2020年04月30日
夢の中で、僕の名前が出る場所に。全く知らない人の名が出ていた。この知らない人の名をある人に聞いたら、実在の作家の名だという。夢と現実の境界がなくなった夢だ。気になるのでこの人の本を読んでみようかな。

コロナは終息しそうにない。1〜2年はなんだかんだいいながら続くのだろう。その内、オリンピックもワーワー言いだすだろう。国民ではなく政府が。

コロナのために新しい生活、新しい考え、新しい生き方を考えようとする気風が皆んなの中に出てくるのでは。コロナが自分を新しく変えてくれるようにもっていきたい。

先ず、ぼくの場合、絵が変りつつある。コロナ以前の絵はもう古くさく感じて描く気がしない。

コロナで自分の中に閉じ込もる人も多いと思うが、これは逆で、自分の気持、意識を変えるチャンスだ。でも自分を変えたくない人もいるんだよね。

お待たせしました。やっと「タマ、帰っておいで」の増刷ができました。書店が閉まっているので、ネット書店に注文して下さい。アートプラネット・ワイでも受けつけているみたいです。

2020年04月27日
東京の感染者が久し振りに2ケタで、こんなことが、Good Newsでホットするんですよね。2人前しか持ってこなかったのが1人前でもOKの出前も嬉しい。

今日は、運動のために大きいキャンバスを注文する。絵を描くことと運動の一挙両得。これからは立って動き廻る大きい絵を描く。

このコロナ時期に描く絵は、コロナ以前と全然違う絵になる。考えようとしなくても、勝手に変ってくれる。変えようとするのは頭の働き、勝手に変るのは肉体の働き。

絵を描く時は、本当に頭が邪魔。小さい絵は頭の作品になる。大きい絵は肉体の作品。

2020年04月24日
外出しなきゃ、慣れてしまって、逆に外出したくない。コロナ関連のテレビばかりみていると、コロナを呼び寄せることになる。このところ文学を漫画にした本が100ほど持っているので、それを片端から読むことにした。1日1冊で、年365冊読める。コロナの効用だと思えばいい。

同じ状況にいて感染する人、しない人がいるのは、免疫力があるか、ないかが決め手らしい。免疫力をつける食生活や運動、睡眠を。ぼくは睡眠が下手。

布団の中に入るとバタンQの人もいるが、ぼくはバタン、パチッ(目が開く)だ。困ったもんだ。その時は文学・哲学・思想マンガを読む。

岡江久美子さんの突然の死は感染されたという報道もなく、いきなりだったので驚くと同時に恐怖を覚える。著名人だから驚くのではなく、一般人の中にも同じケースが起っているのではないだろうか。

とにかく、政治家は使命として義務として医療現場に入って現実を自分の目で見たらどうなのか。このくらいしても罰は当たらないのではないか。––と言っても政治家でこのツイッターを読む人はいない。砂に釘だろう。

2020年04月23日
医療の現場の医師からの意見を聞くと、まず、政治家の危機意識がないことを一番に挙げて、法律を改正して、もっと厳しく対処して欲しいと悲痛の声が発せられている。こういう医療現場の声を政治家は聞こうとも、読もうともしていない。

政治家は常にガードされた行動と生活をしているので自分は絶対感染しないと信じている。自分の問題ではなく、社会の問題なのに余りにも実感が乏しい。だから観念で物を言うしかない。

政治家が病院などの実態を見に行こうとしない。自分が感染を避けるためで、実際の患者の受けている苦しみや恐ろしさを見ることを避けている。だから危機感が全然ない。本当に危機感があるなら、あんなのんきな動画は流さない。

医者自体が重症者の患者を見ると怖くなると言っている。こうした意識を政治家は共有するべきだ。

コロナの恐ろしさを一番知らないのが政治家だ。コロナを終息させるのは国民ではない。政治家の体を張った行動以外に終息への道はない。

医師はオリンピック無期限中止を訴えている。それは未来が見えているからだ。見えてないのは政治家だけだ。

政治家ははっきり言って人間の生命より経済優先だ。医師は「経済は立て直るが人命は生き返らない」と悲痛な声で叫んでいるが、彼らはまるで聴覚障害者だ。

2020年04月22日
よく絵はいつ筆を置くのですか、と聞かれる。いつかなあ。そんなこと考えたこともなく、絵は終っている。人はどうしてこんなことを聞くのだろう。いつ終ったかということが、絵を見るのに必要なのかな?

