2017年09月28日
この間から東宝スタジオの仮設アトリエで絵を描いている。相変らずタマ(猫)のレクイエムである。約50点近くになったと思うけれど全部で100点描くつもり。絵は最初の頃からくらべるとかなり変ってきた。変えようと努力しなくても変る。

わざと変えるとつまらない。人の身体と同じように絵も老化していく。老化は自然の変化だから、抵抗できない。絵も全く同じだと思う。

キリコの晩年の絵の線が震え、弱々しくなっていく。あんな絵を描きたいと思っても描けない。歳を取ると楽しみも増えてくる。

元気で若々しい作品だけがいいのではない。消えていくような老年の作品こそ、この地上から飛び出そうとする未来の力があるのである。

老年の中の幼児性は長寿の芸術家のみに与えられた特技である。

2017年09月26日
アメリカやイギリスのロッカーは大抵全身が黒づくめだ。黒いTシャツの上に黒いジャケット、黒いジーンズに黒いブーツ。このスタイルはアーティストやカメラマン、デザイナーにも多い。なんかアウトロウ的で玄人っぽく見えるよね。でもユニフォーム的で、画一を嫌う人種がなぜか画一的な格好をしたがるのも、世間にはわかりやすいからかも。

あれもしたい、これもしたいと想っている時が一番楽しくて充実している。想いが即、物質現象を起こしてくれれば最高だけれど、この物質世界では非物質は現出しないことになっているので、死後のお楽しみに取っておくんだなあ。

われわれは限界の世界で生きているので、しゃーないか。100メートルで9秒切って大騒ぎしているけれど、時間と空間の制約の世界では100メートルを3秒で走ったら、きっと肉体がバラバラになるんだろうなあ。

胃が昨日からモヤモヤして気持悪かったが、今朝、高麗人参茶を飲んだら、身体が熱くなって汗が出てケロッとモヤモヤが消えた。

昨日、デュラン・デュランのリーダーのニック・ローズがジョン・テイラーに続いてアトリエに。彼は写真と美術に興味があって、すでに根から葉まで知っていて、その上にさらに根から葉までとことん聞いてきて、質問攻めの2時間半だった。




老齢になると、こーいうイキのいいロック・ミュージシャンと会って話すとエネルギーがこちらに注入されるので若さの素だ。ウォーホルの作品が若いのは彼の周辺にこーいう連中がいっぱいいたことだ。

ぼくはセッカチだから絵を描くのが早い。グズグズしていると絵が逃げてしまうので猛スピードで絵を追っかけ、逃がさないことだ。

何んでも早いが本を読むのと食事だけは滅茶苦茶遅い。仕事は早いけれど、困ったことに、忘れるのも早い。

胃のモヤモヤの原因がわかってきた。十和田で温泉に朝晩入ったあと、猛烈に身体が冷えることと、ソフトクリームを何度も食べたからじゃないかな。

2017年09月25日
デュラン・デュランのジョン・テイラーがポスターのお礼が言いたいとわざわざアトリエに来訪。ポスターをそのままTシャツにしたのを持ってくる。印刷のできがいい。うちのホームページで販売するのではないかな?

ジョン・テイラーのようなロック・ミュージシャンと会うだけで、YとEが与えられる。Y=young。E=Energy。

今日から東宝スタジオの山田組の監督ルームの一角にアトリエが新設された。早速、午前中から絵を描きに。あと50点描く予定のタマ(猫)の絵を。

メインとサブの2つのアトリエで異なる絵の制作。2つでも3つでも、4つでも、アトリエは多いほどいい。場所が変れば絵が変るからだ。

今日の夕方、デュラン・デュランのジョン・テイラーに続いて、ニック・ローズがアトリエに来ることになっている。

2017年09月22日
今、やっとトークが終った。後半15分位物凄く眠くなって、脳と身体が分離してしまった。こういう経験はあまりないけれど、以前楠田枝里子さんとのトークで眠ってしまったことがあって、「あら、まあ」と叱られたけれど、今日は眠らないためにしゃべり続けた。






