7月30日
 BBSを見ると、どうでもいいことに興味を持ったり、おしゃべりが多いようですが、そろそろ前向きの話も聞きたいですね。日常をどう感じ、どう見ているかとかね。60年代のことを二度ばかり書きましたが、ニ、三の方は興味を持ってくれたようですが、あのような話は退屈なんでしょうかね?
 昨日は美術館の学芸員の友人二人が遊びに来て夜遅くまで談笑しました。ところで皆さんは美術館に行っていますか。この猛暑の中美術を鑑賞するのも悪くないですよ。美術に興味がないとかわからないという人も結構いるみたいだけど、一度美術の魔力に取り付かれてみてはいかかですか?その為には先ず行動を起こすことです。知識はあとで付いてきます。「観る」ことの歓びが体中からジワジワと沸き出してくれば、あなたは自分の魂と対話し始めている証拠です。昨夜の雨で川の水も少し増水していてこの間まで尾ひれを水面から出して泳いでいた鯉も今朝の散歩時には水中を優々と泳いでいて一安心です。

7月26日
 久し振りに真琴つばささんと会って長時間あれこれ話した。彼女はぼくが宝塚ファンになった時、月組のトップだった。宝塚のポスターを手掛けるようになったのは真琴さんの計らいによって両者の希望が実現した結果だった。「LUNA」のポスターだった。その後「ベルサイユのばら」や「風と共に去りぬ」などの宝塚の名作のポスターを手掛けてきた。そんな真琴さんがやめて3年になるのでは?退団後の彼女はコンサートやトークショーやテレビなどで大活躍だ。「今度会う時は成城のとんかつ椿でね」と約束していたのがやっと現実になった。この前の電話では男声だったのがいつの間にか女声になっているので聞いたら手術したそうだ。男優から女優に転向したんだから声のキャラも変身(変声?)したわけだ。真琴さんと一緒に遊びに来たのは彼女が花組だった時の下級生の真園ありすさん。真琴さんはラスベガスから帰国したばかりでよほどラスベガスが気に入ったそうだ。そういうとあのギラギラした所は宝塚的かもしれない。
  この日は実はオペラシティ・ギャラリーでぼくも出品している「夢みるタカラヅカ」展のオープニングだったんだけれども、わが家でタカラジェンヌともうひとつのオープニングをしておりました。真園ありすさんは展覧会期間中(7月29日)鳴海じゅんさんと「お昼のコンサート」を行われます。宝塚ファンはどうぞ。

7月23日
 21日のVISIONで「精神科」なんて書いてあったが「神経内科」の間違いです。「精神科」じゃまるで頭のおかしい患者だと先生が判断したように思えるじゃないですか。文章を入力したのは実は長男です(因にこの文章の入力も長男本人です。失礼致しました。。)彼は親父のことだからきっと「精神科」だとおもったのか。問いつめなければならない。(単純に入力間違いでしたm(__)m)

 二度目にアンディ・ウォーホルのスタジオを訪ねた時は別の場所で入り口に秘書がいる、ちゃんとした会社のようだった。ウォーホルはテーブルの上に腰をかけて、コーヒーを飲みながら、電話をしながら、テーブルの上の新聞を見ているビジネスマンのようだった。67年のファクトリーで会った時には地毛だったが、この日は例の白いカツラに変わっていた。やがてアシスタントが何メートルもある長いキャンバスを引きずって奥の部屋からやってきた。ウォーホルが描いたラフスケッチを元にアシスタントがキャンバスに割り付けをしたものだ。アシスタントはウォーホルのラフスケッチを見ながら「ここはこうした方がいいと思う」なんて意見を述べた。するとウォーホルは「君がそう思うのならそうしたら」とまるで他人事のように素っ気無い。でもウォーホルの他人の意見をそのまま自作に取り入れてしまう柔軟性こそ彼の才能だと思った。ある意味で自我を滅することで、個人を個に変えてしまう術を知っているのだ。芸術は自我から入って自我を消滅させるところまで行く必要があるだろう。

