YOKOO'S VISION - 横尾忠則の日記 -

2026年03月

今朝の朝日新聞の鷲田清一さんの「折々のことば」に「飽きる美学」(実業之日本社)から、「未完で生まれて、未完で生きて、未完で死ぬ」という言葉が選ばれていた。常に自由でいたければ完成など求めることはない。中途半端で生きる。これでいいのです。

「飽きる美学」は飽きる人生でもあります。飽きれば途中で投げ出せばいい。何も全うすることはない。全うに縛られて身動きできない人がいる。未完は生きることを楽にしてくれる。

そんなことを書き集めた本である。「飽きる美学」を開いて、上の言葉を捜してみて下さい。
https://www.tadanoriyokoo.jp/product/1976

おでん(わが家の愛猫)も未完で生まれて、病気になって、身体が未完のまま死んでしまいました。完成したかったら、また生まれ変わって帰ってくればいい。

人間が輪廻転生するのは未完で生まれて、未完で生きて、未完で死ぬからです。完成すれば、二度とこの世には生まれることはないです。

「運命まかせ」(新潮新書)とは頑張って完成させるのではなく、未完のまま運命にまかせて生きる。これが一番生き易い生き方です。怠け者の僕はそのように生きてきました。
https://www.tadanoriyokoo.jp/product/2101

昨日の午前中に僕の相棒、または家族の一員だった猫の「おでん」が老齢のわれわれ二人の身代わりになって、向こうで待機するために、先き立ちました。

心の中も家の中にも大きい空洞がポッカリ穴を開けました。15年間毎晩枕をそろえて寝ていたおでんが今晩はいません。

前に死んだタマが埋まっている庭の近くにおでんも眠ることになりました。画集「タマ、帰っておいで」の続編として、おでんを今日から供養のつもりで描いてみたいと思います。

いつかタマとおでんの2人展ができればと思います。

今日の午前中、一晩おでんの亡骸をわが家の応接間で過ごさせ、妻がきれいな衣装でおでんを着飾って、スタッフと長女の美美も駆けつけて、庭のタマの墓の隣りに埋葬しました。

15年間毎日枕を共にしていたおでんだけに、夕べはよく眠れませんでした。死とは不思議なもので、この世から消えたにもかかわらず、生より重い存在として、この世界に存在します。

「運命まかせ」という本の前に「飽きる美学」(実業之日本社)という本を出しました。この本は「運命まかせ」の前篇で、「運命まかせ」は「飽きる美学」の後篇です。「飽きる美学」という本のタイトルはよくなかったと反省しています。

むしろ「運命に逆らうな」ぐらいのタイトルの方がよかったかな?とちょっぴり後悔しています。

もし「運命まかせ」を読んだ読者がいらしたら、「飽きる美学」を読んでみて下さい。「飽きる美学」も結局自由に生きるためには運命に従った方が楽だということを言っているのです。
https://www.tadanoriyokoo.jp/product/1976

「飽きる美学」も飽きるから違うことをしたい。違うことは変化を求めることですから、どんどん変化する。だからまた飽きるとくりかえします。それに従うということは運命にまかすことでもあります。

結局は人間は何をしても「なるようにしかならない」ということです。いいこともわるいことも、結局はなるようにしかならないのです。だったら運命にまかせてしまえば楽です。
https://www.tadanoriyokoo.jp/product/2101

今朝(3月12日)おでん(猫)が死にました。享年15歳でした。死の前日の写真です。元気なのにまさかと思うほど、あれよあれよという間に逝ってしまいました。

ちょっと世の中と逆行するような「運命まかせ」という、運命に逆らって自己主張する今日的生き方とは逆に、運命にまかせて生きる生き方がぼくの生き方だった。その根拠は「メンドークサイ」である。

メンドークサイことはしたくないので、向こうからやってくるものだけを受け入れて、それに従った方が楽だということから、受動的に生きることにした。それが運命まかせです。

