2012年3月30日
今日の天気は期待していたけど、風ばかりが強かったがアトリエの周囲の植木は暴れまくっているという感じで、創造心をかき立てるエネルギーを感じた。そんな日に常盤貴子さんと穐田ミカさんがアトリエに遊びに来られ夕方まで非現実的な話をする。午前中はしばらく停滞していたドキュメント映画の製作続行のためにミーティングをする。新たな方向性を見出すことができた。
山田洋次監督の「東京家族」のイメージポスターのY字路の絵は夜景ではなく昼間を描くことになった。これがガラッと変わった絵になった。撮影現場のY字路だけれど、これを機に新しい展開が見えてきた。人と人の出合いが新しい作品を産む切っ掛けになった。
切っ掛けはなんでもいい、ぼくが常に求めているのは変化である。だけど変わらないものはないんだから、変化って別に特別のものでもない。人も化け物なんだ。

2012年3月29日
明けても暮れてもコラージュに没頭している。いつ終了してもいいんだけれど、作れる間は作っていかなきゃ、今度いつ作るかわからないので、気分が乗っている間はとにかく続けてみよう。作れば作るほど次々と展開していくのが面白くて仕方ないんだ。今日はいい天気だったけれど、午前中は新聞のロングインタビューがあって、午後の散歩は制作にかける。夕方から、気分転換のためにエステに行くことになっている。2、3日前に注文した伊藤久男のCDセットが来たので一日中聴く。
代わり映えのない毎日が続いている。コラージュの作業だ。コラージュは思考がすでにコラージュになっているので何か特別のことをしているという気がしない。
今日のコラージュは全く新しい展開を見た。毎日が発見だ。もちろん資料を探すのも発見だ。わざわざ遠くに探しに行くのではなく、すでに頭の中にあるものだから、特別の苦労はしなくても済む。すでに知っていることを見つけて、知っていることをするだけだ。

2012年3月28日
久し振りに日曜美術館に出た。ギュスターブ・クリムトの特集で、現地ウィーンの映像も入ります。やはりスタジオに一歩入ると、そこは現世の異界です。肉体からアストラルボディが抜け出した感じです。役者はいつも肉体から離脱したところで生きているんですかね。われわれはそれを夢の中でやっているのかも知れません。
シャンプーをいつも行くピカ・ビアでしてもらう。シャンプーやマッサージは気分転換になります。ストレス解消にもなります。ピカ・ビアの美容師ヤッさんのポートレイトを掲載しました。オシャレデでしょう。

2012年3月27日
コラージュ展(ニューヨーク市)のカタログ(画集)の出版の打ち合せを国書刊行会の編集者とする。今秋出版予定。
◯本日の贈本
西村書店より「アンデルセン童話全集 Ⅰ」ハンス・クリスチャン・アンデルセン

2012年3月20日
やっと春の到来を思わせたのはアトリエの玄関に今年始めて現れた蟻の姿だった。早速アトリエ横の遊歩道を下りて、野川べりの公園へ。久し振に陽光を浴び、たっぷりメラトニンを吸収。公園のベンチで書評候補の本と吉本隆明さんの「老いの幸福論」を読む。いつも行く(今日も行ったばかりだ)中華料理店の女店員の子に会う。今日は店を休んで子犬の散歩中とか。公園にはジョギングをする中年の男女もいるが、老人と子供が大半。カワセミを狙うバードウォッチャーのカメラの放列は毎度のこと。アトリエ戻ってコラージュとペインティングを描く。久し振りにモーツァルトを聴く。

2012年3月15日



2012年3月14日

想い出と現実の一致 1998年
富山県立近代美術館所蔵のぼくの作品の前で子供達が白塗りでパフォーマンス(ワークショップ)をしています。


2012年3月12日
一昨日山田洋次監督とアトリエで目下東宝スタジオで撮影中の「東京家族」のイメージポスターの打ち合せをする。映画の中でY字路が舞台になるので、その現場のY字路の絵を描くことになっている。昨日は作曲家の神津善之さんとお茶を飲みながら、オーケストラの指揮者の話を聞く。将来は指揮者なしのコンサートになるかも知れないと。パフォーマーとしての指揮者がステージから消えるとコンサートホールに行くかなと思う。

2012年3月9日
今日はその昔「週間プレイボーイ」で柴田錬三郎さんの「うろつき夜太」の挿絵の担当をしてくれた編集者島地勝彦さんが今度新雑誌「マグナカルタ」の責任編集をすることになって、社長や編者と会う。島地さんは名物編集者で、きっとユニークな雑誌を作ってくれることだろう。

2012年3月8日
ソモコ、ソモコはなんとなく卑猥な真言(マントラ)だから笑ったんだと思うね。正確には「ノラキンジー、ソモコー、モーラー、ノーラーソモコー、シラスーオモギャーヤー、ソモコー……」って言うんだけどね。
シモンへ。曹持寺で坐禅時に笑いを押さえるのにあんなに苦しい思いをしたことはなかったね。雲水のお経の「ソモコ、ソモコ……」というところがなんであんなにおかしかったんかね。一生忘れないよね。あのおかしさだけは。
坐禅はコラージュに似ている。多種多様の雑念が去来してくるからだ。コラージュは坐禅に似ている。去来する雑念を吐き出す行為だからだ。

2012年3月7日
アトリエの暖房器が故障していて、工事中なので喫茶店で原稿を書く。家やアトリエで書くより能率が上る。といってキャンバスを持って喫茶店に行くわけにもいかない。いずれにしても場所を変えるということは大変有効だと思う。今日は夕方より朝日新聞の書評委員会の送別会に出席の予定。来月からメンバーも大幅に変る。

●本日の寄贈本
保坂和志さんより「魚は海の中で眠れるが鳥は空の中では眠れない」保坂和志著(筑摩書房)

2012年3月5日
今の世の中の美術(絵画)の方向がぼくのやりたい事と全く逆行しているので気分爽快だ。それにしてもどうして時代の潮流に乗りたがるのか、不思議でならない。
成城の町は毎日のように家を壊し、毎日新しい家を建てている。この間、(3、4年前新築)建てた家が引っ越しを始めた。何があったのだろう。かと思うと高価なユニークな家を建てたもののそこに人が住む気配がない。建売でもないのに一体何のために。こんなミステリアスな家が何軒もある。
終日同じ姿勢で制作に向っている。またそうでないと集中できない。集中は体力を消耗する。そこにリラックスを加えて、緩急のバランスを取る。

膨大なコラージュの切り屑の中に埋もれている。コラージュは世界の断片でふと震災の瓦礫をイメージが重なってくる。元の機能はここにはない。新たなここにあるのは関連性のないものが、別の形でもいいから、何か別の生命を要求しているように思える。

2012年3月2日
●本日の寄贈本
永井一正さんより「つくることばいきることば」永井一正著(六耀社)
平凡社より「別冊太陽/古事記」千田稔著
和合亮一さんより「ふたたびの春に」和合亮一著(祥伝社)

2012年3月1日
3匹共病院からパンダみたいな洋服を着て哀れな姿で帰ってきたためにお互いがお互いに威嚇しあっているが、自分の姿が見えないからだ。といって鏡を見せても自己認識はできないし。

猫について考えることはアートについて、又はアーティストについて考えることだとぼくは常に思っている。

わが家のタマは脱いだジーンズの上で寝る習慣がある。朝、そのジーンズをテーブル・クロス引きみたいにサッと引くと、体位を崩さずに何もなかったかのように寝ている。こちらが上手いのか猫がエライのか?

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