2012年5月29日
最近よく見る夢だが、外国旅行で、ホテルにチェックインするが、旅行社エージェントがホテルに連絡してくれてなくて、白紙状態でパニックが起きる、そんな夢を2つも見る。夢の中で、早く目が覚めてこの夢から脱出したいと願っているが、なかなか覚めてくれない。このように出口を塞がれたような夢をよく見る。これって地獄だ。ある武士が白隠禅師を訪ね、地獄と極楽を教えてくれと乞う。白隠は「そんなこともわからん、へっぴり武士め」と言うと、武士は怒って白隠に斬りかかる。その瞬間「それが地獄だ」と白隠。そのことに気づいた武士が、その場にひれ伏して謝る。すると「それが極楽」と白隠。白隠はこうして体で教えた。

完成された作品には秘密が隠蔽されてしまっているが、未完の作品には作者も気づかない秘密が露呈している。

頭の中のモヤモヤは天気のいい公園で緑と青空を見、鳥の声を聴くか、または昼寝をすると解消する。悩みなんてその低度のものらしい。

絵を眺める時、画家は技術に注目し、頭の中で絵を描くのだが、絵を描かない人は一体何に注目しているのだろう。

「しゃーないやんけ」という言葉の裏に、「何とかなるんちゃうか」という希望もある。

2012年5月25日
そーいう意味でセザンヌは最終的な到達地点だと思っている。ぼくの昔のポスターはハデだけれど色数は5色以内だ。その後の面白くない作品は全部色数が多過ぎる。多くても単色に見せる技術も必要。
言葉の過剰な文章が面白くないように絵画も色彩過剰なのは面白くない。セザンヌのようにうんと色数の少ない方が、より多く、より深い内容を伝えることができる。
不思議なもので絵をよく描く時に限って本もよく読む。水と油がセットになっているみたいだ。なんでもバランスが必要らしい。だけど両者の間に何もしない空間も必要だ。
わが家のタマは人の顔を見ると話しかけてくる。何かの要求がほとんどだが、相手をしていると一日つき合ってしまうことになる。
自分の中に楽観主義と悲観主義の両方がある。アクセルとブレーキを同時に踏んでいるようなものだ。アートもこの両方が顔を出す。
ここ2年間、風邪を引いていない。無理しないからだろうか。でも負荷はかけた方がいいはずなので、早足で町内を歩きまわっている。年を取るとゆっくり歩けというが、昔から早足だ。言葉では「老人」と言っているが本当のところは老人だと思っていない。
書いたり、しゃべったりが面倒臭くなっているのに、文章の本の出版の話が、結構次々ある。気持とは逆に働くエネルギーがあるのだろうか。最近はわからん仕事の持ち込みが多くなっているのかもわからん。
喘息で声が出しにくいと、考えも出にくい。だから失語症的になる。もうそんなに言うこともない。言葉が多いと考えも複雑化していく。常に単純でありたいと考えているので丁度いい。

2012年5月22日
買い食いは滅多にしないけど、胸焼けの元になるアンドーナッツを買ってしまった。雨の日は歩くことに決めている。雨が降ると運動になる。猫は一日中寝ている。高峰三枝子「メモリアル〜薔薇よ永遠に」のCD/DVDを買う。すでにDVDは2枚持っているが、全部取り揃えたい。彼女には若い頃一度会ったことがある。大変親切だった。

2012年5月18日
博多は久し振りだった。いつ来たか記憶がないけれど、10年ほど前から?夕刻から福岡アジア美術館で講演を行う。講演は段々苦手になってきている。年のせいなのかな、人前に出るだけで疲れる。それと話すことがあまりないのだ。川端康成さんみたいに、「こんな顔でもよけりゃ見て下さい」と言って一言もしゃべらないで椅子に腰掛けているだけの講演(?)は最高だよ。またアンディ・ウォーホルみたいに、ダミーのウォーホルを送って、自分は家にいるとか、年老いると人間はしたいように生きるべきだ。

2012年5月16日
新幹線の車内は、レストラン、書斎、寝室、禅堂、展望台、久し振りに九州への長旅は退屈などしない。むしろ三昧多忙だ。

2012年5月15日
昔は雨は好きじゃなかったけれど、加齢と共に皮膚の湿り気がなくなるから雨はそのためにもいい。ただしキャンバスの油絵が乾きにくい。これから夏場になると絵が早く描けるという特典はある。明後日は福岡へ行くが天気はよさそうだ。久し振りの新幹線。もしかしたら今年初めてじゃないかな。


2012年5月14日
土曜日にギックリ腰になり、マッサージに行く。翌朝はすっかり治っていた。昨日は古本屋で、マチス、デュビュッフェ、ボナール、ユトリロ、アロイーズの画集を買う。お馴染みの画家達だが、 それぞれに思うとこあり。CDショップにぶらりと入って買ったのは内山田洋とクールファイブの3枚組を衝動買いする。アトリエでそれを聴かずにベートーベンを聴く。そのあとはレディ・ ガガ。クールファイブはその気分になった時に聴く。

2012年5月13日
しばらく新幹線に乗っていないが、今月は福岡、神戸に行くので久し振りに2回乗れる。新幹線内では絵は描けないけれど、東京にいる時よりうんと仕事がはかどる。毎日新幹線に乗っていると絵以外の仕事が随分できそうだ。車内で公開制作ができるといいと思う。よく揺れるので面白い絵が描けそう。
日曜日は忙しい。どこかに出掛けるからではなく、ジーッとしているから、次から次へと考えが浮かんでくるからだ。それと遊ぶのに忙しいのだ。
胸焼けがするので甘いもの、肉系が食べられないのがつらい。結果はダイエットをしているのと同じ。
スカイツリーは昇りたくないけれど水族館は見たい。ここの海水は人工的に水道水と塩とミネラルで魚に合うように作っているそうだ。