その代わり、名誉、地位、財産などに興味を持たないことです。このような社会的欲望を求めてしまうと、外部に振り廻されて、自分を見失います。向こうからやってきたものを受け入れて、その中で自由にやるのがいちばん面白く生きやすい。

このような生き方をぼくは10代で経験してしまったので、20歳以後は10代の生き方を全うしただけのことです。求めるとシンドイ、だから与えられた中でやれば楽です。

でも大抵の人は、これじゃ何ひとつ前に進まない、だから積極的になる。そうではなく消極的な生き方こそ、気がついたら積極的に生きていたということになるのです。

そんな僕の十代からの運命にまかせて、90歳になるまで、このパターンを通してきました。その結果が今の自分で、そのことが「成るようになった」のです。

そんな、考えやエピソードを書いたのが「運命まかせ」(新潮新書)です。確かに世の中と逆行しているかもしれませんが、まあ、ひやかすつもりで読んでみて下さい。https://www.tadanoriyokoo.jp/product/2101

3月22日まで郵政博物館(東京スカイツリータウン・ソラマチ9階)で「ぼくらの昭和切手」と題して、ぼくが高校の時応募して入選した「皇太子殿下御外遊記念」切手が出品されています。他にぼくのデザインした切手などが展示されています。一度足を運んでみて下さい。面白いと思います。
https://www.postalmuseum.jp/

ぼくは高校時代、郵便局に入るつもりで、大変な郵便マニアだったのです。それが、運命のいたずらでなりたくもなかった絵の道に来てしまったのです。これ本当の話です。だから今も郵便大好き老人です。

高校時代は正月には郵便局でバイトして年賀状を配達したりしていました。郵便配達夫の格好と赤い自転車に憧れていたのです。今も変りません。

目下ベルリンのビジュアルアートセンターで開催中のポスター展が連日ドイツの美術界の人たちが多数来館しているそうで、特にベルリンの芸術大学のグループの人達はギャラリーに2時間滞在して、議論を交わしており、あまりの好評のため閉館予定の3月1日を4月30日まで延期されました。

とにかく反響のあまりの大きさに、主催者は興奮している様子で、ぼくが現地に行けないのが残念ですが、もしベルリンに旅行する人がおられたら、パリのカルティエ現代美術財団の新美術館のオープニング展に100点以上出品しています。ぜひ立ち寄っていただければ嬉しいです。

The poster exhibition currently held at the Center for Visual Arts in Berlin has been a massive hit, drawing crowds from the German art scene day after day. In particular, groups from the Berlin University of the Arts have been spending upwards of two hours in the gallery, engaged in deep discussions. Due to this overwhelming response, the exhibition—originally scheduled to close on March 1st—has been extended until April 30th.

The organizers are reportedly ecstatic about the incredible reception. While it’s a shame I cannot be there in person, for anyone traveling to Berlin or Europe, please note that over 100 of these paintings are also being featured in the opening exhibition of the Fondation Cartier pour l'art contemporain's new museum in Paris. I would be delighted if you could drop by and experience it.

このところポスターやグラフィックの依頼が多い。グラフィックデザイナーの全盛時代に匹敵するほど多いのには何か理由があるのかな?

でも絵画とデザインの両方を経験している内にその両者を分ける必然性などあるのかな?ロートレックの時代は絵画とポスターの区別はなく、評論家もその両者を分けて考えてなかった。

でも絵画とデザインの両方を経験している内にその両者を分ける必然性などあるのかな?ロートレックの時代は絵画とポスターの区別はなく、評論家もその両者を分けて考えてなかった。

浅田彰さんからの「運命まかせ」の感想で面白かったのは「世の中では能動的に生きることを良しとして、三島由紀夫は能動的に死ぬところまで行こうとしたけれど、横尾は受動的に生かされているという」対象的な2人。

そう、それを肯定した方が、生き易いと思う。能動的に生きるためには社会や他人、時には自分と闘う苦しさがあるが、受動的になれば、自然に「なるようになる」。それで充分ではないの。