあと、しばらく部屋で休む。天気は快晴。夕方から画廊のインスタレーションのチェックに行く。大変上手くいっていると聞いているが、どうだろう。このあとはまた明日。

9月8日
ぼくがニューヨークに行くということはアートの世界に行くことだ。そんなアートの世界(空間)で個展をするということは「入れ子」だ。さらにキャンバスの中に入ることはどういうこと?逃げ込むこと?

海外で取材を受けると、ぼくが日本人であるということが彼等の最大の関心事だ。そして自分達との文化や歴史や伝統の差異ばかりに興味を持つ。エキゾチックな者としてとらえたいのだ。どうして彼等と同じだったらいけないのだろう。まぁ同じものに興味をもってもしょうがないか?

ぼくがイラストレーターであった頃、外国の新聞や雑誌から絵の依頼を受けることがあったが必ず日本に関係のあるテーマばかりだった。日本人がどう見るかということに興味があるんだろうけれど、これが日米問題だったりすると、どうしても日本人としての意見が絵にでてしまう。すると「困る」ということで不採用になる。例えばかつて佐藤栄作の肖像画を「TIME」の表紙として頼まれた時、彼のネクタイを星条旗の柄にした。すると「これじゃまるでアメリカが日本の国を締め上げているみたいだ」と言ってくる。「そうじゃなかったの?」とぼくは答える。すると不採用になる。ネクタイを日の丸にすれば通るんだけれど、これじゃちっとも面白くないじゃないか。アメリカって言っても根は保守的な人だ。

9月7日
ニューヨークからもブログを送るつもりだけれど上手くいくかどうかやってみないとわからない。自分でパソコンがいじれないのでFAXで書いて事務所に送ることになる。きっと書きたいことはいっぱいあるのに違いない。写真なども送りたいけれど面倒くさいことは嫌だ。だから帰国してからまとめて載せることになるかも。

9月6日
ニューヨークに行っている間はアトリエに誰も来ないので蟻の心配をする必要はない。心配がひとつ消えただけでホッとする。昔と違ったこんな些細なことが心配になる。国家の抱えている問題など心配の種でも何でもない。こんなことをかんがえているとモノなど作れない。

昔は海外旅行をすることになると前日まで滅茶苦茶に忙しかった。今は行く前も帰った後も追われるものは何もない。社会の中にいながら社会の外にいるみたいだ。モノを作る人間にとってはこの状態が最高だ。

9月5日
毎週送られてくる週刊誌に今年のレコード大賞はすでに決まっているという記事が出ていて、ぼくはあり得ると思った。というのもその昔、一人のアイドル歌手を世に出すコンテストの審査員を頼まれたことがあった。楽屋には音楽関係者が沢山集まっていて、あれこれ予想をしている―と思ったら、なんてことない。すでに審査前にデビュー歌手はレコード会社まで決まっていて、「○○さんに一票入れて下さい」と言われた。そんなに上手いのかなと思って会場で歌を聴いていたら、ただ見てくれが可愛いだけで、彼女はどう考えても三番手の実力だ。ぼくは彼女に入れないで別の子に入れた。ところが一人を除いて(これはぼく)万票(?)で最初から決められた子が入った。決まる前にこの子が入るべきプロダクションのある有名歌手とのデュエット曲まで決められていて、何のための審査(?)と思ったことがある。
もうひとつ。次はインターナショナルの美人コンテスト。やはり審査員で出席した。審査員は6~7人いた。その中で3、4人の知り合いがいた。ぼくを含めた彼等の間ではダントツにコスタリカ出身の女性が一番美人だと評判だった。ところが優勝したのは日本人だった。どう考えても票数が合わないままの優勝だった。誰もが頭をひねったが、いきなり優勝者が決まってしまったので、後の祭になってしまった。この時だって、主催者側で前もって決められていたと思う。だからレコード大賞がすでに決定していたってちっとも驚かない。

○本日送られてきたDVD
KANOXより「ムー 一族」(6巻)TBS DVD

○本日買った本
「ヨーロッパ人」ヘンリー・ジェイムズ著
「川田晴久と美空ひばり」

今日「芸術新潮」の三好さんが昔ぼくが出演した大映映画「新宿番外地」のポスターを送ってくれました。この映画ではアーバンタイトルの場面に出演したわけですが、この部分は自分で演出しました。山越え野越えしながら新宿の地下のクラブにいたヤクザの幹部をドスで殺す役ですが、この撮影が何日もかかって、自分で面倒臭い脚本を書いたもんで、今から思えば「ヨーヤッタ」と思います。

