12月28日
○昨年の暮れに西脇に行っている間にオノ・ヨーコさんからクリスマス・プレゼントが送られてきた。
「John Lennon/Official 2007 Calender」はLPサイズのジョンとヨーコさんのメッセージ入りの写真カレンダーと、「BEATLES LOVE」とショー君の「SEAN LENNON FRIENDLY FIRE」とヨーコさんの「TALKING TO THE UNIVERSE」の三枚のCDにクリスマスカードが入っていた。正月にじっくりと聴かせていただいた。
12月27日
○今日(12/27)は細江英公さんと写真美術館でトークショー。一体何を話すことになるのだろう。きっと二人の出会いから寺山修司を紹介されたこと、三島由紀夫の写真集「薔薇刑」の装幀へのプロセスなど、それから70年代に入ってから一時写真を撮り始めるが、その指導が細江さんだったこと。40年近く家族写真を撮ってもらっていた安河内さんは細江さんの叔父さんで、まあつもる話は山ほどあるはず。
12月26日
○旅行中一度も雨が降らなかったのに、帰った途端雨。そういえばこの20年間一年に2 ,3回郷里に帰っているが雨に降られたことがない。夜降っても朝止んでいたり、大阪や神戸が雨でも郷里に着く頃には止んでいる。そういえばどこへ行っても雨に遭うことがないので晴れ男かも知れない。だけど展覧会などで作品がアトリエから搬出される時や個展のオープニングはだいたい雨の日が多い。
12月25日
○このホームページのVISIONを見た、十代の時に神戸新聞の「読者のページ」にカットを応募していた4人がグループを作って神戸の喫茶店で展覧会をしたメンバーの一人の見方さんが岡之山美術館の「Y字路」展を見に来てくれた。幸いぼくが美術館の事務室で絵を描いていたところだった。50年間の間に一度会った切りだった。昔の面影はかすかにあるが、時間の経過が別人にしてしまっているように思えた。相手もきっと同じ思いだったに違いない。でも昔の友情を忘れずに訪ねて来てくれたのには嬉しかった。
○昨夜(22日)は久し振りで牛肉を食べた。心配していた胸焼けもなくほっとした。牛肉はエネルギー源でもあるが、胃に負担もかける。こんなことに心をくばるような年令になってしまった。創作について思索すると同じように健康についても心を配っている。
○旅に出ると不眠になることが多いが、故郷に帰っているせいか、ホテルでもよく眠れる。睡眠不足でもないのに絵を描きながら眠ってしまい、とんでもない所に色が塗られていることもしばしばだ。友人が「絵を描きながら
眠るって老化のせいでっせ」と言う。ぼくは「忘我のせいだ」と反論。
○この間病院でCTを撮った時、体重を計ったら3キロも増えていた。知らないうちに食欲がそうさせたらしい。そういえば車の移動ばかりで歩くことが運動不足だとわかった。そういえばカントリー・ジェントルマンはみんな肥っている。
12月24日
もし西脇の美術館へ行く人は最低次の言葉を覚えていって下さい。でないと言葉が通じなくて館内に入れないかも知れませんよ。
べっちょな→大丈夫
へらへと→たくさん
ここっちょい→気持ちが良い
おっとろしい→恐ろしい
いきゃたる→ぶつかる
しゃあない→仕方がない
どんならん→どうにもならない
せんどぶり→久しぶり
さんこ→いいかげん
なんどえ→何ですか
がいよう→ていねいに
だんない→かまわない
いしこい→がめつい
おいやん→おじさん
せや→そうだ
へてから→それから
へたら→そうしたら
らっきゃ→大丈夫
こばる→たえる
12月23日
○旅先にいると世俗的なことに対する興味が全くなくなる。外面が冷えて、それに対して内面が熱くなる。実に健全である。