7月22日
 この季節はいつも秋の個展のための制作期です。連日の猛暑にクーラーも扇風機(アトリエの天井にはニ機の扇風機があります)も効きません。さすが先日(20日)はアトリエに入ることができませんでした。油絵具が早く乾いてくれるのはいいけれど、時には困ることもあるのです。油絵は科学的行為ですからね。昨夜はさすが疲れたので鍼の先生に来ていただいて治療をしてもらったら、夜の9時半に寝て、その間2度位眼が覚めたけれど起きたのが朝の9時半、ほぼ12時間の睡眠で疲労は回復しました。さて今朝の最低気温が31度とテレビが伝えていますが、日中の気温はどこまでヒートすのでしょうか。散歩コースの野川の鯉も水が少なくて背びれを水面の外に出して泳いでいます。雨が欲しいものです。わが家の猫も風呂場のタイルの上で伸びています。ぼくも伸びたいけれど、溶鉱炉のようなアトリエに今日もこもります。

Doさん
 西脇の宿泊場所は西脇ロイヤルホテルがいいでしょうでも西脇健康ランドも面白いですよ。温泉が18位(?)あり、大広間では大衆演劇の劇団が公演しています。映画館もあり、たっぷり楽しめます。岡之山美術館の学芸員に色々聞いてみて下さい。教えてくれますよ。

7月21日
 ロンドンの美術学校でグラフィックを勉強しているSHOKOちゃんという女性が近所にいて、彼女がある日皮膚科の医院を訪ねたら、その先生が大変美人だったという。わが町で有名な美人先生で名が通っているそうだが、ぼくは知らなかった、SHOKOちゃんがあんまり美人だと先生のことをいうものだから彼女のお姉さんも先生を見に行ったところ、すっかり美人先生にはまってしばしば行っているらしい。SHOKOちゃんは背が高くて一見ハーフに見える美人で、笑顔は天使のように美しい。近所の増田屋で知り合ったのだが三人姉妹でみんな美人だ。両親も美男美女だから当然美人の子供がいてもおかしくない。その美人のSHOKOちゃんが「美人だ」というものだから、ぼくも一度先生を訪ねなければならないと思った。でも皮膚科には生まれてこの方一度も行ったことがない。「どこか皮膚の悪いところはないかいな」と考えた末、足の指が立った時ぺタッと床に吸い付くような感じがこの間からする。まるで指が吸盤になったような感触だ。「よしこれを理由に美人先生を訪ねよう」と朝10時の診察開始時間より10分早く行ったら、なんとすでに12人も狭い待ち合い室に患者があふれ、壁にもたれて立つスペースさえない。手続きだけしてぼくは近くの喫茶店で一時間待機して再訪した。すぐ呼ばれて診察室へ入った。「きょうはどうかいたしましたか」という先生は噂に違わず美人だ。まあ女優タイプの美人だが、別にニッコリしてくれるわけではない。美人を期待して行ったので驚かなかったが、何も知らないで行くときっと驚いたかも知れない。あんなに超満員なのはそれほど大したこともないのに美人と向かい合って一言二言話ができる幸せから、きっと混んでいるに違いない。だいたいあんなに皮膚の患者がいること自体おかしいと思いませんか。皮膚病位薬局の薬で間に合うはずなのにとぼくは思うのだが。
 そしてぼくの指の吸盤現象は、皮膚科ではなく神経内科へ行くべきだといわれる。とっさに口角に異変があるので、そのことをいうと軟膏をつけなさいといって処方せんをいただいて帰ることになった。でも美人先生を見に行ったお蔭で初診料、薬などで3,00円位かかってしまった。でも美人先生のご利益が足の指も口角も不思議と治っているではないか。やはり美人はありがたいものだ。

