8月24日
先日、ぼくがデザインしたポスターサクラ大戦帝国歌劇団花組スーパー歌謡ショー「新宝島」を新宿厚生年金会館で観ました。ここに出演している女性はアニメやゲームで活躍している声優さんたちです。何が凄いといっても舞台と客席の一体感です。出演者と同じコスプレをした人達で客席と舞台の区別
がない位。掛け声や一緒に歌う歌などで、まるで「宗教色?」一色です。こんな世界が東京の一角にあるなんてそう多くの人は知らないはずです。天国と地獄が合体したような世界は昔ニューヨークで観た「ロッキー・ホラー・ショー」以上です。出演者の中には、ついこの間まで宝塚の舞台に立っていた人なんかもいて、宝塚ファンも知らないのじゃないかと思いました。
8月23日
今日の土曜日、一転してうだるような暑さ、セミの鳴き声やクラーの音までが暑く感じます。昨夜は一睡もできず、朝風呂に入って気分一転したつもりでも、やはり身体が堅くて重いです。そういえば3日ほど前から不眠気味で、これは気温とあまり関係なさそう。午前中からアトリエで制作をするつもりだけど、何しろ絵は体力との戦いですからね。それと午後には京近美の個展の作品が帰ってくることになっています。この熱中のなか学芸員の河本さんは作品を借りた美術館やコレクターの所への返却に立ち合われるわけで、展覧会ひとつ開催することは大変なエネルギーが必要なんですよね。作品一点に関わる人間(作家、学芸員、観客、その他)の全エネルギーが作品に投影されているわけだから、ぼくは絵画を観賞する時はその内容や表現はともかく、その作品の発表するエネルギーを感じる(交感)ようにしています。
8月18日
長井 真智子さん
わざわざ福岡から京近美の展覧会を観に来ていただきありがとうございました。秋に福岡市美術館で版画などを展示した個展があります。詳しくはExhibitionのページを御覧ください。来年は宮崎県立美術館で「Y字路」だけの個展も開催される予定です。福岡からじゃ日帰りできますよね。
三木郁子さん
誰にも自分で決めたラッキーナンバーがありますね。子供の頃は巨人の川上のファンだったので、彼の背番号16をそうと決めていましたが、16に集中して困りました。魔除猫のエディションナンバーが「53」だったとのこと、この数字にちなんだ名前を猫につけて毎日呼んでみてください。
8月17日
K.Uejimaさん
展覧会を観ていただいて、ありがとうございました。関西では西宮記念美術館、兵庫県立近代美術館(兵庫県立美術館の前身)に続いて、京都国立近代美術館ではぼくの三つめの美術館での個展です。関西の方には初めて観ていただいた大きい個展の一つと言えます。また中には美術館に初めて入ったという方もおられたみたいです。作品とエッセイが一致したものもありますが、文章から離れたところで自由に観ていただきたいと思います。絵は必ずしも「説明」ではないからです。そして文章よりも、もっと多くのことを絵は語っているはずです。
紀慧さん
また東京でも展覧会をします。目下アートガーデンかわさきでは「三つの闇の出来事」で3人展。9月には西村画廊でグループ展(exhibitionを参照してください。)来年はギャラリーでの久し振りの個展を行ないます。詳細は追って。
丸山さん
「Y字路」シリーズは前後しながら少しずつ変化していきそうです。「Y字路」に関してはアートガーデンかわさきでの「三つの闇の出来事」カタログで松岡正剛さんがなかなか興味のある文章を書いておられます。Y字路にはヘカテというギリシャ神話の女神が現れて、天上、地上、霊界を支配するそうです。去年東京都現代美術館で発表した「トレビ」とはつまりY字路のことです。ローマの「トレビの泉」は昔Y字路の場所にあったようです。
ひとみ.Oさん
京近美の河本さんとのトークショーで「どうでもいい」と言ったそうですが、ぼくの口癖かも知れませんね。「〜でなきゃいけない」とか「ねばならない」と言うのはあんまり好きじゃないのです。「どうでもいい」と言うのは「投げやり」だとか「無責任」と言う意味ではなく、「大した問題ではないので、こだわることはない」と言うぐらいの意味です。もう一つの質問ですが、「二十九の瞳」の「二十九」を「二重苦」と読まれたのは中々意味しんですね。京都の知人の女性はこの作品のうずくまっている男を自分に照らして、涙を流していました。涙を流すのも浄化になるから―とぼくは思います。泣くのも笑うのも浄化になるんじゃないでしょうかね。ところでどんな気持ちでこの絵を描いたか?―ですって?そうですね。常に他人の目を意識して、したいことがでいない人を描いてみたかったのです。
小林優子さん
2階の大きい(?)は、実際は壁になる予定だったのですが、展示作品が少したりなくなった為に、あの空間を学芸員の河本さんが演出されたのです。あの空間は中々いいでしょう。それから「原始宇宙」は3点が並置されて1点作品です。異なる様式で3点描いたのです。プリミティブのスタイルと、リアリズムのスタイルと、抽象画の3点で、この3点はよくよく観るとお互いに関連しているのです。それが解りましたか。解ればもっと面白いはずです。3コマアートと読んでいます。これからもこの種の作品を時々描くつもりです。
