BBSに寄せてくれる方々にお願いがあります。もし可能でしたら年齢と性別、職業を是非記して下さい。名前はコードネームのままで構いません。
8月31日
 涼しくなる秋まで待とうと思ったけれども、2〜3週間ほど前からまた散歩を始めました。最初は真剣にやっているウォーカーを笑っていましたがとうとう自分もウォーカーになってしまいました。意識して歩くとやはりウォーカーになるものです。体を動かすことが少ないと作品も不健康なものになってしまいます。もともと芸術なんて不健康を源泉にしているものですから。体を動かすと、芸術への興味より生活への興味が出てきますが、これでいいと思います。芸術だけの人生って結構暗いですからね。

8月30日(28日分)
 アトリエの横にユリが2本花をつけた。こんなところにユリがあったのを初めて知った。野生のユリかもしれない。1本のユリには3つの花が咲いているが、その1つが枯れかかっているので、水をやった。数時間後に見ると気のせいか姿勢がよくなったように思えた。この日照り続きじゃ花も川の水も枯れてしまう。朝の散歩で川の鯉に向かって、「むすぐ雨が来るから、それまでの辛抱だよ」と言ったところ、それまで物音ひとつしなかった川の中から、蛙が突然大きい声で、「ゲゲ」と一声鳴いた。まるでこちらの気持ちに答えたようで、面白かった。ただの偶然だと思えばそれまでだが、「本当?」と思えば、その瞬間に体の中に自然が接触したようで、自分も自然なんだ、ユリの花も蛙も人も同じなんだ、という気持ちになるのだった。
やっとオリンピックが終了しました。昨夜の男子マラソンのトップランナーに起こったハプニングには驚きました。結果は三位になりましたが、競技場に入った時の彼に対する物凄い声援に彼はおちゃめに陽気に答えてくれました。オリンピックの最後の最後に見せられた感動シーンでした。あのブラジル選手のような生き方ができれば最高です。

8月27日
 この間ある美術館のミュージアム・メイト(友の会)に配付する版画を色違いで4種類制作しました。ごく一般的な色の組合わせからギョッ!とする色の配合までを段階的に作ってみました。その結果はおとなしい色彩のものから、過激なものへと順番に選択されました。しかし作家はこのような一般大衆の好みにあうようなものを作っていては芸術の生まれる動機は失せ、やがて芸術家は想像力を落としていきます。大衆も常に通念に従うんではなく、むしろ自らにとってそぐわないと思われる作品を選択すべきです。

8月24日
原田佳代さんへ
昔の懐かしい作品のコピーをメールで送ってくれてありがとうございました。若い頃はあんな絵を描いていました。TBSの「ヤング720」も懐かしいです。あの番組で朝食のシーンが毎回あったでしょう?あれあはぼくの提案で「朝食をしたら?」といって決まったものです。それまではテレビで物を食べるということはタブーでもあったのです。ところが今や、どの局でも物を食べています。そういう意味であれは「悪の元凶」 です。困ったものです。
まちこさんへ
作家によっては自作を克明に解釈する人もいますが、ぼくは成るべく自作に関しては説明または判断を下さないようにしています。
鑑賞者の自由意志に委ねる為でもあります。彼女はきっと感覚が解放されているのだと思います。
それからあの作品(宮崎県立美術館で制作したY字路作品)
は来年1月から開催される熊本現代美術館の個展で展示されると思います。
P.S.
作品や展覧会の感想、質問等を是非BBSにお寄せ下さい。
時間が許す範囲内(旅行などで東京にいないことがありますので)でお応えします。

8月23日
 和歌山県立美術館へ行ってきました。常設企画展には60年代、70年代、80年代、90年代のぼくの版画作品が20数点展示されています。かなり大きい作品や珍しい作品もあります。和歌山地方の方、是非見に行って下さい。ミュージアムメイト(友の会)の人々を対象に話をしに行きました。お客さんの中で質問というか、発言がありまして、「人間だけがストレスになるといいうのは傲慢です。猫や犬にもあります」と。こういうの傲慢というんですかね。アメリカの友人から、ペットがストレスになると、飼い主がカウンセリングを受けて、先ず飼い主のストレスを治さないとペットも治らないという話を聞いたことがあります。
 昨夜というか今朝の女子マラソンは最高に面白かった。何が面白いかというと、テレビのカメラの作用が競技を面白くしていたということです。ランナーを正面から望遠レンズで撮るものだから、後から追ってくるランナーの距離がうんと迫って見えるので、ドキドキハラハラします。また追っ手の位置から広角レンズで撮るとやたらと距離があるように見えます。この女子マラソンをあれほど面白くしてくれたのはカメラの「いたずら?」によるところがかなり大きかったと思います。そんなカメラレンズの錯覚に視聴者はかなり興奮したたわけで、現実の距離はタイムか上空のカメラでしか正確に判断できなかったわけです。

