YOKOO'S VISION - 横尾忠則の日記 -

2026年06月

90歳になって、今日で3日目。見る景色がガラッと変るようなことはありません。90歳の心がまえは、救急車にはなるべく乗らないようにしたいですね。

90歳の誕生日に、2つのイベントがスタートしました。1つは、渋谷パルコで「初めての90歳」展に90点のポスターが展示、販売されること。もうひとつは27日に春陽堂書店から「未完で生まれて未完で生きて、未完で死ぬ」と題する自伝の発売日です。
https://www.1101.com/hobonichiyobi/exhibition/7637.html
https://www.tadanoriyokoo.jp/product/2106

救急車搬送見舞と90歳誕生日祝いのメールと花が花屋さんができるほど届きました。お礼を申し上げます。ありがとうございました。

ヨーロッパ、アメリカの友人達から救急車見舞のメールが届いて、海を越えて心配をお掛けしたんだなあと、これからはなるべく乗らないようにしたいですが、これだけは約束できません。なんたって90歳ですからね。

近況報告みたいなエッセイを「週刊新潮」に連載しています。「運命まかせ」(新潮新書)はこのエッセイをまとめたものです。
https://www.tadanoriyokoo.jp/product/2101

やっぱり90歳は身体がしんどいです。89歳の1年は2年ほど長く、なかなか90歳になれなかったけれど、これからの90代は80代に比べると、うんと短かいでしょうね。

90代は死亡宣告をされたようなものですからね。余命、何日、何ヶ月、何年と医者に言われたようなものですからね。

これから、アトリエに来る人は、皆んなお見舞に来る人のように見えるかも知れませんね。

自伝「未完で生まれて未完で生きて、未完で死ぬ」はウソのような話の連続のように思われるが、一切の脚色はしていない。すべて現実に起ったことばかりだ。常識を逸するような話の連続だけれど全て事実、ぼくが体験したことばかりです。https://www.tadanoriyokoo.jp/product/2106

これを発売した1980年頃、大方の人は作り話だと思って無視した人もいました。台湾の文学界では純文学として最高の賞を貰ったけれど、日本では相手にされず、あんまり売れませんでした。

今、この本を読んでくれた人は45年前の人達ではない。この本を書いた時に生まれた人は、現在45歳です。でもこの本でぼくが体験した時代はさらに20年ほど前です。しかし、今の若い人はかつての人達より、もっと多くの知識や経験があるはず。わかってくれると思います。

この本の中にはヘェーという歴史的な人達との交流を語っています。オン・タイムでこの人達とぼくは会い、話して交流したそんな体験談をそのまま語ったつもりです。もう一度、当時の友人、知人、一緒に時間を共有した人達に読んでもらいたいと思うのですが、まあ読まないでしょうね。

とにかく今の若い人達に読んでもらいたい。そして行動してもらいたい。読後感を出版社の方に寄せてくれると嬉しいですが。

ぼくは読書が嫌いだったけれど、誰も読まない変な本ばかり読んでいたけれど、本を読む時間があったら、人に会ったり、旅をしたり、未知の世界に身体ごと飛び込んだりの、それこそ未完の生き方をしていました。

いづれこの本の前半と後半は書きたいと思っていますが、時間と体力との相談ですね。

自伝「未完で生まれて未完で生きて、未完で死ぬ」の中で、ぼくがグラフィックデザイナーから画家に転向する瞬間が自力ではなく、見えない他力の力が働いて容赦なく画家にさせられてしまう。エピソードがかなりくわしく語っている。

ぼくは画家宣言など一度もしていない「宣言」はメディアが勝手につけた言葉で、ぼくは単に画家に見えない他力によって強引に転向させられただけの話だ。その辺のことがくわしく語られている。

「運命まかせ」という本が目下出版されているが、この自伝「未完で生まれて未完で生きて、未完で死ぬ」のほぼ全てのできごとは運命に従った結果で、自分が運命を切り開いたことなど一度もなかった。全て運命まかせだった。

「運命まかせ」(新潮新書)が重版がかかったとのこと。2刷が書店に並ぶのは7月8日以後になるそうです。しばらくお待ち下さい。待てない方はアートプラネット・ワイのHPへ。
https://www.tadanoriyokoo.jp/product/2101

自伝「未完で生まれて未完で生きて、未完で死ぬ」は6月27日の誕生日に合わせて発売されるそうです。本書は書店でスタンバイしています。
https://www.tadanoriyokoo.jp/product/2106

「未完で生まれて未完で生きて、未完で死ぬ 横尾忠則自伝」が春陽堂書店で1位にランクインしたと報告がありました。この書店では横尾の90周年フェアも開催中と聞きました。ブラッと冷やかして行ってみて下さい。「運命まかせ」(新潮新書)の増刷と共に先は好スタートってとこですかね。

