8月31日
○吉本ばななさんのサイトにぼくの「病の神様」の感想を書いてくれている。彼女とは時々葉書の出しっこをする。この間などは「病の神様」を読んでぼくの性格を見事に言い当てた。それを見た妻が、「そっくり、そのまま、さすがエライ人ね」と言って、ぼくの性格を書いた箇所を大きく書いて、壁に貼っている。
8月30日
○朝の6時に野川の近くの喜多見ふれあい公園へ散歩に行って、ベンチで1時間位本を読んでいた。太極拳をやっているグループ、ラジオ体操のグループ、たった一人で大声で詩吟を唄う中年のおばさん。ぼくの横で上半身裸の老人が体操をしている。公園内を大きい重そうなリュックを背負ったやはり老人がグルグル同じ所を廻っている。鳩が来たのでパンのくずを投げると、どこで見ていたのか他の鳩もやって来た。帰りに橋の上から鯉にパンくずをばらまく。もの凄い数の鳩が20〜30羽やって来て怖くなったのでその場を逃げるように去った。
8月29日
○そろそろ辺りが暗くなり始めた頃、アトリエの前の蟻が一目散にブロック塀を登り始めた。そして屏の上を同じ方向に走るのだった。しばらく走ると一斉に向こう側へ降りて行った。どうやらその辺りに巣があるのかも知れない。それにしてもどうして、遠出したにもかかわらず帰る所が分かるのだろう。ヘロモンを出しながら歩き回っているからかな。
8月28日
○30数年振りで三島由紀夫の「美しい星」をもう一度読みたくなって読んでいるが、全く初めて読むも同然、何一つ憶えていない。以前行った旅先に来たのに「初めてだ」と思う感覚とよく似ている。だからかぼくは何かと反復をよくやるのだ。作品の反復も以前描いたのを忘れてしまったからか。まさか。
8月27日
○でも秋の夜長はうんと読書ができてこれは嬉しいです。本を読むのが遅く、一寸気にしていたら平野啓一郎さんから「本の読み方、スロー・リーディングの実践」という遅読者には勇気を与えてくれる本を送ってくれました。
8月26日
○陽が短くなって秋の気配。秋は寂しく、あまり好きではないです。子供気分でいたいためにはやっぱり夏です。秋は老境を感じて嬉しくないです。
8月25日
○会津若松の東山温泉に行ってきた。会津といえば白虎隊で有名な会津戦争の地。東山温泉の旅館ではちょっと不思議体験もあって秋保温泉以来何かと超常的な旅が続いている。温泉宿の組合が主催するイベントで、景品が当たったり、色々とシンクロニシティに遭遇したり、まあ詳細は書かないけれど、実に長い2日間でありました。磐梯山の麓には野口英世の生家があり、裏番台の麓にはダリの美術館(諸橋美術館)があるが、この美術館にはダリの彫刻が沢山あり、ダリの大作絵画も展示されている。近くには五色沼もあり、ここはぜひ行って損はしないです。
8月22日
○ここ2週間はスタッフも順番に夏休みを取っていたのと、とにかく電話が少なく、ぼくは終日アトリエで制作と読書中心の生活だった。3年ほど続いた東京新聞の連載エッセイも9月で終わることになった。そのエッセイを全部集めた画文章のような本が来春に出版予定。今週は月曜日から金曜日まで日経新聞夕刊で「こころの玉手箱」の短期連載。9月になると出ることも多くなり、ちょっと生活のテンポが変わりそう。明日から福島県の会津若松方面の温泉の取材に。温泉が大嫌いだったのが今では月一回の大きい楽しみになった。高校野球の決戦、再決戦は見なかったので、皆のように盛り上がっていません。
8月19日
○昼間にはウロウロしている蟻も夕方になると姿がない。きっと巣に戻って寝る準備をするのだろう。朝散歩のために7時頃外に出るがまだ蟻の姿がない.蟻の睡眠時間は12時間以上だ.それでもわが家の猫は23時間位眠る。ちなみにぼくは7時間。猫も人間も横になって眠るけれど、蟻も横になるのだろうか。やっぱり地面に足を踏ん張ったままの姿勢だろうか。
○遅い梅雨明けだったけれど、このまま夏が二ヶ月も続くとは思えない.アトリエの周囲にはトンボが飛んでいる.虫も鳴いている.梅雨明けと同時に秋の気配だ.秋は嫌いじゃないけれど、秋は短く、すぐ冬が来る。すでに陽が短くなっている.年齢と共に時間の過ぎるのが早く感じる。これからは身辺整理に忙しくなりそうだ。
8月15日
○たった一夜が十夜ぐらいに感じる長い時間の旅だった。でも帰郷するともう一回、二回踊ってみたいと思うのである。踊る阿呆に見る阿呆というけれど、今度は見てみたいと思う。次から次へと色々な「連」がやってくる様はちょっと鳥肌ものである。特に女性の群舞は美の極致。とにかくあの「アホ」のるつぼの中に飛び込まなきゃ、この興奮はわからないだろうな。
8月14日
