5月30日
昨夜は松岡正剛さんの「連熟」に出席して松岡さんと藤本晴美さん演出のライトショーの下で長々とトークしました。こういう入場者の多い場所でのこの手の「話しは」得意ではなく、また自作を語ることのもどかしさはやはり言葉にならないものを作品にするもどかしさ以上のもどかしさがありました。それにしても松岡さんは真面目な方です。

自分の興味の対象外の読書は苦痛だけれど、新聞の書評を担当するために対象外の本を月に数冊読むことになりました。(このことは以前にも1〜2度書きましたね)最初はメンドー臭く、時間ばかり食って、この仕事は自分に合わないのではと思いましたが、最近はこのことによって「私」から離れたものに対する興味がでてきて、仕事ではなくなった感じ。朝、5時頃から8時までが読書タイム。興味外が興味内に変わりました。すると仕事が仕事でなくなり趣味になりました。「私」から離れることの快適さ、快感、感覚、解放です。

「東京人」の「東京23区・Y字路」徘徊」の連載写真が今月(7月号)で終了しました。23区に都下(目下撮り下し中)のY字路写真を追加して今秋写真集が刊行されます。23区と都下の変貌振りはかなりなものです。「ヘェー!これも東京!」という感じです。

5月29日
○本日送られてきた本
 淡交社より「等持院」川勝承哲/今谷明著

もう帰ってこないと思っていた蟻がアトリエの玄関に戻ってきた。深い地中から脱出して地表に上がるまでかなりじかんがかかったようだけれど、先ずは帰還おめでとうである。その内、「蟻を踏まないように!」という今年度バージョンの標識をまた作らなければならなくなった。

5月28日
○本日送られてきた本
 西川隆範さんより「シュタイナー世直し問答」ルドルフ・シュタイナー著/西川隆範訳

かれこれ40年前に高倉健さんの写真集を編集・デザインもして、長い時間をかけて出来たのですが、正式な出版までに到らず、少部数が神田の古本屋で販売されたらしいです。それが今凄い高価を呼んでいて滅多に古書店にも出ないそうです。その本を40年振りで函入りのハードカバー(当時はソフトカバー)でサイズもやや大きくしたものがいよいよ明日(29日)書店に並びます。40年間本がお蔵入りになっていたようなものです。明日のブログで本の写真を紹介します。実物は書店の店頭で見て下さい。

5月27日
藤巻一也さん
わざわざ金沢まで、今回の雨シリーズのコスプレは暑くって、何しろ風が通らないコートですから。マチスの「ダンス」ねえ。考えても見なかったです。そうですね波紋シリーズの次の展開はどうなるんでしょうね。ワカリマセン。

YOMIさん
217行の長いメール拝見しました。わざわざ大阪から金沢のPCPPPへ、ありがとうございました。描く方より観る方が疲れると思います。帰京してオイルマッサージを受けたら疲れが取れました。

樫井志保さん
肉体感覚、現実に立脚して下さい。何しろわれわれは肉体を伴ってこの現実に生きているのですから。自分の現実を見回すことが大事じゃないでしょうか。

佐藤英勝さん
甘党で肉党なので血糖値も高いのかも知れませんが、ほどほどにしています。身体に少しでも異変を感じるとすぐ病院に行きますが、今は異変を感じていません。食べ物を気にすることでストレスが起こる方がコワイと思います。

須見恭子さん
モネの晩年の作品は白内障でほとんど失明状態で描かれた作品だそうです。時には目(見える)が邪魔になることがあります。見えなくなることで、もっと大事なものが見える—そんな域に見えながら到達したいものですね。それから朝日新聞の日曜日の書評はだいたい月一回の割りで一人の書き手の文が載るようです。ぼくの次の書評は多分6月7日の日曜日に出る予定です。