救急車騒動で何人かの友人、知人からお見舞いいただきました。やはりあらそえないのは年齢ですかね。今週土曜日には90歳の誕生日を迎えます。本来の病弱の自分にとっては、われながら信じられない奇跡だと思っています。

絵が延命させてくれているように思います。それ以外は怠け者で、身体を動かすことが大嫌いです。メンドー臭くって。

健康のためには何ひとついいことはしていません。身体のためには悪いことしかしていません。いつまで絵を描かされるんですかね。

ぼくは政治オンチです。そんな政治オンチが書いた「運命まかせ」(新潮新書)を政治家の太田あきひろ氏が読んで下さっていて、ヘェーとびっくりしたのです。かなり長文の書評が太田氏のホームページで出ていたと「週刊新潮」のぼくの連載「ドンマイ」の編集者が知らせてくれました。

その書評は「とにかく面白過ぎる」、「老いの肯定本」とは全く次元を異にすると批評して下さってい

そーか、政治家は「運命まかせ」じゃやっていけませんね。運命を切りひらく生き方です。それに対して、ぼくはそんなメンドーくさいことはしません。向こうからやってきたものを、そのまま受け入れて、それにまかせる生き方です。そんな生き方を「面白過ぎる」とおっしゃっています。

そんな「面白過ぎる」本をぜひ読んでみて下さい。

あっ、言い忘れていました。太田あきひろ氏は京都大学出身の公明党の常任顧問であります。

自分でも忘れていたけれど、自伝「未完で生まれて未完で生きて、未完で死ぬ」の本の中で、色んな超常体験を語っている。幽体離脱の話から幽霊体験からUFO目撃から、宇宙人遭遇まで。このような現象が起こったのは70年代が最も多く、80年代に画家転向と同時に終った。

だけどこの異界体験がなければ画家に転向はしなかっただろうし、作風を決定したことと、この超常体験は無縁ではなかったと思う。

こういう体験を否定したり、拒否するのはおおむね知識人です。知識人は目に見えるもの、科学で証明できるもの、いわゆる唯物論者です。しかし芸術は見えないものを具現化することです。

創造は顕在意識では限界があります。無意識はアカシックレコード的なツールを通してやってくるものです。近代人はそこを否定したがります。観念の現界にしか認めないから。

この自伝には見えるものと見えないものが交差した世界の中で感じとった生き方を語っています。書いた当時はあまり評価されなかったけれど、55年以上経った今、思わぬ人からの評価が寄せられています。

先週だったか、久し振りで、何年振り? いや何ヶ月振りかで救急車に乗せられて病院に搬送された。車中のベッドが硬くて背中が痛い。サイレンのピポーピポーが耳ざわり。さて何回ぐらい救急車に乗ったかな?

アトリエで、さあ帰ろうと思ったら身体が前に動かない。ソファーに倒れるしかない。その内救急隊がドヤドヤとやってきて「玄関まで歩けますか?」「イヤ、歩けません」「デワ」と言って4人位で抱きかかえられながら、タンカに乗せられて、救急車へ。

抱きかかえられても、落とされるのでは?と不安。決して気持のいいものではない。どちらかというと気持悪い。

「さあ着きましたよ、病院に」と救急車へ。すぐ心電図の検査。次は採血と点滴。このパターンは何度か体験して、慣れている。

一体何が起こったのかさっぱりわからない。看護師さんが耳元でワーワー叫んでいるが、よく聞こえない。だって難聴なんだから。

その内、メンドー臭くなってきたり、腹がへってきた。何か食べたい。そーいうと昼はタイ焼き2匹の皮だけの昼食だった。

どうも自分がやっていることは非日常的芸術行為に近い。いや芸術そのかもと、ボンヤリ考える。

どっちにしても生きていることがメンドー臭く、もう半分以上、生きていることが飽きてしまった。皆さん、ぼくの「飽きる美学」という本を読んでみて下さい。

人生を飽きるほど生きて下さい。飽きたらない人は、もっと生きて下さい。救急車には10回は乗ったかな?もう飽きました。

「飽きる」ということはどういうことですかね。やりつくした結果到達する世界です。やりつくしもしないで、ちょっと噛じっただけで飽きたなんていう人は、いい加減にしか生きていません。

三昧になって(無心になって物事に集中すること)初めて飽きるのですが、三昧はまた究極の遊びです。遊びつくして初めて飽きるのです。

そんな「飽きる」ことに熱中して、人は初めて自由を獲得するのです。中途半端じゃ、自由になったとはいえません。飽きつくして初めて自由が手に入るのです。

そんな「飽きる」生き方をぼくなりに考えて書いた本が実業之日本社から「飽きる美学」と題して出してもらいました。

当時、この本が出た時「私も飽きた」なんていう若い人の発言をあちこちで聞きました。ちっとも飽きていないのです。言葉が新鮮だったので、使ってみただけです。

飽きることに徹底すると、目の前にパッと自由が現れます。1年半ほど前に書いて、出した本です。本屋さんになければ、ぼくのところのホームページのアートプラネット・ワイに問合せて下さい。サイン入りがあります。
https://www.tadanoriyokoo.jp/product/1976