○新聞は各紙読んでいるが遠くの国での出来事のようにしか思えない。情報に振り回されることもない。町には人数も少なく、実に静かだ。古里も遠くにあって想うものではなく、古里の中にあって想うものだ。
○どの写真を見ても松坂は笑っている。笑顔が実に言い。世界を明るくしてくれる。毎日松坂の笑顔を見ると自然にこちらにも伝染してくるではないか。
○作品は場所性の影響大である。ぼくは機会ある度に場所を選択して、そこで制作することがある。今回の西脇での制作も意識、無意識を問わず、何らかの影響を与えてくれた。特に郷里の与える影響は大きい。生まれた土地の産物を食し、なるべく移動しない事が長寿の秘訣だと聞いたことがある。郷里で養われた感性と肉体が再びこの地に戻る時、ぼくは何かに気付き、何かに触発され、何かに動かされながら、過去という未知へ逆流していく自らの想像力を確認しているようだ。
12月22日
○今日で四日目(19日現在)三点がほぼ完成。ノルマがないので描きたい時に描いている。あとは本を読んだり、町を歩いたり、東京では考えられない長い長い一日を過ごしている。帰京しても変わらない日を過ごしたいものだ。老境はうまく使えば青春時代より時間がたっぷりあるものだ。外部は問題ではない。つまり内部が問題だ。
○この間も言ったが、一日三食全て違った料理を食べている。これって結構面白いものだ。体にもいいんじゃないかな。肉や油もの、甘いものはほとんど食べなくなった。でも好物のお好み焼きだけは胸焼けがしたね
12月21日
○東京でもそうなんだけれど見るべきテレビなど何ひとつないのでテレビは見ない。先ず時間のロスで、他にやるべきことが沢山ある。外を歩くだけでテレビを見るより面白い現実にぶつかる。テレビは体を通さないが現実は体を通すだけに感性が敏感になる。旅は未知への接触で体を通した冒険だ。日常では得られない冒険が旅には手ぐすね引いて待っている。机にしがみついているより旅で得る創造は計り知れない。郷里で今そんな旅を楽しんでいる。
○今日は(19日) 気分転換で西脇の市長の紹介で大病院に行ってきた。どこが悪いわけではない。病院の好きなぼくは病院と聞くと訪ねて診てもらうことにしている。こんな無駄なことが大事で、自分の体を科学しておけば安心だ。旅行中に大腸も胃の検査をしておきたい。病院を怖がる人が多いが、そんな人のことがどうしてもわからない。
○以前から聖書の次に読みたいと思っていたバニヤンの「天路歴程」 (正編)をやっと買った。また楽しみが増えた。
12月20日
○西脇での生活をお知らせします。夜中に一度必ず眼を覚まします。するとすぐ起きて、2時間位絵を描きます。そして二度寝をすると8時頃また起きます。ホテルのレストランで朝食、毎日同じ物は食べません。必ず変化をもたらします。12時頃まではまた制作です。その後町を美術館の人と懐かしい場所を訪ねながら小一時間ほど散歩します。そのあとは車で美術館へ移動して、そこでは別の絵を描きます。時々同級生や市役所の人が遊びに来ます。絵を描きながら手は休めずに描いています。新聞社の人が東京や姫路からも取材にやってきますがその時だけは手を休めます。でも絵を描きながら取材を受けることもあります。ここ岡之山美術館では目下新作のY字路の個展をしていますので、それを見に来る人もいますが、応対はしません。夕方になるとホテルか町のレストランで夕食をしたあと再びホテルで制作です。東京では滅多に見ない新聞を五紙くらい目を通し、面白い記事は切り抜いて、何度も読みます。夕食後は遠くの本屋に散歩をかねて行きます。モリゾの画集を買ったり、ルパンの小説を買います。持参した本は、折口信夫の「死者の書・身毒丸」、泉鏡花の「早迷宮」、正宗白鳥の「人物論・然然墓」、レオナルド・ダビンチの手(記)上、のたった五冊だけです。滞在中に読んでしまうでしょう。あとは部屋の窓から一望できる西脇を20年前と比較しながら眺めています。夜中は30分位満天の星を眺めて自分を小さい存在と思うようにしています。
