Channel 2 でインド映画を観た。インド映画はとにかくあきさせない。冒険活劇あり、ラブロマンスあり、ミュージカルあり、コメディあり、宗教あり、悲劇だけど、勧善懲悪の思想で最後はめでたし、めでたしである。インド映画はインドの映画館で観るに限る。スクリーンと客席が一体感になる。ちょっとしたサッカー場だ
6月29日
この間の雨で近所の川が増水したのは鯉にとっては嬉しいことだろう。50匹ぐらいいる鯉に赤い緋鯉と金色の人面魚がいつの間にか加わっていた。それに、かなり大きい亀も。さらに子供がエサをあげると、カモもやってきてあつかましく、鯉よりも先にエサを奪ってしまう。これにはいささか腹が立った。さらに空中から鳩がエサを宙で奪ってしまう。もっと腹が立った。そんな鳩が公園のベンチで本を読んでいるとトコトコ近づいてきて足元から人の顔を眺める。この鳩はさっき鯉のエサをねらった同じ鳩ではないと思った。
6月27日
ロスのクロム・ハーツの社長のリチャードは友達で、クロム・ハーツのものは彼からプレゼントしてもらっているので沢山持っている。何しろクロム・ハーツの商品は高い。ブーツが欲しいといったら、彼は靴屋に連れて行ってくれて、安いブーツを見立ててくれた。それを彼の工場で、クロム・ハーツの部品を取り付けてくれて、即座にクロム・ハーツ製の商品にしてくれた。まあ、こういうお遊びみたいな話は友人だからこそ可能だったんだと思う。
6月26日
今日は "クロム・ハーツ"
のバレリーさんが来た。彼女は本拠地のロスではなくサンフランシスコでの自分のアパートでクロム・ハーツの仕事をしている。彼女はぼくと同じように喘息なので空気の悪いロスでは住めないのかも知れない。60年代にはサンフランシスコのヘイトアシュベリィはフラワーチルドレンのピッピーで愛と平和を売物にしたちょっといかがわしいピッピー達がヘイトアシュベリィの通りを占拠してロックをガンガン鳴らし、空気の中にはマリファナやハッシーシの臭いが混ざっていた。「今はどうなの?」と彼女に聞くとあの60年世代の人間ではなく、今の若者があの60年代に憧れてか、それらしい人種もいるそうだ。「隣町のバークレーは?」と聞くと、今だに60年代の老ピッピーが住んでいるそうだ。その昔、わが家族四人がバークレーで部屋数が15もある一軒家をかりて一ヶ月ほど生活したことがあった。あの頃(70年代中頃)でさえまだピッピーが沢山いて、ニューヨークもロスも変わってしまっているのにバークレーだけが時代から取り残されていた。今もそんなに変わってないそうだ。そういえばぼくの中にも時代から取り残された部分がある。60年代ではなくぼくの10代という時間だけどね。
6月25日
東京新聞に連載している連載エッセイ「遠い視線、近い現実」の中の一遍がある大学の受験問題に出題されました。以前にも2つの大学の受験問題に出題されましたが、自分でやってみると結構難しいものです。自分で書いた文章でも決して100点は取れそうにもないのです。そんなもんですかね。
6月24日
例のイタリアのスギさんと日本の和田さんの盗作問題ですが、和田さんの対応は下手でしたね。あれは堂々とシュミレーションアートとかイミテーションアートと言ってしまえばよかったんです。つまりアートの一形式にしてしまえばよかったんですよね。そうすると困るのは文化庁なんです。こういう形式作品に賞を与えたということはこの形式を芸術の文脈の中で認めたということにあるからです。そしたらスーギさん、和田さんは関係なく、芸術論の問題にすり替わってしまうでしょう。和田さん、まずかったですね。
6月19日
音楽家の神津善行さんと喫茶店でお茶を飲みながら聞いた話。北原白秋と山田耕作が熊本の学校のために書いた校歌の発表会に出掛けて行った。フロッグコートか何か着て立派な格好で駅のホームに下りた。駅長はその立派な姿に「どちらさまで?」と聞いた。すると二人は「キタハラハクシュウ」と「ヤマダコウサク」と答えた。駅長は「伯爵」と「公爵」と勘違いして警察に連絡して、えらい騒動になったそうだ。
