2001.12
12月27日のショート・ショートエッセイ
24日のクリスマスイブの夜、丸の内に光の彫刻が立ち並ぶというので瀬戸内寂聴さんと
その「東京ミレナリオン」とかいうのを見に行きました。
先ず驚いたのは人の数です。全長400mの回廊(といってもただの道路だが)を人の波で
埋めつくされていました善男善女が一体何千人あるいは何万人いるのか知らないけれど、
ゾロゾロと動いている群集を見ると何やら滑稽に見えたり無気味に見えるのでした。
ただ歩きたいから歩いているのか、歩かされているのか、どうやら後者ではないかと思えるのです。
というのもどうも無気力に見えるからです。光のアーチの先きには何もないのに、
何かありそうだと思って歩いているとしたら、われわれはやはり幻想の世界に生きているとしかいえませんね。
瀬戸内さんとぼくは群集と反対の方向に歩道を歩きました。
この方が、群集の表情ひとつひとつが見えるので、大変興味深かったです。
12月25日のショート・ショートエッセイ
宝塚ファン以外の人には興味ないと思うけど、
ぼくが4年前始めて観た雪組の「浅茅が宿」のトップスター轟悠と会った時、
彼女はぜひぼくに舞台美術をやってほしいといわれ、
ぼくも美術だってポスターだってなんでもやりますよ、といったものの月組、星組、宇組のポスターは依頼されたが、
なかなか雪組のポスターを作る機会がなかった。
そのうち轟さんは雪組を離れて専科へ移ってしまった。
もうこれで彼女と一緒に仕事はできないと思っていたら、
日生劇場での轟悠主演の「風と共に去りぬ」のポスターを依頼された。
勿論彼女もぼくも大喜び。
そこでふと浮かんだ言葉が「無為」だった。「無為」とは「かまわないこと」、
「ほっておく」という意味である。
自然に任せておけばいい、時間に任せておけばいいと、執着から離れていたら本当に実現したのだ。
こういうことは人生に実に多い。
もしかしたらこういうことだけで人生を送って
きたような気もするのである。
以前は年末から正月にかけてホテルで新年を迎えることがしばしばだったけれど、
ここ数年はアトリエにこもって制作することが多くなりました。制作には最高のチャンスです。
現在の「Y字路」シリーズの次はというとまだ決まっていません。
多分まだしばらく「Y字路」が続くように思います。
まず一点描くことで。すると二点目が決まります。二点目の次は三点目は「ナニ?」
という具合にね。
ぼくはいつもこんな調子で先きの計画など立てません。その日の生理に従います。
絵のテーマはこちらがきめるものではなく森羅万象のそれぞれの事物が勝手にテーマを決めてくれるものです。
こうして様々な事物は常に描かれることによって解明されたがっているのです。
このことはまたこちらをも解明してくれます。
ここ一週間ほど不眠症が続いていました。
だから昼間は「心ここにあらず」という感じで放心してしまいました。
無意識の闇を彷徨しているのです。このように漂いながら無常を噛みしめている感じです。
何の意味も求めないことです。
人生や芸術に意味を求めてどうするというのです。ただひたすら彷徨するのみです。
生に意味などなく、普遍に意味などなく、愛に意味などありません。意味は幻想です。
生活などなき生活が始まる予感がします。
12月21日のショート・ショートエッセイ
数年前「天使の愛」という天使からのメッセージを中森じゅあんさんが受けて、
それに絵を付けた本を出しましたが、今度「新世紀版 天使の愛」と改題されて
講談社・コミックスより出版されました。
この本には追加メッセージと絵を数点加えています。
最初の「天使の愛」はロングセラーとして随分沢山の人に読んでもらいました。
新版は装丁も変わり、ハードカバーになりました。
当時「天使の愛」が出版された時は天使関係の本の国内での最初のものでした。
その後天使ブームになって何種類も出ましたが、「天使の愛」は天使から直接中森さんが
チャネリングしたものですから、言葉ひとつひとつが言霊になっています。
感受性の強い人はきっと天使の活動を感じとることができるはずです。
ぼくのアトリエは小高い丘(?)の上にあるので、天気のいい時には富士山が真正面 に見えます。
夕方になると富士山の後ろに陽が沈むのでシルエットの富士山を望むことができるのです。
昔は東京のどこからでも富士山が見えたらしく、広重の浮世絵には富士山が沢山描かれています。
だけどアトリエからの富士山もあとしばらくで見られなくなりそうです。
