3月27日
今日1年振り以上で俳優の土屋嘉男さんとアトリエの前でバッタリ会った。成城に引越してきたことは知っていたけど、また散歩コースは同じなんだけれど時間帯がずれていたりしてなかなか会えなかった。会おうと思えば電話をすりゃいいけれど二人共ケイタイなしだし、ケイタイを持っていないと電話は事務所以外なかなかしなくなるもんだ。土屋さんは体調崩して入院していたけれど、今はすっかり元気で、聞くと随分長距離を歩いているらしい。そろそろ80才に近いはずだがそう見えない。黒澤映画の常連だけど香川京子さん以外ほどんどの俳優さんが亡くなっているので、外国や色んなところから公園や黒澤特集で引っぱり出されることが多いらしいけれど、目下全部断っているそうだ。隠居の大先輩である。でもぼくの考える隠居はイコール青春なのである。イコール老人とは違いますよ。

3月26日
昨夜、外で食事をした時、うっかりして濃いお茶を飲んでしまった。そのために朝まで眠れなかった。まぁ本を読んだり、テレビをつけたりしながら体を横にしていた。久し振りの完徹である。だから今日はさぞかし疲れるだろうなと思っていたら、こういう時に限ってアイデアが浮かんだり、制作がはかどったりする。きっとテンションがハイになっているからだろう。不眠の翌日は眠れるので今晩が楽しみだ。
「睡眠をうやまい、畏れるがいい!これが第一のことである。そしてよく眠れない、夜なかに目をさましている者とつきあうな!」- ニーチェ

○淡交社より「高山寺」小川千恵/阿川佐和子著

3月25日
8月から開催される金沢21世紀美術館のテーマが決まった。基本的に未発表の作品であるが、かつて描いた作品の中から、夕食のあと時間つぶしに描いたノン・テーマの小作品や、今までの美術館での個展でなぜか学芸員によって選ばれなかった作品や、あんまり人目に晒したくない失敗作や、途中で放置した未完成や、誰の絵かわからないような作品や、自分では好きなのに他人が評価してくれない作品や、明らかに下手くそな作品―――そういった作品群、つまり一般的には「恥をかく」ような作品がぜひ見たいとおっしゃる秋元館長の発案を全面的に受け入れた作品展になりそうです。オープニングは恥ずかしくて出席できないんじゃないかな。

3月23日
深夜に目が覚めたので、今度文庫本になった「病の神様」(文春文庫)を読んでみた。そしたら面白くなって笑いが止まらず、とうとう一冊全部読んでしまった。これってお笑い芸人が自分の芸に笑っているのとかわらないんじゃないかな。

3月22日
昨夜はあんまり眠れなかった。10時までに寝るとちゃんと7時間眠れるが11時になった。すると寝つきが悪くなる。だから今日は一日ボーっとしていた。こういう時、人間は精神ではなく肉体的存在だとつくづく思う。

公園には蟻がいたけれど、アトリエには一匹も顔を出さなかった。去年までいた蟻はやっぱり全員死滅してしまったのは間違いない。だから蟻が人に踏まれるのをこれからは心配しなくてもよくなった。

最近は絵にならないものを絵にしようとしている。だけどそれが絵になるとまたどこかでツマンナイと思ってしまう、といって絵にならないともっとツマンナイのである。

3月21日
イタリアではおの不況時こそ文化的向上のチャンスとばかり、美術館や音楽鑑賞やスポーツ観戦、それに書籍の売上げなどが増加しているという。芸術、文化を受け入れることで時代の不安を利用しようという動向だろうか。果たして日本は?

○本日送られてきた本
平野啓一郎さんより「小説の読み方」平野啓一郎著

3月20日
瀬戸内寂聴さんの奇縁まんだらで130人の文士の肖像画を描いてきたが、この際明治以降の主な文士50人追加して計180人の肖像画を描いている。大半が老作家だが、彼等の老いの中に青春を描けないかと考えている。彼等の青春というより結局はぼく自身の青春の投影なんだけれど…。

今日は雲ひとつない青空だった。青春の青空だ。青春歌謡、青春プレイバックだ。

完成してしまった作品はなぜか見たくない。それはきっと過去だからだろう。あるいは吐き出された汚物だからかもしれない。小説も同じで、雑誌または単行本になった小説はぼくは読みたくないので、まだよんでいない。そんな時間があるなら次作品の内容を考えたいと思う。書く(描く)こと自体が目的で結果はどうでもいい。結果を目的にすると書く(描く)ことが手段になってしまうからだ。