8月21日
○ アートはスポーツのように勝負の世界ではないし、点数によって判定されるものではないので、オリンピックのように熱中することはありません。それにしてもなぜ選手が責任を感じるのでしょうか。ぼくは自作に対しては責任は取りません。スポーツ選手だって何も責任を取る必要はないと思います。選手の父親が土下座して応援してくれた人に謝る姿をテレビで見ましたが、一体誰のせいなんでしょうか。
○とにかくこの猛暑、制作派体の中が燃えていないと描けないが、体の外が中以上に燃えていると中の熱を殺してしまうのか、ダメです。
 久し振りに新幹線に乗りました。外の暑さは感じません。ぼくはもしかしたら新幹線の列車の中が一番好きな場所かも知れません。次はホテルかな。アトリエは別格ですが、昔はよくオテルに込もって仕事をしました。どういう訳か能率が上がるのです。できればホテルに住みたいと思います。必要最小限のの物だけで生活ができるから。物があふれた中で生活しているとふと新幹線の車中とかホテルで物から解放されたくなるものです。
 ある所でぼくは「洋画家」にされました。「洋画家」は明治以来今日も団体に属する画家を一般的にそう呼びますが、ぼくは自分のことを洋画家と思ったことはありません。「なぜ?」と聞いてみたら、「油絵を描かれますから」という」返事です。油絵は日本では洋画と呼ぶらしいです。現代美術の作家でも油絵を描く人はいます。だけど日本ではうんと少ないです。そう考えるとぼくは現代美術家の中の少数派ということになるんですかね。それとも現代美術で油絵を描くのはダサイということですかね。
8月19日
夢はビジョンですから言語化するのは
VmnSさん
 夢はビジョンですから言語化するのは大変難しいですが、創作は避けてできるだけ忠実に記述します。それでも絶対正確に表現するのは無理ですね。

 例によって夜中に目が覚めるので、その時はテレビをいつも小一時間ほど見てしまいます。すると少し疲れてすぐ眠りに入れます。オリンピックはいたって冷静に見ています。テレビや新聞は金メダルの数に興味がありそうですが、どちらでもいいです。それより白熱した技を見るのが楽しみです。

ひとみさん
 ぼくなんか四六時中耳の中に蝉を飼っているので、本当に耳をふさぎたくなります。でも本物の蝉の声はやかましけりゃやかましいほど好きです。博多座の宝塚公演、出演者の人達に約束しましたが、制作の為博多には行けそうにありません。

まちこさん、TAKAさん
 蝉じゃないけど脱皮しなきゃといつも思っています。実践もしているつもりです。

クリアーウォーターさん
 仕事自体には辛いとか辛くないとかはないんですが、不自然に取りかかったこちらの態度が問題なんですよね。

8月18日
TAKAさん
 昨夕はアトリエのベランダで蝉がうるさく鳴き続けました。金属的な鳴き声で、何かを必死に伝えようとしているように思いました。そんな時は鳴き声に耳を傾けて聞いてやるだけいいように感じました。

さわさん
 大変失礼いたしました。「思念は」「思想」の誤植です。訂正しときました。さて、お問い合わせの件ですが、芸術は思想を表現するものではないというのがぼくの考えです。芸術をプロパガンダとしてとらえている人がいますがぼくは賛成しかねません。むしろ芸術は人格や生活の反映したものです。谷崎潤一郎の小説には思想などありません。しかし読者に大きい感動を与えます。なぜなのか考えてみてください。

