1月31日
言葉で伝えられる情報はほんのわずかです。だからぼくは伝達の手段として絵画を選んだのです。一点の絵画は本の一冊分です。
1月30日
ぼくの作品は全て次の作品の予告編です。でも本編が変わる可能性もあります。というか全作が次回作の予告編なのであります。
1月29日
ぼくの伝えたいことは全て作品の中にあります。それを読み取って下さい。
1月28日
ピカビアは4年ごとにスタリルを変えたが、ぼくは毎日スタイルが変わる。変えるのではなく変わるのだ。どうしようもない衝動で変わるので、意図的に変えるのではない。だから次はどんな作品になるのかが待ち遠しくて楽しみだ。
1月24日
二泊三日で広島県の宮島、厳島神社に参拝して、宮浜温泉と、山口県の秋芳洞と秋吉台を観光して湯田温泉に行ってきた。旅行中は一日中曇っていて夕方みたいにどんよりし、その上寒かった。だからどこも観光客が少なく、お陰で絵葉書のような景色が味わえた。世界遺産の厳島神社の美麗な建造物は人がいなくて初めてその効を発揮していた。また秋芳洞の巨大さは日本一である。まるでジュール・ベルヌの世界に足を踏み入れたような感動を覚えた。人工的ないにしえの美と大自然の美に心ゆくまで堪能した浄化の三日間であった。
日本画家の片岡球子さんが亡くなられた。以前ファンレターを出して返事をいただいたことがあるが、とうとうお会いすることがなかった。彼女はかつて「ゲテモノ」といわれたことがあったが、ぼくもそういわれたことがあるので、特別の親しみを抱いていた。ご冥福をお祈りいたします。
1月22日
10代の頃、神戸新聞の「読者のページ」にカットを投稿していた常連四人(後に「きりん会」というグループを作る)の内の一人で三木市(兵庫県)に住む見方忠雄さんが、当時神戸新聞から送ってもらったという投稿カット50数枚の中にぼくのカットが2枚あったと言って送ってくれました。言われなければ自分の絵だと中々理解できないがサインが入っているので間違いない。よく眺めていると当時描いた時のことがあぶり出されてきて懐かしかった。妻はあんまり下手なのでびっくりしていた。現代の高校生はもっと上手い。昔でよかったと胸をなぜ下ろすのでありました。
1月21日
またチベットの寺院には本物のアホを住まわせている。それは僧侶が悟りを得た時の姿のシミュレーションである。
わが家の猫が口からアワをカニみたいにブクブク出して風呂場に立っている。石鹸好きの猫がまた石鹸を食べたらしい。
1月20日
人間はアホにならんとアカン。カシコ過ぎる人間はアカン。とはいうものの上記のアホは哲学的なアホではない。単にアホのアホや。黒住宗忠さんという江戸時代の宗教家は、ある時、人相見に見てもらった。するとその人相見は「あんさんの顔はアホの相です」と言った。黒住は怒るどころか大喜びして「そうかわしは長い間アホになる修行をしていた、それがついに顔に表れたのか、こりゃ嬉しいことだ」と言った。黒住教の教祖さんから聞いた話しである。
1月19日
いつも6時頃に目が覚める。そして頭がスッキリしている2時間は読書時間に当てている。今朝は近刊の「私の履歴書」の自分の頁を読む。自分の書いた自伝を読みながらこんな面白い本はないと思った。以前、瀬戸内さんが自作の小説を読み出したら、仕事そっちのけで、「こんな面白い小説はない」と、とうとう徹夜してしまったと電話があった。ぼくは「アホな人だなあ」と思ったが、ぼくも自分がアホだということが今朝分かった。
1月18日
先日お知らせしました書籍の一冊が刊行されました。"「私の履歴書ー芸術家の独創」"(日経ビジネス人文庫)です。4人(田河水泡、岩田専太郎、土門拳、横尾忠則)の自伝です。3人共ぼくの尊敬する人達ばかりで、読むのが楽しみです。田河氏は戦前に活躍された「のらくろ」を描いた漫画家です。岩田氏はいうまでもなく、挿絵界の巨匠で、中学の頃憧れました。土門氏は日本の写真界の第一人者です。昭和という時代が見えてくる一冊だと思います。
1月17日
時々絵を描いていて飽きることがある。 こういう時は投げ出すしかない。まとめようとか、仕上げようとする自我が邪魔っけになる。よけいな時に自我なんかやってくるな!といいたくなる。といって自我は消すものではなく、消さなきゃいけないものだ。