○猛暑南国の徳島の阿波踊りに参加して踊って来た。広い道路の左右のひな壇の見物席には人、人、人。勿論道路もどこも人、人、人。太鼓や笛や三味線、鐘などに合わせて見事な踊りを見せるのは地元の老若男女、子供達ばかりで、ぼくはといえばぶっつけ本番のド素人。ぼくのデザインした骸骨の浴衣で瀬戸内寂聴さんの「連」の一員にぼくの他に作家の平野敬一郎さんも。彼は特訓したわりにはぶっつけ本番のぼくとは似たり寄ったりとは第三者の弁。いよいよスタートという瞬間のあの緊張は自分でありながら、そこには自分は存在していない.大見物の前を踊る時の自分は肉体とアストラル体が最早ばらばら。しかも大きいマイクの声が名前を告げるものだから、まるで処刑場に引きずり出される囚人みたい。
8月13日
○怪談は実際に肉体が体験するものだから、その時の恐ろしさは本当に純粋の恐怖である.それに対して夢の中に現れる死者は例え亡霊であってもそれほど怖くない。最近うんと怖いお化け屋敷が出来たそうだけれど、こういう意図的なのは嫌だね。
8月12日
○お盆が近いというわけではないが、最近は文豪の書いた怪談物の小説を読んでいる。ほとんどが創作なので恐怖が美に転化しているのでそれほど怖くない。やはり実話の怪談は怖い。ぼくも五度ばかり怖い目に会っているが、自分の怪談話をするのは平気なのに、他人のそれは怖くて、怖くてしかたない。
○土曜日から徳島の阿波踊りに行きますが、ガイコツの絵を描いたユカタを着て、幽霊踊りでもしてきます。
8月11日
○この間デジタルカメラを買ったが、その扱いが全然わからない。知らない内に変なモードを押してしまうらしく、もうこんな便利の悪いカメラは知らない。常に誰かが横についてくれないと恐ろしくて撮れない。撮ったはずの人物だって首がなかったり、斜めになっていたりして、構図が定まらない。不便な世の中になってしまったものだ。
8月10日
○子供の頃家で蟻と蜘蛛を飼っていた。蟻はビンの中に砂を入れてビンに沿って巣を作っていくのが面白くて終日眺めていた。それがある日突然一匹残らず神隠しにあったように蒸発してしまった。未だにわからない。蜘蛛はタイガースの虎模様のような黄と黒のストライプの柄で、ぼくはこの蜘蛛のことを雷蜘蛛と呼んでいた。蜘蛛は家の中で飼うわけにはいかないので庭に放して、あちこちに巣を作らせた。蟻と同様巣ができていくプロセスが神秘だった。特に朝露が巣にひっかかってそれに朝日が当たっている様子はもう芸術的感動だ。今でも時々庭でこんな風景を見ることがある。
8月7日
○寅さんのシリーズがまた始まった。マンネリの失恋にはこちらも疲労感がたまってきた。結末はわかっていても今までずっと観てきたが、今回はとうとうあきてきて、途中で観るのを止めた。寅さんは時代に合わない人物像になってきたのかも知れない。今まではあの後味の悪さが面白いと思ったのに・・・・・。
○蟻は働き者というだけあって、陽が昇るとすぐ地表に出て来る。どうも早寝早起きらしい。ぼくも年と共に蟻にだんだん似てくるような気がする。甘い物が好きなのは子供の頃からだけどね。
8月6日
○久し振りで宝塚歌劇を観に行った。レビューを演出しておられる酒井澄夫さんの招きだったけれども、タカラヅカを観る切っ掛けになった轟悠さんの舞台ということもあり楽しみだった。酒井さんとは以前にポスターを作ったこともあり、轟さんともポスターや舞台美術で一緒だったので、今回のショーは待ち遠しかった。装置もよく、場面回転にも変化あり、特にタンゴのショーは圧巻。轟さんもさすが貫禄。彼女の舞台もそろそろ10年近く観ているが若々しい。休憩時間に楽屋で久し振りに会う。彼女はトップ・オブ・トップ。会うといつも華やかさとエネルギーが体の中に伝わってくるようだ。ぼくの中のタカラヅカ的想像力に血が流れるのである。
○暑い。肌がジリジリ焼けるのがわかる。さすがこの暑さにはいつもウロウロしているアトリエの前の蟻も、地底にもぐったまま、言い合わせたように一匹も地面に出てこない。地獄は地底に存在するのではなく、今日ばかりは地表が地獄だ。
8月2日
○夢をそのまま絵に描くということは夢日記以外にはほとんどしないけれど、この間秋保温泉に行った時、この温泉にちなんだ絵を描きたいと夢の中で考えていた時、部屋の下を流れる川の下流から全身真黒のヨロイ・カブトの武士が馬に乗って走ってきました。誰だろう?と思ったら頭の中に「伊達政宗」という名が響きました。夢はそこで終わりました。翌日旅館の女将さんにこの話をすると、伊達政宗はここの温泉によく来ていたという記録があると教えてくれました。帰りに売店をのぞくとまさに馬に乗った伊達政宗のフィギュアがあったので買って帰りました。夢のままを絵に描いているところです。
8月1日
○東京国立近代美術館へ吉原治良展を観に行ってきました。生前の具体美術の根拠地の芦屋の倉庫(ギャラリー)に招かれて吉原さんにお会いしたことがありました。そんあこともあってこの個展は楽しみにしていました。特に初期の具象絵画が好きです。筆さばきが華麗で自由な感じが見る者の拘りを解放してくれます。それが戦時中から作風が激変して戦後には完全な抽象になっています。抽象になってからの吉原さんはまるで生き急いでいるかのように、日に日に作風がめまぐるしく変化していきます。途中から長距離をまるで短距離のように急いで駆け抜けていきます。