どうしても「言え」というなら、言うけれど、結局、描くことに飽きたからだ。

いつ筆を置くのかと聞くことは、いつ死ぬんだ、ということと同じだ。身体が生きることに飽きたから死ぬんだ。

このごろは描く前から、描くことに飽きている。だから、中々描こうとしない。このまま描かなくてもいい、とも思っている。

だけど、飽きた気持で描いた絵を見てみたいという気持もある。ということは、まだ本気で飽きていないのかも知れない。

こんな、好奇心があるのは、困ったもんだ。老齢になって生きるためにはこんな好奇心がない方がいい。

大阪弁で「シャーナイヤンケ」という諦念を表わす言葉がある。この言葉は大好きだ。シャーナイことないという生き方は前向きの生き方にみえるけれど、努力を必要とする生き方で、今のぼくにはシンドイヤンケーだ。

2020年04月21日
そう簡単に終息しそうにないコロナ。多分、オリンピックはさらに延期でしょうね。しかも1年とか2年、そんな気がする。

展覧会も延期、中止みたいな感じなんですよね。まあ、その間に描いておいて、死んだあとに遺作展でもやってもらいますか。

本当は90、100まで生きて、その時に描く絵を見たいもんです。

絵は崩れていって、初めて到達する世界があると思うんですがね。

その到達以前に死ぬと、悟った絵がないということです。

大抵の人が、悟る前に死にます。そして、その絵の中から悟った傑作を見つけようとするんだけれど、本当に悟った絵はそこにないんじゃないですかね。

また、本当に悟った絵は、それほど評価されないと思うね。

どこかに我欲の残っている絵の方が皆、いいというのは、大抵の人が我欲があるので、我欲を通してみるから、本当の悟りは見えないんです。

このコロナで人類の意識は良くも悪くも変るでしょうね。どう変るかはその人次第でしょうけど。

2020年04月20日
テレビで観た人もいるかも知れないが、川口市氷川神社の御朱印帳が人気があって、全国から買いに来る人が早朝から行列を作る。朝の4時から並ぶ人、前夜から泊まってくる人などで、その表紙をデザインした。毎月15日に100部限定で発売。川口市の氷川神社に問い合わせてみて下さい。ブラッと行っては買えません。

連休の土日は郊外に人が密集したようだ。車の中も外も密集。日本人って我慢強いと思ったけれど、ヨーロッパの人達の方が「外出禁止令」が出ると街はゴーストタウンになる。土日に感染した人たちが1週間後にドーッと出るのだろう。

GW開けに緊急事態宣言が解除すると、途端に街は人があふれて、今まで以上の感染者が出るのでは? その対策を早急にしなきゃ。

「タマ、帰っておいで」スミマセン、もうちょい待って下さい。今日も印刷しています。来週には重版ができます。予約しておいて下さい。

2020年04月17日
あの人に言うけれど、コロナは文化じゃありません。

世界中の人間がひとつのことで悩み苦しみ、死の予感を共有するのはかつて戦争以外になかった。戦争は見える敵だけれど今回の相手は透明人間かサタン的宇宙人のような存在だ。空間の恐怖と同時に時間の恐怖を感じる。

2020年04月16日
石田純一さんの症状はただ、だるいだけで感染してしまった。老齢になると毎日がだるい。見極めが難しい。もしかしたらぼくは慢性コロナ炎では?

完全終息するまで2022年になると言うデータがあるが、ぼく個人の考えとも一致する。長期対策の覚悟はするべきだと思う。

ノーベル賞受賞の本庶先生が戦争に例えて、コロナ感染を説明しておられたが、非常によくわかる。まごまごし過ぎて先制攻撃を加えるチャンスを逃してしまったように思う。戦争は悪と決めつけているので、戦後生まれの政治家は戦争の知恵には無関心なのだ。

以前、新幹線で広島のプロ野球の選手のチームと乗り合わせた。隣りのボックスで監督、コーチらの戦略会議が始まった。横で聞いていて、まるで戦争の話をしているようにしか思えなかった。

芸術に戦争の知恵を導入したらどうなるのだろう。芸術は相手を倒すのが目的ではないので、役に立たん。だけどアーティストは戦略という言葉をよく使う。如何に自分を押し出すかに夢中なんだ。芸術家ほど欲の深い人間はおらんで。

2020年04月15日
すみませんが先ほどお送りしたもの、以下の投稿を書き換えてください。

このコロナ騒動で重版することは大変なことらしいけれど、印刷所や製本所や社内にこの本を大事に思ってくれる人が内外にも沢山おられるために、この困難な状況の中にもかかわらず、急いで重版に走ってくれているそーで、ありがたいことです。GW前後に出そうです。