裏庭に「のらくろ」が鉄兜を頭につけたようなまだ少年の猫がやってくる。彼にエサをあげようとするとカラスが横取りしようとやってくる。のらくろ少年はカラスを追うが、一向に効果ない。それをわが家の隠居猫は窓越しに見ている。それをまた隠居人間が見ている。
1月16日
浅羽玲奈さんへ
最初の質問に関しては、たった今、出たばかりの日経文庫の「私の履歴書」(4人共著)、または文春文庫の「波乱へ」と「コブナ少年」を読んでいただければ多少ともぼくの経歴がお分かりいただけると思います。以上三冊とも自伝です。
二番目の質問の柴田錬三郎さんに関しては、「うろつき夜太」の挿絵を描くために柴田さんと一年間ホテルにカンヅメになって仕事をしました。(ご存知かと思いますが、、、、、、)そして柴田さんの墓のデザインはご本人ではなく遺族の方の依頼で制作しました。球体は記念碑です。宇宙(霊界)を表しています。石碑の方は五輪の塔をピラミッド化したものです。それから空飛ぶ円盤に関しては三島由紀夫さん同様、柴田さんも非常に興味がありました。実際柴田さんも目撃されています。不充分な解答で申し訳ありません。
1月15日
ところでぼくは中野孝次さんのファンだったので中野さんの出された本の大半は読んでいたのに下記の本だけは知らなかった。でもこの本が出た当時ではぼくにあまり影響を与えなかったかも知れない。それが「今」だからこそ、この瞬間に出合ったということがいえそうだ。
1月14日
最近、「努力」 ということについて考えてみたいと思った。確か以前、幸田露伴の「努力論」を買ったような気がして捜したらやっぱり出てきた。文章が文語体なので決して全部読んでいなかったように思う。そして再びこの本を手にしたがなかなか読みづらい。そんなある日、ボヤーッと本棚を眺めていたら、「川村湊」という著者名が目に入った。「文学界」に発表した小説(「ぶるうらんど」の第一部)を毎日新聞の文芸欄に取り上げてくれた人だ。そこでぼくはこの本「日本の異端文学」を手にして、なんとなく巻末の広告欄を眺めていた。とその時ある本の広告に目がいった。それは中野孝次の「自分を活かす"気"の思想」という本で、実はこの本の内容が幸田露伴の「努力論」について書いた本だということがわかった。もう何年も前の本なので取り寄せることにした。そして現在この本を読んでいるわけだが、ぼくがここで言おうとしているのはシンクロニシティ(共時性)の不思議についてである。幸田露伴の「努力論」が難しくて苦労している時に川村湊さんの本が媒介して中野孝次の本に出合ったという話しである。
1月13日
3月頃に発売される本のお知らせ。
1:「横尾忠則温泉主義」(新潮社)
2:エッセイ集「題未定」(文藝春秋社)
3:「隠居宣言」(平凡社新書)
4:小説「ぶるうらんど」(文藝春秋社)
5:ムック(評論が中心)(河出書房新社)
6:瀬戸内寂聴共著「奇縁まんだら」(日経出版社)
7:「私の履歴書」(田河水泡、岩田専太郎、土門拳、横尾忠則共著)(日経出版社)
1月11日
昨日は千代田区のY字路を撮りに行った。今まで廻った9区の中で一番Y字路が少なかった。あったとしてもその場の建物がほとんどビルで、Y字路が持つ本来の魅力は全て失われてしまっている。今や街には形而上学的なものはなくなってしまったようだ。このようなものがなくなった都市には人間はそう長く住めないのではないだろうか。
本日1月11日よりニューヨークの "MARIANNE BOESKY GALLERY" で日本の現代美術展がオープンします。ニューヨーク在住の方はぜひ足を運んでみて下さい。ぼくの個展の方は秋に予定しています。その時はまたインフォメーションを流します。
2月1日からスカイ・ザ・バスハウスで1回目(2回目は3月)の個展が開催されます。過去の作品からギャラリーが選んだものです。色んなスタイルの作品が展示される予定です。2回目は近作と新作です。またスカイと平行して西村ギャラリーでも温泉シリーズの展覧会も始まります。もうひとつ今月も京都造形芸術大学でも第2回「戦争と芸術」展が開催されます。詳しくは
"EXHIBITION"を参照ください。
1月10日
絵は描くのではなく、作られていくという実感が最近してきている。といって筆を持てば勝手に描けていくというものではない。作られていくという感覚には「私」意識が乏しいように思う。これも年令のせいか。それとも
1月8日