BBSがちょっと精神世界的観念にとらわれ過ぎて空論化しつつあります。さあ、日常に戻りましょう。

8月17日
 帝国歌劇団花組講演「新西遊記」を観ました。広い王子さんが制作のアニメの舞台化です。出演者と同じ衣装を身につけたコスプレ・ファンが結集していて、舞台と一体になって歌ったりするのです。まあ、あきれかえってしまうのですが、話が中々面白くできていて、最後は孫悟空が死んでしまって、何もかも悟ったような三蔵法師が「ゴクー!」と絶叫する。死んだ悟空が「永遠の命を得た」と三蔵奉仕を慰めるというアベコベの物語です。中国技芸団の芸が圧巻でした。(猿之助けさんの「新三国志」の技芸団とも異なる)。最後に美人アニメ声優が「正義を貫きます。私たちは一歩も引きません!」と宣言するフィナーレはカッコイイのです。

◯出口王仁三郎 の絵の描き方は面白いですね。彼の思念の表現でしょうね。ぼくですか?その時々に感じたやり方ですね。

◯絵を描くとことと思想は別だと思います。この二つを混同すると妙な議論が発生してしまいます。

8月16日
 インドへは7回ほど行きました。「インドへ」(文春文庫)は2回目に行った時の旅行です。インドでは色々発見がありました。死の問題がこのところBBSで話題になっていますが、特にベナレスでは多くの死と出会います。インドで「死を見つめる」という人が多いですが、実は「生を見つめる」ことでもあるのです。死は芸術や文学でも生と愛と並んで重要なテーマです。死は老いてからのテーマとは限りません。

あけみさん
 誰だって死を恐れるし、死にたくないと思います。この世との別離のためにも仏教では執着を解けと教えていますが、生きている間に成すべきことの重要な問題の一つでしょうね。生きている間だって苦しみや悩みの種はみんな執着から来ているわけですから、死ぬ為ではなく、生きる為にもこの問題は解決すべきだと、釈迦も言っているのです。

8月15日
 昨夜雨乞いをしたばかりの今朝は雨が降っているではないか。個人的には雨が嫌いだけれど鯉の為にはもっと降れ降れ。あとで野川の様子を見に行こう。
 40日間の猛暑のあと今日(15日)は雨の為に涼しく、時には寒いくらいだが、体の為にもよさそうだ。でもこのまま秋に突入してもらいたくない。やはり汗だくで制作したり、散歩したりしている方が感覚が開く。感覚は体を動かさなきゃ閉じてします。
 今日8月15日は日本の敗戦日だ。オリンピックを見ていると59年前のあの日がダブル。子供心にほっとした気分と新たな不安に脅えたものだ。小学3年生だった。でも今のものに溢れた生活よりもあの時代の何もなかった時代が懐かしく、もう一度あそこに帰りたいと思いながら、戦後の懐メロを絵を描きながら一日中CDをかけている。その間にモーツアルトを聴くのも忘れない。
 ぼくは子供の頃から田畑義夫の歌が好きだった。今も変わらない。彼の全集も持っていて絵を描きながら聴いている。そんな田畑義夫も85歳現役だ。昔一緒に写真を撮ってもらったことがある。そんな彼は今でも歌に対する愛がなんぼでもわいてくるという。技巧をこらさず自然のままで剣豪が修行して行く内に自然に会得して行くように、「そんな感じかな」と語っている。歳を感じさせない田畑義夫の生き方に肖りたいものだ。
 アテネオリンピックで日本選手を応援するのはいいが、相手選手または相手チームの好プレーを見逃したくない。日本選手だけに目が向いていると相手のいいプレーを見落としてしまう。日本の勝つことだけに目が向いていると感情的になって凄い選手が参加しているのだから、じっくり世界最高のプレーを見たいものだ。
(14日分)
 アテネオリンピックの開会セレモニーの演出は素晴らしかったが、日本人のアナウンサーやキャスターの語る言葉があまりにも日本選手の勝負にこだわった内容の連発には国際感覚の次元の低さに呆れ返りました。たった一人だけの参加の国もあったり、国際紛争の壁を超えて晴れて参加している国の選手たちはメダル以前に参加できたことに喜びや感動を抱いているというのに、我が日本のメディアは自国のメダル獲りのことしか関心がないようです。いつの間にか恥ずかしい国に成り下がってしまったように思います。
 猛暑に続きで川の水が少なくなり近くの川の鯉は居場所がなくなって、わずかな水たまりにひしめき合っています。今一番欲しいものは雨です。人間の力ではどうにもならないので、ただ天に雨乞いするのみです。