たった今、十和田市現代美術館の小池館長と館内のホールでトークを開催中です。議題は、昨夜360度視界に広がる銀河の星々を眺めた話から、小池さんがスター達の話を振りました。高倉健や三島由紀夫の話へと。

そのあと、シンクロニシティとか、創造と人生とか、作品のプロセスと未完の話へと。さらに死と生と今、からだとこころ、幼児性、話はどんどんはずみながら異世界への想像力、マルセル・デュシャンへと。

難聴のために建物の空間に自分の声が割れて聞きとりにくいが、マイクや補聴器をあれこれ操作しながら、なんとか、トーク続行中です。

今日の十和田の天候は真青の空で、2日前の悪天候がウソのようらしいです。

今日入れて、あと3日でTOWADA ROMAN展が終了します。小池さんはなごり惜しいといっておられますと同時に昨夜銀河が見れなくってくやしいと、ワーワー言っておられます。

2017年09月21日
十和田市現代美術館へ出掛ける。東京駅に1時間も早く着いたので朝から白玉金時つぶあんを食べる。昨朝の朝食もぜんざいだった。ぜんざいはパワーの素なり。

車内で小池一子館長と合流。はやぶさにはグランクラスというのがあって軽食が出る。この前は車中が暑く熱中症になった。今回は涼しいのでならないだろう。と思う。

難聴でトークは心配だけれど性能のいいマイクを通せば大丈夫かなと思う。

車内のほとんどの人がスマホかアイフォーンをいじっている。ぼくは何もいじるものがない。

車内で居眠りしていて、ハッと意識がもどる時、一瞬自分は今どこにいるのかあわてて探すんだけれど、すぐには思い出せない。このゲームは結構面白い。

「おーいお茶」のボトルのラベルには「Oi Ocha」と書いている。英語読みにすると「オイ オチャ」になるか「オーイ オーチャ」になる。英語できる小池さんに聞くと「おーい」と言っているんだから「Ohi」にすべきだと。そーだよね、誰も疑問を抱かないのか知ら。伊藤園に聞いてみよう。

2017年09月20日
現在、六本木の青山ブックセンターで、ぼくの書評集「本を読むのが苦手な僕はこんなふうに本を読んできた」(光文社新書)に載っている133冊の内で仕事と人生に影響を受けた本が相当数、展示即売しています。現物と書評を見比べて下さい。

今日から東宝スタジオの山田組の監督ルームの一角にアトリエが設置されます。2つのアトリエを行ったり来たりして制作します。

ここで映画の仕事をするというより映画と関係のない絵画作品を制作するのが目的です。非公開制作です。

実は今朝、NHKBSのプレミアム8で「横尾忠則人生は大冒険」を全4回に分けて放映するそうです。9月21日は午前0:45〜2:45放映。どんな番組だったのか、自分でも思い出せないんです。

2017年09月19日
9/17東京新聞にぼくの書評「本を読むのが苦手な僕はこんなふうに本を読んできた」に荒俣宏さんが書評してくれました。書評の書評って面白いでしょう。荒俣さんの書評の書評を読んで買ってくれる読者がいることを願います。

絵はチンタラチンタラ描くものではない。一気呵成にエイ!ヤッ!と描く。なんでもチンタラ、チンタラは意識の流れを止めてしまう。かつてデザイナー時代、ポスターはほぼ全部一日、もしくは数時間、時には1時間で完成させた。だからあんなに沢山描けたのだ。

早く仕事をして、余った時間はボーッと無為を楽しむ。これって性格だよね。

朝、5時か6時に起きて、夜9時にベッドに入る。絶対徹夜はしない。不眠症で徹夜になっちゃった時はしゃーないけどね。

朝日新聞に書評を書きだして8年になる。その間150本近く書いてきた。書くのも難しいけれど読む方が難しい。遅読派だから、うんと時間がかかる。また、読んだ尻から忘れていく。記憶力と総合力の技術がないので、面白い個所を探すしかない。本を仕事で読むって本来の読書じゃないよね。

書評で本を買ったことってぼくはないなあ。広告で買うことはあるけれど。

明々後日(22日)十和田市現代美術館で小池一子館長とトークをします。十和田以外の遠くからの申し込みも来ているとか。入場者が三万人に達成したと連絡が入りました。さて、難聴トークは可か不可か、マイクや補聴器など先方で対策中とか。