毎日絵を描いてるけど、その都度違ったものになる。まあ当たり前だが、昨日上手くいっても今日はダエという日がある。とにかくむつかしい。でもこれがスンナリ行くと逆に描きたくなくなるに違いない。どうしてこんなに下手なんだろうと毎回思っている。「ヘタも絵のうち」と言ったのは熊谷守一だった。
ぼくは油絵とアクリル絵具の両方を使う。油絵を描いているとムツカシイので次はアクリルにしようと思う。そしてアクリルにするとやっぱり油絵にしようと思う。結局どちらもムツカシイのである。絵を描くことは現実からの逃避であるが、絵からの逃避ってのはないんだなあ。絵からの逃避はやっぱり絵を描くことなんだ。
1月7日
去年はバラエティに富んだ一年だったような気がする。特に美術館での個展はなかったが、ハワイの5日間はぼくの中で大きい変化を与えたような気がする。とにかく去年は今年の動向のための準備期間だった。今年は頭から目白押しの個展やグループ展が始まろうとしている。展覧会に関しての情報は"EXHIBITION"の欄を見てもらえばわかります。また今年は単行本が何冊か出る予定です。目下進行中の本が五冊ありますが追ってお知らせします。ぼくの今年のテーマは「健康」です。「病気の神様」が終わって「健康の神様」です。世の中はますます病気っぽくなりそうなので、健康で対抗するしかないです。
ぼくにとっての去年の変わった出来事といえば、小説を書いた(「文学界」3月号まで続く)ことと、「東京人」でY字路の写真の連載を始めたことです。両方共本職外のことに首を突っ込みました。(かつての本職だったデザインが化けたのかも知れない)自分でも考えもしなかったことが超えるものです。人生のエンジョイと軽く流しています。
1月5日
「文学界」2月号に三作目が掲載されていますが、四作目(3月号)で完了です。一作目と二作目を別のものの様にように書いていますが、四作続いているものです。それが、三作目で少し判り、四作目で開示されます。今回の三作目は一、二作目を念頭に読んでいただけると、謎が少しは解けますが、「ああそうか!」と判るのは四作目(完結編)です。
1月4日
去年の正月は確かタカラヅカを観に行った。今年は歌舞伎に行った。海老蔵の五役「雷神不動北山」は荒事でやはりぼくはこの手の歌舞伎が好みだ。歌舞伎で初めて見るイリュージョンにもびっくり。ちょっと長ったらしいシーンには居眠りも。女形が弱いのはがっかり。以前観た泉鏡花作品オムニバスでの玉三郎との共演は最高だった。だけにその点はちょっとね。形の美しさが、あと10年すれば内的なものになった時は、歴史に残るいい役者になることだろう。
正月の富士山は格別にきれいに見えた。正月は産業がストップしているので空がきれいだ。夜空には信じられないほど星が沢山、コンペイ糖のように大きく見える。宇宙を感じるいいチャンスだ。
1月3日
同じ絵でも、勝手に描くのは楽しい(発表を前提にしない)けれど展覧会用となるとデザインと同じように急にしんどくなる。だから普段から無目的で描いておいて、展覧会の依頼があったらそれを出品するようにしたい。それにしても今年前半はかつてないほどの展覧会ラッシュだ。どうしてこうも集中するのかね。別に仕掛けたわけではないのに。体は忙しくないけれど気が忙しい。
1月2日
正月といってもテレビを見ないので、正月という実感がない。絵が一寸変わったくらいか。上手くもならない。むしろ下手になったようにも思う。どのくらい下手になれるかが問題だ。アホになることは悟りの極意だとするとアートの極意は下手になることかも知れない。悟った人間は世間に相手にされないように下手な絵も同じことになるかも知れない。
1月1日
大晦日は早々に寝て、元旦も朝からアトリエへ。アトリエの前に松の葉が沢山落ちているのでそれをまず掃除する。一年の計は元旦にありというので今年は先ず掃除の年になるかも知れない。禅寺に参禅していた時はよく作務をやらされた。つまり掃除である。掃除をすることで心も浄化するということで禅寺の務めのひとつになっている。禅というのは先ず頭を空っぽにして理屈で物を考えないという教えである。理屈の世界で理屈をはずす生き方はなかなか難しい。せめて絵の中では理屈抜きでありたいものだ。
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