8月13日
○湯めの話題で持ち切りですね。12月10日 〜22日まで大阪市枚方市民ギャラリーで、夢絵日記展「夢枕」を開催します。「夢枕」(NHK出版)の本より原画を展示します。関西方面の方是非見て下さい。他の方は本でどうぞ。
○西脇の健康ランドの大舞台での大衆演劇が休みだったとのこと残念でした。前もって電話でもしてから行ってみて下さい。
○海外の美術館で見る作品は名作が多いですが、日本に来る作品はその画家の一級品ばかりとは限りません。絶対画集などで見ることのできないものもあります。かえってそんな作品にその作家の本性が出ていたり作品の秘密を垣間見たりして「お買得」という感じを受けることがあります。
○michikoさんの夢ではないが、夢は一種の死のシュミレーションみたいなところがありますよね。ぼくは残念ながら最近は記憶に残るような夢を見ません。まあ現実が夢みたいなところがありますから、、、、、。
○人にばかり見て下さい。といいながらまだ兵庫県美展は見ていません。
○きょうは東京宝塚劇場に宙組公演「ファントム」を観に行ってきました。
ロビーで支配人の小川甲子さん(元トップスターの甲にしきさん)から、「タオル持ってきました?泣くわよ」と、
「ダメダメ」
そして終了してまたロビーで会いました。
「泣いた?」
「もうボロボロですよ」
「ウソ、いいなさい」
「だってどの場面で泣くんですか?」
「和央と瀬名が銀橋でデュエットで歌う少し前辺りりからですよ」
「近所の席で泣いている人いなかったですよ」
「私って泣きべそなんですよね、もう一回観ると泣くわよ。横尾さんは装置ばかり見てたんでしょう」
年末の夢組の舞台装置を頼まれているので、確かに装置ばかり見ていたようだった。
 深夜の3時に起きてプレセデウス座流星群を観察しようと思って自転車で風景のひらけた場所に出るが一向にその徴候はない。1時頃がピークだと聞いていたので終わってしまったのかも知れない。それとも少し雲が厚かったのでそのせいで見れなかったのかも知れない。この時間はさすが草木も眠る時間帯とあって人っ子一人いない静寂そのもの。聞こえるのはわが耳鳴りだけ。こんな時間にも関わらず明かりがついている家もちらほら。帰ってテレビを付けてみるとやはりオリンピックのパラグアイとのサッカー戦をやっていた。しばらく見ている内に日本が負けてしまった。どの番組もオリンピック一色で、やたらと「メダル、メダル」と叫んでいる。獲る方も獲ってもらいたい方も頭にはこのことしかないらしい。メダル騒ぎを聞いているだけで疲れる。獲るんだったら全種目金がいい。でなきゃ一個も獲らなくてもいい。むしろその方が日本人の為にスポーツとは何ぞやと頭を冷やして考えるいい機会になるのではとふと思った。

8月12日
○ このところBBSが大変活気づいて、皆様の面白いだけでなく立派な意見が聞けるのは大変嬉しいことです。こちらも勉強させていただいております。特に活発な建築に関する意見は、誰もが考える問題の指摘だと思います。特に都市が怖いのは都市自身が人格化していくことです。都市または建築の持つ波動が人体に与える影響があるということです。
○ 西洋から学ぶことも多々ありますが、この辺で日本が西洋に教えなければならないこともあると思います。各自考えてみたいですね。
○ ぼくはサッカーの熱心なサポーターではないけれど、日本が行う国際試合ぐらいは見ます。でもイライラします。どうして簡単にゴールができないのだろうかとか「下手くそ」なんて思ってしまい、自分ならもっと簡単にゴールしてやるのにとか、こんな考えのぼくですから、ズッコケルのは間違いないですね。VmnSさん。
○ 「死を受け入れば良い」なんていいましたが、まあそうはいってもその場になるとそうはいかないでしょうね。でも普段から「死」を哲学していると死も捨てたものじゃない。という気持ちになりませんかね。
無我夢中さん
 素晴らしい体験ですね。あやかりたいものです。「全身がモノに還る」 という感覚はかなり高度な感覚だと思いますよ。なぜかというと人間はモノになることによって宇宙と一致する訳ですから、誰もがなれる訳ではないです。「意味のないもの」ではないと思いますよ。

8月11日
まっしゃさん
 兵庫県美へ行っていただいてありがとうございました。ぼくはまだ行けないまま秋の個展の制作中です。作品とのコミュニケーション嬉しく感じました。