不眠症っぽい状態が続いていたけれど、いつの間にか気がついたら眠れるようになった。不眠症を治すのは難しいが、治すためには悟る必要がある。別に修行をする必要はない。

むしろ、修行らしいことはしない方がいい。テレビや本が不眠症の特集をしているが、見ない方がいい。

じゃ、どうすれば治せるのでしょうか? その昔、不眠症だったぼくはある日「眠らないと死ぬ!」という本の広告コピーを見て、「ウヮー、大変だ、死ぬんだ!」と思ったその日から不眠症は治った。

ぼくのように80歳を過ぎると、不眠症に限らず、他のこともどうでもいい、成るように成るという、ふてぶてしい気持になってくる。そーすると眠れる。

もうひとつは野心や欲望や執着を捨てると眠れる。これは老年にならないと、ちょっと難しいかなあ。

眠れない人は自我の強い人かも知れない。野心家や自己主張、名誉欲の強い人は不眠になりやすいと思う。それでもよく眠れる人は天才だ。

どうしても眠りたい人は、不眠特集のテレビや本を徹底的に見て、不眠の効用を全部片っ端から実践すればいい。それでも眠れないと思うよ。そこで何をやってもダメだに行きつく。すると眠れる。これが悟りである。

耳が聴こえないというのは、ある意味で外部(社会)との断絶でもある。自分の外部の声が自分の内部に届かない状態で、孤立化している。これもいいや、と思うと同時に日常生活が困難になりつつある。

耳が聴こえないというのは、ある意味で外部(社会)との断絶でもある。自分の外部の声が自分の内部に届かない状態で、孤立化している。これもいいや、と思うと同時に日常生活が困難になりつつある。

しかし、内面的には逆に悪くない。耳が遠くなると長生きするという意味は不都合な外部から逃れられるからだ。

映画、テレビ、観劇、コンサート、からは見離されるけれど、創造的には、不必要な情報から自立できるので、別の感覚が機能する。それが何かはまだわからないけれど。

ただ個人的な会話が十分できない。半分は想像で聴くことになる。全て、あいまいなままで終る。

人の話している言葉の意味は皆目で、まるで様々な意味不明の音響になって聴こえる。言葉がもつれた状態だ。この状態を人に伝えることは非常に不可能だ。

一番困るのは人から話しかけられることだ。「話しかけないで下さい」と書いたプレートを首からぶら下げて歩くなり、難聴障害者が一目で分るサインになるようなものを身につけるとか。

聴こえなくても話すことはできる。だけど自分の声が機械的な音声になって戻ってくるので不快といえば不快だ。サイボーグになったと思うしかない。

相手にとってもこっちにとっても一方通行なので会話の成立は極めて困難だ。その困難を困難とも思わないでやっているところが、実にシュールレアリスム的でアヴァンギャルドである。

2017年09月15日
人は猫を飼っているつもりだけれど猫から言わせれば、一つ屋根の下の同居人ぐらいにしか思っていない。時には人間を猫の下僕としか思っていない。そのことを、よく認識しなければならない。

人は猫にエサを与えるが、猫は当然だと思っている。それが猫に対する礼節ぐらいにしか思っていない。

猫のテリトリィが時には人のテリトリィと同じ場所になることがある。人は邪魔だと思うが猫だって同じように思っているはずだ。

猫は人の言葉はわからないが、感情は人以上に、ほぼ100%読んでいる。人は猫に支配されていると思った方がいい。

2017年09月14日
秋口になると襲ってくるのが喘息だ。今年は夏場に喘息になって10日ばかり入院して、今年の分は終ったと思ったら、秋は秋でやってきた。漢方でなんとか切り抜けたと思ったら、週刊新潮がツムラの漢方を2週にわたって大批判。どうすればいいんだ。吸入器は効果があるというが副作用で声がかすれる。

ダンスマガジンでモーリス・ベジャールとジョルジュ・ドン、ジャンヌ・ベルサーチのことを話す。この3人はミラノ・スカラ座で舞台美術をやった「ディオニソス」でコラボをした人たちだけれど、3人共今はいない。どんどんあちらが充実していく。もうこちらは完全に向こうに負けている。