お手数ですがよろしくお願いします。

自分でびっくりしています。こんなに沢山の人が「タマ、帰っておいで」を愛読してくれて。なぜか「泣いた」という人が多いのです。この本を編集していただいた講談社の新井公之さんの上司の編集長が「泣かされた」ことで、前向きにどんどん進んでいきました。

泣かれるより、下手くそな初心者みたいな絵なので笑う人が多いんじゃないかと思っていたので、そーか、泣いちゃったんだーと思っています。

このコロナ騒動で重版することは大変なことらしいけれど、印刷所や製本所や社内にこの本を大事に思ってくれる人が内外にも沢山おられるために、この困難な状況の中にもかかわらず、急いで重版に走ってくれているそーで、ありがたいことです。GW前の19日に出そうです。

あと、書店に持ちながら閉店している所にもありますが、緊急事態宣言が解放と同時に、店頭で見つけて下さい。それまではネット書店(ここも売切れあり)で。

アートプラネット・ワイのオンラインショップでは急遽取り寄せているはずです。注文してみて下さい。

出した本で、今回みたいな早いスピードで動いた本は数少ないので、こちらも出版社(講談社)もあわてています。でも緊急事態宣言が明ければ全国の書店に拡大されます。

2020年04月14日
「タマ、帰っておいで」がこんなに早く重版するとは思っていなかったので、正直嬉しい。タマの画集だけれど、文章を誉めてくれる人が多い。絵より文章がわかりいいのかな。文章に書けない心情を絵にしているんだけどね。

タマの絵を91点描いたところで本になったけれど、また続いてタマを描いてみる気になっている。今度は大きいキャンバスにドカンとね。

今いる「おでんも描いてもらいなさい」と妻は言うが、「死なないと描いてやらない」と言う。やっぱり、死の門をくぐった者は、特別のエネルギーを発散しているのだ。その死のエネルギーが創造的な絵にしてくれるのである。

ハッと気がつくと誰もいないアトリエでマスクをしたまま絵を描いていた。そう、絵は感染源でもある。創造の感染力である。だったらマスクはいらないよね。

「タマ、帰っておいで」の原画展が開催される予定だったけれど、延期になるか、そのまま終息するか、その時は、また新作を加えようかな。

「タマ、帰っておいで」が出たばかりなのに、早速重版が決まりました。書店が休みだったり、手に入りにくいかも知れませんが、アマゾンとか(ここもすぐ完売したけど)ネットで手に入ります。その方法考えて下さい。田原総一郎さん、糸井重里さん、吉本ばななさんらが紹介して下さって、出ています。売切れでも、すぐ重版が届きます。

首相がのんきにくつろいでいる動画、誰かいたずらかパロディで作ったものかと思った。この動画に「イイネ」が物凄い数だ。どこがいいのか、何がいいのか、ぼくにはわかりません。

2020年04月13日
今度出した「タマ、帰っておいで」の本ですっかり、タマは有名になりました。大勢の方のブログやツイッターに紹介されました。

田原総一郎さんの「タマ、帰っておいで」の短評、こんな風に語ってくれる人はあまりいません。田原さんのツイッターです。

アートは、アーティストの中で常に緊急事態宣言を出しながら制作している。(皆んながそーでないけれど)

こーいう時勢の時は禅寺に参禅するのもいい。一汁一菜、起きて半畳寝て一畳の生活も悪くないと思うよ。

守らなければいけない病院が一番危険な場所になってしまった。一番安心な家庭が危険な場所にならないように。

家族が何人も揃って町に買い出しに行く風景をテレビで見たが、この一家には危機管理意識が全くない。なんだか、お父さんが休みで喜んでいるみたい。

病院の中は、まるで野戦病院だ。フランスの医者は「われわれは戦争状態にある」と言い、東京都内から「命の選別」が始まるという医療関係者。医療現場のリアリティがもうひとつ伝わりにくいのは何故? 報道の水際で何かが伝わらなくされてはいないか?

スペインでは回復する可能性の高い若者を最優先、高齢者は見殺しにするしかないと語る医師。回復可能の若者なら、最優先は高齢者が先きなのではないのか? 他国ながらおかしな論理だ。死ぬのに早い遅いがあるのか?

仮に1ヶ月間、市民が外出自粛したとする。その場合、感染はゼロか? もし、何人か感染者が出たとする。その人達は自粛以前に感染していたということになるのかな?