新宿番外地ポスター


9月4日
○本日送られてきた本
荒俣宏さんより「水木しげる、最奥のニューギニア探検」荒俣宏著

○本日買った本
「ベックリーン〈死の島〉」フランツ・ツェルガー著
「秘密の花園」F・H・バーネット著
「トムソーヤの冒険」マーク・トゥェイン著

海外旅行が嫌なのは機内で眠れないこと、時差でヘトヘトになること、英語でストレスになること、食べ物が合わないこと、特に今回は大勢の知らない人に会うこと、夕食が遅くて睡眠不足になること、スケジュールがギシギシにつまっていて忙しいこと。それと作品と人間を一体化して見られること。

昨夜、テレビで「子猫物語」を観た。色んな動物が出てくるけれど主人公の子猫の長い旅は感動的。といってもやらせ。やらせとは知らないで次々起こる事件を一つずつクリアーしていく子猫はあまりにも不敏だ。中には動物虐待的と思われるシーンが何度もある。動物を主人公にした創造的表現には限界もあるし、なかなか難しい問題だ。物語的に感動しても、人間のためにやらされている動物がけなげでならない。監督は畑正憲。

9月2日
隣の空き地から避難してきた蟻があんまり増えてアトリエの玄関までのアプローチが蟻だらけになってしまったので、今日はホースで水を撒いて散らかした。蟻は溺れる事がないのでキリストみたいに水の表面を歩いているのでそれを見るのが結構面白い。それにしても夕方になって辺りが暗くなるとみるみる姿を消す。一度その後を追っていったが、やっぱり塀を越えて隣の空き地に戻って行った。だけど巣は見つからなかった。アトリエに人が来る度に「蟻を踏まないように」と注意するのも結構大変。今日はベランダの蜘蛛の巣に蝉がひっかかっているのをぼくが蜘蛛と格闘してやっと蝉を逃がしてやった。それにしても足の長い蜘蛛をつかまえ、蝉を離すのは気持悪かった。

NONCHANさん
ぼくは子供の頃から模写ばかりやっていたので、もしかしたら将来は映画の看板屋になるんじゃないかと思うことがありました。だから公開制作をするぼくの姿が看板屋に見えたのは何とも嬉しいことです。大きい絵を描く自分は少年の頃の夢の実現です。

ニューヨークの友人、知人の消息を調べている間に、何人もの人が鬼籍に入ってしまっていることを知りました。その人達の想い出の街に行くのは何とも寂しい限りで、ひとつは供養の旅になりそうです。

9月1日
北村増美さん
え?!精神世界?ではないですよ。むしろ肉体世界です。例えば「見る」とか「触る」とかね。北村さんの感想、80%は当たっているとしときましょうかね。

鈴木睦さん
ぼくは雷が怖いのではなく、雷から連想するものが怖いのです。だから雷鳴を聞いて震えるようなバカなことはしません。

藤巻一也さん
金沢・21世紀美術館での展覧会は「冒険王」とは違いますよ。トークは美術館側が希望するでしょう。

あいはらさん
赤塚不二夫さんとは2,3度しか会っていませんが、彼が出した「まんがNO.1」の表紙のデザインを創刊から終刊(といっても4~5回)まで続けました。

まだニューヨークにも行っていないというのに10月にスペインに行くことになりました。スペインのY字路探索です。こちらの旅行は展覧会とそのオープニングみたいなものがないので、全く気が重いということはありません。今の所、世界遺産にもなっているトレドとか、その周辺の町などを候補にあげています。

この間京都の智積院に行ってきましたが、その原稿を15枚書きました。すでに書いた原稿を自ら没にして書き直しました。ぼくはしばしば一度書き上げた後、それを没にしてまったく違う原稿を書くクセがあります。二度目に挑戦する時は最初の原稿がモタモタした時です。最初の原稿を書いてしまった途端、全然違うポイントを発見してしまうのです。そういう意味では異なった原稿を2本書くことになるのですが、後の方はうんと早く書けるので時間をロスしたという感覚はありません。むしろ達成感に満足します。

隣の空地から一斉に蟻がわが家の敷地に大量に移動してきた。一体何が起こったのだろうと思っていたら、二日後に隣の空地の草除去が始まった。自分達の住居の異変を察知して、わが家に移動してきたというわけか。すると蟻は危機の前兆を予知する能力があるのかも知れない。

○本日贈られた本
アリ・マルコパウロスさんより「OUT&ABOUT」アリ・マルコパウロス著

○本日買った本
「昭和天皇(上)(下)」保坂正康著

ニューヨークには来週月曜日に発つ。オープニングが「9.11」である。別に、「9.11」を狙ったわけではない。たまたまそうなったそうだ。


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