4月30日
3日間飲み物と果物だけでまるで断食をしているようだ。食欲があっての断食はつらいけれど、食欲がないので自然に断食ができる。病気と修行の区別がつきにくい。

病気で食欲がないというのはちっともつらくない。この状態がもう少し続けば腸が空っぽになって宿便さえなくなるのでは。正に断食の効用でメタボ解消だ。

◯本日の贈本
宮沢みちさんより「幸運がやってくる!スピリチャルな朝の習慣・夜の習慣」
宮沢みち著
二玄社より「岡本太郎と日本の祭」川崎市岡本太郎美術館編
青土社より「世界コミックスの想像力」小野耕世著
六曜社より「倉俣史郎着想のかたち」鈴木紀慶著
すばる舎リンケージ「憲法がしゃべった」木山泰嗣

4月29日
昨日から突然下痢に襲われました。滝のように体内の水分が全部出たかと思うほどでした。なんでもウィルスによるものだそうで、2、3日で治まるようです。食欲がなく、テレビで食べ物が映ると気持ち悪くなります。これが心身の浄化になることを期待しています。

近日中に5月10日以前筑摩書房から「芸術ウソつかない」の対談集が発売されます。対談者は井上陽水、吉本ばなな、細野晴臣、中沢新一、増田明美、唐十郎、瀬戸内寂聴、引田天功、三宅一生、ビートたけし、篠山紀信、河合隼雄、鶴見俊輔、福田和也、横尾美美の15人。

随時内容については紹介する予定です。

井上陽水さんとは話すのが初めてだけど、この対談を読むといつでも会っている感じだ。対談のあとしばらくポストカードのやりとりをしたけれど、陽水さんがメールの方が便利だという。郵便がいいよという。メール教えてあげるよといったけれど面倒臭くてね。

4月28日
◯本日の贈呈本
河出書房新社より「岡本太郎爆発大全集」椹木野衣監修

4月27日
◯本日の寄贈本
水声社より「海辺のネコ」アグニェシュカ・ウサキェヴィチ作
照沼晃子さんより「保育が変わる!0歳からの造形遊びQ&A」
照沼晃子/平田智久著
平凡社より「ジョセフ・クーデルカ=プラハ侵攻1968」
奥田實さんより「建築(環境)とやきもの、そして信楽」
紫香楽トリエンナーレ推進機構

ゴールデンウイークはお絵描き三昧ができるので、嬉しいけれど事務所の野良猫対策が面倒だ。彼らは近所の家を廻っているらしいが、どうも拠点はウチらしいのだ。顔見知りだけで5匹はいる。誰がエサを食べたか、食べてないかがわからない。絵も難しいけど猫も難しい。

昨夜、3回ドスーン、ドスーン、ドスーンと大きい縦揺れを感じて目が覚た。テレビをつけたけれど地震情報はない。やっぱり夢だったのか。

「絵は下手であるべきだ」とわざわざ岡本太郎に言ってもらわなくても絵は日に日に下手になっていく。以前は下手に描こうと努力したけれど、今は努力しなくてもよくなった。

加齢と共に努力をしなくなる。また努力する必要もなくなる。そして次第に努力など不必要で無駄だということが分かってくる。

そして不思議なことに年を取ると考えること、することが科学的になってくる。

4月26日
地震に負けず、横浜トリエンナーレは開催が決定しました。今日、会場になる横浜美術館の展示空間を下見に行ってきました。市長、館長、今回のキュレター全員が女性です。ぼくも女性原理とアンファンテリズムを動員させます。

新作14〜15点出品する予定です。久々の新作と久々のシリーズ作品です。新作はいつも不安です。そんな不安が絵を描かせるのです。

4月24日
アトリエが半ば森の中で、横っちょが遊歩道で崖下まで小道がぐねぐね這っている。そこを降りると野川を取り巻く公園がある。公園に点在するベンチで文を書いたり、読書をする。今日は今年一番の快適。頭上の青空を見上げていると海の底にいるような感じになってきた。

ぼくを呼ぶ声がして振り向くと、電動自転車の土屋嘉男さんがビデオカメラで野川の自然を撮って、編集し、音楽をつけて楽しむという。わざわざ隠居宣言をしないで立派な隠居老人を生きているのはエライ。

アトリエ内も温室なので絵を描いていても眠くなる。窓の外は森の樹木なので山小屋にいるようだ。冬は枯れ枝の間から富士山が見え、夏は密林の葉陰から、アンリ・ルソーの密林の絵そっくりの真っ赤な夕日が見える。猿はいないけれどね。

