10月31日
11年前に出した「死の向こうへ」(PHP研究所刊)が今度光文社知恵の森文庫で刊行されることになりました。死を終わりととらえないで生の延長としてとらえた書き下しエッセイ集です。何しろ11年前なので、現在の考え方とは多少の開きはありますが、必要以上の加筆はしないで、ほぼ原形のまま発表することにしました。
○本日送られてきた本
和田誠さんより「表紙はうたう」和田誠著
死のむこうへ |
◆11月中旬より当WEBサイトにて先行予約開始! |
10月30日
NHK知るを楽しむ「人生の歩き方」が11月5日より始まりますが、前半の2回は兵庫県立美術館の「冒険王」展の会場で、後半は河口湖町のNHK資料センターで収録しましたが、喘息気味で喉がゼーゼィ、特に後半の3,4回はニューヨークから帰国したばかりで体調不調真っ只中の収録でほどんど声が出ず、声をしぼり出したため、まるで演説しているみたいでちょっと悲惨でした。でも終わったあとビリヤードをするころ(もしかしたらプレー中が撮られているかも)にはケロッと治って声もまあまあ普通に出るようになったため、ビデオ収録前にビリヤードをやればよかったですね、との意見にぼくもその通りだと思った。
11月7,8日の両日、兵庫県立美術館で公開制作を行います。今後絵の制作の大半は公開制作という形式で行います。この計画を「PPCC」と呼ぶことにこました。つまりPublic Costume-play Performance Paintingです。テーマはY字路という外部をアトリエという内部に持ち込むわけですが、この両者を媒介するのは通行人です。その通行人になり代わるためにコスチュームプレイを行います。果たして如何なる通行人になるかは当日のお楽しみです。学芸員もコスチュームプレイで参加します。乞う御期待です。きっと笑っちゃいますよ。世田谷美術館での「PCPP」は12月に入ってから連続で行います。また詳細はホームページの情報欄で随時お知らせします。
10月29日
泉鏡花文学賞のことありがとうございます。この賞は金沢市主催なので、来年8月の21世紀美術館での個展が盛り上りそうで喜んでいます。お近く(?)にお住まいだそうで、度々足を運んでみて下さい。
昨日、作家の保坂和志さんに会って色々刺激を受けました。「文学界」で次回作をといわれているのですが、中々腰が重くて…。でも保坂さんとの話で小説の執筆の衝動がぼくの中で沸々と湧いてきました。又、保坂さんと猫の話をしたせいか、昨夜は捨て子猫を7匹拾ってきて、他所の空家でこっそり飼う夢を見ました。夢の中で一日が終わって次の日に空家に見に行くと子猫は元気でいました。二日にわたる夢を見たのは初めてです。
10月28日
小説「ぶるうらんど」が泉鏡花文学賞を受賞したために従来の本の帯が少し派手なコピーに変わりました。別に鏡花にたいするオマージュではありませんが、鏡花世界に通底する「何か」があるかも知れません。中にはこの小説を読んでぼくの作品が理解できたと言った人がいましたが、是非一読して頂くと嬉しいです。感想を寄せて頂くとさらに嬉しいです。
10月27日
ぼくの絵画をコラージュと解する人がいるが、この解釈は間違っている。ぼくの絵画には複数の多様なイメージを混在させるところから、そおのような見方をする人がいるようだ。これはシュルレアリスムにおけるデペイズマンのように、およそ現実では遭遇不可能な事物を結合または配置させるためではない。したがってそこに異化効果を狙う目的はない。複数のエレメントが配置される場所を前もって想定(色、サイズも)されている。だから普通の絵に色々なものが登場するのと変わりない。キリコやマグリットが行うように、あるいはブリューゲルのように描くだけである。エルンストとは区別されるべきだ。だからコラージュという意識はぼくには全くない。
いつ頃からかわが家の猫にマッサージをするクセをつけてしまった。だから玄関のブザーの音でぼくが帰ったと思い飛んでくる。マッサージの場所は玄関のカーペットの上だ。夜に肩がこるのかベッドルームの外で鳴いてぼくを起こし、自分はサッサと玄関のカーペットの上で待っている。えらいクセをつけてしまったものだ。