というのもゴルフ練習場があった場所に巨大なマンションの工事が始まったからです。
住民がいくら反対しても区が工事を許可をしたので、とうとう建ってしまいそうです。
富士山も美しい 夕日も視界から消えてしまうかと思うと寂しいやら腹立たしいやらです。
今まで沢山来ていたスズメも生態系も変わってその数も減りつつあります。
家に飼っているメダカを見ていると、そのうちスズメもカゴで
飼う日も近くなりそうです。
12月19日「宝塚ファンへ」
12月18日
枕が変わると眠れない。結局朝まで起きていたことになる。
宝塚第一ホテルの朝のレストランには宝塚歌劇を泊りがけで観に来ている女性客でいっぱいだ。
11時から宝塚歌劇の事務所で「風と共に去りぬ」のポスターの打ち合わせがある。
楽屋入りするスターをカメラに納めようとする「入り待ち」の女性ファンが
行列をなしている。その前を通って建物の中に入らなければならない。
打ち合わせは演出家の谷正之さん、雪組のプロデューサーの村上さんとカメラマンの岡本さんら数人と。
撮影は「カステル・ミラージュ」に出演している専科の湖月わたるさんの公演が終わってからの6時開始。
それまで自由時間のぼくは彼女が出演している
「カステル・ミラージュ」と「ダンシング・スピリット!」を 大劇場で観せてもらうことにする。
夕べは一睡もしていないので睡魔がコワイ。
男役トップの和央ようかさんはいつの間にかすっかり貫禄がついてきた。
それにしても「上手い!」と思ったのは湖月さんだ。
トップの貫禄さえ出しているのには驚いた。
伊織直加、成瀬こうき、水夏希のベテランも元気だ。
水さんはダンスが上手いのでつい歌と比較してしまう。
終演後楽屋で和央さんと娘トップの花総さんと会う。
二人共「ベルサイユのばら」のポスターを気に入ってくれて、「またポスター作って下さい」といわれる。
舞台が終わると同時に衣装を脱いで、バスローブ一枚になった生徒達が風呂に入るためか、
走り廻っている姿は「女の子」という感じだ。
稽古場の廊下を通って5階の写真スタジオへ。廊下は雪組と月組の生徒達であふれている。
誰が誰だかわからない。ぼくがいるのを見つけた専科の轟悠さんが稽古場から
出て来て声を掛けてくれる。彼女とは明日撮影だ。稽古開始寸前でごったがえしているが、
絵麻緒ゆうさんと出会う。紫綬褒章のお祝の花のお礼をいう。
轟さんが明日一緒に撮るスカーレット役の朝海ひかるさんを伴って彼女をぼくに紹介してくれる。
雪組が全員稽古場に入ってしまって廊下には月組が残る。
横を見たら月組トップの紫吹淳さん。顔にニキビを作って、
なんだかシャイな感じでヒロヒロしたポーズで立っている。口にはアメ玉が入っているそうだ。
眼の丸い彼女のことを「アメダマ」という演出家がいるという。
日生劇場での「風と共に去りぬ」のポスターを作ることをすでに知っていた彼女は「月組もまた作って下さい」
と頼まれる。別れる時は「いいお年を」といわれたが、ぼくはまだ今日も明日も稽古場の隣で撮影があるから、
また会いましょうと別れる。向こうにカッコイイ生徒が立っているが、
誰だかすぐわからない。その彼女がぼくの方に笑いながらやってきた。
大和悠河さんだ。「ガイズ&ドールズ」のポスターでは二番手として顔が大きく出ている。
期待大の若手スターだ。(つづく)
12月18日のショート・ショートエッセイ
昔から人の顔と名前や固有名詞を憶えるのが不得意だったけれど
最近は普通名詞まで忘れてなかなか言葉としてでてこなくなりました。
形は浮かぶのですがその名前がでてこないのです。
だから人と話をしていてもすぐに言葉がつまってしまったり、
相手にその言葉を思い出してもらおうと、
あれこれその名称の周辺のヒントになる言葉をいうのですが、
相手もウロウロするだけで、
最後には「どうして思い出せないの?」と文句さえいいたくなってしまうのです。
本当に困ったもので、年齢を重ねれば重ねるほど重症になるのではと心配です。
でも今のところは形まで忘れていないので絵は描けると思います。
形がでてこなくなると絵もおしまいですね。
猫を描きたいと思ってもどうしても猫の形が頭に浮かばないと一体どうなると思いますか。
だんだん世界が狭まってそのうちプチンと音を立てて世界が消えてしまう時がくるのではと思うと
死以上に恐ろしいことかも知れません。
死に関してはぼくは特別の想いがあるので、死は死でまた別の楽しみがあると思っています。
死後の世界には実に期待が大なのです。
普段でも死について想うことが実に多く、決して恐ろしいとは思わないのです。