足の骨折で入院中、歩けなかったこともあってか、足の裏の肉球が、ポコッとふくらんだ感じ。保坂和志さんはピンポン球の半分が出っぱったと表現していましたが、まあそんな感じで、靴を履いてもその感触はある。最初は右足だけだったが、最近は左足もそうなってきた。これって一体何んなのか。

アダムスキー型のUFOの底部に着陸ギアーみたいな半球体のものがあるが、足の裏がUFO化してき、そのうちジグザグ歩行しながら宙に浮上して、一瞬の内に目的地に行けるようになれば、凄いですよね。

来週ぐらい(日時いつだっけ?)に十和田市現代美術館で館長の小池一子さんとトークの予定。心配なのはトークの相手の小池さんの声が聞こえるかどーかが問題。まあトンチンカンな難聴トークも面白いかも。

昨日はアルゼンチンのフランス大使館のエレンさんが来て、カルティエ現代財団で発表した100数人のアーティストのポートレイトの画集のテキストを書いてもらうことになった。彼女はカルティエのキュレイターなので、きっと面白いテキストを書いてくれそう。来年春に出版予定。

「文藝」で保坂和志、磯崎憲一郎さんと3人で鼎談をしている。テーマはなし。ごく日常会話。それをそのまますべて活字にしている。一応文芸誌なんだけど、文学畑の人たちはこのあってもなくてもいい鼎談をどーいう風に読むのだろうか。2人の芥川賞作家がしゃべっているんだから、何か意味あるだろうか

でも、これをこのまま「小説」だと言ってしまっても成立するんじゃないかな。以前、一柳慧さんと、話す言葉はいちいち文字にしながら対談したことがある。これを読んだ小松左京さんは「21世紀の文学だ」と言った。われわれ3人の鼎談も、そのうち「22世紀の文学」になるかも知れんよ。

2017年09月12日
糸井さん、お菓子は変だなあと思っていたら、やっぱりあんこだと判明しました。早速パンにつけて怖々いただきました。次はぜんざいにします。

難聴は他人の声が聞こえないのに自分の声はやたらと変な声になって大きく聞こえる。物と物がぶつかる音はやたらと増幅される。とにかく狂っている。

「習慣ポスト」を読む人はいないでしょうね。そんな週刊誌(昨日発売)のカラーページ(6P)にぼくの作品が特集されています。高齢者の読者向けでしょうかね。

昨日は「文藝」で保坂和志さん、磯崎憲一郎さんと鼎談をしました。6時間も。半分から1/3はよく聴きとれなかった。次号に掲載予定。

デュラン・デュランから依頼されたポスターができました。公演ポスターではなく部数限定(エディション入り)のオリジナル作品です。ホームページのアートプラネットでも特別に販売される予定。但し、サインなしに限ります。

2017年09月11日
神戸の横尾美術館で「HANGA JUNGLE」展が始まった。展示の評判がいい。250点たっぷりをじっくり見せてくれる展示で、この美術館に合わせて作品を集めたように見えるが、実は町田市立国際版画美術館からの巡回展で、東京で見た人がもう一度神戸で見ると違った展覧会に見える――という人もいた。全版画展はこのあと20年、つまり100歳まではやりません。是非。

兵庫県立美術館の「怖い絵」展も大好評。タイトルで得をしていると思う。これが「ヨーロッパのロマン派展」なら、敷居が高い。お化け屋敷を見るつもりで来るといわれているみたいだけれど、それは違う。お化け屋敷は身体的な体験だけれどこの展覧会は教養的心理主義みたいなところがある。北朝鮮の外的恐怖ではなく、霊的恐怖に近い。

しばらく絵から遠ざかっていたが、郷里で10点ばかり制作したので、制作ぐせがついたのか、帰京して早速、キャンバスに向っている。労働習慣をつけなきゃ。

留守の間にアトリエと庭がきれいになっていた。さあ、お仕事を始めましょうと言われている感じだ。アトリエの一部に畳を敷いて日本間を作ることにした。環境を変えるのが気持を変えるのに一番てっとり早い。