とうふさん
 ぼくも「これは夢だ。だから目が覚めるはず」といって、のれんの布地に目を大きく見開いて夢から覚めようとしたら、布地が段々ミクロ的になって最後は繊維がクローズアップしてしまったことがありました。

まちこさん
 ぼくもあなたの夢によく似た夢を見たことが何度もありましたが、その内夢の中の声に言われた通りにしました。すると、フアフアと宙をゆっくり歩くような感じで地面に下がりました。勇気を出して一度試してみて下さい。するともうこの手の夢は見なくなります。ぼくの場合がそうでした。

ナツロウさん
 近所で体操を教える教室(学校の体育館)があると昨日聞いたばかりです。さては体操をしろということですかね。

8月10日
 普段は雨が嫌いです。雨の日が好きだという人も時々います。そういう人は純文学系ですかね。でもこの猛暑の中の雨は大歓迎です。干上がっている近くの川の鯉の為です。いつも散歩をしながら鯉を眺めるのが楽しみだったのが、最近はその姿がありません。一体どこへいってしまったのだろう?大した深みもないのに。まさか死んでしまったわけでもないと思いながらもやはり心配になるものです。他のウォーカーも心配そうに橋の上から水面を眺めています。だから驟雨でも嬉しいです。だから鯉が川に帰ってきた日はきっと感動するはずです。
 夏はどうも食欲がないです。ダイエットのチャンスかも知れません。でも時々「うなぎ」が食べたくなります。冬はそうでもないが、夏になると体が要求するのです。体って頭と違って時々変なものや変なことを要求します。それを頭が打ち消すことがありますが、頭に負けないようにしています。
  不眠の方、過眠の方、気にしないでもらいたいのですが、アメリカの統計の結果7時間睡眠の人が一番長生きするそうです。6時間でも8時間でもない7時間だそうです。寝過ぎはよくないといいますが、確かに頭がボーッとしますよね。

ガマの油さん
 おっしゃる通りです。あなたの考えに全面賛成です。すばらしい人間の為の建築もありますが、中には建築家のエゴ丸出しの建物も多いです。ある有名な建築家と対談した時、「建築雑誌に掲載される為の写真写りのいい建物を建て過ぎじゃないか」と批判したところ「耳の痛い話」とエゴを認めました。名を売る為であったり、次の仕事が欲しい為であったりが、見え過ぎます。この問題はどこかできちんとやらなきゃいけない問題ですね。
 
  深夜に目が覚めるといつものようにテレビをつけると、映画「長崎の子」が始まるところでした。この映画の存在は子供の頃から知っていましたが、60年後に初めて観ることになりました。この映画の主人公は原爆で生き残った四年生の男の子です。当時ぼくは三年生だったので一年違いですが、あの頃の自分の姿と重ね合わせて観ました。親を亡くしたにもかかわらず、元気で明るく、勉強に打ち込むその子は、「くじけないで早く大きくなって立派な人間になりたい」と決心するのでした。ぼくと同世代のこの子はきっとその信念を貫いて現在何処かで生きておられることでしょう。今の子供はこの少年が決意したような決意をしているのでしょうか。短い映画だったですが、心に深く印象づけられました。
 深夜2時から「ポール・マッカートニー・イン・ロシア」には感動しました。赤の広場で数万人を集めたコンサートで、前大統領のゴルバチョフやプーチン大統領も観劇。旧ソ連崩壊の下地にはビートルズが一役買ったことがこの熱狂した観衆の歓びを見ただけで分かります。まるで宇宙飛行士を迎えるような歓喜と興奮にテレビを見ていても鳥肌が立ちました。深夜の思わぬ魂のプレゼントでありました。今日は睡眠不足です。(8月9日)