8月11日
伊藤千恵さん
萩原朔美先生との演劇(多摩美大)の仕事「児雷也」の舞台美術は延期され来年の春になりました。ところで萩原さんがあなたの質問に対して「仕事だよ〜!はっはっは〜!」という返事が実に愉快ですね。萩原先生は仕事と遊びの境がないんですよ。アートってこういうもんです。近い内に萩原先生に上野毛の校舎で会うつもりです。その時あなたの話をしましょう。
Ochiさん
展覧会も感想ありがとうございました。「現実と非現実の間」の少女の足にとまっているテントウ虫がポスター「ワンス.アポン・ア・タイム」では同じ少女の足にテントウ虫の代わりにカタツムリがはっている―なんて実に芸の細かい観察に作者のぼくは思わず下を巻いてしまいました。だってとっくの昔にそんなことをしたなんて忘れてしまっていたからです。そうなんです。ぼくの作品は過去にも現在にも未来にも関連しながら継続しているんです。
上西広志さんより
はじめまして。昨日は、有難うございました。京都は夏の空と雲が素晴らしかったです。横尾さんの作品をやっと、生で観ることが出来ました。「懐かしい霊魂の会合」や「彼岸」に、ああ、たましいと言うのは、こんなふうに・・・と、しばらく私は無になったような気がしました。「この川のある風景はぼくの・・・」の前に立ったとき私は、とても懐かしい心持ちがしました。そして、また嬉しかった事は、キリさんや、ケンさんの絵があったことです。講演会では、運よく三列目に座ることが出来、横尾さん間近で見ることが出来、話を聞くことが出来ました。サイン会も、ずうずうしいとは思いつつ、目録の他に、私が横尾さんの方へと大きく踏み込むことになった「導かれて、旅」にも書いて頂きました。私のような我偉な者もいて、お疲れになったと思います。申し訳ございません。ところで、横尾さんは、昨年の十二月に片側顔面痙撃になられたそうですが、完治されましたでしょうか。偶然、私も昨年の十二月に突然なってしまいました。MRI等うけましたが、原因がわからず春までかかりました。今では嘘のようですが、お茶を飲むのも大変な時期もありました。ツライ冬だと思っていましたが、HPで{歪んだ顔の横尾さん}をみてびっくりしました。そして、ポジティブなんだなあと感じ入りました。何ごとにも前向きに生きたいと思います。それでは、長くなりすぎましたが。失礼ですので終わらせて頂きます。 御自愛を
上西広志さんへ
「懐かしい霊魂の会合」や「彼岸」や「友の不在を想う」は亡くなった同級生の魂を想って描いたレクイエムです。現在は三作目ですが、一人ずつ先立っていく同級生を描くのは生きている自分自身の務めかなと思っています。
砂川桜さんより
7月25日に京都国立近代美術館へ先生の展覧会を観に行きました。すごく良かったです。古い方の美術館と思っていたところ、近代美術館の方だったので感動しました。というのは、近代美術館の方が先生っぽいと思ったからです。(すいません。生意気で){私が大金持ちだったら絶対先生の絵が買いたいです!}そして、絵がいっぱいあったので最初からわくわくしてじっくりあの空間を満喫しました。2003年制作の絵が、私はすごく好きです。前には、確か神戸にて拝見しました。その時の絵もすごく好きです。あの、少年探偵団の挿し絵の世界のような絵がすごく好きです。先生の絵は、緊張せずにただ純粋に入れるし、わかりやすいのでおもしろいです。物語を読んでいるようです。今回の展覧会は、いつもとなんか違う感じがしました。新しい入り口、次の世界への門、そんな感じでした。二股にわかれている道の絵は、先生の自画像ですか?これからも、頑張ってください。ありがとうございました。好きな絵がありますが、印象に残ったのは細胞みたいな絵なのです。不思議です。
砂川さんへ
2003年の近作を評価していただいてありがとうございました。Y字路作品がぼくの自画像では?という指摘は大変気に入りました。まあ、自画像でもあり、人間ひとりひとりが毎秒毎秒選択を迫られる岐路ともいえますね。
増田哲治さん
はじめまして増田哲治といいます。
8月3日京都近代美術館での個展拝見しました。横尾忠則さんの作品は以前本では見たことがあったのですが今回ははじめて生で見ました。感動いたしました。作品に宿る魂を感じました。ぼくは絵画の知識はまったくほとんどありませんが、そんなぼくにも作品がシンクロして行き渡り、普遍性を感じました。それこそ創造とゆうものなのだと痛感しました。たくさんの作品がありましたがどの作品においても自分の霊的本質にすうっと繋がってきて、まさに瞑想状態になりました。大変すばらしいものを拝見(経験)させていただきました。ありがとうございました。
増田さんへ
