★小説「ポルト・リガトの館」 3月10日(水) 本日発売開始!!!

★TADANORI YOKOO & BOHEMIANS 新アイテム登場!

3月9日
このブログを書いている最中にシャックリが出始めて止まらなくなってしまった。いつまで続くのかわからないのが、最初は面白がっていたが、どうも止まりそうにはない。ちょっと疲れてきた。以前高倉健さんが遊びに来られた時もシャックリをしてらしたが、いつも映画の撮影に入る時にシャックリが出るそうだ。薬を飲んでおられたので何日も続いているらしい。健さんが帰られて、二日後だったか沖縄から電話があった時、まだシャックリが出ていた。こんなに長い間シャックリが出ていると、シャックリが止まる最後ってちょっと興味がある。最後のシャックリは何を根拠に最後なんだろう。

○本日送られてきた本
大竹誠さんより「初めてデザインを学ぶ人のために」大竹誠著

3月8日
はこたゆうじさん
毎回送ってくれるあなたの絵を見るのが楽しみです。画集発刊おめでとうございます。ぼくの小説「ポルトリガトの舘」も今週中に出ます。あなたが言ってくれているように、ぼくの小説にはエッセイや日記のエッセンスが最もよく表れているように思います。そして絵とも対応しています。今年は絵に専念ですが、いくつかアイディアがあるので書きたくなれば書くかも知れません。それとモロッコのこと、なぜモロッコなのか自分でもよくわかりません。ただ行きたくなっただけです。

竹内信介さん
西脇市岡之山美術館の展覧会名「確想重積の光景展」は館長の命名でぼくも意味がよくわかりません。聞いてみて下さい。

田中小百合さん
今度の小説は全作「ぶるうらんど」の延長上にあるようにも思います。でも、独立した物語です。

目下ニューヨークのMoMAで「Shaping Modernity: Design 1880–1980」という展覧会が開催されていますが、現地の方、また旅行者の方、足を運んでいただくと嬉しいです。

○本日送られてきた本
国書刊行会より「冒険狂時代・ピピちゃん」/「ケンエ探偵長」/「サボテン君+快傑シラ」手塚治虫著
徳間書店より「プロジェクト・ペガサス」by ペガサス
和田誠さんより「ポケットに砂と雪」和田誠著

勝新太郎はある日シナリオライターとホテルのエレベーターに乗った。そこへエキセントリックな恰好をした女性が乗ってきた。勝新は非常に興味深く彼女を観察したが、一緒にいたシナリオライターはむしろ彼女から視線を外した。あとで勝新はシナリオライターに、「お前はどうして彼女を見ないんだ」と言ってえらい怒った。勝新は演技の基本は「見る」ことだといった。クリエイターであるシナリオライターが見ないとはけしからんと。ぼくは歩きながら、気になるものを見るとカメラのシャッターを押す。別に資料のためではない。プリントアウトする必要もない。「アッ!」と思ったものにシャッターを切るのは、その対象を体の中に移植させるためだ。こうすることで対象を記憶し体の中にスクラップして閉じ込めるのだ。ただそれだけだ。あとは忘れてしまってもいい。

3月7日
「天才・勝新太郎」という本を読んでいて、ふと昔のことを思い出した。勝新がハワイへの機内でパンツの中にマリファナを隠し持っていて逮捕されたために、キリンラガーのテレビコマーシャルの放映が禁止になった。そのことで急遽、ぼくのところと遠藤周作の二人にその仕事が廻ってきた。勝新のギャラ一人分をぼくと遠藤さんが分ける形になった。ビールの飲めないぼくを知りながらクライアントは依頼してきたのだ。CMのセリフは自分で作ることになり、ぼくは「ビールの飲めないぼくでも飲めるキリンラガー」というコピーを撮影現場で作った。面白いコピーだと思ったが、「飲めない」という否定文は困るといって、キャンセルになった。そこで次は「キリンラガーを飲んだら魂が飛んじゃった」というコピーを作ったら「こりゃいい」といってすんなり採用されて、放映された。このコピーはぼくのブラックユーモアだというのが誰にも気がつかれなかった。「魂が飛んじゃった」という意味は「死んじゃった」ということだ。「キリンラガーを飲んだら死んじゃった」と言ったのに誰ひとり気付かなかったことに、ぼくはひとりほくそ笑んだのである。今だから話そう。

3月6日
戦後間もなくの頃だった。本を開くと何ともいい匂いがした。あれは何の匂いだろう。最近の本はあまり匂わない。匂ってもしばらく嗅いでいたい本はない。一冊一冊全部違う匂いがするのが、この間手にした本は昔の匂いがした。子供の頃嗅いだ匂いそっくりだった。その匂いを連想する他の何かの匂いを探したが見つからない。やはり戦後の本の匂いだ。ぼくはこの本(タイトルを言っても意味がないので、あえて言わない)を読みながら何度も本を開いて鼻に持ってきて犬のようにクンクンと嗅いだ。本に限らず道を歩いたりして突然いい匂いが鼻をかすめることがある。そんな時、もう一度その場所に戻ってみるがその時は匂わない。あの香りは一体どこからやってくるのだろうか。気分が落ち込んだり、また逆に気分が高揚している時にフーッと匂う。すると気分が変化する。二日に一回位の割りで匂ってくるのだ。場所は特定しない。香水の匂いでも花の匂いでもない。過去からやってくる匂いとでもいっておこう。