8月9日
 猛暑が過ぎたと思って早朝散歩を始めたが、やはりまだまだ猛暑が抜けません。15分も歩けば汗が流れます。なるべく無理をしないように日陰を歩いたり、自然の多い場所を散歩コースに選んでいます。早朝だから気持ちがいいが、すぐ強い太陽の光が照りつけてきます。以前はブラブラ散歩気分だったけれども、やはり知らず知らずウォーカーの仲間入りをしてしまっています。歩くのも呼吸も全て意識をするのがいいと思います。意識することによって体の部分を感じたり、また自分の意志とひとつになることができます。
 耳鳴りが四六時中しています。耳の中に蝉を飼っているようなものです。それがこのところ本物の蝉があちこちで鳴いています。本物の蝉を耳鳴りと思うか、耳鳴りを蝉と思うか、そんな盛夏真っ只中で絵を描いています。
 この間イラストレーターの和田誠君が作った「真夜中まで」という映画を彼が送ってくれたDVDで見ました。上手いと思いました。映画をあそこまで楽しんで作れる監督はそういないように思います。和田君の映画の知識はプロでも顔負けです。そんな知識が随所に発見できて、映画ファンなら数分に1回づつ膝を叩いて大喜びすることでしょう。パロディーの域を超えて頭(アイディア)と体(技術)がひとつになっています。
 夢を記述したり人に語ったりすることで無意識が顕在意識と合致して、シンクロニシティが生じるとユングが言っていたように思います。夢日記を10数年間書いていますが、夢は書かないと忘れてしまいます。といって自己流の夢判断はしません。書くだけで無意識の抹消かの部分を吐き出すことになるように思います。なんでも溜まっているものは吐き出した方がいいように思うからです。

8月8日
 スタッフは夏休みを取りますがぼくは返上です。どういうわけか毎年秋に展覧会のスケジュールが入っているので夏は制作三昧ということになってしまいます。どうもレジャーと無縁の運命(?)のようです。毎日がレジャーみたいなところもおかなりありますが・・・。きっと絵を描くことがレジャーだと体が思っているようです。でないと外部にレジャーを求めるはずですからね。

8月7日
 午前0時を過ぎて寝るとすぐ目が覚めるか寝付きが悪いかのどちらかです。夜目が覚めるとテレビをつけます。癖です。すると思わぬ番組にぶつかります。昨夜はレオナルド・ダビンチの「モナリザ」についての番組でした。どうでもいい番組もやっていますが、見落としたいい番組に出会うことが多いです。そう思うと夜中に目が覚めるのも何かの暗示かなと思うようになりました。朝までぐっすり眠った日には今日は暗示がない日だったと思えばいいのです。以前午前0時が過ぎると白血球が減少すると聞いたことがあります。寝付きが悪いことと関係があるのですかね。ぼくの場合は 10時代に寝ると不思議と7〜8時間ノンストップで眠れます。睡眠、運動、食物のバランスがどうしても夏場は狂います。皆さんはどうされているのでしょうか。

8月5日
KOTOOさん
 崖っぷちとは捨て身のことです。自分を守ることの反対です。自分のことです。社会からの自立、芸術からの自立、自我からの自立、それが可能になって初めて創造の高い領域に達するものと思います。(難しいですよね)別に「アートにおいて」に限らず生き方の問題だと思います。「芸術と人間性」は一体ではありますが、芸術優先、人間性優先はどちらでもいいことです。どちらかを取るかはその人によります。大観は芸術の問題を芸術で解決しようとしたのではなく、人間を問題にしたのだと思います。人格の反映が芸術だと。人格のある人は人間性が低ければそれに似合った芸術ができるということをいっているのです。だから見る人間は画家の作品とその人間性を別に照らし合わす必要なんてありません。見る側の問題ではなく創る側の人間の問題です。人間性が低くても作品のレベルが高いというようなことってあります。またその逆も。芸術家として社会的に大成したのか、人間として社会と関係なく自己実現を全うしたいのかの問題じゃないでしょうか。
 昨日アトリエで見た夢の描写を間違えました。こゆうことです。散歩のあとアトリエに寄って、そこで仮眠した時に見た夢なんですが、夢の中で夢を見、その夢から覚めるという夢で誠にややこしい入れ子構造式の夢でありました。

8月4日
 西脇健康ランドに行かれたら大衆演劇を観てきて下さい。またその感想を聞かせていただければ嬉しいです。住吉屋の包装紙のデザインはぼくの高校時代のもので今でも使用してくれています。他にも使用している店があると聞きました。岡之山美術館で聞いてみて下さい。岡之山美術館は磯崎新さんの建築で、外国からも見学に来る人がいるほどの評判の建物です。また瞑想室はエジプトのギゼのピラミッドとも対応していて、完全にピラミッドパワーが作用するよう、方角等は正確です。ピラミッドないの台の上で座ってみて下さい。ナポレオンのTシャツはロマン派の画家ダビッドの絵でルーブル美術館で購入したものです。この有名な絵は「ナポレオンのアルプス越え」と題するもので、ぼくの作品「シャンバラ越え」に図像とタイトルを引用しています。都現美での「森羅万象展」のカタログをお持ちの方は参照してみて下さい。

