YOKOO'S VISION - 横尾忠則の日記 -

2012年04月

昔、パリで作家のアラン・ロブグリエに会ったことがる。彼は英語ができるのに絶対しゃべらなかった。フランス人のプライドだろう。こちらはコンプレックスだらけで英語もしゃべれないというのに。でも最近は外国人に対しても日本語で通す。通じるものだ。

ロブグリエからコラボレーションの話を持ちかけられたのに、日本の彼の本を出版している2社が「売れない」という理由で、日本のエージェント代りになってくれなかったので陽の目は見なかった。彼はかなり気分を害したはずだ。

サラリーマンじゃないのに土、日や祝日の休日は嬉しいものだ。誰とも話をしない幸福感だ。孤独の楽しみは絵を描く感覚と同じだ。人と話をしないかわりに駅前に出掛けて一人でお茶を飲んだり、公園で本を読んだりしながら、人を見るのが楽しい。人間がオブジェに見えるからだ。人は見るものだと思えば本当にこれほどあきない観賞品はない。

やっと解ってきたけれど、書評を始めた1〜2年は自分と切り離された本を読むのが苦痛というか、時間のムダだと思っていたけれど、3年目に入った頃からは、自分では買わないだろうと思われる本が、かえって面白く思うようになった。最初は仕事で読んでいたけれど、読書は仕事にしない方がいいということがわかってきたからだ。だけど書くという段には仕事になる。だから書く時は話すように短時間に書くことにしている。自慢じゃないけれど、読む時間の1/100か1/1000のスピードで書く。そして仕事を仕事じゃないものにしてしまう。

土曜日はマッサージに行くことが多い。マッサージとエステを交互に行く。エステは紙パンツひとつで、全身オイルマッサージ。血行がよくなり終るとサウナのように汗みどろだ。冬は汗をかかないので、この発汗は体にいい。ただ体が温泉と同様、温ったまり過ぎて、さめるまで時間がかかるので睡魔がなかなか襲ってくれないことがある。だから早い夕方がいい。

自販機で水を買ったらコカコーラの絵柄に「HAPPY CAN/アタリ」と書いた缶が出てきた。コーラにピッツァが合うと思ってピッツァを取った。だけど缶から出てきたのはコーラではなく、音の出るバッチみたいなものだった。

絵から物語性を廃除した作品と物語を少し暗示した作品の両方を描いてみた。観念的には非物語的を好むけれど、感覚的には物語性だ。どちらも自分の中にある両義性だ。

絵はその日によって下手になったり上手になったりする。だけど上手に描けるとなぜか壊したくなって、わざと下手に描いてしまう。やっぱり下手な方が自然体で自分にしっくりくるのだ。

朝日に書評を書くまで、書評は一度も書いたことがなかったように思う。書評のために当然だが本を読む。この読むのがぼくには難行苦行だ。だけど書く時は坂道を走って降りるようなスピードで書く。それは忘れてしまうからだ。そして書き終ったら、本の題名まで忘れている。

今日はアトリエに突然山田洋次監督が現われ、丁度出来たばかりのポスターの絵を見てもらえてよかった。絵の中になんとなくヘリコプターを描き込みたくなった。そしたら映画の導入がヘリコプターだと知って吃驚仰天。こんなシンクロニシティは滅多にない。

約20年前、ラフォーレ原宿のミュージアムに仕事場をそっくり展覧会場にシュミレーションして、自宅やアトリエの様子(コレクションなど)をそのまま持ち込んで再現して、会場でスタッフ一同仕事をしたり、制作をし、打ち合せもこの場でこなし、展覧会を見に来てくれた友人、知人とお茶を飲みながら、語り合ったりしたことがある。展覧会期間中は毎日通った。この展覧会がいまだに話題になるというので、このようなことが再びできないか、という依頼をラフォーレミュージアムから受けた。現在ならともかく、当時としてはこのような大掛かりなコンセプチュアルなライブ作品(?)はまだなかったので、遊びだと思われて正当的に評価されなかった。何かとんでもないことができないかなあ。

口を開くと批判ばかりする人がいる。よほど自分に自信があるか、その反対に自身がないかのどちらかだ。むしろ後者じゃないのかな。

そーいうとぼくは十代の頃老子をやっていた。とにかく口べた(今も)で人の前でしゃべるのを極力避けていたことを思いだした。それはただ単に中味がなかっただけの話だ。

「語る者は智恵がない」――と言ったのは老子だ。自分の正しいことを証明する必要ない、というのだ。自分で分っていればいいということだろう。自分自身に目を向けろということだろう。

ふと深夜に目が覚めてトイレに行くが、そのついでに書評本を読んだり、興がのればそのまま短文の書評を書いてしまうことがあるが、昨夜はそうだった。こんなことをしないで少しでも眠ればいいのにと思うが、基本的に眠るのがどうも嫌いらしい。だから時々不眠にもなるが、まあ自業自得だろう。9時にベッドに入って10時に就寝が習慣だけれど、無意識では起きたがっているようだ。眠っている間に世界情勢が一変してしまっているのではないかと想像してテレビを全局チェックする。9.11の時はたまたまオンタイムで見てしまったために朝方まで、アンディ・ウォーホルの映画みたいに変わらぬ映像の反復に長時間つき合ってしまったことがある。自分の心臓音みたいに世界が刻々変化していく瞬間をどうやら確認したいらしい。これも眠る瞬間を見届けてやろうとする性癖とあまり変わらないようだ。

今日は午後から台風のような状態になるという。昼は世田谷美術館へ。酒井館長と久し振りに会う。といっても小松の宮本三郎のデッサン大賞の審査依頼だ。午前中はアトリエでコラージュではなく「東京家族」のための絵を描く。あと1〜2日で完成の予定。そのあとN.Y.に作品を発送するギリギリまでコラージュの制作にかかる。

1959年〜1960年の日記がでてきた。3日坊主でせいぜい1ヶ月たらずでギブアップ。ナショナル宣伝研究所が六本木に新社屋を建てて、大阪から社員が移るそんな前後の日記で、忘れていることばかりだが、読めば思い出す。この時代のことをもっとちゃんと書いておけばよかった。人生の後悔はないけど、日記はあるね。

上京早々、ナショナル研究所を辞めて、田中一光さんの紹介で日本デザインセンターに入るその経緯が自分の記憶と違っていた。この日記を読むだけで記憶って実にあいまいなものだということに気づく。

いつも3時間で眼が覚める。3時間はレム睡眠で眠りが深いが、そのあと、しばらくノンレム睡眠が続いて、7時間(トータル)が理想だけれど、このところ6時間ぐらいだ。まあ年令を考えるとこんなもんだろう。今朝は寝ているはずのタマが部屋に入ってきて起こされる。9時前にアトリエに行ってコラージュにとりかかる。昼は増田屋でざるそばと板わさ。三省堂で吉本隆明著「老いの超える方」を買う。午後は再びアトリエでコラージュ。今日の作品は難航するが、なんとか仕上げる。夕方まで安藤忠雄さんの「仕事をつくる」を読む。このところ喘息のヒーヒーという音が終日している。うるさい。