11月30日
○アトリエに行く道路には20m以上の樹が沢山あって落ち葉がとめどなく降るように落ちてきます。以前禅寺に参禅していた頃降る落ち葉を掃くようにいわれて、「全部落ちてしまってから掃けばいいじゃないですか」とお坊さんに文句を言ったことがあります。お坊さんは掃除の結果を問題にしているのではなく、掃除の行為そのものを問題にしていたのです。目的などどうでもいいことを教えようとしたのでした。

11月29日
Nさん
○展覧会は多少で評価しないで下さい。ルソー展が大量に出品しているアーティストの個展と比較してルソー作品が1%しかなかったことを残念がっておられますが、作品は量ではなく質です。量ばかり多くても質が低くては何にもなりません。ルソーの1点は何100点、何1,000点には負けていません。残念がっているあなたは量を見て質を見ていないことになります。もう一度じっくりルソーの質を見て下さい。

11月28日
○細野晴臣君がアトリエに遊びに来た。ART ITという美術誌でインドについての対談だった。彼とは今回で4度目の対談だ。一人の人と4回も対談するというのも珍しい。彼と一緒にインドに行ったのはいつだっけ。70年代の終頃だったかな。帰国して「コチンムーン」というLPを作ったけれど、CDにもなっている。インドに一緒に行った時だったか帰って来た時だったかに、YMOを作るというので「メンバーに入らない?」というので入ることにしたが記者会見の日に急用ができてしなかったことをいいことにとうとうメンバーにならなかった。そんな話など懐かしいインドやニューヨークの話を外が暗くなるまでしたのだった。

11月27日
○まだ12月にもなっていないというのにぼくの住む街には、もうクリスマス・デコレーションのイルミネーションが、あちこちに夜の通りにまばたいている。こんな風景はついこの間見たばかりだが、あれからもう1年が過ぎたのだった。人生の短さを感じないわけにはいかない。イルミネーションを見て無情感を持つような年令になってしまった。と思ったら金比羅様の785段の石段を登って痛めた足に対して若い同伴者がその後足が痛くなったという話を聞いたことがない。やっぱりすぐ痛くなるのは若い証拠ではない証拠である。

11月26日
○愛媛県立美術館の「魚のすがた」展に出品しているので観に行く。もうちょっと人を引きつけるタイトルにしてもらいたかった。翌日木下大サーカスを観るつもりだったが運悪く休日。日本のサーカスなど滅多に観ることはない。外国のサーカスは何度か観たけれど子供の頃観たあのレトロな懐かしいサーカスは今でも創造のインスピレーションの源泉のひとつでもある。ぼくの中で生きているのは十代の記憶だけだ。その後は学校の予習みたいなものだけで、物語といえるものは何もない。

11月25日
○松山は「坊ちゃん」でなんとか持ちこたえているという感じ。街はレトロなアミューズメントパーク?そんな中で道後温泉本館だけが、どっしりあぐらをかいて昔の面影を残している。その内部はサンフランシスコ近郊のウィンチェスター・ハウスさながら、増築が繰り返されて、迷路のような空間内でキュービズムの作品の中を歩いているみたいだった。

11月24日
○四国の琴平、金比羅宮に参ってきた。石段を本殿まで745段登る。もうヘトヘト。次の次の日まで足のふくらはぎが張ってさすが年を感じた。もう二度と来ることもあるまいと一段一段かみ締めて登る。中学の修学旅行以来三度目だった。その昔本殿から眺めた讃岐富士のある丸亀平野 (?) だったかな?には家もまばらだったが、今や昔の面影もなく、遥か彼方には瀬戸大橋などが見えて人の住む 「心」 が失われていく様子が胸に迫る。

11月20日
○小林秀雄はすでに五十代で自分を老人と認めていた。三島由紀夫に至っては十代ですでに老人だった。そう考えるとぼくは老人を認知するのが随分遅かった。今尚幼い老人である。やはり成熟した老人になるべきである。

11月19日
○毎月温泉へ行っているけれど、これって老境と大いに関係ある。最初は仕事だったけれど、今や生活になってきた。老人生活である。老人になりながら老人を認識できない老人は老人の資格はないと思う。老人には老人の考え方、世界があって、とても若い者には近づけない人生の至上の楽しみってものがあることに気が付き始めた。中途半端な老人ではなく、ちゃんとした立派な老人に、老人になって初めて憧れるものだ。ユングはアフリカで「これぞ老人」という立派な本当の老人に会って感激したという。