7月18日
 60年代のニューヨークのヒッピーカルチャーの一端に触れたところ何人かの人達からあの時代についてまた書いて欲しいという要請があったので、これからも時々書いてみようと思います。
 個人的には絶対会えないといわれていたアンディ・ウォーホルにあった時の話。ぼくのポスターをコレクションしていたジョン・ウィルコックというライター(後にアンディ・ウォーホルのインタビュー誌の編集長になった男)が彼の部屋いっぱいに飾っていたぼくのポスターにウォーホルが興味を持っていたというので会えたのです。その頃(1967年)ウォーホルは「ファクトリー」と呼ぶスタジオで制作していました。絶対誰にも会えないようにしていて、外から内に連絡を取るとビルの壁高くに宙吊りされていた鉄のはしごが地上に下りてきて、それに乗って途中の階に行き、そこから更にエレベーターでファクトリーに行きました。広い決して清潔とはいえそうにないロフトのワンルームの中央でウォーホルは濃いサングラスをかけたまま一人でシルクスクリーンの小品を刷っていました。サングラスのままよく色が分かるものだなあと思いましたが、彼の作品の色の選択は全てサングラスを通して見た色だとすると、実際の色とはかなり変わるはずですが、それはそれで彼の主観を超えた作品を創る為には有効な手段だと思います。だからわれわれが見えている彼の作品の色と彼がサングラス越しに見えた色とはかなり違っているはずです。
 握手した手はマシュマロみたいに柔らかくて力が抜けてしまいました。彼の悟性の一端に触れたような気さえしました。口数の少ない人ですが、どこにも変わった人間という感じはなかったです。変わっているのはスタジオに居る間中、同じ場所をモップで拭いている奴が居たり、タイプばかり打ち続けている女の子が居たりして、ソファーは破れてスプリングが中から飛び出していました。なんでも道路で拾ってきた品物だそうです。
 ウォーホルに会ったというニューヨークの子に話すと、彼と握手した僕の手をしきりに触れる女性も居るほど彼は熱狂的な60年代のヒーローだったのです。ビートルズ、ボブ・ディラン、マリリン・モンロー、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョップリン、マーロン・ブランド、クラーク・ゲーブルらと並んでたった一人のアーティストのウォーホルの肖像がポスターになってビレッジなどのポスターショップに売られていました。彼は芸術の枠を超えて60年代の文化的事件の中心人物でもあったわけです。

7月114日
 やっぱ夏は好きです。海や山やプールにも行かないでアトリエに込もリっきりで汗だくでやっていますが、絵がかかせる汗は気持ちいいものです。秋のSCAI THE BATH HOUSEでの個展前日まで描きます。当たり前ですが全て新作未発表です。
 只今兵庫県立近代美術館でコレクションされている絵画20数点の作品展を行っています。ちょっとした個展です。地元の方または関西方面へ行かれる方、是非立ち寄ってみて下さい。11月7日(日)までのロングラン展で、当美術館でも初発表です。その間ぼくも何度か行きます。http://www.artm.pref.hyogo.jp/

7月13日
 ぼくは元々政治にさほど興味がないのです。ましてアートに政治意識を持ち込むことは反対です。あーとがプロパガンダになることと美の問題はどこで繋がるのですか?だけれどもぼくはぼく自身を政治することには関心はあります。自分をどう治めるかということです。そのためには自分をコントロールする必要があると思う人がいるかも知れませんが、自分をコントロールするほど危険なことはないと思います。つまりコントロールによって自我の拡張を抑えてしまったり、衝突を避けてしまったりするからです。他人が恐れることを行うのが創造だとすれば、それは他人の為ではなく自分の為だということになります。それはそうと一昨日は選挙に行ってきました。選挙速報を面白く見る為にだけです。選挙に行かなくても選挙速報には興味ある人はきっと沢山居るはずです。だったらもっと面白くなる為に選挙に行ってみる価値はあるのでは!そんな興味本位が日本を変える切っ掛けになればそれはそれで面白いではないですか。
 この間誰かBBSで「善を行うより悪を行う方がいいのでは?」というようなことを言っていましたね。まあー理あるかも知れませんね。ヘルマン・ヘッセの「シッダルタ」の主人公はそうして覚者になりました。並大抵で悪を行うことはできませんよ。悪とは何かをこの本で読んでみては如何でしょうか?だったら「悪」を行うという方法はとりません。自分の本性の声に従う方法を取ります。もう少し分かりやすくいえば、山田風太郎流にいえば「嫌なことはしない」というのは如何でしょうか。「嫌なこと」とは欲望の赴くままを拒否されたという意味ではないですよ。