○朝起きてレストランに行くと足がふらつく、まるで体内に睡眠薬か安定剤でも残っているような気分だがそんなものは服用していない。多分そんな成分が体の中にすでにあるのかも知れない。年令と共に不思議な変化が起こるものだ。
○旅は半ば自給自足的で行動が自然に伴う。必要な時に人に声を掛ければいい。あとは一人で時間を時間が自由に使える。それに制作意欲が起こる。旅といっても郷里だから特に動き回ることもない。昔の想い出を遊んでいればいい。さあいつまで居ようかな。仕事らしい仕事は切ってきているので、時間はあってないようなもの。絵を描く時間は物理的時間ではない。何者かに与えられた時間なので時間の空間化だ。
12月19日
○2 〜 4時間で目が覚めると、すぐ絵を2時間位描く、そしてまた眠る。これってなかなかいいルズムなんだ
○今日はできるだけ田舎っぽい老人が被りそうなハンチングを買って来た。若い人がおしゃれで被るのではなく、昔労働者が被っていたように被りたいものだ。
○街のいたるところで同級生に会う。年取った同級生に会う。すぐにはわからないが徐々にわかっていくその間があぶり出し用紙みたいで実に面白い。「あっ、お前か」「ああおれや」てなぐあいにね。
○郷里では毎食後絶対同じ物を食べないようにしている。これは難しいけれど愉しいものだ。いくら上手くっても二度と食べない。帰京しても実践してみよう。このことは実に大事だと思う。作品にも通じるかも知れない。この発想はむしろぼくの作品からの影響かも知れない。
12月18日
○そういえば昨夜母と父の夢を見た。舞台は郷里の家の中だ。母が昨夜から映画を見に行ったまま翌朝になっても帰ってこない。父が行方不明者のための情報センターみたいなところに電話したが、母の消息はない。そこで考えた。母はすでに死んでいる人間なので例え肉体がどこかに行っても、いずれ霊体が霊界に戻るんだから何も心配することはないと思ったら急に安心した。そういう父も死んだ人間だということに気づいた。
○朝と夜は歩き廻る。別に散歩ではない。Y字路を写真に撮ったり、記憶にある場所に立たずまうだけだ。代が変わって知人の顔に会うことは滅多にないので郷里に帰ってもエトランゼだ。だけど夢に見る郷里は昔のままである。だから夢の中の風景は亡霊だと思っている。
12月17日
○ここは郷里の西脇。ホテルと美術館の両方で絵を描いている。環境を変えると絵はまた変わる。変わることを好しとしないアーティストがいるが、ぼくは場所性の磁場がぼくの生理に影響を与えるのでごく自然に変わる。行く先々でスタイルが変わるのでわざわざ様式を持つ必要がない。外部に興味を持つか内部に興味を持つかの問題だ。
12月16日
○アクリル絵具に比べると油絵の具は難しい。まるでウナギかナマズを相手にしているようだ。だから捕まえた時は嬉しい。だけど1度捕まえたことがないのが油絵具だ。だから止められない、一生かかる。一生でも無理だ。そんな訳でぼくの全ての作品は未完ということだ。それ以前に頭から完成という言葉ははずしているけれどね。
12月15日
○七十を過ぎると新しいものには全く興味がなくなる。美術、文化、映画、音楽、舞台、芸能、なんでも古典が良い。老境には古典が一番だ。古典三昧、古典生活、老人のアバンギャルドだ。
12月14日
○昔は隠居という言葉があった。当然今もあるのだが全く聞かなくなった。まあ落語に残っている程度か。その隠居というのにぼくは心が惹かれる。今後はその隠居生活に入ってみようと思うのだが、如何なものだろう。経済生活を離れて、三昧生活に切りかえるのもよしだ。そして時々社会をのぞくのもいい。制作三昧、読書三昧、旅行三昧、散歩三昧、温泉三昧、今のところこんなところかな。