ぼくは子供の頃から自然を相手に生きていたから、自然から離れて絵は描けない。霊感の源泉は全て自然と肉体性がある。

4月23日
2ヶ月ぐらい掛けて、描いた絵がやっと今日描き上がった。もうくたびれ果てた。こんなに時間を掛けるといいのか悪いのか自分でもわからない。「こんなのができちゃった」という感じである。

かと思うと、どんどん出来上がる絵もある。あんまり早くできるので、これもまた、いいのか悪いのかわからない。自分で評価できないので、見る人におまかせだ。

いづれにしてもこれらの絵は誰かギャラリストに早くアトリエから持ち出してもらいたい。

4月22日
◯本日の寄贈本
平凡社より「別冊太陽/名僧でたどる日本の仏教」
事務所の周りの野良猫が室内に入りたがって、家猫になろうとしている。黒タマは小さいくせに、後からきた大きい猫に自分のテリトリーを守るために、えらい威嚇している。先住民族と侵略者の戦いだ。

4月21日
阪神大震災を経験した人が被災地から大阪に行った時、大阪の華やいだ街を見て、「これは何か違う」と感じ、一刻も早くわが家のある被災地に帰りたいと思ったそうだ。大阪が幻想に見えたのだ。われわれはもしかしたら幻想の中に住んでいるのかも知れない。

4月20日
4・5日、不眠気味だったけれど、昨夜は気合いを入れて寝たら、7時間たっぷり眠れた。まあ気合いと共に気絶したようなもんだけど……。

4月19日
◯本日の寄贈本
講談社より「40歳の教科書NEXT」
朝日新聞に連載されたインタビュー集で、登場人物は青木功、庵野秀明、池谷裕二、下園壮太、清水康之、菊池聡、東ちづる、斎藤環、綾戸智恵、亀山郁夫、橋本聖子、横尾忠則、以上。

今でもしばらく振りで会う人との間で挨拶代りに交される会話は地震の当日の体験報告で始まる。未だに余震が続いているので地震は「終った」という感覚が誰にもないようだ。

ここ5、6日夜中に目が覚めて、そこで本を読んでみたり、テレビを観るクセがついてしまって、その後の2度寝ができないまま朝までウトウト。どうも頭の片隅に穴が開いていて、そこから雑念が出入りしているらしい。

悲しいことには呆然として涙も出ないが、嬉しいことには涙が出る。

ぼくが坐禅を始めたのもアメリカに行く度に知識人から禅についての質問をされるので、本の知識では浅いので禅寺に一年間参禅した。––が、その後アメリカ人は誰も禅について聞いてくれなかったので一寸がっかり。

キーンさんが名誉教授のニューヨークのコロンビア大学で講演したことがある。キーンさんの影響か、日本文学や芸術についての知識は驚くばかりで、ぼくは今まで外国人から学ぶ「日本」は多かった。

この前にも書いたけれど、ドナルド・キーンさんがいよいよ日本永住の手続きを取り始められたが、「日本が大好き」なキーンさんは、今回の地震で意を決したとのこと。日本から引き上げる外国人の多い中で、キーンさんの帰化は朗報だ。世界中に報道してもらいたい。

ぼくは一日の内にできるだけ変化をつけるようにしています。読書の場所も喫茶店、公園、アトリエという具合に。絵も同じです、一日に三種類の作品に筆を入れます。自転車に乗ったり、歩いたり、時に洋服や帽子の種類も変えます。音楽も色んなジャンルを聴きます。変化を生きるためです。

4月18日
ぼくは一日の内にできるだけ変化をつけるようにしています。読書の場所も喫茶店、公園、アトリエという具合いに。絵も同じです。一日に三種類の作品に筆を入れます。自転車に乗ったり、歩いたり、時に洋服や帽子の種類も変えます。音楽も色んなジャンルを聴きます。変化を生きるためです。

4月17日
昨日公園にいたら急に雨が降ってきた。雨に負けないくらい桜の花も降ってきた。雨の桜降る中をアトリエに走って帰る。走るといたって60代の頃に比べると早足程度だけどね。

僕は歩くのは結果早い。若い人並みだ。だけど似合わないので、ゆっくりと落ちついて歩くことにしている。似合うことは結構大事なんだ。

4月15日
◯本日の寄贈本とCD
糸井重里さんより「羊どろぼう」東京糸井重里事務所
細野晴臣さんより「HoSoNoVa」(CD)ビクター・エンターテイメント
書物などを読めば頭では理解できるが、ぼくは全て自分の肉体を通して体験しなければ自分のものにならなかったので遠回りをしてもそうしてきた。独学は哲学を生む。

当時ぼくは精神世界のボヘミアンだったが、「今ここに」の答えは全て絵画制作の中にあることに気づかず、外部にその答えを求めていただんだ。

1971年にアメリカで出版された「BE HERE NOW」(今ここに)を引っぱり出して読んでみた。ヒッピーの間でバイブル的存在だった。ぼくにとってはこのスローガンに惹かれて座禅を始め、インドに7回旅をした。