10月26日
成城在住の磯崎憲一郎さんと会う。彼は昨年「文藝賞」を獲ってデビューした若い(本人は年を取るなんて言うが)作家である。一年の間にすでに三作も書いている。前回の芥川賞の候補にもなるくらいだから前途が半ば約束されたようなものだ。その彼から古谷利裕氏(磯崎さんの知人らしい)の著書「世界へと滲み出す脳」という評論集を貰った。ぼくの作品に触れた長文が掲載されていたので、とりあえずその箇所を読んだ。画家である古谷さんの透徹した眼と思考でぼくの作品が実にスリリングに解明されていく。解説的な批評の多い中で久々に四つに組んでくれた批評だった。磯崎さんはこの本をぼくに渡していいのかと心配していたが、そんな心配は無用である。著者の古谷さんは作家の保坂和志さんとも交流があるようで(ぼくの想像だが)ぼくが保坂さんを知ったのは磯崎さんからで、また保坂さんから同じく作家の柴崎友香さん(彼女は『文藝』冬号に特集されている。ついでにこの号に磯崎さんの小説三作目が掲載されている。また古谷氏とも柴崎さんと知人であるらしい)を紹介された。そんな風に人と人の繋がりをみていくと、何か必然を感じる。もしぼくが小説を書いていなかったらこのような人間関係は生じなかったような気がしないでもない。必然って意外とデタラメな法則に従っているんじゃないかな。
わが家の猫は終日死んだように眠っている。もはや動物というより静物といった方が早い。今度猫の絵を描いて「静物画」という題名をつけてやろう。
10月25日
最近続けてみた夢。夢の中で目が覚めて、時計を見るといつもの起床時間の5時だ。さあ起きようと思うところで本当に目が覚める。そして時計を見ると1時とか2時だったりする。「なーんだ夢だったのか」と思うのだが、なんとも夢である。この夢に限らず最近(といってもここ数年間だが)は日常と夢の間の垣根を取っ払った状態に置かれることが多い。その内日常が作品で作品が現実ということになると、無意識が意識で意識が無意識になるのか?やばい線だけれどぼくが望んでいることかも知れない。つまりシンクロニシティが日常化するわけだから願望がなんでもかなうようになるんじゃないかな。
ニューヨークのあとスペインの旅行が入っていたけれど旅行続きは疲れるので断ったら、また香港での展覧会のオープニングの招待を受けたが、これも面倒臭いので断った。でも国内旅行は面倒とは思わないのでチャンスがあるとなるべく行くことにしている。(そうか、断ったりもしているじゃないか)
10月24日
昨夜、久し振りで狂言と能を観た。一般の人に比べると狂言や能をよく観ている方だけれど、特に能は学習して行かないとさっぱり理解できない。その上能の形式を知らないともっとわからない。もう二度と観たくないと思う。でもそれを我慢するとある時急に視界が広がる。すると面白くなる。が再び闇に包まれそうになる。なんだか悟りの階段を踏んでいくのに似ている。
10月23日
○本日送られてきた本
アスベクトより「年齢事典」タダノキンシュウ編
今夕は国立能楽堂に能を観にいきます。瀬戸内寂聴作「夢の浮橋」です。演者は梅若六郎さんです。狂言の方の題名は忘れましたが茂山千三郎さんです。久し振りに皆様と会えるのが楽しみです。あっ!題名思い出しました。「鬼ヶ宿」です。誰がいつ考えたのか知りませんが、能は狂言とセットになっています。古典はなぜかクセになります。秋から冬にかけてはなぜかぼくは古典に誘(いざな)われます。
10月22日
○本日送られてきた本
柴崎友香さんより「星のしるし」/柴崎友香著
宮本亜門さんより「バタアシ人生」/宮本亜門対談集
ぼくはつくづくなまけ者だとわかった。もう何ヶ月も前から描きかけの絵が90%以上出きているというのに、10%の仕上げをする気が一向に起こらなかった。今日思い切って仕上げた。すると2時間ぐらいで終わった。こんなことに何ヶ月と放っておくんだから、本当になまけ者だ。
10月21日
