2024年10月31日
「Y字路」といえば僕のライフワークです。なぜなら誰もこの存在に気づいていなかったので、僕はY字路を僕の芸術論にしました。ところが最近、僕のY字路のテリトリーに分け入って、本まで出した人がいて混乱させています。

それをまた、新聞があおるような記事を書いて、面白がっているようにしか思えません。芸術は人のテリトリーに入るべきではないのです。芸術の生命はオリジナルです。

僕が初めてY字路を絵画化したのは24年前です。誰かがすでにY字路を発見して作品化していたら僕は止めるべきだと思ったのです。ところが世界中で誰もが手をつけていなかったからら絵画制作に入ったのです。

夜にビデオで見るつもりだけれど、ドジャースが勝ったんだね。ジャッジがエラーしたとか、満塁で大谷が三振したとか、2人のスター選手は見せ場がなかったわけね。騒がれることで負のエネルギーが作用するってことあるんだ。

7戦まで予定があったんだから、試しに残りの2戦ファンサービスで戦うというのも手じゃないかな。あと2戦のチケットを買っている人もいるんだから。

それにしてもフリーマンは「自由人」だね。フリーマンもジャッジも2人共西部劇のカウボーイみたいなルックスだよね。

今年もあと2ヶ月か。4月の世田谷美術館の個展まで半年。カタログを作ったり、なんやかや忙しくアッという間に歳も取っちゃう。若い頃と違って老齢は早いんだよね。本当に光陰矢の如しだね。

デ・キリコが形而上絵画を一時描いていたが、晩年に再び同じモチーフで、今度は「新形而上絵画」と名付けて精力的に再び描き出したように、

僕も「Y字路」の晩年版として「新Y字路」を描くつもり。

2024年10月30日
この間からトレーナーに来てもらって夫婦でトレーニングを行っています。ゆっくり動作をいくつかのメニューでこなすのだが、汗をかいたり、時には倒れたりで、ゆっくりすることがこんなにキツイかと思うほどですが、軽くなります。

ぼくは絵に飽きているのですが、そんな気分を綴った「飽きることの美学」という本を年内に出します。つまり飽きることで自由を獲得するのです。

世田谷美術館での個展作品、あと2、3点描くつもりで、この間郷里の西脇に行ってきました。この展覧会が終ったら、次は「新Y字路」を描き始めます。

新Y字路は以前のY字路を発展させたものでどんなものになるかわかりません。描いて初めてわかるのがいつもの僕のやり方です。

最初に計画や、結果や目的を設定して描くのが絵かも知れないけれど、そんな面倒臭いことなどしません。

考えることを放棄して、考えないことを受け入れて描くのがぼくのやり方です。

絵は考えて描くものではなく、如何に考えないで描くかが絵です。今の現代美術の逆行を行くのが僕の現代美術です。

考えないであの境地に到達するという禅のレッスン(修行)から学んだものです。

2024年10月29日
土曜日の朝日新聞の書評は左右逆転の鏡文字。「鏡を使って読んで下さい」の指示に対して、スマホで撮ったものを左右反転して読んだとか。さすが!!!
僕はスマホを使用しないのでこの発想にびっくり。

朝日新聞の社内的には「今までの内で一番過激!」という意見があったそうです。そうか、天地逆転より過激だったのは、まともじゃ読めないですよね。

再来週の書評も、又、何かをしましたよ。過激というのではなく。

2024年10月25日
昨日は神戸のぼくの美術館へ。「レクイエム 猫と肖像と一人の画家」展を見るが、これがかなり面白い展覧会になっていた。60〜70年代に一緒に仕事をした仲間のほぼ全員が亡くなっているが、そのコラボ作品にはこの時代を知らない人も面白がってもらえるのではないかな。ぜひ足を運んで下さい。

夜は前兵庫県知事の井戸敏三さんと東天閣で夕食。あのうわさの斎藤知事ではないですよ。

今日は郷里の西脇へ。西脇には何十回もきているが、途中に雨が降っていても、着くとピーカン。今日も道中が雨、着くなり晴天に変る。

午後、同級生と鉄橋の下で会って記念写真。特集番組の取材で来春放映の予定。

コロナ以後の長旅だけれど、今のところは息切れがするが倒れていない。やはり郷里のエネルギーは身体に合う。このあと、岡之山美術館の前庭に実家から植樹したカイズカイブキを見に行く。

2024年10月21日
間もなく、1967年に発刊された最初の作品集「横尾忠則遺作集」の復刻版が出ます。

同時に超大型60年代のポスター集も予約限定出版。何10万円もする高い高い本で、僕もちょっと買えませんね。

今年から来年にかけて画集などエッセイ集、日記も沢山でます。台湾からは日記も。小説「ぶるうらんど」が目下アメリカで出版されそう。

イギリスのテームズ&ハドソン社から超大判の画集も出ます。

美術評論家のエドワード・ゴメスさんが僕の伝記の執筆に入りました。日本版も出る予定。

吉田カバンから5、6点のアートカバンが来春発売。目下思案中。

2024年10月18日
世田谷美術館の個展作品、只今55点。あと5点計60点年内に完成。その一部を公開しますが、この1点で全体の予想不可能です。どんどん変化していきます。