人は年を取って耳が聴こえなくなると「長生きする」とほとんどの人が言う。「なんで?」と聞くと余計なことが耳に入って来ないからストレスがないと。確かにそーかも知れない。目の前で悪口を言われていても分らない。でも聞こえないというストレスもあるんですよ。

一番困るのは相手に話しかけたのはいいけれど、その返事がさっぱり分らないんですよね。話しかけなきゃよかったと思う。

2017年09月08日
この8日間は郷里で紙スキ作品7点、絵画2点を制作。アトリエでひとりでいるよりも、旅先きで人がガサガサしている方が、ぼくは制作に向いている。放浪の画家が性に合っているらしい。

郷里は黒牛の里で、毎日どこかで牛が出る。体重を上げてしまった。自宅では朝食はパン半分、野菜ジュース、ミルク、お茶、果物、ヨーグルトぐらいだけれど、ホテルではバイキングなので和洋両朝食だ。腹八分に戻さなきゃ、と思うが今日から2日間、神戸だ。ここも神戸肉の待。

郷里では墓参りと同窓会と紙スキ(漉)作品の制作。ホテルでは絵画制作。そしてサムホールの審査。夜は無人のゴーストタウンのような真暗けの街を散歩。色々ありました。

糸井さん、留守の間にお菓子をいただいたそーで、ありがとーお。「ほぼ日」の対談はもう始まっているの? へんな対談だよね。ぜひ「ほぼ日」をのぞいて下さい。

旅行時には大きい枕2つと、「ポニョ」に似た穴の空いたマシュマロ感覚の小さい赤い枕の計3つ。枕が変ると眠れないので、持ってきた枕とホテルの枕2つでベッドの中は枕だらけ。でもわが家のベッドの中には、エーッと? 1、2、3、4、5……。計7個。

今日から「横尾忠則現代美術館」(神戸)で「版画ジャングル」展開催。(今日はオープニング)町田市立国際版画美術館の巡回展だけど、町田版とは全然違った展覧会で学芸員は相当の自信展らしいです。東京で見た人こそに、この違いをぜひぜひ見てもらいたいと、言っとりますので、ぜひ。

十和田市現代美術館の個展も今月24日まで開催中。この美術館初めてのカタログが制作されました。中沢新一さんが素晴しい文を書いてくれました。

阪神は広島に勝てない。DeNAと巨人の3位争いは落ちつかない。

2017年09月07日
土屋嘉男さんの死が半年後に報道された。人をかついだり、騙したりするのが好きな大好きな土屋さんらしい。土屋さんはアトリエの横の遊歩道を散歩コースにしていたので、よく窓の外から手を振って合図をしていた。だからよく会っていた。

ところが去年から音信不通になって、電話も掛からなくなっていた。2度も階段から落ちて入院していたのは知っていた。

最後に会った時、病院の前でころんで顔を地面にぶっつけて、傷だらけの顔でやってきて、キャップもサングラスも取って、生の顔を見てくれと言った。「俳優はそんな顔を見せちゃダメだよ。これじゃ黒沢さんだって使ってくれないよ」と言った。このあと、一、二度会っているが、突然連絡がとれなくなった。

自宅も事務所も通じなくなった。あんなにしょっちゅう会っていただけに心配していたが……。土屋さんは約束しないで偶然会うのがいいよね、とよく言っていた。だからぼくも連絡しなかった。最後に電話で話した時、「死んだと思っていた?」と土屋さんは言った。

それからしばらくして奥様と電話で話した。それは今年の初めだった気がする。「リファビリをしています」と言われた。今、思うとこの頃すでに亡くなっていたんじゃないかな?