3月5日
○本日送られてきた本
扇田昭彦さんより「蜷川幸雄の劇世界」扇田昭彦著

今日はいい天気だったので公園でエッセイを書く。自然の中の書斎は結構活用できる。その上陽に当たることで身体も健康でおられるのでは。川の水が少なくなっていて鯉のせびれが水面から出ているのがちょっと痛々しい。雨は嫌いだけど川の鯉が喜ぶかと思うと雨降りも嬉しくなることがある。

3月4日
○本日送られてきた本
朝日出版社より「西洋絵画のひみつ」藤原えりみ著

元匿さん
どうしちゃったのかと思っていたら、いろいろ考えることがたくさんあったそうで、ぼくもいろいろ考えることがたくさんありますけれど考えるのが面倒臭くてほったらかしにしていたらいつの間にか気がついたら解決していたり、大したことでなかったり、結局運にまかせるしかないんですよね。運に対して低姿勢になるのが一番いいみたいですね。ぼくのいろいろはこの間まで身体のことだったけれど、今は来月カサブランカとかマラケシュに行くことを考えています。この間からあまりテレビを観ないんですが、ふとつけたらモロッコの番組を2回も観てしまって、だんだんモロッコ、、モロッコと頭の中で繰り返している内にとうとう行く決心をしてしまいました。

3月3日
今日は暖かい。公園での読書日和だ。そのために本を2冊買ってきた。その一冊は貝原益軒の「養生訓」。何冊も持っていて、何回も読むんだけど、訳者が変わるたびに買っている。買うことがすでに養生訓の実践になっているのだ。

アトリエに向う時、目の前を歩いていた帽子にコート、スニーカーにショルダーバックとビニール袋(買物がいっぱい入っている)を持った白髪混じりに薄いサングラスの初老(?)のおばさんが、ぼくが追い越しそうになると急に5~6メートル走り出す。近づくとまた走る。道路に面した公園の近くになると公園内の抜け道をダッシュする。また近づくボク。また走るおばさん。またぼくの足を聞いたおばさんは走り出す。こんなことを10回ほど繰り返す。あんまり面白いので、どこまでもおばさんの後をついていってやろうと覚悟する。その内おばさんは走り疲れて倒れるかも知れない。と思ったらアトリエの隣の歯医者さんに入ってしまった。

オリンパス主催の「クリエイティブ・フォト・コンテスト」の第一回目の審査をすることになりました。詳細は下記オリンパス・ペンのホームページをご覧下さい。
http://fotopus.com/style/photocon/

○本日送られてきた本
平凡社より「松本清張=黒の地図帳」/「白子正子=十一面観音の旅」別冊太陽

3月2日
オノ・ヨーコさんがアトリエに遊びに来られて、夕食をしながら4時間あれこれマクロから、ミクロまでの話しをする。いつも彼女といると時間の外に出ているようで、中々帰還ができなかったりする。チェコの国立モラビアン・ギャラリー(美術館)での個展のミーティングに来ていた館長、学芸員、大使館の人達がヨーコさんの来訪で、びっくり仰天。ヨーコさんの海外での知名度の偉大さを目の当たりにした感じだ。ぼくがびっくりしたのは別のことだが、40年前から行方不明になっていたピンクガールの1966年作「テレビ」がなんとヨーコさんの手に渡っていた。いつ海外に流出したかわからなかったけれど、まさか彼女のコレクションになっているとは!!絵の運命の不思議さを見せつけられた感じだった。


アトリエにてオノ・ヨーコさんと
○本日送られてきた本
木村永遠さんより「おにぎりはすりすり」にぎにぎ著

やっと、小説集二作目「ポルトリガトの館」(文藝春秋)の見本刷が出来た。表題作の他に「パンタナールへの道」と「スリナガルの蛇」も収録されている。この三篇は別々の物語だが、それぞれの頭と終わりの部分で連鎖している。他にも共通したイメージがある。物語の舞台はスペイン、ブラジル、インドと南方の旅で遭遇する世にも不思議な「現実」の話である。現実ともうひとつの分離した現実が交差することで能の世界を再現させて見たかった。前作「ぶるうらんど」の第三章目がそうだ。是非読んで見て下さい。そして感想を寄せていただくと嬉しいです。発売は3月10日。


○本日送られてきた本
平凡社より「健康問答」/「養生問答」五木寛之・帯津良一

3月1日
文章のプロはそんなことないのかも知れないけれど、ぼくは文章など書いて、校正もするのだけれど、それが印刷物になって商品、製品になって、社会化された途端、書いた文章のアラやミスが見えて、ああすればよかった、こう書けばよかったと思うのである。まぁどうでもいいことだけれど。

人間はどうでもいいことにコセコセするが、アートはそんなもんを突き抜けた存在でなければならない。技術がどう、美がどう、何をテーマに、なんて言っている間はあきまへんなぁ。どうでもええという境地にならんとあかん。

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