京近美でのトークショート狂言「王様と恐竜」には遠方からも大勢の方達が来て下さり大変ありがとうございました。狂言の原作者の梅原猛氏も演出の茂山千之丞氏も大変ご機嫌で、終了後、来春のパリ公演のためのミーティングが随分盛り上がりました。本当はアメリカで公演したいのですが戦争批判の狂言のため、取りあえずアメリカのイラク攻撃に批判的立場を取ったフランスで公演するよう目下準備中です。また梅原猛氏は他に歌舞伎や新しい舞台にも挑戦される用意があります。その時はまたご一緒に仕事をすることになりそうです。
瀬越昌弘さんより
講演会、サイン会お疲れ様でした。
講演会での解説は、謎解きのようで秘密があばかれる楽しみがありあした。
感想と質問です。
8月3日、2度目の展覧会で最も印象的だったのは、「集合と分散-その力の動き」でした。
ベラスケスの絵の登場人物の顔や身体が消え失せているのは、滝の流れによって各個人の自我が洗い流されたからなのだ、という強い印象を受けました。横尾さんの言われる個人からの個へ変容する瞬間を写し取った瞬間なのでしょうか。そしてこの絵に入り込む事によって鑑賞者である私も浄化されるような爽快な気分を味わいました。
頭から爪先まで冷たい水がすーっと流れるような感じでした。
さてここで質問です。
横尾さんはこの絵を描き終わった時、どんな感じになられたのでしょうか。
とても興味がありますのでよろしければお教え願いますでしょうか。
瀬越昌弘さんへ
この絵に限らづ、描き終わった時は長い旅から戻ってきた感じです。制作は旅でもあると思います。見知らぬ土地で道に迷ったり、危険な目にあったり、思わぬ光景に出くわしたり。絵の旅も肉体の旅です。頭の旅と思われるかもしれませんが、ぼくにとっては肉体そのものの旅です。
村井保彦さんより
展覧会はすでに2回観に行かせていただきました。
富山県立をスタートに東京都立、広島そして今回の京都とここ数年の横尾さんの国公立美術館の大回顧展的展覧会(?)はすべて観に行っていますがその4ケ所全て観てきた中では今回の京都の展覧会は一番コンパクトに今昔の横尾作品がわかりやすく、まとめられて構成されていて独自性と内面性が際立った横尾作品を一気に観る側としては横尾作品が横尾さんのお嫌いな癒し系ではないハードな作品が多いだけに観る分量的にベターな数と構成だと思いました。すごく心地良い横尾ワールドが展開されていて何度も足を運びたくなる空間です。すごくいいと思います。
水島 督さんより
東京の会社に勤めているお陰で、横尾さんの個展は原美術館(がはじめてでした)と東京都現代美術館に行かせていただきました。
今回の京都近代美術館の個展にも是非行きたい!と思っていたら運良く法事(祖父の13回忌と父の7回忌)があり、法事の次の日に、横尾さんの画集を貸してくれて横尾さんのことを知るきっかけになった幼なじみを誘って二人で京都近代美術館に行ってきました。
迷路のようになっていて、自分の好きな順番で絵を見ていけるので、それだけでわくわくしました。
友達と二人で行ったものの、気づいたら別々の方向に進んでいて、はぐれたと思ったら、ある地点でまた再会したりで、人生での縁のある人との出会いとか別れとかについて一瞬考えたりしました。
日頃電車に乗り遅れそうでもあまり走ったりしないのですが理由はわかりませんが、あの展示の中を走りまわってみたい気分になりました。絵のもつエネルギーをもらって元気が出てきて、動きたくなったのでしょうか。
気づいたら3周(いや本当は2周半くらいだったのか3周半だったのか)まわって、横尾さんの作品を鑑賞いたしました。たいへん楽しい時間を過ごせました。ありがとうございました。長文かつ下手くそな文で失礼しました。
8月6日
京都国立近代美術館でのトークショーで学芸員の河本さんと今回の展覧会の構成についての話を二人でしました。全作品の中から共通の図像をピックアップして、それを複数のグループに分けたものを河本さんの手によって連鎖的に作品と作品を結び付けて、最初の一点と最後の一点をまるでメビウスの輪のように、あるいは輪廻のように永続化されました。するとそこに絵本のような物語性が表出したわけです。このことによってぼく自身さえ気づかなかった様々な問題が解明されました。そして開示されていたのです。この展示によって河本さんは文字によらない「横尾論」を語ったことになります。
8月4日
京都に行く新幹線のぼくの座席に座っている人がいました。「あのー、その席は・・・・・」と言おうとして、その人の顔を見るとグラフィックデザイナーの長友啓典君でした。彼は大阪へ行く用があるらしいのですが、久し振りだからと、とうとう京都まで話をすることになりました。ぼくは彼が偉いと思ったことは、毎日、朝1時間半から時には2時間も歩くというのです。それを5年も続けているのです。勿論健康の為ですが、彼の持続力と忍耐力には驚きました。自転車で移動するだけで、歩くことの少ないぼくは即刻見習うべきだと大いに反省させられました。さあ本当に実験できるでしょうか、長友啓典君の意志の強さを教わった思いです。でも実践しなければ教わったとは言えないですね。自分自身を超越すると言うことは長友啓典君のように誰にでもできそうでなかなかできないことに挑戦すると言うことかも知れませんね