地震・津波と原発事故のあと大勢の人がマスクを付けているのが目立つ。ぼくもマスクをして外出するが、放射性物質の飛来を恐れているわけではないが、地震以前からマスクをしている。顔が寒いからだったが、今はなぜだかわからない。

4月14日


4月13日
風があったが天気がいいので公園のベンチで読書。また地震!風にも負けず、地震にも負けず、肩こりに負けた。

◯本日の寄贈本
平凡社より「呪の思想」白川静+梅原猛/「仏の発見」五木寛之+梅原猛

4月12日
昨日に続いて今朝も地震。それにしても震源地が徐々に南下してきているのが東京に住む人間としては不気味だ。これでまた買出しに走る人が出ると困る。冷蔵庫に入らないほど買いだめして、賞味期限が切れ出して困っているらしい。自制心を失った人は狂気に走りかねない。

そろそろ米が切れる頃、山形から送ってもらっていたのが地震で来なくなり、残り米をおかゆにしたのが病みつきで、中華料理店でもおかゆを注文してしまう。ドロッとしたおかゆよりは水分の多いサラッとしたおかゆが好きだ。気のせいか地震前に悪かった腸も、前立腺も回復した。

地震で改善したのは夜の制作を電気を必要としない昼間の太陽光線を利用したのと、それと公園を青空書斎としてふんだんに利用しているけれど、これは健康と一挙両得。

4月11日
まだ外が暗い早朝、寝室の窓のカーテンを開けると雪だ、と思ったら庭の桜が散っていた。エンピツのような桜の苗木を2本植えたのが今や巨木となって庭全体を覆う天蓋だ。

複数の絵を同時に描いたり、複数の本を同時に読むと集中できるけれど、一点づつ、一冊づつじゃ、何故か気が滅入る。拡散されて始めて頭が統合される。単に気が多いからかも知れない。

一つのことに集中すると妙なエゴが生じるけれど、複数になるとエゴが拡散されて、いい意味で無責任になれる。つまり、責任を取る必要のない遊びに向かうことができるからだ。

4月10日
食べる物や食堂、レストランも反復ばかりで、能がないよ。全く。でも反復は過去に向かう振りをしながら、確実に未来に前進しているんだよ。

ぼくの作品の主要傾向は反復合戦だ。これはデザイナー時代から変わらないぼくのスタイルだ。だって人生そのものが反復なんだから当然だ。

そう、そう「週刊読書人」という新聞に連載を始めた。そろそろその第一回目が出るんじゃないかな。自作の主題と様式についてのエッセイだけど、このことは以前ツイートしたかな?年令と共に同じことを何度も反復してしまう。

長い間本屋に行っていない。新しいものを追っかけていると心が落ちつかない。わが家の蔵書は古本屋以上に古い本が山とある。それを少しずつ崩していこうと思っている。読んだ本も読んでいない本も今や区別はない。美味いものは何度食っても美味しい。

4月9日
そういえばぼくの自伝のタイトルは「波乱へ」だった。この自伝は未完だが、こんなタイトルをつけたのはさらにこの先の人生も波乱であるようにという祈りのつもりでつけた。平穏無事の人生なんて自分に似つかわしくないからだ。

もしかしたらぼくの読書の大半は伝記や自伝が中心だったように思う。人の人生は波乱に満ちている。なにもしなかった人でさえその内面は波乱だったりする。有名、無名問わず人物伝ほどぼくをエキサイティングにしてくれるものはない。

今日は油絵具が乾くまで、王貞治さんの自伝を読んでいた。ジャンルは違うが人の自伝から学ぶことが多い。自伝は物語であり歴史であり、時にはバイブルになることもある。そしてかつての自分の子供時代、青春時代へと回帰させてくれ、若さを注入してくれる。

4月8日
もういつ地震があっても不思議ではなくなった。昨夜は寝ていたが、起きてドアを開けたりした。テレビで結果を見て、また眠った。居直ったのか朝まで熟睡した。いつの間にか体が地震と共存し始めている。

地震にも腹が立つが、満開の桜を台無しにする強風も腹立たしい。

ウェッセルマンのコレクターからのコミッション・ワークの絵がやっと完成。 ウェッセルマンの絵があるウェッセルマン風の室内に60年代のぼくのピンク・ ガールを登場させて画中画に仕上げた。

横尾美美が明日オープニング、本人が会場にいます。コウイチ・ファインアーツ(西区江戸堀1-7-13 喫茶山登寿2階、Tel:06-5444-1237)4月9日(土)-30日(土) 4月9日(土)17:00~19:00