6月18日
この間、作家の平野啓一郎さんが遊びに来た。彼は子供の頃、学校の作文では作り話ばかり書いていたそうだ。大抵の子はドキュメントが中心だと思う。だから友達は平野さんの作文を読んで変な奴だと思われ続けていたそうだ。そりゃ、あることないことをあたかも事実であるかのように書けば変な奴ということになる。でもそのお陰でなるべくして作家になったのだから、三つ子の魂、百までということわざは正しい。
6月17日
この間、元タカラヅカのトップスターの紫吹淳さんがアトリエに遊びに来て、庭(といっても近い将来公園になるのだが)の白い花を見て、「ウワー、貧乏花が沢山咲いている」と言った。そんなことを言われるまでは自慢の雑草で、テーブルの上にこの花を花瓶に差して観賞していたのに、貧乏花と言われた瞬間花瓶の花が花粉状に散り始めた。すると如何にも貧乏くさく見えるのだった。紫吹さんは群馬の出身なので、群馬にはきっと多い花らしい。ぼくの郷里では何と呼ぶのだろう。
6月12日
今日は知人のお葬式に行ってきた。そんなにぼくと年が変わらない。この前も友人、知人のことを書いたけれど、ぼくの年齢になると死は特別のことではない。道教では人間は病気で死ぬことがないという。釈迦は「生、老、病死」と言っているが道教では「生老死」ということになりそうだ。病気で死なないための生き方が道引術だという。体が悟ることで心も悟という。病は気からという発想の逆である。つまりぼくの書いた本「病の神様」は心を優先しているが、この辺で体優先に切りかえる必要がありそうだ。
6月10日
LP「サンタナ・ロータス」が33年振りで紙ジャケットでソニーから再発されることになりました。(もう発売されているのかな?)当時22面のアルバムということで話題になったものです。アメリカでは数年前にCDになったが、今回やっと日本発売、しかも紙ジャケットということでこれも話題になっています。今見るとコンピューターで制作していると思われるかも知れないけれど、当時はそんなものがなく、高度な製版技術を応用してデザインしました。この「サンタナ・ロータス」を見たアメリカの多くのミュージシャンが刺激を受けて豪華なジャケットを希望しましたが、経済的理由で、このアルバムを最後にシンプルなジャケットに逆戻りしたそうです。今回の紙ジャケットは当時のLPのスタイルをそのまま再現していますので、是非手に取って見て、そして聴いて下さい。
6月9日
26〜7年間になると思うけれども、道引術を習ったことがある。そのことで随分健康になったんだけれども、1年半位で止めてしまった。でも旅行に出ると必ずホテルでやっていた。ところが昨日「病の神様」の本の中で道引術のことを書いたので久し振りに道長さんとお会いし、対談することになった。26年振りで技術を見直してもらったら、この間にか自分で変更していたことに気づいた。昨日声がかれて出にくかったが、新しい技術を教わった途端ちゃんと声が出るようになって驚いた。だからまた今日から始めよう。
6月4日
前に書いた気がするが温泉廻りのエッセイ「横尾忠則の温泉主義」は「5L」(ファイブエル)というフリーマガジンに連載している。今月号は荒木経惟が矢沢永吉を撮っていたり、赤瀬川原平の連載エッセイなどが載っていて、充実した内容になっている。銀座界隈のお店に置いてあるそうだけど、定期購読者を募集しているので一度問い合わせてみて下さい。(03-5545-1531)
6月2日
温泉に行くようになってから体調はすこぶるいい。今年の冬は風邪も引かなかったし、少し疲れると微熱が出る体質もすっかり変わった。温泉以外に体にいいことをしているわけではない。散歩も以前のように毎日やっているわけでもない。そうするとやっぱり温泉ということになる。泉質によってもかなり違うけれども、ぼくはやっぱり硫黄が体に合っているようだ。無色透明無味無臭の温泉は家の風呂と変わりないので効いたような気がしない。