山田詠美さんが推薦して下さっています。


自伝「未完で生まれて未完で生きて、未完で死ぬ」を毎晩ベッドの中で数ページずつ読んでいますが、60年、70年、80年初頭の文化、芸術状況の真只中で振り廻され、時には振り廻しながら、あの時代を共有した時代の熱い、誰もが知っている人達とのコラボレーションです。

最高の時代に遭遇して、そのカオスの中を運命にまかせて、成るように成った生き方のエピソード伝えたつもりです。

出来るだけ多くの人に読んでいただき、あの熱かった時代を今日に再現してもらいたい、この本の続きをあなたが書いてくれることを希望しています。https://www.tadanoriyokoo.jp/product/2106

自伝「未完で生まれて未完で生きて、未完で死ぬ」が出ました。発売は誕生日の6月27日です。ネットでは発売しているらしいです。この自伝は過去にタイトルを変えて3度出ていますが、随分時間が経ちました。
https://www.tadanoriyokoo.jp/product/2106

1960年神戸から上京するところから書き出しています。今の若い読者には初めて読んでいただけそうですね。

いずれこの自伝の前編と後編も書きたいと思っていますがいつになるやら。

60年、70年、80年、最も熱い時代が舞台になっています。ぜひ追体験してみて下さい。

ヘェー、今の時代と全然違うと感じられることでしょう。

読後感を寄せて下さると嬉しいですが。

自伝「未完で生まれて未完で生きて、未完で死ぬ」(春陽堂書店)は1995年(31年前)59歳頃に書いた本です。改めて読んで、ヘェー、これが自分?と感じました。1960年に神戸から上京。22歳頃かな。その頃から画家に転向して15年経った頃に20代から50代まで書いた本。https://www.tadanoriyokoo.jp/product/2106

今、読んでびっくり。随分無茶苦茶な生き方をしてきたものだと感心!30歳前から超一流の人物と交流している?ウソのようなホントの話、デザインも美術も独学。まともに勉強など何ひとつやっていない。白痴同然の人生?

周囲の人物も超有名人ばかり。どうして無名人なのに有名人が友人?知人?何も知らないので、何んだってやっちゃう。この頃から考えない生き方、それも人まかせ、運命まかせ!

すぐ誰とでもケンカをしてしまう。そして、日本を飛び出して、すぐ外国へ行ってしまう。その外国ではまた超有名人に囲まれてしまう。わけわかんない気分で生きていたのかな?

こんな本なのに台湾の最高の文学賞を貰っちゃう。何んで?こんな素人の書いた本なのに?

この本を読みながら、この主人公は本当に自分かな?と思ってしまった。ロサンジェルスのレコード会社にいくつか行ったら、人がいっぱい集まってきて、「ヘェー自分はアメリカで有名人なんだ」と思うバカな自分に思わず笑ってしまう。

サルバドール・ダリ、アンディー・ウォーホル、ジャスパー・ジョーンズ、ソール・バス、ジェーン・フォンダ、ソール・スタインバーグ、サンタナ、ドノヴァン、ジョン・レノン、オノ・ヨーコ、デヴィッド・ボウイ、リサ・ライオン、デヴィッド・バーン、なんでこんなスーパースターが周囲にいるんだ、わけわからん。

そんな時代だったのかな。英語はできないのに外人の友達だらけ、これもわからん。インドへは7回も行った。一体何しに行ったのか、これもわからん。面白い時代だったんだろうな。

この自伝を読みながら、もっともっと面白いこと一杯思い出したけれど、書き忘れていることに気づく。それにしても大半の人が全部今はこの世ではなくあの世だ。

次はあの世での人物やエピソードを書かなきゃ。こっちより、向うの方がうんと面白いはず。

「原郷の森」は一応芸術小説ということになっていますが、小説というフィクションではありません。あれを僕が書いたと大半の方は思っていますが、あんな知識も教養もありません。ある方法で得たコンタクトストーリィです。そう思って読まれた方が納得がいくでしょう。

あの本の中で私が書いた分は「俺」の語りと「地」の文章です。この本の中で描写している場所は私の創作ですが、他は死者であったり、宇宙的存在です。すでに読まれた方は、もう一度、あれを創作ではなくドキュメントとして読んでみて下さい。

ホテルで私が母船にテレポートさせられる冒頭のシーンは、56年前の1970年に起こった私の本当の体験です。こういうことは現実にあるのです。

その内、私の幼少期から、今日まで起った様々な神秘体験や写真などを本にしたいと思いながら、日々の制作に追われていて中々書く時間がありません。どこかの出版社で興味のある編集者がおられれば実現するかも知れませんが──。