7月9日
 一時大きめのTシャツが流行っていたけれど、今はタイトなTシャツを着るのが流行っているという。Tシャツは60年代の後半世界中で大流行した。ぼくが1967年に初めてニューヨークに行った時はヒッピーカルチャー全盛時で、グリニッチビレッジはロングヘアーのヒッピーが、インディアンやインドの民族衣装などを着てゾロゾロ街を徘徊していた。Tシャツは今と同じようにタイトなもので、体の線が浮き彫りになるのが流行った。ジーンズにジージャンがひとつのスタイルで、Tシャツの裾はジーンズの中に入れるのが定番で、巾の広いバックル付きのベルトをしていた。また花柄の長袖のシャツも大流行で、さらに巾の広い花柄のネクタイをしていた。ちょっとおしゃれなヒッピーはタイトなジャケット(襟の大きいやつ)をエレガントに着こなしていた。靴は大方がスニーカーではなく、皮のブーツ、時には膝までのロングブーツだったりで、やたらとビーズなどの首飾りをジャラジャラさせていた。一方東洋指向のインドスタイルのヒッピーは、インド製のインディアンパジャマと呼んでいた薄い布地の上下で裸足にインド製のサンダル、ネックレスやブレスレットはみんなインド製のもので、フラワーチルドレンらは頭や耳に花を飾っているものもいた。目はドラッグのやり過ぎか、トロンとしている者もいる。冬はアフガンの毛皮のベストやジャケット。一方ジージャン、ジーンズのヒッピーの中には皮ジャンも多く、大方は「イージーライダー」スタイルか、または「ヘルスエンジェルス」派でTATOOなどを入れている者が多かった。
 ぼくはジョージ・ハリスンに憧れて、クリシュナテンプルなどに時々足を運んでいた。あの「ハリクリシュナ、ハリラーマ、ラマ、ラマ、ハリラーマ」と甘くて、麻薬的な気分にさせてくれる歌が好きで、そんなことからインドに行くようになったのかも知れない。インドのお香が好きで一日中部屋の中で焚いていた。またラビシャン・カールのシタールやアリアクバル・カーンのサロッドが好きでこれも一日中レコードをかけてインド漬けになっていた。懐かしい60年代のニューヨーク風景を紹介しました。

7月8日
 この間新幹線の中から電話をしようと思って公衆電話のある車輌に行ってみたら、取り外されていた。聞くと一般車輌にはあるという。グリーン車輌にはないのである。グリーン客は全員携帯電話を持っていると決めつけて、公衆電話を廃止してしまったようだ。そういえば最近は公衆電話がめっきり減ってしまって、不便である。そんなに不便ならば携帯を持てばいいじゃないかといわれそうだが、常に監視されているようで、余計な用を増やす結果になりかねない。普通でさえ没交渉的でいたいと思っているのに、携帯を持ってどんなことになるかわかったものではない。人との交流を最小限にしているので、携帯を持たないことはぼくにとっては静かな生活を守ることができる。情報も少なければ少ないほどいいと思っているからだ。世間の逆を生きるということもそう悪くないと思います。

7月6日
 わが家に来た他所の猫が、わが家の猫に威嚇されて、慌てて飼い主に携帯電話で助けを求めているという夢を見ましたが 、夢の中では猫が携帯電話をしていてもちっとも不思議に思えないのが不思議です。夢そのものが創造的なんですね。夢は無意識の産物といわれますが、無意識は既に宇宙ですね。人間も宇宙的存在といわれながら無意識を意識と一致させない以上は宇宙的存在を活かし切っていないことになります。芸術が無意識の力を利用することも宇宙からのインスピレーションを暗黙に活用している為といえるのじゃないでしょうか。