そろそろ蟻の季節になる。アトリエと隣接していた土地が掘り起こされて公園形式の遊歩道ができてしまったので、今までの蟻の巣は破壊されて、大半が死んでしまったかも知れない。彼等が再び帰ってくるかどうか、暖かくなる日を楽しみと不安で待っている。

3月19日
「銀座ワイワイガヤガヤ青春ショー」というタイトルで銀座グラフィックギャラリーgggで宇野亜喜良、灘本唯人、横尾忠則、和田誠の60年代頃のイラストレーション展を開くことになりました(9月)。この4人は1960年代にそれぞれ銀座のデザイン会社に勤めて、3日にあけず、ときには毎日顔を合わせて食事やお茶を飲んでいた古き友人達です。この辺でひとつ当時の作品を中心にgggで4人が久し振りで顔を合わそうということになりました。まだ世の中にイラストレーションが定着していなかった時代の熱い作品を40年振りに見ていただこうという、ぼくが言いだしっぺの企画です。正に青春グラフィティです。

今日は久し振りで4人が会い銀座でランチをしました。すぐ同窓会みたいになって当時の時代に戻ってなんだか生々しました。この生々が青春です。青春を回顧するのではなく、青春そのものになることです。

3月17日
今日の陽気で蟻が一匹歩いていた。だけど去年まで来ていた蟻ではなさそうだ。道路に近い所を歩いていたからだ。もしやと思ってアトリエの玄関辺りをしばらく捜したがどこにも蟻の姿はなかった。もし死滅していなかったら、出てきてもいいはずだ。そういうと今朝蟻の夢を見たのを思い出した。アトリエの周辺に何匹もいた。彼等に語りかけている、ただそれだけの夢だった。

はこたゆうじさん
いつも絵とメールありがとうございます。「文学界」の『ポルトリガトの館』を読んでくれているそうですが、その前の「文学界」の小説というのは『ぶるうらんど』なので、こっちの方は文藝春秋社から同じタイトルで出ています。

藤巻一也さん
スーパーカミオカンはどこにあるのですか。場所を教えて下さい。

3月16日
天野祐吉さんと「広告批評ファイナル・イベント、クリエイティブ・シンポシオン2009」という長ったらしいイベントで一青窈さんをゲストにトークをする。ぼくの「宣言癖」について聞かれる。そーいうとムカシから「死亡宣言」「休業宣言」「デザイン廃業宣言、隠居宣言」としばしば宣言をしていることになる。もう打ち止めだろうと思う。「小説家宣言」や、「病人宣言」や、「暇間宣言」や、「温泉宣言」や、「散歩宣言」や、「日なたぼっこ宣言」や、「仮眠宣言」や、「おはぎ宣言」や、「マンガ読書宣言」や、「Y字路宣言」や、「蟻愛護宣言」とか次々と宣言が湧き出てくる。

3月13日
以前は夢日記を別に書いていたが、ここ数年日常の日記の中に夢も埋め込むようにした。というのもこの両者が分け難い存在になってきたように思うからだ。夢が日常から切り離された特別のものと思えなくなったからだ。決して夢が非日常とは一概にいえないように思う。ぼくにとっては両者共現実だからだ。昼の人生と夜の人生を両方生きることでやっと一人の自分になれるからだ。

3月12日
確か小学五年生(昭和22年)の時だった。「新宝島」というマンガ本が出た。その作者が、酒井七馬(原作・構成)+手塚治虫(作画)だった。初めて見た手塚マンガだった。それまでマンガの単行本は見たことがなかった。この本が欲しかったが25円のお金がなかった。本屋にはメンコも売っていた。メンコはバラバラにしないで20枚位がくっついて印刷されていた。ぼくはこの時メンコの下に「新宝島」をそーっと隠して、メンコの代金だけを払って本の方は万引きしようと企て、店頭で何度も万引きの動作を練習した。結局ばれるのが怖くて、万引きはしなかった。家に帰って父に頼んで、25円もらって本屋に引き返したのを昨日の出来事のように想い出す。そんな「新宝島」が今度復刻版として出版された。中味はほとんど忘れていた。ターザンが出てるなんてちっとも知らなかった。特に豪華限定版には色々付録がついている。今の若い読者はどんな感想を抱くのだろう。

はこたゆうじさん
いつもいつもメールと絵を送っていただいてありがとうございます。絵はますます快調ですね。楽しみにしています。例のY字路の件、もう少し先になりそうです。その時はご連絡しますのでヨロシク。