毎日のブログ結構書くことがない日があるんです。例えば今日なんか。今日は陽気がよくポカポカした一日だったので、世田谷美術館へ行ってレストランの中から外の景色を眺めながら、館長と美術の話ーこういうひと時が時間を止めるのです。
10月20日
ぼくは滅多にコーラは飲まないけれど、例外はある。ピザとお好み焼きの時一緒に飲むとこんなに美味しいものはないと思う。ハンバーグにも合う。またらっきょを美味しく食べたい時のコーラもいい。
自分にむかつくことがある。それは持っている本が探せずに、同じ本を買わなきゃいけない時だ。今日はそんなわけで一冊買った。すると近い内に出てくるに決まっている。
10月19日
以前ある有名ビールのテレビCMに出演したことがあって、コピーは自分で作ることが条件だった。そこでぼくは「ビールの飲めないぼくが飲んだ○○ビール!」とCMの中で語った。するとコピーの中に否定的用語(飲めない)が入っているので採用されなかった。ビールの飲めない人に飲んでもらうということでビール人口が増えると思ったのに残念だ、とぼくは言った。これに変わってもっと強烈なものをと考えた末「○○ビールを飲んだらぼくの魂が飛んじゃった」と語った。面白い面白いといってこのコピーが採用された。だけどクライアント初め代理店、制作会社も誰もこのコピーの背後に隠されている本当の意味が気づかなかった。「魂が飛んでいった」という言葉はつまり「○○ビールを飲んだらぼくは死んじゃった」という意味なのである。誰にも気づかれないのでこのCMは毎日茶の間に流れた。
マンガは小説を読むより難しい。映画と同じで心理描写ができないからだ。人物の表情や情景がそれを代行するわけだけれど、小説のようになかなか入り込めない。だから、結局2度、3度読むことになる。決め手はこちらの想像力にかかる。
10月18日
平野啓一郎さん夫妻が遊びにこられた。夫妻で伊豆だったかどこかの温泉でオイルマッサージを受けられた時、全裸でうつ伏せにされたそうだ。奥さんは下をつけたままだった。聞くのを忘れたが、体を裏返(表替え?)させられたかどうかを。ぼくはタイのバンコックで鯛焼きみたいに両面ひっくり返させられました。
10月16日
今日文藝春秋の「文学界」という単行本担当の編集者2人がみえて、なんとなく泉鏡花賞受賞第一作目の執筆をうながされているような雰囲気だった。一、二の構想はあることはあるが、今すぐ書く気分にはなかなかなれない。来年の21世紀美術館の個展に向けての制作時間など考えるとそれが終わってからかなと思う。本職の作家なら与えられた賞に対して、自身を持ったり方向が素人にプロが貰う賞を与えられると結構複雑な気持ちである。なぜかというと、今後作家としてやっていくかどうかという方向も決まっていないので、野望や願望や夢などのビジョンが持てないので、このままスーッと文学の世界へ向かうにはもうしばらく時間がかかりそうだ。
不思議なものでホームページのオンラインショップに小説「ぶるうらんど」の注文が集中しています。四月に刊行された本なので、大きい書店でないと手に入らないかも知れませんが、再来週位に受賞の告知をした新しい帯をかけた本が店頭に並びそうです。
受賞が報道されてから少し経つが、いまだに祝電やお花が届けられますので、受賞気分はもうしばらく続きそうです。受賞式は11月19日金沢で行われるので、その頃までは落ち着かない日が続くのかも知れません。この欄で以前にも書いたけれど、わが国はやはり文学の方が美術より評価が高いのかなと思ってしまいます。
○本日送られてきた本
保坂和志さんより「小説、世界の奏でる音楽」保坂和志著
細野晴臣/鎌田東二さんより「神楽感覚」細野晴臣/鎌田東二共著
永順さんより「永順」永順著
岩下哲士さんより「岩下哲士アトリエ館」岩下哲士著
10月15日
わが家の猫に限らず、猫は居場所をしょっちゅう変える。つまりすぐ飽きる性質なのである。するとぼくは猫の性質に近い。いや近いどころかそのものだ。だから作風が次々と変化するのだ。そーいえば30才頃まではしょっちゅう転居していた。猫と似ていないところがひとつある。それは猫は不眠症にならないところだ。