5月26日
この間変な夢を見ました。夢の中で目を覚ましました。目を覚ました場所はいつも行っている健康整体院のオイルマッサージの部屋のベッドの上です。当然裸です。部屋の電気は消されて真っ暗です。「あー、よく眠ったようだ」と思いました。よく眠っているので電気を消してくれて、部屋からマッサージ師は出ていったようです。壁の電気のスウィッチのある所はよく知っているので、自分で電気をつけて衣服を着て2階の階段を降りて行きました。階段は実際の倍くらいの広さで踊り場も広くなっていました。1階の部屋に入ると、夜の9時45分です。さあ帰ろうと思ったけれど、帰ってから食事をするのか、すでに済ましてきたのかがよくわかりません。それにしても夢の始まりが眠りから目を覚ます所からです、こんな入れ子構造みたいな変な夢を見るのは初めてです。

5月25日
○本日送られてきた本
 浜野安宏さんより「生活地へ」浜野安宏著
 西川隆範さんより「シュタイナー自伝(下)」ルドルフ・シュタイナー/西川隆範訳
 講談社より「これでいいのだ14歳」福田淳/赤塚不二夫、「16歳の教科書」
 フィルム・アート社「芸術の予言」

以前も同じことを書いたかな?
今までは自分の関心事のある本しか読まなかったけれど、朝日新聞の書評を担当するようになったために毎月数冊の本を読んでその中から1~2冊書評の対象を決めるので、なんだか毎日本を読む生活になってしまった。それも必ずしも自分の興味のある本とは限らないのが大半だ。ぼくが普段から読んでいるのは過去の名作と呼ばれている本だが、書評のために読むのは新刊ばかりだ。その両者のギャップというかヅレはかなりある。でも自分の興味が固定化されないためにも遠くに足を伸ばす必要がある。

須見さん
金沢で事務所から返送されたメールのFAXを拝見しました。公開制作のレインコートは暑くて描けません。すぐ脱いでしまいます。作品は今までのスタイルとは全く違ったものになってしまいました。Y字路もどんどん解体作業に入っていくし、雨のシリーズは画面が溶けていくし、さてどこに向おうとしているのか、自分でも解りません。だからやっているのです。自分の作った迷路で迷っているようなものです。迷うことの楽しみを味わっています。自分の人生パターンそのものです。

5月23日
久し振りに伸びをして土曜日の流れる(いや反復する)時間を満喫した。メダカと活字を相手に。メダカはテーブルの上の水槽にいて、常に視線を合わせている。外出から帰ってきてメダカを見るのが実に楽しい。また家の玄関前の瓶の中には金魚が2匹。これは朝と夕に会う。家の中では猫がいつも帰ってくるのを待って「ピンポーン」の音で飛んでくる。トイレに入ったらトイレに入ってくる。風呂に入ったら風呂に入る。メダカをメダカ、金魚を金魚、猫を猫と思わなくなってきた。じゃ何?

5月22日
しばらくぶりでメダカに会う。一週間泳ぎ続けていたのかと思うと驚異だ。それに疲労感がないらしい。凄いことだ。メダカと競争してもとてもかなわないとつくづく思う。一生泳ぎ続ける人生、それも休みなく泳いでいる。ただ何かを考えている様子はない。でも色んなことに反応する。時々追っかけっこなどもしている。といって遊んでいるわけでもない。生き続けるためにただただ泳ぐ。泳ぐだけの人生だ。絵を描くこともなくのんきなものだ。声を出してしゃべるわけでもないが、時々向かい合ったり、離れたり、攻撃したりもしている。でも岩陰でひとり佇んで想いに耽る者もいる。まあ、そのうち全員死ぬんだ。

5月21日
1週間お金沢滞在が終わった。今回の金沢21世紀美術館での個展は会場が制作現場という感じで、新作が増えるだろう。また未発表作品も出品される。この美術館はひっきりなしに人の出入りが多く実に活気がある。七月にももう一度訪ねることになりそう。もしかしたら展示作品にも手を加えるかも知れない。

東京にもマスクがないというので金沢でも捜したがどこも完売。でもマスクをしている人はチラホラ。東海道新幹線を変更して北陸新幹線に変更して帰郷。金沢から越後湯沢までの車内のマスク利用者は少なかったが、ここから東京行きの車内ではマスク利用者がうんと増えた。やはり東京で感染者が出たからだろう。東京駅に着いた時はその数が増えていた。