その人達を除外して考えてみよう。全く感染していない人達が、外出して誰とも接触しなかったとする。だけど何人かが感染した。となるとコロナ菌はどこを源泉して発生したのか? 何かに付着していたというのか?

だったら付着個所を想定して、そこを除菌すべきじゃないのか。でないと北海道みたいに、終息宣言を出しても再発の可能性はある、と考えられないか?

2020年04月10日
わが家にタマのあとがまに、おでんという猫がいる。この猫は野良猫(親が野良)のDNAのせいか、外が大好きだったが、コロナで外出自粛が発令されてからは人(猫)が変ったように終日外出自粛を厳守。家の中で眠っているだけの労働力0の猫になってしまった。

去年、秋、39度超の熱で救急車で運ばれて、肺炎一歩手前で助かった。今だったらどうだったか。持病の喘息持ちだからコロナ感染同様、風邪ウイルスによる肺炎も怖い。いつもY字路の岐路に立っている。右も左も地獄だ。

人と話をしていて、何んでもない言葉が全然でてこなかったり、思い出せないことが多い。この間なんか、夢の中でも言葉がでてこなかった。目が覚めたらでてきた。それはモンゴメリィ・クリフトというアメリカの俳優の名だった。

吉本ばななさんの「タマ、帰っておいで」の短評がばななさんの「オフィシャルブログ」の<すごい本>の項目に掲載されています。是非是非読んでみて下さい。https://ameblo.jp/yoshimotobanana/

2020年04月09日
今、描いている絵は正に「緊急非常事態」状態です。絵がどんどん、あらぬ方向に向っていて、終息の気配は見えない。勿論未完です。コロナも終息しないで未完の気配を漂わせています。

アートは内なるもの(内的現実)と外なるもの(外的現実)と相対している。

毎日が監獄の塀の上を走っている感じです。仏教的にいうと二河白道を走っている感じです。だけどアーティストは常にこんな状態です。

2020年04月08日
緊急事態宣言が出たが、僕の日常生活とほとんど変わらない。ということはぼくはほとんど1年中緊急事態宣言を行っていることになる。

ニュース番組に手話の人が付くが、このパフォーマンスに興味がある。自分が難聴なので、いつか憶える必要があるかも知れないと思って、見ている。

実はコロナが中国で発生する寸前に、神戸で「兵庫県立横尾救急病院」展を開催した。そしてオープニングの出席者全員にマスクを装着してもらうパフォーマンスを行った。その異様さに笑われたが、今、現実にその異様なパフォーマンスがそのまま日常風景になって街を歩いている。

アートにはしばしば未来を引き寄せる現実に実体化させるエネルギーがある。だからアーティストを予言者とか幻視者と呼ばれることがあるのではないか。

「週刊朝日」で瀬戸内寂聴さんと無期限連載往復書簡を毎週、近況報告だったり、過去の思い出話だったり、内緒話だったりを書き綴っています。タイトルは「老親友のナイショ文」です。83才の老人と98才の超老人です。今週が33回目です。

コロナのせいか知らんけれど、相当ひどいメチャクチャ、下手くそな大作を描いています。というか描けちゃうんです。発表するか、しないかは、どーせ死んだら誰かが発掘するんでしょうね。でも死んじゃっていないんだから恥ずかしくもなんともないです。

上手になろうと思って長い間やってきたけれど、上手にならないことがわかったので、じゃ下手くそになろうと思って、やってまんねん。下手でええと決めたら楽でっせ。

アトリエのバルコニーで日向ぼっこしている。のんきなもんでっせ。身体のむしぼしですね。

人生にも仕事にもノルマはない。何かにあせっている人はノルマを勝手に作って追われてる人でっしゃろ。アタシにはノルマはありません。出きることの範疇に「空」を入れれば無限にできまんねん。「無」と違いまっせ、「空」でっせ。

ぼくは思想はないけれど雰囲気はあるよ。感覚、触覚が雰囲気!

絵を仕事ではなく趣味にする。趣味とは感性だから、いきつくとこは芸術ということになる。

絵はやりっぱなし、これでいい。

考える世界は小さい。想う世界は大きい。絵は想う世界だ。

2020年04月06日
今、描いている絵、物凄い絵になっている。絵がコロナ感染した。完結しそうもない。だから人には見せられない。

絵だけは自粛できません。

寿命が先きか感染が先きか、老人のたわごとです。

これからの絵は全て遺作のつもりで描く覚悟!