ぼくは小説でも映画でも物語が終わったあとに興味がある。その先の人生を空想すると想像力が創造的になっていくからだ。泉鏡花文学賞をもらった「ぶるうらんど」の小説はまさに物語が終わった後から始まる話である。つまり生が終わってからの物語である。
今日読売新聞社から泉鏡花文学賞受賞の取材があった。取材の最中、何度も「教科書」という言葉を聞いた。どうしてぼくの小説が教科書にふさわしいのか、と思って逆に質問をしたが、ぼくにはトンチンカンな言葉しか返ってこなかった。ところが取材が終わってからフト気が付いた。記者のいう「キョーカーショウ」は「教科書」ではなく「鏡花賞」のことだったんだ。
10月14日
三連休の初日は滋賀県立美術館でトーク、2日目はたっぷり時間をかけてオイルマッサージ(これはよく眠れた)で疲労を取る。もう時差ボケから解放。3日目は天気もよく、ぶらぶら本屋で時間つぶし。アトリエで本を読みながらドローイングを描いたり、絵のアイデアなど練ったり、CDを聴いたり、仮眠したり、エッセイを書いたりする。でもこーいう日は実は何も考えていないのだ。過去の時間を反復しているに過ぎないのである。そして時間は流れずに循環しているのだ。
10月13日
カメラマンの小川隆之さんが亡くなった。ぼくと同じ年だった。またアトリエのすぐ横下の俳優の峰岸徹さんが亡くなった。70年代だったか大映の「新宿番外地」の映画に出演した時、彼と一緒だった。自分よりも年下の者が亡くなるのは嫌だ。といって年上が亡くなるのもカウントされているようでこっちも嫌だ。同じ年の者が亡くなるのは自分の分身みたいでこれも嫌だ。
よく映画で文学賞を獲ると肩書きに「作家・画家」と入れるが、作家としてめしを食う覚悟したからそうするのだろうか。ぼくはまだそんな覚悟がないので肩書きには「作家」とは書けないなあ。
長男は「泉鏡花賞」のことを「菊花賞」というし、長女は「どんな絵で貰ったの?」という。やれやれ。
「ぶるうらんど」の第一章に夫婦の会話が延々続くが、われわれ夫婦を知っている人は大抵、われわれ夫婦のことだと思うらしい。日本の小説は私小説が多いので、皆同じようにとらえるらしい。この小説は100%想像の産物だというのに。第一この小説の中で私小説を否定しているのになあ。
10月12日
家の近くでバイクのおじさんがはねたのであろうか大きい猫(わが家のタマと同じ模様)を抱きかかえたままジーッと立っていた。
金木犀のいい香りが辺りいっぱいに充満してきた。家の中に入ると泉鏡花文学賞のお祝いの花が、まるで花屋さんみたいにずらっと沢山並んで、強い匂いを発していた。送られてきた祝電からもいい花の匂いがした。
10月11日
泉鏡花文学賞が新聞やネットで報道されたので、色んな方から祝電やFAXなどで祝福されました。美術関係の賞を貰ってもこーいうことはないけれど、文学関係はさすが違う。日本はやはり美術より文学の方が上にあるんでしょうかね。美術の方が文学より歴史は長いのに、やはり言葉の方がビジュアルより信用されるのかな。文学は観念で、美術は肉体である。
滋賀県立美術館で「北斎」展に合わせて、講演を行った。そして「北斎」展を観た。北斎は「何を描く」かよりも「如何に描く」かの人だ。例えば遠景に富士山がある。その富士山に対応して画面中央下にまるで逆さ富士を連想させるように三角形の形体が描かれている。それも鳥のたずなを引く馬子を描きながら、そのたずなを水平に描いたり、たるませて描くのではなく、ピシッと三角形に見せるためにやずなの中央を地面を歩く亀がくわえている。そのことで逆三角形がそこにできる。したたかな北斎の迷いがこういうところに仕掛けられているのだ。
帰路京都駅で買った草わらび餅は最高に美味かった。以上。
10月10日
4月に刊行された小説「ぶるうらんど」が第36回泉鏡花文学賞に選ばれましたことをご報告します。
昨夜選考委員の一人村松友視さんから電話があって、「横尾さんの“ぶるうらんど”が泉鏡花賞に決まりましたが受けていただけますか」というのだった。最初は村松さんが「ご無沙汰しています…」から話がはいったのでぼくは村松さんの本の装丁の依頼かな、と思ってしまった。そのあと「泉鏡花文学賞」と聞いた時も、何かこの賞に関係した仕事の依頼かな、と思ってしまった。イヤー、それにしても驚いてしまった。もう小説「ぶるうらんど」のことなど夏前にすっかり忘れてしまっていたからだ。そこで過去の受賞者をネットで調べてみてまた驚いた。半村良、中井英夫、