○本日送られてきた本
 ランダムハウス講談社より「現代アートの舞台裏」サラ・ソーントン著
 青木せつ子さんより「ヒマラヤの風にのって」ラスキン・ボンド著
 鈴木千歳/青木せつ子編「チャンパの花」インド児童文学の会

5月20日
今日で金沢に来て6日になる。この間公開制作を3日行ったがアクリル150号1点と油絵150号3点制作した。自分でもちょっと驚くほどのスピードだ。別に早描きが能ではないが、観客のエネルギーがそうさせてくれる。しかも一点一点が様式を変化させてくれる。「もう私は様式をどこかに捨ててきた」ようだ。「私意識」があってないような作品の連鎖に我ながらあっけにとられている。

毎日のようにおはぎや鯛焼きを差し入れに、体重が増えた—と思う。ただ以前と違って肉や甘い物を食べても胸焼けはしない。やはり糖分が必要なくらい制作はしているので、まあ適当に消化してくれるのだろう。

昨日からデパートで夕食弁当を買うくせがついた。ホテルに帰るとラウンジで2〜3時間小説を書いている。また朝も6時半頃から10時前まで執筆。目下不定期で「文学界」に発表している三部作の最終篇だ。部屋ではどうも書けない。ロビーは適当に人がいたり、話していたり、動いたりしている、そんな人が活動している環境が適度に刺激で想像的なのだ。

5月18日
15日(金)から金沢に来て金沢21世紀美術館で公開制作を行っています。前回未完に終わったY字路をトビ職のコスプレで完成。昨日は雨に関係のある作品なのでレインハット、レインコート、レインシューズで制作です。初めての油絵を2点制作です。8月1日からの当館の個展で発表の予定です。目下当館で「ねむの木学園」の作品も展示されていて、大変興味深い作品が多く、プロの作家の捨てた大事なスピリットが発見できて学ぶこと大です。何年振りかで宮城まり子さんに会いました。車椅子だったけど顔色もよく元気だったので安心しました。金沢の道路の信号待ちは恐らく世界一長時間です。

5月14日
○本日送られてきた本
 平凡社より「別冊太陽・肉筆春画」

70年代に2年間かけて日本中を旅行し、インドやバークレイなど、他に1年間坐禅をした時のドキュメント、個展のオープニングのスナップなどボー大な写真をカメラマンの倉橋正君がデータ化してくれた。この中には著名な友人、知人(すでに故人も)の70年代の姿があって、懐かしい情景ばかりだ。この際、写真で見る個人史の私家版を作って見たくなったが、ニーチェみたいに自伝ばかり書いていた心境の謎は何だったのだろう。

5月13日
この間テレビで大リーグの試合を見ていたらバットとリストバンド、それから胸のリボンが全部ピンクだった。敵も味方もピンク。これって一体何のお呪いと思っていたら、「母の日」だからピンクを身につけていたそうだ。その前だったかイチローがいつものユニフォームじゃなく、昔っぽくてダブダブのを着ている。またこちらの頭が変になったかと思ったら、マリナーズの前身のユニフォームらしく、このチームは現在も3Aに存在しているそうだ。こんなレトロなユニフォームで試合をするナイターは「レトロナイト」と呼ぶそうな。―と知人のNHK出版の林さんが教えてくれた。

5月12日
今日は「東京人」最後のY字路取材で前回に続いて世田谷区第二弾。世田谷区は広いのでY字路も多い。東京23区と都下数ヶ所をまとめて秋に写真集が国書刊行会から刊行されることになっています。タイトルは未定だが、約200ヶ所の東京Y字路の写真を網羅する予定。2年間にわたって東京中を歩き廻って採集したものです。初の写真集です。

その前に11年前に出版して現在絶版になっている「夢枕」(夢絵日記)がソフトカバー廉価版で出版されますが、今後の個展会場(金沢21世紀美術館を初め)のみの発売となります。一般書店では発売されません。

瀬戸内寂聴さんの「奇縁まんだら」の続編が5月15日の瀬戸内さんの誕生日に出版されます。一巻目に引き続いてポートレイト(キャンバスにアクリル)が50点(一頁大カラー)掲載されています。

