3月31日
今日、神津善行さんの車で国立駅前通りの桜並木を見物してきました。広い車道をはさんで両側に、何百メートルもの間、巨木の桜がヅラーッと並んでいます。八岐大蛇のようにぐねぐね曲がった枝が力一杯千手観音の手のように拡げています。しばしこの歌舞伎の舞台のような桜に酔いしれて来ました。
3月23日
絵は完成間近かでとんでもなく時間がかかる。またこの時がいちばん楽しい。といって調子に乗ると描き過ぎる。描き過ぎてよくなったためしはない。絵でも腹八分目だ。
3月21日
今週は鬼怒川温泉に行きます。温泉のせいかこの冬は毎年引いている風邪はとうとう引かなかったようです。温泉はリクリエーション兼ねた湯治でもあります。ぼくの新しい健康法になりつつあります。
3月20日
久し振りでY字路の絵(150号)を描いている。広島現代美術館のコミッション作品だ。美術館の入り口がY字路になっていて、そこが交番である。左手の丘の上には実際に見えないが美術館の建物を描く。また右手には太田川があって、川向こうのビルの間からこれも見えない原爆ドームを描く。さらに原爆のキノコ雲を背景に魚獲りに夢中になっている少年が原爆ドームの上空に幻影のように浮かんでいるというような作品である。
3月19日
この間テレビで久世さんの演出「寺内貫太郎一家」が再演されたらしいですね。最終回だったそうで、篠ひろ子さんとぼくが墓参りをするシーンがあったそうですが、そんなシーンを撮影した記憶はない。それにしても誰の墓に参ったんだろう。なにも憶えていない。きっと久世さんんの墓に参ったんだろう。
3月18日
カルティエで個展をしているせいか、意識がパリとつながりっぱなしだ。個展会場やパリの街が頭の中から消えない。体が東京で、頭はパリの中をうろついているようだ。
3月17日
まだ時差ボケが続いている。というのもぼくの体は外国には向いていないらしい。でなくても不眠大敵なのに。わが家の猫は主人に代わって一日中眠っている。物質普遍の原理からいえばぼくに与えられているはずの睡眠を彼女がひとり占めしているために、全部彼女の方に流れてしまったようだ。
3月14日
パリに10日滞在していたら禁断症状を起こす。なぜかというと絵を描いていないからだ。帰国翌日から早速描き始め100号一点が完成した。絵はスポーツと同じように毎日描いていないと描き方を忘れたり、下手になる。こんな話をおそば屋で会った指揮者の大町陽一郎さんにすると、大町さんは「指揮も同じで、毎日指揮している時は上手くいくけど、たまにやるとやっぱり上手くいかないんだなあ」とおっしゃっていた。
時差ボケが激しく一日眠って一日不眠を交互に続けている。まるでタクシーの運転手みたいだ。
3月9日
10日間の滞在が終わってパリから帰国した。最近は機体の底設置してあるビデオカメラで滑走路や地上を写しながら上昇していく。また着陸する時もそうする。昔だったら無事着陸すると乗客はいっせいに拍手をしたものだ。そんな客は今では一人も居ない。乗り続けたせいか、それとも安全性に信頼度を寄せているせいか。でも心の中では誰もが拍手しているに違いない。ぼくがそうだもの。
成田に着くなり乗客がバタバタとマスクをし始めるのはおかしいというのか異常だった。パリではマスク姿を見ていなかったのでやはり不気味だ。外国人がマスク姿を怖がるのもよくわかる。なんだか身元を隠しているようにも見えるし、それ以上に世間から隔離されている人間が脱出してきたように見えるのかも知れない。ぼくだってそんな風に外国人の眼でマスク姿の日本人を見たもんだ。
3月8日
マチスのひ孫夫人と友達なので、そのお母さん、(ジャッキーさん)つまり孫の家がフォンテーヌブローの森の近くの農家に住んでおられて、そこへ行く。家の中にはマチスを初め、デュシャンの作品と彼が使っていたチェスの台があって、マンレイ、コーネル、ニキ、ジャスパー、ラウシェンバーグ、などなど彼女の家に遊びに来た人の作品が美術館並みの名作がいっぱいあった。ジャッキーのお母さんが再婚した相手があのマルセル・デュシャン。だからマチスとデュシャンの作品が沢山あるのは当然。この田舎の小さい村にはセザンヌやルノアールが住んでいた家などがある。フォンテーヌブローの森にある巨石が実に面白い動物の形をしていて、セザンヌの絵の中にも描かれている。パリの忙しい時間から逃れて、身も心も純化されました。まるで夢の中を歩いているような気分でした。
3月6日
パリ発
○ オープニング(4日)の前にプレオープニングがあった。午後から9時までに2,500人が押し寄せた。この日はメディアの取材でヘトヘト。芸術関係者は一様に今まで絵画作品がヨーロッパに紹介されなかったこととイメージの多様さに驚いたそうだ。「他所の惑星からやってきたようだ」と評した美術館のキューレターもいた。スペインや南フランスの美術館への巡回などの話も進行しつつある。ニューヨークタイムスからも4人見に来たと館長は興奮している。ぼくは会場を抜けて、「ピサロ&ヤザンヌ」展や「ボナール」展を見に行っている。パレデ・トーキョーの現代美術展も見たが、幼児的で暴力的で、ゴミを積み上げたような作品ばかりで、観賞に耐えられなかった。本当の意味でのアカデミズムの回復が必要ではないかとぼくの中の心の声が語りかけてくるのだった。今日はパリを抜けてフォンテンブローの森へパリの友人の車でドライブに出掛ける。