森茉莉 、高橋たか子、色川武大、金井美恵子、澁澤竜彦、筒井康隆、三枝和子、倉橋由美子、吉本ばなな、島田雅彦、柳美里、山田詠美、京極夏彦、田辺聖子、野坂昭如、丸谷才一、等々、全員プロの有名な作家ばかりだ。ど素人のぼくが本当に貰っていいのかなと、とまどいっぱなしだ。
詳細は読売新聞や北国新聞のネットで見て下さい。
10月9日
昨夜はあるパーティーに出席して、久し振りに長年会っていない人達に会ったが、お互いの共通の知人が倒れたという話を四件も聞いて、お互いに(70代の者)体に気をつけてないとね、という話題になった。その内耳がツーンと鳴って相手の声が小さくなり、自分の声が拡声器を通したみたいに大きくなったのであわてて帰宅して、すぐ寝た。朝になったら治っていた。
来客が3人あって帰る頃、玄関には蟻が一匹もいないので、踏まれないでよかったと思いながら「ぼくが外に出ると蟻が寄ってくるんですよ」と言った途端あっちからもこっちからも集まってきたので、皆驚いて、「横尾さんは甘い物が好きだからですかね」と言うのだったが、まさかぼくの体はあんこなんかでできていませんよ。
○贈られて来た本
高橋克彦さんより「月下の天使」高橋克彦著
浜野安宏さんより「共育自然学園」 浜野安宏著
10月8日
昨夜は文京区のY字路の撮影(「東京人」の連載)に出掛けた。2時間余り歩きっぱなし。毎月一回一ヶ月分の「歩き」をすることになる。多い時など5時間位歩く。運動不足が解消されると同時にY字路も撮れるというわけだ。Y字路は地形としては使い勝手が悪く、地図上ではY字路なんだけれど、実際は整備されたりするので、東京のY字路はいずれ絶滅の運命にあるように思う。
まだ体が本調子じゃないのか、歩いたり食べたりするとすごく汗をかく。風邪を引いた時は汗をかけば治るけれど、暑くもないのに汗が出るのはちょっと病的かなと思う。昔はよく冷や汗をかくことが多かったが、この年になると冷汗はかかなくなったが、その代わりに変な汗をかく。
10月7日
緒形拳さんが急死された。以前ぼくがアメリカ映画のポール・シュレイダー監督の「MISHIMA」に画家役で出演した時、三島由紀夫役の緒形さんと話したことがあった。緒形さんはなんとか三島さんになり切ろうとしておられた。ぼくは話しながら二人のイメージがかなり違うなと思った。そのことを監督に話したら「別にソックリさんを撮るわけじゃないからね」と言った。ぼくが言ったのはルックスのことじゃなかったんだけどなぁ。でも、もしソックリさんで演るなら、あの当時の中村敦夫さんがいちばんピッタリだった。
今日道を歩いていたら、自転車に乗ったお巡りさんがやってきて、いきなり「今日は」と声を掛けられ、ぼくも思わず「今日は」と返したが、お巡りさんて歩いている人にいちいち挨拶するんだっけ。
10月6日
雨が上がったあとの草木や土の匂いはいい。金木犀の匂いがどこからともなく近づいてくる。こーいう匂いは子供の頃のものだ。雨が土の匂いを掘り起こすのか、こぶなを追っかけて小川に出掛けたあの日に嗅いだ匂いとそっくりだ。秋になると特に臭覚が敏感になる。でも夏には夏の匂いがあったっけ。もしかしたらぼくはこのような自然の匂いから知らず知らず影響を受けた絵を描いているのかも知れない。
わが家のタマは家の中で次から次と居場所を変えていく。またそれを楽しんでいるかのようだ。思わぬ場所にいたりすると、思わず感心してしまう。猫は猫なりにクリエイティブをしていることにだ。
昨夜BSハイビジョンでイタリア・ベスト50(なんと多いことだろう)の観光地の案内番組を2時間見続けていた。ぼくはイタリアが大好きだ。といっても、ローマ、ミラノ、フィレンツェ、ナポリ、アッシジ、ポンペイ、ベニスぐらいしか行ったことがないが、ぼくのベスト・ワンはやはりベニスだ。テレビが進んだベスト・ワンもやっぱりベニスだった。ヨーロッパの多くの画家は皆んなベニスに行っている。ベニスを美しく引き立たせているのは運河と水上に浮かぶ建物だけれど、それをさらに引き立たせているのが雲だった。ベニスの雲は実に美しい。