できるだけ自分が死の側からこの現実を見るようにしています。
するとこの現実は幻のように見えることがあります。
幻だと思えば何もしゃかりきに欲望のまま生きることの馬鹿馬鹿しさに気付きます。
そんな気持ちで描く絵がぼくのこれからの絵ということになるのかも知れません。
12月15日のショート・ショートエッセイ
瀬戸内寂聴さんが野間文学賞を受賞されたのでお祝の花を贈ったら、
そのお礼に万華鏡が2本送られてきました。
昔の万華鏡と違ってデザインもなかなかこっていて、インテリアになるほどです。
その2本の万華鏡を両の眼に当ててテレビの画面を見るとなかなか面白い。
特にコマーシャルや文字が映ると面白い。
手にリモコンを持って次々と画面を変えていくといつまでも楽しめます。
瀬戸内さんは子供の頃から万華鏡が好きで、
中身は一体どうなっているんだろうと思って壊すそうなんです。
すると中から色の破片がパラパラとこぼれてくるだけで、
また新しいのを買ったそうです。
そんな万華鏡を今も沢山コレクションしておられるという。
またこの間瀬戸内さんの出演されたテレビ番組でぼくが
瀬戸内さんに手紙を出したのを読まれたのですが、その時ぼくが
作った白と金の「魔除猫」を徳島の仏具店を経営しておられる甥にあげたそうです。
そしてあの猫を一番高い仏壇の前に置いたところ、
それが売れたというのです。
魔除だけではなく商売繁昌の猫としても今後活躍しそうです。
実物は目下個展開催中の原美術館のミュージアムショップで手に取って見て下さい。
(当サイトにても販売しております)
12月14日「宝塚ファンの皆様へ」
「歌劇」での2年にわたる連載「僕の宝塚新発見」も12月号で終わりましたが
長い間御愛読ありがとうございました。
今後は「歌劇」に代わってこのサイトにて発表 (短文ですが)していきたいと思います。
友人、知人にもお知らせ下さい。
今月16日から19日まで宝塚に滞在して「風と共に去りぬ」のポスター撮影の
情報を日記形式でお伝えします。
12月13日「現実と幻実」
元阪神タイガースの野村監督の妻沙知代が脱税疑惑で逮捕されたが、
あれを見ていると人間はやっぱり公明正大に生きなければならないなあと思う。
人間は何一つ疾しいことがない人生を夢想する一方で、
それが綺麗ごとであることに気付かされる。
最近この現実が幻実のように思うことがある。
現実と言ったってこれとて残像に過ぎないのではないかと。
意識があって初めて事物が存在するわけだから、
もともと善も悪も、美も醜も意識が以前には存在しないことになる。
つまりこれらも意識が設定した残像なのだから。
すると脱税もすべて幻影を夢見て、それを求めて幻影の人生に生きているのかも知れない。
この現実、いや幻実の中では人間も人幻ということなんだ。
「テロと飛行機」
この間写真家の細江英公さんと電話で話した。
細江さんはニューヨークに行った時、飛行機に乗った途端、覚悟が出来たという。
つまりテロと闘う覚悟が。
どうせ奴らはピストルを持っていないのだから飛びついて格闘をしてやろうと思ったのだ。
「ダテやテーサイで肥っているんじゃねえ」と。
この話を聞いてぼくは1月にアメリカに行くことにしたが、
細江さんのような気持ちになれるかどうか、自分の体力を考えるとやっぱりテロと
道連れだろうなと思う。
ニューヨークの個展(目下開催中)のオープニングに行かなかったので
(細江さんはオープニングに顔を出してくれた)、 1月のロス アンジェルス
の個展には必ず来るように約束されている。
まあ、拒否してもいいんだけど、いつまでも怖がっていても仕方ない。
どこかでケリをつけるつもりで飛行機に乗ることを決めた。
12月11日「猫のこと」
バーゴとミンネの猫が死んで2年になるけれどまだ次の猫を飼う気にならない。
だから猫の代わりにメダカを飼っている。
そのうち猫を飼うことになるかも知れないが、猫の寿命は結構20年も生きるので、
うっかりするとこちらより長生きするかも知れない。
そう思うと猫が飼い主のいない野良猫になるかと思うとなかなか飼うのも考えものだ。
「メダカの眠り」
メダカも夜になると眠ることがわかった。
水底近くでジーッと静かに身動きひとつしないで浮いている。
それも電気をつけるとやがて動き出すので 光によって寝起きを決めているのかも知れない。
人間は眠りと同時に霊体が霊界に行って霊界太陽の霊流というエネルギーを吸収するという。
そして目覚めと同時に吸収した霊流エネルギーを肉体に受け渡すというのが