ぼくの事務所のスタッフと、今年の初めの頃、「実は土屋さんはすでに死んじゃってて、その死を発表しないように家人や事務所に伝えているんじゃないかな?」と話したことがある。土屋さんはお遊びの大好きな人だから、こんなことをいつも考えている人だったので、ぼくは「あり得る」と思っていた。

今、思えば自分の死まで、遊んじゃったような気がする。

土屋さんは子供みたいな人だった。黒沢映画の常連俳優だったので黒沢さんとの面白いエピソードを嬉しそうに話した。彼はエッセイも上手く本を何冊も書いている。「忠則くん」という童話も書いていて「読んでくれ」と持ってきた。雨の降る日に水を撒く忠則くんの話だった。

見舞に行こうと何度も思ったけれど、どこにいるのかさっぱりわからなかったし、第一そんな病気の自分を見られるのが大嫌いだった。黒沢さんの家に居候していたので向こうで、また黒沢さんと会っていることだろう。でも「死んだら、俺は無だと思う」とよく言っていた。

2017年09月05日
糸井重里さんの「ほぼ日」で糸井さんとの対談の連載が始まります。もう始まっているのかな? チェックしてみて下さい。10回(?)ぐらいの対談だと思います。いつ対談したのか記憶がない対談です。だから話している内容にも「記憶にございません」。

これからはどんどん記憶にないことを話し、記憶にないことをし、記憶にないことを書き、記憶にない絵を描くことになります。どうぞ記憶に留めておいて下さい。

旅行に行くと、食事の内容が変る。郷里は肉の産地で、どこに行っても肉攻めです。老齢には肉が必要らしいが、摂り過ぎです。何ごともほどほどが老齢を生きるコツです。その内皆様も老齢を迎えます。

サムホールの審査を行う。1,600点の作品をざっと見て、低調だなあと思いながら200点位に絞るが、残った作品を見渡すと、そう悪くない。賞を決定する段になって、意外にレベルが高いのには驚いた。上位入賞作品はなかなかいい。かなりいい。凄いいい。

ちょっといい作品はほとんど女性だ。女性はアートに向いている。女性は男性のようにあれこれ考えないで、感覚に忠実である。目的も結果も考えない。アートはそれでいい。

審査員のひとり山下裕二さんは帰京。ホテルに帰って部屋から郷里の風景を描く。そこに死んだタマを描き込む。

明日は80才と81才の高校時代の同級生12人が集まって同窓会だ。高校生時代に戻れる瞬間だ。

うどんが食べたくなって隣町まで出掛ける。4軒廻って全部定休日。ではお好み焼をと、3軒廻ってこれも全部定休日。うどんとお好み焼が定休日なんてまるで美容院みたいでどう考えてもおかしい。結局ホテルに戻ってピラフを食べる。

東京から山下裕二さんが来西。サムホール展の審査のため。1,600点を全部審査する。これって結構体力仕事だ。それ以上に脳の疲労になる。

2017年09月04日
郷里の西脇は狭い。自転車で隅々廻っても1時間もかからない。そんな小さい町なのに、通ったことのない道は沢山ある。そんな道を当てもなくぶらぶらと歩いてみた。どこに出るやらさっぱりわからないのがいい。20年近く住んでいた町のことを知らないというのは素晴しいことだと思う。

ホテルの部屋から町の全貌が望める。80年前の家並もあるが、知らない建物も沢山建っている。昔と今が共存している。子供の自分と今の自分も共存している。

町の風景は変ったけれど山は大きくも小さくも年も取らない。あの頃、あの時と同じで若々しい。山がなければ、ここはどこの町だろうと、きっと思うに違いない。

ぼくの作品のイメージはほとんどこの町に住んだ幼少年時が原点だ。ぼくは郷里の記憶という栄養液を今日も点滴されている。

郷里に帰ることは子供時代に帰ることなので、郷里のある者は実に幸せだ。感謝しよう。

関西のうなぎは関東と焼き方が違うらしいが、そんなに変らなかった。関西は焼くだけで蒸さないそーだ。それはそれなりに美味しい。

2017年09月01日
西脇の地場産業は織物。その織物に付けるラベルを使用して、和紙と合体した作品を作るために、西脇に来ています。織物のラベルはぼくの作品の原点になったものです。

和紙は杉原紙といって手すき紙で、現場で即興で制作するので、瞬間芸みたいなところがあります。完成作はいずれここで発表する予定です。

以前(10年前?)作った作品を改めて見ると、どうして作ったかが自分でも忘れているし、わからない。参考にしようと思ったけれど、参考にならない。改めて挑戦するしかないか。



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