2月18日
不眠症というほどでもないがぼくは長い間睡眠時間の短いことに悩み続けていた。寝付きが悪かったり、睡眠が浅いため早く目が覚めたり、時には三日間一睡もできなかったりして、終日体が石のように重く、そして夜になると不眠恐怖症に襲われるという時期が二十年以上も続いた。
それが十年ほど前のある日、新聞の一面の書籍広告のコピーに「眠らなかったら死ぬ」とあった。それまで人間は眠らなくても死なないというのが定説で、たとえ眠れなくてもどこかで安心していたのである。
ところが、定説をくつがえす新説がでてきたものだからぼくの驚きようは普通ではなかった。不眠=死。この新説をまともに信じたぼくはその夜から「死んだら困る、絶対寝るぞ」と自分に言い聞かせて早々にベッドにも入った。あとは憶えていない。
この日以来ぼくの二十年間に及ぶ不眠は完全に解消されて、たっぷり八時間熟睡することができるようになった。実に単純な出来事で、不眠の原因は結局心因的なもので意識を変えただけで問題は解決したのである。
その後も時々寝付きが悪かったり、朝まで眠れない日もあるが、眠ることに自信ができたために一過性の不眠と認識するだけで再び眠れるようになる。だから眠れない夜はチャンスとばかり作品のアイディアを考えたり、読書したりして逆に不眠を利用することにしている。
年を取ると不眠の人が多いそうだが、ぼくは若い時にその経験をたっぷりしてきたせいか、年齢を増すに従って逆によく眠れるようになった。この前新聞に何時間眠るのが長命につながるのか、というアメリカ人を対象にした調査が載っていた。それによると、七時間眠る人が一番長命だという結果が報告された。六時間でも八時間でもない七時間だという。
ぼくはというと常識に従って八時間睡眠をモットーにしていた。ところが七時間で目が覚めるようになった。人間の意識というのは面白いもので、意識に従って肉体や生理がコントロールされることを知った。
物事がうまくいったりいかなかったりすることも全部意識の持ち方ひとつで左右されるようだ。そりゃそうだ、絵を描く時に最も重要なことは意識だ。ちゃんとした意識を持たない限り絵は描けない。迷いっぱなしで自分が何をやろうとしているのかさっぱりわからない。
意識をしっかり持つことで無意識を誘導することができるのではないだろうか。意識と無意識が結合した時、肉体が大きい変化を起こすように思う。絵でいえば肉体の変化によって、絵にふさわしい技術が導入されることになる。考えてみれば水泳や自転車がある時急に上達することがある。これも努力の結果あるとき突然意識が明確になるためだ。改めて意識の重要性をかみしめている今日このごろである。
2月14日
最近の子供はどんな職業に憧れるのだろう。以前子供を対象に美術館の企画でワークショップを行ったことがある。その時、憧れの職業を絵で描かせたことがあった。男の子はサッカー選手、女の子はお花屋さんというのが上位を占めた。中には光になりたいとか雲になりたいという変わり種もいた。
念のために彼らの親に、子供になってもらいたい職業のアンケートを取ってみた。すると医者というのが多かった。社会的にも経済的にも尊敬され安定した職業である。面白かったのは子供と親の夢が全く反対だったり、ずれていることだった。
ぼくの子供のころは単にサラリーマンというのが一番多かったように思う。ぼく個人はマンガ家か挿絵画家か映画の看板屋さんか郵便局員だった。地方にいたぼくはマンガ家も挿絵画家も映画の看板屋さんも都会の職業だったので、田舎じゃ無理だと思ってすぐ諦め、郵便局員になることを高校時代に固く心に決めていた。
切手や日付け入り風景スタンプの蒐集、文通が趣味のぼくはこれ以上ピッタリの職業はないと思っていた。郵便局に勤めながら好きな絵を家で描ければこれ以上いうことないと信じていた。それがちょっとした運命のいたずらで絵を職業にすることになってしまった。
絵は好きだったが絵で食える自信はぼくも両親も持っていなかったので実に心細かった。第一義に考えていた郵便は諦めていたものの第二義の絵が職業になったことは偶然によるにしてもある意味ラッキーといえた。しかし絵の世界も好きで描いている分には楽しいが、この職業が想像以上に競争社会とかかわっていた。
ぼくと同じように郵便に憧れていた級友と郵便局員になることを強く誓っていたにもかかわらずぼくは絵の道を進むことになった。その級友はとうとう郵便局員になり、大きい郵便局の局長にもなった。彼の歩んだ郵便人生はぼくの分身のような気がして、彼の勤める郵便局に彼を何度か訪ねたりして、郵便局の話をよく聞いたものだ。今は定年になって彼も郵便局を退めているが、ぼくの眼には彼は幸せな人生を送ったように思えてならない。
ぼくは冗談で今の絵描きの職業を郵便局員のなりそこないと呼んでいる。でも郵便局員にはなれなかったが、好きな切手のデザインも依頼されたり、各地の郵便局の日付け入り風景スタンプも何種類も描いたし、逓信博物館で郵便に関する作品の個展もできたし、大阪中央郵便局の一日局長になれたことを思うと、十分二足のワラジを履くこともでき、郵便の神様に感謝している。
いろんなことを想うと運命ってなかなか面白いものだ。なるべくして運命通りになるのか、それとも人間の意志が運命を開拓していくのか、人それぞれ生き方があると思うが、歩んできた人生を振り返る時、やっぱりなるようにしかならないものだと思うのである。
2月8日
寒いのはかなわん。立春の日は暖かかったのでこのままいけるかなと思ったらまたこの寒さだ。ぼくは夏生まれだから寒いのは弱い。夕食が済むとすぐベットに入ってDVDの映画を観る。小津と黒澤とジャン・コクトーとカサバテスの作品は全部あるのでそれを何度も観る。眠くなると途中で眠り、また続きを明日観る。寒い日は映画に限る。
2月7日
朝日広告賞の審査に呼ばれて久し振りに大量の広告の応募作品を見た。なんだかジョークや駄ジャレの作品がほとんどで、真のユーモア作品からほど遠いように思えた。その昔ロイピンやサビニャックの痛烈で毒のある作品を知っているだけに、現代のユーモア(?)作品には薄ら寒いものを感じた。また似非平和主義的なテーマの広告には何をかいわやんである。日本を駄目にしているのはもしや広告ではあるまいか。―自戒の念を込めて―
2月2日
「コブナ少年」の文庫本(文春文庫)が2月10日頃店頭に並ぶ。親本(単行本)に比べると少し(かなり)書き加えた。解説は俳人の齋藤慎爾さんがいい文章を書いてくれた。というのも「コブナ少年」の中に出てくるミス・コンテストに優勝した女流画家との交流を小説家の井上光晴さんの依頼で文芸誌「辺境」に発表した際、それが「光る女」と題して小説集として出した時、齋藤さんに色々お世話になったからである。