2014年8月27日
もう8日間も郷里にいる。20年近く住んでいたことを思えばたった8日間だ。郷里もぼくも変ったと思うが変らないのは同級生の気持で、一気に時間をゼロにしてしまう。だから郷里なんだ。同級生が一人もいなきゃ郷里といえるかな?

オノ・ヨーコさんは郷里がないという。東京の家は人手に渡っている。ぼくの実家もないけれど、同級生がいるからやっと郷里なんだけれど、ヨーコさんも終の住処を探さなきゃという気持があるようだ。

絵が描ければ、そこが終の住処かな? だったらどこでもいいや。

絵を描かない日がかなり続いている。郷里にいるとここが絵の中の世界なので描かないのかな?

2014年8月25日
西脇に来て6日目。毎日リハビリのピンポンで汗を流しています。西脇には有名な黒田庄肉がありますが、野菜中心の食事です。街の写真を撮りまくっています。

西脇近辺の町にも土砂災害注意報がでています。とにかく滝のような集中豪雨が降ります。年に一度の「織物祭」も中止になるほど。

「織物祭」の初日には花火見物に行きました。遠い子供時代の記憶のあぶり出しを見ているような感じ。

毎日、頭を使うようなことは一切やってません。
2014年8月22日
郷里西脇で静養兼ねて、長年の念願の作品のプランを実行する準備に入っている。2〜3年かかるかな。その時は80代だーッ。
美術館の館長好岡さん、学芸員山崎さんと市内の記憶の場所の写真を撮りに。すでに消えた記憶の場所と現在の場所が重なり合って、まるで場所の亡霊に出会っている感じ。
こちらも年を取ったが郷里も随分年を取ったね。でもどんどん輪廻を繰り返してぼくの知らない郷里に転生していく。

2014年8月19日
明日から故郷に行くことにした。いつか故郷をテーマにした作品(シリーズ)を考えていたのでその準備に。子供の頃の記憶と体験、そして現在。2〜3年かかるかな? それをじっくり、ゆっくりと。
夏になると想い出すのが郷里。ほとんどが夏の記憶、戦時中を含めて。

2014年8月13日
タマが死ぬ数時間前、15年間一度も行かなかった通りに面した門のそばに行った。この間見た夢はこの現実の風景から始まった。道路を抜け、向いの草むらに飛び込んだ。(実際にはそんな体力はない)そしてぼくの背丈ほど高く宙に舞った。道路が三途の川、草むらが黄泉の国に見えた。

絵が描けない状態が続いている。一層のことタマの肖像のシリーズの続きを描こう。そーすると他の絵も描けそうな気がしてきた。




2014年8月8日
何もしない日が何日も続く。特に依頼仕事がないからだ。というより依頼仕事は受けないからだ。何もしない、何もしたくない日が続くと躰が怒り始めるのがわかる。それを焚き付けることによって、やっと何か(絵)しようという気持ちになる。

怠けることも、新しいことをするのに必要だ。だから決して怠けてはいないのだ。

老境になると時間が過ぎるのが早いという。そんなことない。死の接近にあせっているからだ。死のことを忘れれば時間はたっぷりある。

絵が描きたくない時は他人の作品(画集)を見ると、急に描きたくなる。完成した名作よりも未熟で未完っぽい作品を見ればその続きを描きたくなるものだ。伝統の継承とはこうして生まれていくんじゃないかな。

2014年8月6日
「新潮」9月号が出ました。「猫が死んだ」というタイトルで保坂和志さんと対談しています。

2014年8月4日
シマッタ! ツイッターにオノ・ヨーコさんとの2ショットを載っけようと思ったら、彼女に先にやられてしまった。ヨーコさんのツイッターを見て下さい。

河口湖でした卓球が健康時の肉体の記憶を呼び覚ましてくれました。これからの生活に卓球を取り入れなきゃと考えています。

外食で塩分の少ない食事は難しい。何かいい方法はありますかね?

来日の度にオノ・ヨーコさんが遊びに来てくれる。思考も肉体も若い。そのエネルギッシュな行動力は自分を老人とは思わないところかな? 根底にある愛と想像する力への信頼だろうなあ。

生きている間は一度も見なかったタマの夢を死んでから2ヶ月の間に5回も見た。このまま見続けられたら、生きている時と変らない交流ができそう。

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