生きる覚悟、死ぬ覚悟、まるで戦時中の生き方だ。

外出しない。電話は耳聴こえない。だからメール文通しかない。

「タマ、帰っておいで」(講談社)


今、描いている絵は凄い絵になります。と、暗示をかける。創造は暗示です。それと「凄い!」と過去完了形で考える。

絵は頼まれ仕事ではないです。頼まれ仕事をやればやるほど人気は出るけど、人間は駄目になっていくのです。自分の経験からそう思います。

作品は透明でなければいけない。そのためには作者が透明になればいい。そう透明人間になることだ。欲と執着を追放させるしかない。でも透明になると悪事しか考えない透明人間もいる。

「タマ、帰っておいで」は愛猫が死んだ日から描き始めたタマへのオマージュだ。不思議に作品にしようなんてそんな気持は全然持てなかった。まあ写生画の一種かな。そんな普通の絵を酒井忠康さんは「雨宿りの仕事みたい」と言ってくれた。そう、本当に上手いこと言ってくれた。

この歳になると「雨宿りの仕事みたい」な画家になりたいと思っていた。目と心がパッと開いた。

誰とも競争しない、闘わない、そんな仕事が文化ではなく、文明なのかも知れない。競争する、闘う、文化はここから生まれる。

僕の住んでいる世田谷区が東京のコロナ感染人数No.1だ。その答えは住民の意識調査をすると、答えがでてきそーだ。
#タマ帰っておいで

2020年04月03日
週末は自粛生活です。絵は自粛しません。

「タマ、帰っておいで」(講談社)という死んだタマの絵を91点描いた画集がでました。アマゾンでは即完売したそうです。

お弁当を持ってアトリエ行きです。中味は安倍カワモチです。頭からカブリと食べちゃいます。

2020年04月02日
直感力のない国が緊急事態宣言を出す気がないので、自分を守るために自分のための緊急事態宣言を出すことにした。

高齢者から自覚の少い若い世代に感染が移動し始めていることの自覚を。

人の意見や、状況判断ではなく、本能と直感を信じるしかない。その直感も煩悩に振り廻されているので、にぶっているだろうなあ。

オリンピックの開催日を何の根拠で早々に決めたのか。そのプレッシャーがコロナを拡大しないとも限らない。目的と結果を前提にすると真の想像、創造は生まれない。

オリンピック・ストレスの恐怖が無謀な開催日を決めてしまった。物事はこんな風に決めるべきではない。反アート行為だ。反アート行為とは自然に逆らうことだ。

制作の環境が固定すると作品も固定する。描く(書く)ために環境を変えるのではなく、どうすべきか、と考えた時環境が変る。

作家を苦しめるのは、常に評価を考えているからだ。感性を落としたきゃ、常に時代の先端を走ればいい。

自分に自己満足しなさい。すると人に嫌われるけれど一流になれる。ウワッハッハッハッ。

嫌われるようなことをしなければ、好かれない。今の作家はその反対の生き方を求めている。また読者も好かれるような作品を好く。いつの間にか読者もアホになっている。

人に教えようとするのはエゴイスティックだ。また完璧主義もエゴイスティックだ。

自分の約束の分ってない人はガムシャラに評価されたがる。約束とは宿命のこと。

文章は雰囲気がいっぺんにできない。

文章で雰囲気を出すには、何が何してどうしたと繰り返さなきゃいけない。

雰囲気は心理を表わす。絵画は心理が直結している。だから文字が邪魔なんだ。そこが文学にない絵画の肉体性である。

緊張しないと生きられないと思っている作家(画家)がいる。作品も肉体も、その時に老化が始まる。ひとつのことに固執することは老いを一本化することだ。

2020年04月01日
昔、四月一日は四月馬鹿、エイプリルフールといってウソを平気でついてもOKみたいな慣習は、ウソが当り前になった社会では通用しなくなった。コロナ感染者が揃って「エイプリルフールです」といえば逆に「ウソだ!」とエイプリルフールは否定される???

テレビで「周りに感染者がいないから実感がない」とか「酒を飲めば忘れられるので飲みに行く」というゴクラクトンボみたいな人が本当にいるのが日本の現状なんですか?

PCR検査を受けて初めて感染がわかるのだけれど、全く症状がなくて感染者だという潜在的な数は実際は凄くいるんじゃないかな。国民全員のPCR検査を義務づけたら、その数が驚異的にはね上った! さてそれでも緊急事態宣言の時期はまだ早いですか?

さあ、コロナのネガティブパワーを、ポジティブパワーに変えて、絵を描こう。

このコロナショックが僕を哲学者にしてくれます?

なんだか絵がヤケクソの絵になってきた! 絵に必要なのは狂気! 狂気が必要ない間はコロナ!



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