絵は日に日に変化します。どこに向かうのか進むのか作家にも不明。目的も計画も大義名分もありません。もちろんコンセプトもありません。こんなんが出来ましたんやけど。これが全て。

私の中の複数の私が描く、私ひとりのグループ展ってとこかな。

おとといは久し振りに歌舞伎座の歌舞伎観賞。入口で待機してくれていた尾上右近さんは僕のデザインのTシャツを着てくれていた。

劇場内では久し振りに富司純子さんに会う。お互いに「変わりませんねぇ」と話がはずむ。ご家族一家総出演は見ものでした。

右近さんひとりが舞台を見事にコントロール。さすが。

歌舞伎座の牛めし絶品でした。

今日は世田谷美術館の塚田さんが来訪。いよいよ展覧会のプレス関係への資料発送準備が始まる。

週刊新潮の連載エッセイ、書店で立ち読みでもいいです。毎週読んでみて下さい。老齢向きだけど、若い人もいずれ老齢になります。

土日、祝日はXは休息日。

来週は神戸の横尾忠則現代美術館へ行きます。そのあと郷里の西脇へも。


来年の世田谷美術館での展覧会のPRが始まります。今日PR作品を選びました。ますばこの1点です。

2024年10月15日
仕事の上では年末です。世田谷美術館の個展作品は一応年内に描いたものまでと決めました。来年1月からはまた展覧会が現実になるので忙しい。

来週は久し振りで神戸のぼくの美術館と郷里の西脇へ行きます。遊びではなく仕事の取材でちょっと大変。体力テストです。

久し振りに昼間の歌舞伎も観に行きます。これも体力との戦いです。

夜は外出はかなり無理です。でも絵を描くと元気になりますが、描き過ぎてまた倒れ、倒れたらまた絵を描くと立ち上れます。絵は健康にも病気にも二刀流です。

2024年10月04日
近況報告です。目下、来年4月26日からの世田谷美術館での個展の絵画を制作中です。150号中心に100号も描いています。2年前の東京国立博物館での寒山百得展とはかなり違った作品です。

神戸のぼくの美術館では目下「レクイエム 猫と肖像と一人の画家」展開催中です。60〜70年代を共に生きた今は亡き芸術家たちとのコラボ作品が中心です。 ytmoca.jp/exhibition_cat

最近デザインしたジャケットを紹介します。 tadanoriyokoo.com

2024年09月17日
この間拙著「言葉を離れる」(講談社文庫)について書きましたね。子供の頃から読書が大嫌いな子供が45歳でグラフィックデザイナーから画家に転向した頃から美術の本を少し読み始めたという話を書いた本ですが、

それまでは本当に本嫌いの人間で、そのくせ本を買うのは好きだった。読まないけれど、自分の関心が向いているような内容の本は買って、本棚に並べて本の背のタイトルを読むという趣味です。

読書は頭の作用です。読書をする時間があるなら、野山や川で自分の身体を通して、身体で色んなことを経験して、身体で知識を覚えました。

大人になってからは映画、演劇、音楽などで、あくまで言葉や本からではない知識を肉体で覚えました。そんな肉体の自伝のような本が、この「言葉を離れる」です。

頭で覚えるのは全て他人の知識です。自分の肉体から感じとった知識が本当の自分だけの知識です。そんなことを体験を通してちょっとかための「ユリイカ」という雑誌で連載したものをまとめた本です。

今回増刷した機会に、頭(観念)や知識だけを詰め込んだ生き方が、人生ではないですよ、と肉体を通して覚えた自分だけの生き方を書いた本です。

本好きの人は反発するかも知れませんが、肉体を通した経験を重視した生き方の人にはわかってもらえるかなと思って書いた本です。
https://www.tadanoriyokoo.jp/product/1662

2024年09月13日
「言葉を離れる」(講談社文庫)は読書ブームに反して本は読まないという本なのに、読書家の人達の推薦で講談社エッセイ賞を貰ってびっくりしたものの、本を買う人は読みたいから買うので、本など読まないという人間が書いた本が

またまた増刷されて読まれていることの変な現象!! 品切れのところ第4刷がでました。どんなもんか読んでみて下さい。

2024年09月03日
土曜日の朝日新聞の逆さ書評が結構反響がありました。一瞬間違って印刷されたのではと思われた人もいたようです。カンディンスキーは自分の絵が逆さになっていたことで、あの抽象絵画が生まれました。

何んでも逆さにして見ることで思わぬ発見があります。あの書評だって逆さにしたことで、書評も違った意味を持ちます。



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