4月7日
○本日の寄贈本
篠山紀信さんより「元気な時代、それは山口百恵です」(講談社)

地震以来、初めて都心に出て、夜になって帰ってきた。ビルの明りも街頭も消え、非現実的な東京だったが、どこかぼくの記憶の中の東京という感じだ。最初は怖い感じもしたが、やがて、この暗い東京の方がしっくり馴染んできた。「自然」が戻ってきたという感じである。

今日はちょっと絵の描き過ぎか右手が痛い。腱鞘炎にならないようにしよう。手を休めたからといって絵から心が離れたわけではない。

4月6日
アトリエが温室のように暖かくなってきたので、制作の手を休めて野川の公園に散歩に行く。ベンチでココアを飲みながら谷崎潤一郎の「少将滋幹の母」を読む。近くに足を骨折した黒い犬がきて、飼主がさかんに芝生の上に横たわっているところを桜の木を手前に入れながら何枚も写真を撮っている。病院でも見離されているそうで、今日は天気がよく気持ちがいいので犬にもそんな雰囲気を味あわせてやりたかったとの事。すでに10年生き、寿命も来ているそうで、そんな愛犬の生前写真を撮っているのかも知れない。

○本日の寄贈本
平凡社より「別冊太陽=長沢芦雪」監修=狩野博幸
青土社より「アウトサイダー・アート=芸術のはじまる場所」ディヴィッド・マクラガン著
みすず書房より「ジョルジョ・モランディの手紙」岡田温司著

4月5日
野川の青空書斎で読書しながら、頭上の青空背景に桜の写真を一枚。成城の桜祭りは自粛とか。勝手に愛でるのは自由です。

この間細野さんがアトリエに来た時、彼のポートレイトを撮ったんだけれどそれをCDの中に入るライナーノーツに載っけたいそうです。絵は彼の肖像権の許可を取ってから岡山と高知の美術館の個展に出品するつもりですが、まだ本人の許可取ってなかった。

4月4日
今日も土屋嘉男さんと町でバッタリ。誘って食事に。昔の映画の話をしてくれるのを聞くのが楽しい。黒沢映画と宇宙SF映画の常連俳優で、特に内緒のエピソードが面白いのだ。

昨夜も一昨夜も地震の夢を見る。そーいえば昔はよく見ていた。今は現実的過ぎて夢とは思えない。

横尾美美展、初の大阪展(新作)です。コウイチ・ファインアーツ(西区江戸堀1-7-13 喫茶山登寿2階、Tel:06-5444-1237)4月9日(土)-30日(土) 4月9日(土)17:00~19:00 オープニングレセプションにどうぞ。

Deux chats du serval sur un sofa rouge
2010年
90×100cm
ミクストメディア/アクリル/キャンバス
 
  Le lac de cygnes a la crème(未完成)
2010年
116.8×91.0cm
ミクストメディア/アクリル/キャンバス


4月3日
昨夜、急に具合が悪くなって向かいのクリニックで時間外診察をしてもらう。先生の顔を見て、話をすると元気になる。こんなことをここ数年繰り返している。が、今日マッサージに行ったらマッサージ師もぼくと同じ症状が長い間続いたという。若い頃に起こらなかったことが起こるのだ。

夕方、やや大きめの地震があった。今までだったら怖かったが、逆に腹が立った。いい加減にしろと言いたくなった。地震に対して挑戦的になってきた。

救急車のサイレンが近づいてくると、自分の所にくるのかとつい思ってしまう。それほど何回も救急車で搬送されているからだ。

細野晴臣さんの肖像画がやっとできた。両性具有者としての彼。タイトルは「ハーレム・ミュージシャン」。このことはまだ本人は知らない。

重苦しい日常がこのまま普遍化するのはよくない。仕事や行動で吐き出すしかない。創造は吸収と同時に吐き出す行為です。

延期になったART FAIR TOKYO 2011が開催されます。7月29日(金)、30(土)、31(日)に決定しました。詳細は後日お知らせします。

4月1日
米軍とイスラエルの医療チームが被災地で献身的で涙ぐましい救助活動をしていた。現地の人たちも涙を流して感謝していた。このような感動的な映像が被災者にもわれわれにも本当に勇気づけられ、励みになる。

今日は根をつめて絵を描いたので頭と肩が凝った状態で少々息苦しい。描きだすとつい、夢中になって休憩を取るのを忘れてしまう。無理のできる年令ではないので、体を労らなきゃ。

玄関の外の瓶の中のメダカは地震で、水が大量に流出し、そのあと泥のような水になった。一週間しても水が濁ったままだったが、やっと透明になった。見るとメダカの親子も生存していてホッとした。

◯本日の寄贈本
山川紘矢さんより「死ぬのが怖いあなたに」山川紘矢著(イースト・プレス)


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