2014年6月30日
6月27日誕生日の前日入院する羽目になってしまいました。——なわけで川崎市市民ミュージアムのオープニングは欠席してしまいました。セレモニーの最中に胃の内視鏡を受けていました。どこが、何が悪くて倒れたかはまだ不明です。しばらく入院生活です。

川崎市市民ミュージアムのオープニングに来ていただいた方々にはお礼とお詫びをいたします。わざわざ来ていただきながら顔も見せられず大変失礼しました。会場写真などで、どなたが来られたかは知ることができました。退院後、ご連絡します。

入院中、時間があると死んだ猫の絵を描いています。今3点目で、計9点かな? まさかの猫シリーズです。

老齢になると、体も頭も老朽化します。その速度が早いですね。それと周囲の知人が次々と急いで逝きます。今年になって半年で13人です。

2014年6月25日
手持ちの仕事をなくして何もしないとどうなるのだろう。そのような生活に近い日々だ。心身のチェックに病院通いが唯一の仕事かな?

死んだ猫のタマへのレクイエムを描いているけれど、アートとしてではなく、供養画だから評価の対象外だ。

デスマスクの絵を入れて7点目の猫絵を描いている。一体全体猫絵は最終的に何枚描くんだろう。猫への愛が絵画への愛を超える?!

2014年6月24日
肖像画110点したけれど体調崩しています。そこに猫の死が重なり、躰が躁鬱的です。

昨日、南天子画廊(http://www.nantenshi.com/)横尾美美の個展オープニング。期間7月19日まで。

6月27日より川崎市市民ミュージアムで「横尾忠則肖像図鑑」展。9月23日まで。

2014年6月18日
「古い」というと、終ったみたいだ。じゃ「新しい」のがいいのか、というとそーとは限らない。ぼくは普段「古い」ものに「新しい」ものを発見する喜びがある。でも自分の中に何十年も巣食っている「古い」ものにはやりきれない。それと因縁を結んでしまうからだ。

自分にとって新しいものとは何だろう。他人はともかく、まだ自分が未経験なものは全て新しいのかも知れない。

愛の対象である死んだ猫の絵を描く。愛の対象は絵になりにくい。絵は冷徹な目が必要だが、ペット・ロスの感情移入が邪魔をする。ただの可愛いきれいな絵は描けるけど、これは「絵」じゃない。「私」を追放する力が必要。

岩波書店から「絵画の向こう側・ぼくの内側」(岩波現代全書)が19日頃から店頭に並ぶ。4年振りの単行本。「絵画の向こう側」とは芸術をはずした世界のこと。

2014年6月17日
やっと110点の肖像画描き上った。2月10日から描き始めたから単純計算で127日間、その間150号3点描いているので、まあ100日間、ほぼ毎日描いていたのかな。やれや、大仕事から解放。次は猫(タマ)の連作です。

2014年6月16日
カルティエ肖像画あと2点。本日中に110点完了見込み。此れ仕事にあらず、修行なり。

2014年6月13日
カルティエ肖像画あと6点。計110点になる。もう描くのは飽きました。職人は毎日同じことをしても飽きない。ぼくは職人じゃないのかなあ。

2014年6月9日
タマの死期が近づいていた頃から不眠になり、5月31日になった20分後にタマが死んだけれど、その夜は眠れず、その後ズーッと不眠が本格化している。タマは永眠、ぼくは不眠。

よく死者は生者の中に生きているという観念的な言い回しをするけど、次元を超えた者は本当にそこにいる。現実と、現実から分離された二つの次元は本来結びついているはず。だからこの二つは死者になれば往来できる。だから死は観念ではない。

肉体と精神が一体であることを一番実感する時は不眠になった時だ。

2014年6月6日
タマの最後の死に顔までの写真を集めたアルバムを作って眺める。このことは記憶することと、忘れることの両方のことをしているようだ。

今、一番知りたいことはタマが捨て猫としてわが家にくるまでの経緯だ。避妊手術がされていたので飼い猫の可能性がある。タマはどこからどんな風にしてわが家までたどりついたのか、そんなことが知りたい。

あの時、もしわが家に来なければ(または受け入れなかったら)タマはどーなっていたのだろう。わが家にとってはタマは光だった。タマが存在しない15年間のわが家は、今ではとても想像できない。タマ抜きのぼくの人生は存在するかな?

と考えるとふたりの必然的な運命だったように思う。ネコにもカルマがあるとすれば、また、こちらにもタマを与えられたカルマが作用したに違いない。あるいは今後も作用するかも知れない。

家中、タマの痕跡だらけだ。空気までもが。

2014年6月5日
視界の端にチラッと動くものを感じると、どれもタマかと思ってしまう。しばらくはタマの幻影と暮らすことになりそう。

あれからタマの肖像画また一点描いたのに、カルティエの肖像画は一点も進まず。あと17点のところまで漕ぎつけているのに。タマの絵なら何点でも描けるのに。

玄関にはタマのデスマスクの遺影を飾った祭壇を、庭には霊園(お墓)をこしらえた。そこを入口に出入りしてくれればと……。

野口和恵さん ふとあなたからの手紙がでてきました。見ると2年前にいただいたものです。住所もなかったので、ここで質問にお答えします。ぼくもその現象が何かわかりません。わからないものはわからないままでいいのではないでしょうか。

2014年6月2日
タマ死す。愛の対象の不在と喪失感に現実はあってないも同然。

家の中の事物、場所は全てタマと共有したものばかり。

この寂寞感はいつ失くなるのだろう。

前に飼っていたバーゴとミンネはしばしば絵の中で蘇った。ぼくのパンドラの函にまたひとつタマが加わった。一日も早く函を開けるべきだ。

タマの遺体をキャンバスに2枚描いた。キャンバスの中で蘇らせようとしているのだろうか。描きながら声なき慟哭を張り上げる。

タマの死がぼくに何かを終らせたような気がする。そして次なるゾーンに向かおうとしているのだろうか。今は何もわからない。

こんな個人的な感情は人に伝えるべきものではない。だけどつぶやかざるを得ないということかな?

タマは何をしにわが家を選んできたのだろう。われわれの精神と生活に奉仕するためだったのだろうか。こちらはタマに何を奉仕してやったというのだ。

タマとの15年間を回想すると、自分に関わるどんな現実もちっぽけなもので、どうでもいいことに思える。だけど現実は受け入れなければならない。抵抗すれば苦しいだけ。「方丈記」の気分。


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