○ 風邪を引いている人が多く、あちこちで咳をしている。ぼくにつきっきりのフランスの通訳の人もえらい風邪を引いていて、ぼくもとうとう咳が出て来た。マスクをしてくればいいのに、フランスではマスクなどをすると異常な病気に思われるらしく誰もしていない。これじゃ感染するしかないじゃないか。日本から同行してくれたスタッフも二人発熱してダウン。フランスの風邪を日本に持って帰らないようにしなきゃ。
○ 日本の記者はよく展覧会場で「何点ありますか」とくだらない質問をする人が多いが、こちらで取材を受けた日本人記者がまた同じ質問をしてきた。「数えて見て下さい。10秒で数えられるでしょう」と言うしかない。絵の表面も中味にも興味がなく数だけに興味があるらしい。
○久世光彦さんの訃報を知って、ただただ驚いている。そして非常に悲しい想いに浸っている。久世さんとは「ムー一族」や「寺内貫太郎一家」などのTVドラマのタイトルのデザインを多く作ってきた。「寺内貫太郎一家」では毎回ちょい役でレギュラー出演をしていた。そんなエピソードは沢山ある。また彼の創った会社「カノックス」のロゴも僕の作品である。出版された著作は全部送ってきてくれた。彼の方が一歳年上だったが同世代ということもあって子供時代には同じ文化を共有しただけに共通の話題が多かった。展覧会をするといつも花を贈ってくれて、テレやの本人は一度も現れなかったが、この前の展覧会には初めて現れてびっくりした。「時間ですよ」をかつての同じキャストでやるので、そのタイトルバックにぼくの銭湯の絵を使いたいと言ってきたので、心よく引き受けたばかりだった。「寺内貫太郎一家」のDVDが出たばかりで、そのパッケージにもぼくの絵が使われている。彼の最近の過去へ回帰する想いは、命の短さを本能的に察知していたのかも知れない。大事な友人を亡くしたことでより彼を身近に感じている。ご冥福をお祈りします。
3月3日
パリ発
昨夜は美術関係者やVIPが招待されてパーティーが開催された。ヨーロッパ中から美術界にとって重要な人達が大勢集まった。カルティエ現代美術財団館長のエルベ氏は評判を聞いて「大成功」と満面に微笑。何しろカルティエが開催する展覧会は最も注目度が高いからだ。街には巨大なポスターが貼られ、美術誌などが大きい特集を組んでくれたり、テレビなどの取材が入って盛り上げてくれている。今日はまた終日ジャーナリストなどのパーティーと取材が沢山入っている。それをこなすのはまあいいとして、こちらの人は立ちっぱなしで話をするのが好きなので、足の裏が痛くて痛くて仕方ない。ホテルに帰るのは深夜で、早寝癖のぼくはこんなつらいことはない。
3月2日
パリ発
「マリ・クレール」と「ハイファッション」の取材が入っており、「ハイファッション」では写真日記が掲載されるためにカメラで色々撮ることになっているがついつい撮り忘れてしまう。昨日はパリコレのイッセイ・ミヤケのショーに行く。アーティストの、ダニ・カラバンに紹介される。カルティエのオープニングに来てくれるそうだ。とにかくショーは素晴らしかった。イッセイの滝沢さんの作品を見るのは初めてだったが、日本人が外国で活躍しているのを見るのは非常に嬉しい。長い間ショーを見たことがなかったが、モデルが凄い美しいのにただただウットリ。まるでレプリカーンのようで宇宙の来訪者のような美の力を見せてくれた。
カルティエでの個展の準備の仕事は実に楽しい。3,000枚の滝のポストカードを壁に並べた光景は圧倒的だ。今日中には全ての作品の展示が終了する予定だ。明日はVIPのパーティー、明後日は終日パーティーや取材が深夜まで続く。盛り上がりが体で感じられるが、正直、半分は逃げたいような気分でもある。
オノ・ヨーコさんがパリにいらっしゃるという情報があって、やっと彼女と連絡を取る。残念ながら3/1にニューヨークに帰らなければならないという。もう一日いてくれればと残念。秋のニューヨークでのぼくの個展が準備されているので、その時に会う約束をして電話を切る。北野武さんもパリにいらっしゃるらしいがホテルがわからず目下のところ連絡取れておらず。昨夜、友人のクロード・ピカソと連絡。オープニングには来てくれるという。
3月1日
パリ発
一年振りのパリは気温が零下。吐く息が白い。だけどパリの街には暑さより寒さが似合いそう。機内では眠れなかった上に時差でつらいものがある。モンパルナスのホテルにチェックイン。真ん前が映画館で、日本映画「PONPOKO」のポスターが見える。宮崎駿監督の作品だろうか。寒そうに歩いているのは我々だけで夜遅いのにも関わらず通りは人と車とそれに街の灯りで、「眠り」とは無縁のように見える。深夜のレストランにも関わらず子供連れの家族がいる風景は日本ではあまり見ない。
カルティエ現代美術財団では展示のための壁作りに大わらわ。すでにこちらの美術雑誌が個展の特集を組んでいる。展示作品も掲載作品も45年前の日本の美術ジャーナリズムが無視した絵画作品が中心に紹介されている。意識と時間の不一致が面白い。
ポンピドーセンターで「ビッグハーン」展を見る。美術のジャンルを超えた作品がテーマ別に、新旧混在したこの傾向は世界共通。ついこの間まで新鮮に見えた作品が、なんとつまらなく見えるものに変化している。普遍とは何か?単にアカデミズムを否定し破壊したものがかえって古くさく見える。