11月18日
○ここんところ毎日のように中野考治の老境の生き方を書いた本を10冊ばかり読んだ。老境を向かえると大抵の人はその境遇を書きたがる。ヘッセも、小林秀雄も、吉本隆明、佐藤愛子も、宇野千代も誰も彼も。人間はどうも老境にならないと真剣に自分と向き合わない様だ。

11月17日
○猫は箱がすきだけれど、わが家の猫も引き出しの中で眠っている。外では庭に捨てた発泡スチロールの箱や、籾殻の入ったダンボールの中がベッドだと思っているようだ。ぼくだって子供の頃はよく箱の中に入るのが好きだった。人間も最終的に箱の中に入れられ、やっと長い人生に終止符を打つことになる。

11月16日
○長い間ぼくは自分を「何者であるのか」と考えてきましたが、最近自分は「何者でもない」のではないかと思うようになりました。「個人」としての自分を「個」として見始めてきたからかも知れません。

11月15日
○世田谷美術館で開催中のアンリ・ルソー展にぼくもルソー作品を素材にした作品5点 (1967年)出品しています。そんなぼくの作品を見た子供が「コワイ!」と叫んで泣いたということを学芸員から聞きました。同じ作品を見て笑った人もいるというのに笑ったり、泣いたりの反応は大変嬉しいです。ルソーの作品が隠蔽している恐ろしい感情をちょっと開いて表に出してみたたけです。責任の一端はぼくの作品にあるのではなく、ぼくにそうさせたルソーにその責任があります。但しぼくの場合、子供のときに体験した恐怖は全てぼくの想像の源泉になっています。そしてそのことが人生を豊かにしていることは間違いないです。

11月14日
○夜の10時に眠ると7時間(5時まで)ぐっすり眠れる。それ以後になると寝付きがうんと悪くなる。午前12時を過ぎて起きていると白血球が減少すると聞いたことがある。だからこの時間に眠るにこしたことはない。
○最近わが家の猫が「おいで」という言葉を覚えたらしく、「おいで」と言ってもらいたく、人の顔をジッと見る。そこで「おいで」と言うと走ってきて、人の体に乗っかってくる。

11月13日
○成城の歴史始って以来の人口増加もやっと落ち着いてきた。まるで新宿の一角が成城の一角にタイムスリップしたようなあのオープンの頃はもうない。それにしてもダメージを受けている成城のお店には同情せざる終えない。でも客の入っていない店も多い。その内撤去する店もでるのでは。そんなことがちまたで噂され始めている。一層のこと同業者ばかりの集合体にしてしまった方がよかったのでは。例えばアメ横とか秋葉原みたいに。

11月12日
○スランプだと思うとそうなるし、まあこんなもんだと思えばそれでよし。あんまり過信するとちょっとしたことで失望する。でも明日になると回復する事もある。「眠り」はある意味で救いでもある。

11月11日
○アンリ・ルソーの絵を改ざんした作品をこの間から何点も描いている。ルソーの絵は静かで、平安過ぎる。どうも現代は平安とか平和というのはウソ臭い。だからルソーの絵に事件を起こさせているのだ。1967年に起こした「事件」の作品5点が開催中のルソー展(世田谷美術館)に出品している。

11月10日
○今制作している絵がうまく描けない。どうも下手になったらしい。このまま下手が治らなきゃどうしようかと思う。アイディアは悪くないのに技術がついていかない。年令と共に体がついていかない老人みたいなものだ。

11月9日
○先日、軽井沢のセゾン現代美術館へNHKのドキュメント番組のために行ってきた。館長の難波英夫さんと自作の前で対談する。それにしても軽井沢は寒かった。温泉に1泊しようと思ったけれど、どうも1人では泊めてくれないらしい。夕食には20皿も料理が出て、これを1人で食べるには淋し過ぎる。

11月7日
○家の庭に大きい蛙がいる。雨が降ると出てくるけれど池もないのに一体どこから来るのだろう。これも地下が住居になっているのかも知れない。

11月6日
○一週間ほど前には一、二匹の蟻が玄関の前にいたのに今は姿を消して一匹もいなくなった。地上より地中の方が暖かいのかも知れない。それにしてもあんなに小さい体をしていても気温がわかるようだ。

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