12月13日
○ぼくは体調を崩すとすぐ病院に行く。その結果は異常なしということが多い。病院の先生もぼくの話を聞くだけで検診も治療をしない。今日も小一時間先生とトークだけして帰ってきた。でも先生はぼくに対しては「無駄」なことが必要だとおっしゃる。どうせどこも悪くないけれど検査を要求されればしてあげよう、でも「無駄」ですよ。という具合にだ。でもこの「無駄」がぼくにとっては重要なのである。「無駄」によって健康が見えてくるからだ。
12月12日
○その昔、高校二年生の時、ぼくはエリザベス・テイラーにファンレターを出して返事をもらったことがある。その時ブロマイドにぼくの名前と自分のサインがしてあったが、テイラーが書いたぼくの名前の綴りをそのままマネてその後のぼくのサインにしていたことがある。
12月11日
○山下裕二さんと逓信博物館でゆうびんをテーマにトークショーをする。山下さんのぼくとの出合いはぼくがデザインした1970年の「少年マガジン」の表紙だそうだ。山下さんがまだ小学生の時、こういう歴史的な話をされると22年の年の差を感じるが、目の前にいる山下さんとは年令の差はない。この蘭ではぼくはさかんに「老年、老年」と言っているのが、気になるというか、不思議にも見えるらしい。そんな山下さんを見ているとやっぱり年の差を感じるんだなあ。
12月8日
○また郷里へ10日間ほど行って絵を描く予定だ。まとまったテーマの作品なので環境を変えて見るのもいいだろうと思って。来年は色んな形で「Y字路」を発表することになりそう。「Y字路」第二弾は第一弾を発展させたもので、かなりガラッと変わるかも知れない。その一端は目下、西脇市岡之山美術館の「Yジャンクション」展で観てもらえそうだ。でも観られた瞬間、もうぼくはそこにいないはずだ。観客に裏切られる前に、観客を裏切りますからね。
12月7日
○冬至も近くなって、どんどん日が短くなってくる。まるで穴の底に落ちていく感じだ。この感触ってぼくは結構嫌ではない。底に着くと同時に今度は上昇していくからだ。今年の1年はいつもより長く感じた。いつもはアッという間に1年が終わってしまうのに、今年だけはまだ時間があるの?という感じである。また今年は実にのんびりしていたように思う。春にパリでカルティエ現代美術財団の個展などで海外に出たり、毎月温泉旅行に行ったり変化の多い年なのに幸い時間はゆっくり流れてくれた。老年期に入ると時間の速度が速まると思っていたけれど、どうもそうじゃないような気がするのである。来年もミラノ、ニューヨークと展覧会の予定があるけれど今年以上にゆっくりした時間を生きたいと思う。
12月5日
○高倉健さんからフォト・エッセイ「想」をいただいた。エッセイが素晴らしい。誠実に生きている高倉健さんの声が聴こえてくる。とにかく心が高揚した。最近は高揚するものがなくなった。人生もアートも高揚がなければ何も始らない。
12月2日
○このところ毎晩ルキノ・ビスコンティの古い映画を観ている。現代の新しい映画には全く興味がわかないので、古い映画には眼がない。ビスコンティの白黒映画が特に好きだ。今まで気がつかなかったのだが、ビスコンティの画像や人物はよく流れるように動く。その動きが溝口健二とは違った魅力がある。またどうでもいいごく日常のセリフも小津安二郎とは違うのだが、こっちも細い神経を感じてさすがと思える。
12月1日
○ちょっと風邪気味で変だなと思うと葛根湯を飲むと瞬時に治るので、いつも携帯している。ところがどうもそれを知った体が、風邪でもないのに、風邪に似た症状を作って葛根湯を欲しがるようになった。そのことがわかったぼくはニセ風邪を無視した。すると何度かアタックしてくるのだが、これも無視。あきらめた体はとうとうニセ風邪を起こさなくなった。