元、匿名氏須見さん
メールの返答したかどうか自信がないのですが、そーっか、もし子供時代をテーマにした絵のPCPPP時はランドセルに半パン、白いカバーつきの学生帽というコスプレか?老人小学生か?目が汚染されますよ。

5月11日
○本日送られてきた本
 国書刊行会より「北の海の物語」ヨナス・リー著/ 「魂の謎と恐怖」ロバート・エイクマン著/
 「消えた太陽」アレクサンドル・グリーン著
 京都国際マンガミュージアムより「杉浦茂の摩訶不思議世界・へんなの」中野晴行編

今日は国立劇場で文学観賞。「伊勢音頭恋寝刃」に義太夫の竹本住大夫さんが出ておられるのでそれが目的。「寿式三番叟」はディスコ並みで、忌野清志郎のギターを三味線に変えて、鶴澤清志郎さんが出演。「日高川入相花王」は有名な安珍、清姫の物語で、蛇身になった清姫が川を泳いで、道成寺の釣鐘もろとも安珍を焼き殺す手前で幕。プラトニックラブが情念に、そして怨念に変わる女の恐ろしい性を描いた、また歌舞伎とは一味違う面白さがあった。文楽は毎回新しい発見がある。それだけ奥が深いともいえる。

「病の神様」の読後感をたまたま色んな人のブログで読んでみた。ぼくよりも生死の境を彷徨った人はこの世に多いと思うけれど、ぼくみたいにトゲが刺さったり、目にゴミが入っただけで大騒ぎして病院に行く人はあんまりいないだろうけれども、ぼくはすぐ飛んでいく。自分の体で大騒ぎすることはどこか想像を創造することに近いように思う。谷崎潤一郎や夏目漱石もどちらかというと大騒ぎ派だ。大騒ぎを起こして絶体絶命に自らを追い込んで自分を事件化させる。創造は事件だとぼくは思っている。

5月10日
メダカの動きはなかなか俊敏だ。UFOのように自由自在に方向を瞬時に変える。群れを作るかと思うと豆を撒いたみたいにばらばらに散ってしまう。じっとしているようでじっとしていない。そんなメダカが一体何匹いるのかまだ正確に数えられない。よほどの動体感覚がないと数え切れない。20匹だと思っていたら18匹だったり、21匹だったりする。物陰に隠れているので未だに正確な数がつかめていない。このままズーッと数えられないのもいい。その内稚児が増えてもっとわからなくなるにきまっている。

本は好きだけれど読むとなると面倒臭くて投げ出してしまうことが多いが、月一本書評する仕事があるので、何冊か読むことになった。本命だと思った本が意外とそうじゃない時はあせる。次々と読むことになる。それでも「一寸違うなぁ」ということもある。本を読むのが趣味じゃなく仕事になると、なんだか書評家という職業についた気になる。絵画と小説の二足のワラジだと思っていたら三足履くことになった。月にたった二枚(原稿用紙)の書評が職業というかね。その点エッセイは月に数本書くけれどこれを職業だと思ったことは一度もなかった。だからエッセイのワラジは履いていない。

5月9日
○本日送られてきた本
 宇野亜喜良さんより「奥の横道」宇野亜喜良著

昨日、福島から詩人の和合亮一さん来訪。「国文学」での対談。詩人と話すのは寺山修司以来で、詩人とは無縁だった。詩は絵画に似ているように思う。二卵性双生児とまではいかないにしてもよく似ている。詩の話をされても絵画の話だと思って聞いている。でも小説と絵画はかなり違う。一方は観念だし他方は肉体だ。詩はその中間というより絵画寄りかな。

5月8日
東京都で唯一「村」がつく檜原村へ行ってきた。日本のチベットみたいな所が東京にあることの驚き。道の果てしない所まで行く。途中蛇の湯温泉郷があるけれど、温泉に蛇が泳いでいそうで誰も入らないんじゃないかね。でも風景がとてもいい。人など滅多にいないのに茶髪のロングヘアーの東京のど真ん中に連れてきてもおかしくない子がいたが、ふと泉鏡花の「高野聖」を想像してしまう。蛭こそ樹の上からポタポタ落ちてこなかったけれど、やっぱり蛇はいてもおかしくない。そんな檜原村でした。あっ、そうそう、忘れていた。Y字路を探しに行ってきたのです。その内発表します。