Wanderingsharさん
 天気輪のことなどいろいろ教えていただきありがとうございました。今朝は6時過ぎに散歩に出ました。そでに沢山のウォーカーが歩いていました。帰りにアトリエに寄ったら、睡魔に襲われウトウト。アトリエで眠っているという夢を見ました。夢の入れ子構造です。

8月3日
 昔の古いテレビ番組で横山大観のインタビューが再放送されましたが、その中で大観は絵を描く心を「有形物象、無形霊性」という言葉をいわれた。外形を描くことで霊性を表すという意味だと思います。しかし霊性は描こうとして描けるものではありません。だから大観は常に「人間ができないと芸術は生まれない、気迫は必要だ」といっています。そして日本画の「線を」描くことを止め、「朦朧派」という流儀を形成します。この「朦朧派」というネーミングは大観が名乗ったものではないのですが、何故かぼくは霊性を描こうとしたことが気になります。「霊性」は言葉にした途端失われていくような気がします。
 元阪神の監督の星野仙位一氏がテレビでいっていました。選手は二年、三年と先の長い契約をしたがる。安定が欲しいからだと。自分は一年と決めたことで安定を自らに拒んだと。でないと一日一日が真剣になれないと、自分を崖っぷちに立たせることで覚悟ができ、初めてパワーとエネルギーが出ると。アートも同じです。安定を望む中から生まれません。どんな仕事だって同じだと思いませんか。星野阪神が優勝した理由が分かります。今年の阪神はすでに自力優勝は望めなくなりました。

8月2日
 BBSがエライ活発で嬉しくなります。勉強にもなります。こうでなくちゃ。これからもどんどん発言して下さい。美術に関わっていない人達の美術に対する考えは大変面白く興味があります。美術を恐れずに自らの意識や生活の中に持ち込んでみて下さい。必ず世界観が変わります。食わず嫌いは自己を縮小するだけで拡張してくれません。美術を知識や教養で接するのではなく、あくまでも感覚(感性)でとらえてみて下さい。感覚は頭の働きではなく体の働きだと思います。
 今日は実に快適な気温です。といっても33度もあるそうですが、空気が乾燥していて、風もあって、ちょっとトロピカルな気分にさせてくれます。たまに夜空を仰いでみましょう。昨日は満月だったのですが、今夜もきっと月が入道雲を照らすことでしょう。ところで夜の虹を見たことがありますか?イグアスの滝には満月の光で夜に虹が出ることがあります。またオーロラを見たことがありますか?アメリカに行く時飛行機の中から物凄いオーロラを二回も見ました。そして飛行機がついにオーロラの中をくぐり抜けるように飛んだのです。相当の枚数オーロラをスケッチしました。オーロラを見る前はオーロラの絵を何点も描いたのですが、見てからは一点も描いていません。きっと本物にはかなわないと思ったのですかね。

8月1日
 ♪青い満月教えておくれ ♪なんて石原裕次郎の歌を歌いながら裕次郎の家の前まで来てふと夜空を見上げると見事な満月!空がまるで昼のように明るい。しかも日中しか現れないのかと思っていた入道雲がモクモクとまるでマグリットの夜と昼が合体したような光景に思わず「きれい!」と思わず叫んでしまいました。今月の12日はぺルセイウス座流星群が見れると思うと今から楽しみです。子供の頃は流れ星を見ようと念じたら、よく見る子供でした。天体現象はどこかで人体現象と対応しているように思います。
 長い間散歩を中断していたけれど、このところ少し気温が下がったので朝7時頃とか9時頃とか町中散歩を始めました。長い間の運動不足で、まるで腰に大きい石をぶら下げて歩いているような重い感覚です。これはよくない―なんでも身軽が一番いいですよね。仕事も身軽。人間関係も身軽、勿論体重も身軽。だけど体は増える一方です。こういう資料からも身軽にならないと身軽な作品はできません。
 イチローが一試合に5安打を打ったかと思うと次の日はノーヒット。こういうことは野球に限らず、絵にもよくある話です。だからイチローは例え5安打を放ったからといって大喜びはしません。明日はまた打てないことがあることをよく知っているからです。つい絵が上手くいくと喜んでしまいますが、とくと戒めなければいけません。