●本日送られてきた本
文遊社より「プレミアム・コレクション」鈴木いづみ著
森田健さんより「運を良くする王虎応の世界」森田健/山川健一著
角川書店より「免罪符に」目黒条著
兵庫広報課より「ひょうごの『力』」兵庫の地域力研究会編・著
小学館より「新宝島」「豪華限定版・新宝島」酒井七馬・手塚治虫著

3月11日
ソウルに通稱「整形通り」という通りがあって、そこには200の整形医院がある。その通りには同じ顔をした女性にしばしば会うという。仮に一日に一人整形したとすると200人の整形美人が誕生する。一ヶ月で6000人という驚くべき数の整形美人が生まれる。一年で7万2千人になる。十年で72万人だ。その内世界一の美人大国になるのも時間の問題だ。

3月9日
今日発売された「文学界」(4月号)に「ぶるうらんど」後の小説「ポルト・リガトの館」(100枚)を発表しました。舞台はスペインです。この作品は三部作になるつもりで、二部目を書き進めているのですが、途中でストーリーの変更がでてきたので、しばらく放置しています。2月は休息したので3月から絵の制作に入ります。絵を描き出すと小説が書きたくなるに決まっています。その反対もしかり。毎月都内のY字路の写真を撮りに出掛けますが、写真は絵とも小説とも絡みません。何故かな?絵も小説も写真を相手にしていない感じです。相手にされていないだけに実に気軽に撮れます。

3月6日
韓国で毎晩テレビをみたけれども、日本のようにお笑い系のタレントが出て騒々しくしゃべりまくるような番組は一本を見なかった。チャンネル数が物凄く多いがその大半は外国映画だったり、自国のドラマだったり日本のNHK(?)の番組だったり、スポーツトーク(真面目)だったりで、日本よりうんとレベルが高いように思えた。帰国して日本のテレビを見るとあまりにも幼児的(アートもそうだが)でうんざりする。今回、個展のための記者会見や取材を沢山受けたが、突っ込んだ質問が多く、エキサイティングだった。とにかくインテリィが多いのは事実である。私の中の個の追求よりも私と社会の関係に強い関心が向いているように思えた。

3月5日
韓国から帰国して羽田に着いたら、日本人が全員韓国人に見えた。高速から見るビルも韓国の風景に見えた。帰宅して長男や長女、事務所のスタッフの顔を見たら、皆んな韓国人に見えた。

○本日送られてきた本
影山優理さんより「POW WOW」EDITED BY REED

3月2日
ソウルの”アラリオン・ギャラリー”はソウルで一番のギャラリーだそうだ。元は銭湯だったという。ぼくは銭湯によほど縁があるらしく東京のスカイザバスハウスに次いでソウルでも同じパターンだ。スペースも日本のギャラリーに勝る。一点ずつの作品が強いから、スペースをたっぷりとったミニマルな展示にしたという。2階のスペースには60年代のピンクシリーズの絵画の反復作品とY字路の版画を展示。ニューヨークのギャラリーから送った作品は全部着いていたが、東京からの作品がまだ未着だけれども空間が違ったり、都市が異なったりするだけでかなり違った見え方がする。作品が移動することで作品は次第に多様性を帯びてくるように思える。

ソウルの旧市街は起伏が激しい所に位置しているが、今でもかつての伝統的な様式の建物が軒を連ねていて、ノスタルジックな感情をかき立ててくれる。ここには現実と分離したもうひとつの時間が流れている。そんな一角にアラリオン・ギャラリーがある。それに嬉しいことはこの地区にはいくつかのY字路があった。
韓国料理といえば焼肉とばかり思っていたら、とんでもない。実に多様な種類がある。宮廷料理から家庭料理までグルメでなくとも好奇心をかき立てられる。

3月1日
国内旅行は好きだけれど海外旅行は極力避けてきた。去年の香港の展覧会の時も、昨日書いた韓国もスペインもその前もメキシコとブラジルの時も結局遠くてメンドー臭いので断ってきた。昔はよくどこでもヒョイヒョイ一人で出掛けていたが、そんな自分はもうぼくの中ではすでに死んでいる。この後ギリシャの話もあるが、ギリシャだけは行ってもいいかなと思っている。でも昔に比べれば好奇心がなくなりつつある。好奇心は下手すると欲望や依存心につながるからねえ。年を取っても好奇心!という風説は間違っていると思うよ。


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