2012年5月12日
昨日、神津善行、中村メイコ夫妻の家に遊びに行く。家中には長男の善之介君(バルセロナ在住)の描いた家族の肖像が所狭しと飾られている。スペインの魔術的写実主義を思わせる見事な描写だ。メイコさんから頂いたエッセイ集「人生の終いじたく」が面白くて、仕事にならなかった。2人で芸能界入り、そのキャリアが語る「人生」は一人で何人もの人生を生きてこられた感じ。人生が長かったせいか、あちこちに「死」が散らばっている。だから読ませるのだ。
土曜日はワクワクする。だって明日も休めるんだから。サラリーマンではないのに、土日だけはサラリーマンみたいになってしまう。
誰もがよーく知ってる。だけどそれに何の価値も見出さなかった。ぼくの「Y字路」はそーいうもんだ。だから何度でも繰り返して描く。
これは何? 何を描いているの? その意味は? どうして自分で考えない(感じない)で、その前に答えを欲しがるの? そんな人には答えなど絶対言ってあげない。

2012年5月9日
胸焼けが焼けにきつい。こういう時になぜか焼きたての鯛焼きが差し入れられる。焼けくそになって食べる。

2012年5月8日
何かしたいというのはこちらの作用だと思っていたが、そーじゃなく向こうからやってくるものだ。その時は全て準備されてやってくる。だから無理しなくてもいい。無理以上のものは要求されないから。

2012年5月7日
GW中に山田洋次監督「東京家族」の撮影を東宝撮影所に見に行く。本当に画面の中に写る部分しかセットが組んでいないことにやや驚く。実に計算された省エネセットという感じだ。セットの中を歩く足音がドタドタと大きいのが気になる。また背景の街は写真の切抜きでお粗末だと思ったが、実際に映画になると自然に見えたり聞こえたりするそうだ。映画はやっぱりマジックだ。この日は大雨だったけれど、撮影所内は人でいっぱい。出演者の橋爪功さんらと食堂で久し振りにカツカレーを食べる。それにしても映画関係者の人達の早食いにはちょっと驚く。
シャングリラの源泉はシャンバラ伝説からで、ラサのポタラ宮殿を初めシャンバラに通じる道は数ヶ所あるという。ロシア画家ニコラス・レィリッヒはヒマラヤ奥地を踏破、美しい絵を沢山描いている。
ボストン美術館(U.S.A)で開催中の「シャンバラ」展に出品。シャンバラとは地球内部の空洞にある伝説の都市。日本ではオカルトとして済まされるが、さすがアメリカ。シャンバラを歴史的視座に立って、中央アジアの神秘の解明を試みる。
自然の色が緑だということは人間にとって実に至福だと思う。これが、赤だったり、青だったり、黒だったり、白だったりしたら長時間耐えられないだろう。公園がいいのは広いから、ベンチがあるからではないのだ。
蟻は三次元に存在しながら、二次元しか認識できないのは、人間が三次元にとらわれているために四次元が認識できないのとさほど変らない。

GWが開けたらまとめて展覧会を見よう。古典芸能も観よう。耳が悪いので舞台の声が聴こえないのがつらい。耳が退化する分視覚が発達しているのだろうか。
GWというよりシルバー・ウィークだ。シルバー・ウィークは死ぬまで続くけどね。その内ブラック・ウィークになるだろう。

2012年5月6日
今日は一体何曜日? 毎日が日曜日だから何曜日だって関係ない。本来画家には曜日なんてあってないようなものだ。
自分のツイッターは発信するだけ。それが何なのかわからない。どれだけ雑念が吐けたか知らないが雑念が失くなることはない。死んだらツイッターをする必要はない。

2012年5月5日
娘は夜行バスで福島にボランティア活動に出掛けた。彼女にとってのGWの活用法だ。「居眠り運転手を見張ってなきゃいけないよ」と送り出す。
この頃、昔読んだ本ばかりを読んでいる。だけど初読と同じ。何も記憶がない。別に記憶するために読んだわけでもなかろう。
ニューヨークの個展が始まった。別に行かないけれど、頭の中には常にギャラリーの様子が浮かんでくる。ここにいながら向こうにいるというバイロケーション感覚だ。
子供の日でも最近は鯉のぼりを見たことがない。子供の頃、欲しかったのは鯉のぼりだったが、とうとうわが家には鯉のぼりが上がらなかった。
①何もしないGW。誰とも合わないGW。孤独を楽しまないで何を楽しむ?
②公園はわが家の広大な庭だと思えば、実に立派な家に住んでいることになる。だけど中々そうは思えないものだ。

2012年5月2日


GWはプレッシャーになる。もてあます時間に意義を求めようとするからだ。昨夕、エステをしたあと、超ぬるま湯に長時間入っていたので、睡魔に襲われてそのまま前後不覚。深夜に目を覚ますと、腕にアトピーが出ていた。
胃を休めるために食べ物の量を半分にする。仕事も、散歩も、読書も半分がい。
年を取ると自然に何もかもが半分になる。

2012年5月1日
休日はほとんど人に会わず、話すこともなく沈黙の修行だ。沈黙を守れば絵が饒舌になってくれる。今日は雲天。

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