10月5日
河口湖から帰った次の日から声がかなり出るようになって、昨日はいつもと同じ7時間位寝たようだ。時差ボケから脱出したのかな?機内でも熟睡するという人や時差ボケが一切ないという人がいるが、ぼくからいわせれば異常に人ということになる。正直でないんじゃないかと思ってしまう。
暑くなりかけた6月頃から歩くなり、自転車での、移動が中心になってしまったので、その間完全な運動不足になってしまっていたのでこれからは歩くことにした。しばらく歩いていなかったせいか体が重く感じる。体が重いと考えることも重くなる。頭をウンと軽くするには歩いて体を軽くするしかない。体が軽いと自然に絵も軽くなる。
○贈られた本
宮沢みちさんより「世界中で愛される男の子、女の子の名前」宮沢みち著
今岡雅依子さん(青土社)より「聖母像の到来」若桑みどり著
10月4日
テレビで観たのだけれど、ある大きい釣り堀に一匹の黒猫がいる。この黒猫は釣り堀を一周しながら、この人と思う人の横に座ってその人が魚を釣るのを待っている。ところがほぼ確実にその人が魚を釣る。その分け前を貰うというわけだ。どういくわけかその黒猫に無視された人よりもターゲットになった人の方が魚を沢山釣るので、誰もが黒猫に目をつけて貰いたいと思うのだが下手な人の所には全く寄りつかない。どうやらこの黒猫は予知能力があるらしい。
体調が悪いまま(ほとんど声がかすれてで難い)河口湖町のNHK資料センターへ行く。ここでNHKテレビの「人生の歩き方」(11月の毎週水曜日(午前10:25~10:50)と翌週水曜日(午前5:05~5:30)に「知るを楽しむ」に4回出演します。)の後半2回分を収録する。話をしている内に不思議なことにすこしづつ声が出るようになってきた。終わってビリヤードに高じる頃にはほぼ元に戻る。おまけにビリヤードで優勝する。
○送られてきた本
瀬戸内寂聴さんより「ケータイ小説・あしたの虹」ぱーぷる(瀬戸内寂聴著)小学館より「樺島勝一」
10月2日
例によって眠る瞬間を見届けてやろうというとんでもない行動に出たものだから、眠れなくなってしまっている。N.Y.に行く前までは7時間たっぷり眠っていたのが時差でそのバランスが狂ってしまったというわけで、旅行に行った倍の日数が元に戻るのに必要だという。今日はいい天気だったので日光浴を兼ねて公園で文庫本「死の彼方へ」のゲラ校正を2時間半ほどしていた。10年ほど前に書いた本なので、手を入れるときりがないので、ほとんど原文のまま生かすことにした。その頃と考えも変わっているが下手に今の考えを加えたりすると凸凹な文章になってしまうので「幼い」ままで通すことにした。
昨日「山海塾」を観に行った。華麗なタカラヅカの舞台ではよく居眠りをするのにダンスは眠らなかった。非常に洗練されたシンプルな中に過剰なイメージが充満していた。今度ゆっくり天児牛大さんをアトリエに招いてゆっくり話をしてみたい。
もうほとんど蟻の姿がなくなったが、それでも何匹かはいる。急いでどこかに行くのもいるが老蟻なのか病蟻なのかヨタヨタしたのもいる。空気がなきゃ生きていけない動物もいるのに、蟻や魚みたいに空気がなくても生きている生物を一概に下等とは呼べないような気もする。
10月1日
寒くなって来たので蟻が土俵に出なくなったので淋しいが一方でホッとしている。来客に踏み殺されなくなったからだ。結構こういう何でもないことがぼくにとっては重要なのである。
体調がすぐれないとばかりいっておれないので、一寸大き目の絵(といっても100号だけれど)を描き始めたら、全身から汗が吹き出して、体中をエネルギーが流動し始めて、少しはいい方向が見えてきた。人間のエネルギーの中で最も強力なのは創造のエネルギーではないかと思う。
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