心霊科学の考えだが、メダカも眠っている間はメダカ界の霊界に
メダカの霊体が行っているのだろうか。
12月10日 「夢の生活」
昨夜見た夢は不気味で気持ち悪かった。
郷里の西脇の「日の出湯」という銭湯に行った。脱衣室で15センチもあるカマキリを見た。
カマキリは大嫌いである。
そこにやはりカマキリ大のバッタがやってきた。
両者共にきれいな緑色をしていた。
この2匹の虫が湯舟のあるタイルの上で格闘を始めた。
ぼくは2匹の身体を離そうとした時、彼等の身体が生きたままいくつかにちぎれてしまった。
可愛想なことをしたが、直視できないほど、残酷な姿だった。
そこに大きな猫がやってきた。見ると猫の下半身は切断されて、
切り口から赤い血がしたたり落ちている。
なんとも恐ろしい姿だ。その猫がいきなりまだ動いている カマキリとバッタに食いついた。
ぼくはこの身体半分の猫を持ち帰って、傷を癒してやろうと思ったが、
抱きかかえるのに抵抗を感じるのだった。
虫の緑と血の赤が印象的だった。
「宝塚ファンへ」
来春上映される日生劇場での轟悠が演じるバートン「風と共に去りぬ 」のポスターは
2種類作る事になりそうです。
スカーレット役が朝海ひかると瀬菜じゅんの2人によるからです。
ただ2人の写真を差し換えるだけではなく、
どうせならイメージの異なる2種類のポスターを作ってみようと思っています。
ポスターの写真撮り風景は後日またお伝えします。
12月7日 「タルコフスキーの映画」
深夜に眼がさめてテレビをつけると、アンドレイ・タルコフスキーのドキュメントをやっていた。
タルコフスキーは54歳で死んだロシアの映画監督でぼくが最も好きな監督の一人である。
「僕の村は戦場だった」、「ストーカー」、「惑星ソラリス」、「鏡」、
「サクリファイス」などの作品を見た。たった7本しか制作していない。
画面には常に水や雨が描かれ、他に火、風、土などが彼の作品の重要な要素である。
またロシア神秘主義に惹かれるオカルティストの部分も彼の映画から強く感じられる。
大自然や死を通して宇宙を貫通する強烈な意志にぼくは大いなる共感を得るのだった。
深夜に体験したタルコフスキーの魂に自分が生きながらの死体であることを悟って、
ぼくは再び眠りについた。
12月5日のショート・ショートエッセイ
ジョージ・ハリスンが死んだ。癌に犯され余命幾許もないと知らされていたが、現実となった今、
ショックが大きい。ジョン・レノンに次いで4人の ビートルズが2人になってしまった。
ビートルズ世代よりやや上の世代に属するぼくだが、
ぼくは完全にビートルズの生き方に自己を投影しながら創作と人生の一体化を計って来た。
ビートルズとぼくを強く結びつけてきたのは何と言ってもインドであった。
彼等がマハリシ・マヘシュ・ヨギに師事するためにインドに行ったという
ニュースを聞いたその日からぼくの中にインドという宇宙が拡がり始めたのである。
「リボルバー」というアルバムの中でジョージ・ハリスンがシタールを初めて演奏したその瞬間から
ぼくの創作世界が音を立てて変革を始めたといってよい。
創作イコール人生であったぼくはインド哲学に惹かれ、その後7回にわたってインドに旅をした。
またジョージが信奉するロンドンにあるヒンズー教のクリシュナ寺院を訪ねた。
ジョージはこの寺院の信者達と「ハリ・クリシュナ」というアルバムとシングル盤「ゴービンダ」をリリースした。
ぼくのビートルズの最初のヒーローはジョージ・ハリスンだった。
一目彼に会いたいと思ってロンドンのアップルレコード社の前で彼が来るのを待ち構えた事がある。
事がある。待つこと15分。白いベンツが近付いてその中から長髪と鬚の
ヒッピー姿のジョージがぼくの目の前で車を降りた。
赤いふちのサングラスにジーンズの上下で右手に紙の封筒を持っていた。
あまりの咄嗟に言葉も失った。手にしていたカメラでぼくの目の前を通り過ぎる
ジョージにシャッターを切った。
その夜はとうとう朝まで寝付かれなかった。そんなジョージは今はいない。
12月6日のショート・ショートエッセイ
今年も恒例の家族写真を撮りました。1971年から30年間継続している我が家の行事です。
写真は銀座松屋のフォトスタジオの安河内羔治さんです。
今年80歳には絶対見えない若さです。
同じく写真家の細江英公さんの叔父さんです。
家族写真が30年も続けると自然にコンセプチュアルアート化してきます。
というよりはっきりコンセプチュアルアートになってしまいました。
時間が想像したアートといえるかも知れません。