4月28日
 わが家の猫タマ(タマゴ改名)は出身が野良猫で、来た時から右目がケガのまま。美人も台無し。去年も野良猫に首をかじられ大ケガ。病院通いも終わったかと思えば次は左手のケガ。これをやっと治したかと思うと2日前から左足のケガ。原因は不明だけど、わが家の庭に数匹の猫がくる。ドイツ兵のヘルメットをかぶったような猫と、円山応挙の龍の図の渦巻雲の模様の猫などだが、どうも彼等の仕業でケガをしたらしい。そういえばぼくもよくケガをする。ケガがケガを呼ぶということもあるらしい。

4月27日
 時々、次のコレクションは何ですか?とよく聞かれますが、別に計画立てて何かを集めているわけではないので、今後何かを集めるかどうかは分かりません。それと作品の次のテーマについてもよくいわれます。最近は「Y字路」の次は何?と。作風が3〜4年単位でコロコロ変わるのでつい「変化」を期待されてしまうようです。別に変えようと思ったことは一度もなく、ある日ふと「何か」が描きたくなるだけの話です。コレクションだって別に仕事ではないし、といっても趣味でもないし。でも集めている期間はコレクション生活でしょうね。朝から晩まで仕事だけの人生ってつまらないですよ。とはいうもののつい仕事にひっかけて見たり聞いたりしてしまうのはよくないと思います。でないと全て仕事を通して物を考え、語ってしまうからです。するとやること、なすこと全て手段になってしまい、生きることの意味を見失いかねませんからね。

4月21日
 鳳蘭さんがステージから降りてきて通路際に座っているぼくの横にしゃがんで、顔を近づけるなり「見るなと言っただろう!」と怒鳴られた。勿論芝居のセリフだけど、その時の彼女の顔はピカソそっくりだった。あとは彼女の残していった香水の強烈な匂いが鼻からなかなか離れなかった。

4月20日
  先週はオノ・ヨーコさんのフィリピン大使公邸でのパーティー、翌日は大阪のサントリー・ミュージアムでの「夢見る宝塚」展に作品を出品しているのでこれのプレビューへ日帰り旅行。次の日は東京都現代美術館での「YES・オノ・ヨーコ」展へ。夕方から彼女とホテルオークラで対談。さらに翌日はサントリー・ミュージアムで鳳蘭さんとのトークがあるので新宿コマ劇場へ彼女の出演している「狸御殿」を観にいく。超前衛と超エンターテイメントの往復ジェットコースターに乗っているみたいだった。
  そして今日は天気がいいのでアトリエでボーッとしている。そしたら糸井重里さんから電話があって、用もなく会おうという話にまとまる。用のないという用は老境に一歩近づいているみたいで好きだ。
  本当の老境に入る前に先に老境を作ってしまった方が行き易いと思う。まあ皆さんには関係ないことだと思うけれど。若くてルックスだけ老境に入っている人の老境ってきっと長いんだろうなと思うけど、意識的に創造する老境こそ最高の芸術的境地だと思う。そしてさらにその先には創造もしない不退転の壁が待っているはずだ。そこには「心力の壁」も「死の壁」もない。

4月19日

 もう日記をつけ始めて三十年以上になるのじゃないかな。切っ掛けは夢日記だった。日常は大して面白くないのだが夜見る夢があんまり面白いのでつい記録し始めたのが日記を書く切っ掛けだったように記憶している。
  日記を書く時間は夜だが、夢を見た時などは、まだ夢の記憶が残っている朝に書き留めることが多い。最初の頃は日常の日記と夢日記を分けて書いていたが、そのうち日常も夢も区別なく一日の出来事として記述するようになった。
 もし他人が読めば何て変ちくりんな人生を送っているのだろうと怪しまれるかもしれない。意識と無意識の区別のない生活だから、クレイジーな日記だと思われても仕方ない。だから後で読んで自分でも分からなくなっていることがあるので、夏目漱石じゃないが「こんな夢を見た」と断わり書きを入れている。でも最近は日常と夢とが逆転しているようなところがあるので、わざわざ「夢」と断る必要もないまなと思うことがある。
 日記をもう一度、読み返すようなことはないので、誤字脱字造語、時にはこの世にない

文字まで勝手に作ってしまうことがある。このようなことはぼくに限らずかなり偉い文豪の日記などにも見られることがあり、まあ日記というものはこの程度に実にいい加減なものである。
 日記を書くのも好きだが、他人の日記を読むのも好きだ。ぼくの本棚には他人の日記本がたくさん並んでいる。自分の日記などはゴミ箱同然だが他人の日記は宝石箱のようだ。その日記の作者が小説家であったり、また別の職業の人であっても、なかなか興味尽きない面白さと秘密がある。公開を前提とした日記とそうでない日記とは趣が少し変わるが、やはり後者の方が数段面白い。
  最近読んだ小津安二郎の「全日記」は発表を目的にしたものではないので、実に面白かった。自分にしか分からない記述があり、例えば人名だけだったり、ただ「昼寝」とか「入浴」と書いてるだけだ。まさか一日中昼寝や入浴していたわけでもなさそうだが、まあ変な日記だ。
 思うにダラダラ書き過ぎた日記や心情吐露したものは上質の日記とは思えない。小津安二郎のようなスケジュールのメモと見間違えるような日記も愛想がないが、六百ページにわたって延々このような記述が続く日記も狂気じみている。
 発表を前提とした日記は日記というよりエッセイに近い性質を持っているので、どことなく自己宣伝色が出ていて俗っぽくなってしまう。絶対他人が見ないだろうと思って書いてもどことなく虚飾がでる。だから日記はなかなか難しい。
 ぼくもアート系の雑誌に日記を発表しているが、この雑誌に掲載されることは一応、前提にしていないにもかかわらず、知らず知らずの内に自己PRなどちゃっかりしてしまう。やっぱりどこかに前提意識があるのだろう。それにしても日記は何の目的で書かれるのだろう。

4月2日
 成城学園の桜並木は今日が満開。ゾロゾロ人の波だけれど上を向いて桜を見ている人はあんまりいません。東宝撮影所の裏の仙川添いの桜は物凄い。夜はライトアップで幻想的です。一見の価値ありです。桜に混じって美人やタレントぽい子も桜ざかりという感じです。

4月1日
 大リーグの開幕戦を観に行きました。結果はヤンキースが負け、ということはご存じですよね。球場の5万人全員が松井ファンで、彼がバッターボックスに立つとスタンドから一斉にフラッシュがたかれる光景はなんとも凄い。それと松井に送られる5万人の声援にはちょっと鳥肌が立つものがありました。それとテロ対策が厳重でボディーチェックあれたり、SPなんでしょうね、球場に似つかわしくない人がウロウロ、それにしても終わって出口に殺到したら、普通のドアは閉じられ、回転ドアしか作動させていないのは森ビルの事故の後だけにどう考えても理解できません。誰も喜んで回転ドアに入ろうとしないでモジモジ、そしたらやっと横のドアが開けられたというわけです。外は大雨、行きに2時間、帰りに1時間半、帰宅したら翌日でありました。