藤沢真理子さん
お手紙の返事このブログに書きますが、読んでくれるのかな。そーなんです。もう随分時間も経ってしまいましたが、京都での公開制作は体調を崩したために中止になったのです。次はブログでも書いていますが、金沢21世紀美術館で5月16日から約一週間(これはちょっとハードですね)行います。でも体調は完全復活です。では。

5月6日
メダカはガラス越しに写る自分の姿を他人と認識しているらしく、どうしてもガラスの向こうへ行けないことがじれったいようだ。だからさかんにもう一人の自分に自己愛を抱いてガラス越しにキッスをするのである。このことはいくら諭しても解らない。もうあきらめた。

アトリエの玄関にまた蟻が出始めた。でも去年までの蟻とは部族が別らしい。やってくる場所が違うからだ。それにしても地下を住居にしているのに、地面が掘り起こされただけで全滅するかね。

玄関の前の大きい瓶に金魚が2匹住んでいる。その瓶の淵に野良が2匹乗っかって金魚を眺めている。もし金魚を獲ろうとしても水深があるので、多分はまると溺れるだろう。朝起きて瓶を見たら金魚を口にくわえた2匹の野良猫の土左衛門が浮いていたなんて、シャレにならない。

5月5日
自分の興味の対象の本しか読んで来なかったために、逆に自分の世界を深化させるどころか、井の中の蛙になってしまっていた。そんな時、新聞の書評を受け持つことになった。そこに集められた本の大半は普段見向きもしないが、先ず自分でわざわざ買うだろうと思う本は少ない。個の要求よりもむしろ、社会や時代の欲望に必要(?)な種類の本が多い。そんなわけで一冊書評をするために何冊かに目を通すために自ずと従来の好み以外のものも読むことになった。そんなわけで読書の巾が拡大されてきた。すると変なもので絵の従来の主題や様式にまで影響を与え、食わず嫌いなテーマの絵も描いて見たくなったのであります。

よく、何で小説を書くようになったのか?と質問を受けることがある。初めの頃はそれなりに理屈を言っていたが、動機はともかく、最近は言葉の物忘れが激しくなっているので、「認知症を少しでも遅らせるため」と言うことにした。書かないと言葉は失われていくように思う。漢字文字だけじゃなく漢字言葉も出にくくなってきているのは確かだ。そのうちひらがなだけで書くことになりそうだ。ページが増えて編集者は嫌がり、読者からは敬遠される。内容も自然に低年齢化していくだろう。その時は本物の認知症になって認知文学でも確立するか!

5月4日
ゴールデン・ウィークはのんびりしたもんだ。人と話さないこの贅沢さ。ゴールデン・ウィークをゴールデン・マンスまで延長しようと思えば今のぼくは可能だ。いずれゴールデン・イヤーになるのもそんなに遠くないと思う。いや思おう。その前にシルバー・イヤーになっちゃりして。

5月3日
忌野清志郎さんが亡くなった。阪神大震災の時、神戸で展覧会を開き、細野晴臣さんに協力してもらった時も清志郎さんに歌ってもらった。「一緒に何かやりましょうよ」とその後もいわれていた。そして先週彼の展覧会が企画され、そのポスターの依頼を受けていた。デザインはやらないことにしていたが、彼のポスターならやってもいいかなと思っていた矢先だった。生きて一緒にやりたかった。

メダカは一日中尾ひれを動かしながら泳ぎ続けている。よく疲れないことだと感心する。人間なら一日中走り続けているようなものだ。20匹いるが1匹、1匹の意志を有しながら全体と一つに繋げるとどのくらいの長さになるかな?と一日の内かなりの時間メダカと過ごしている。

5月1日
○本日送られてきたCD
 細野晴臣さんより「細野晴臣の歌謡曲20世紀ボックス」

○本日送られてきた本
 平凡社より「めぐり逢った作家たち」伊吹和子著
 中矢伸一さんより「『天の』日月神示」中矢伸一著

バスの乗客の大半がマスクをして走っているバスを見た。実にシュールだった。それにしても街の薬局店からマスクが完全に消えてしまった。


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