7月31日
 「第7回世界ポスタートリエンナーレトヤマ2003」にインドの子供達が描いた14点の作品が努力賞を取りました。国祭展に子供の作品が応募され、しかも受賞したなんて前代未聞の出来事だと思います。このことは非常に重要な意味を持っています。先ず作品の質が非常に高くプロが失っている純粋無垢、さらに素朴な表現が確かな技術と、子供に似合わず、インドの伝統の上に見事に立脚していると言うことです。デザインとして制作されたものですが、絵画としても立派に通ずるもので正に魂の形相が露出した実に美しい作品になっており、久し振りに感動しました。
 富山の立山博物館のひとつに「まんだら遊苑」という地獄と極楽を表現した一種のアミューズメントパークがあります。地獄、極楽のシュミレーションですが、造形美術ともとれる表現がされていますが、地獄より極楽の方が地獄的なんですね。というより面白い表現はどうも地獄的になるようです。地獄的と言えばやはりこの現界こそが写し世と言うことになりますね。死後の世界には地獄も極楽もないと思います。その人間の意識が創造する世界が死後だから、誰が決めるわけでもなく全て自分が決めることになるんじゃないでしょうか。

7月30日
 審査1日目(29日)の夜はどう言うわけかよく眠れず、夜中に何度も目が覚め、その都度テレビをつけるが、各局共面白い番組はやっておらず、4時45分に起床して新聞を読んだりする。昨日の審査風景がカラー作品で紹介されている。6時半頃ロビーに下りて朝食時間(7時)を待つが、それまでホテルの前の富山城(?)内を散歩する。鯉にエサをやったり、体操をしているおばさんのグループがいたり、ベンチで一夜を過ごしたらしき中年の男がいたりする。ホテルに戻るとレストランは長蛇の列で、とても食べられそうじゃないので部屋で1時間ほど読書をする。 
 月に1回か2ヶ月に1回位眠れない日があります。でも次の日はよく眠れますが、中には時々不眠癖がついて2〜3日、3〜4日眠れなくなることもありますが、最近はあまり気にしなくなりました。そんな日は起きて作品のアイディアを考えたり、メモを取って時間を過ごします。時々針治療をしてもらって身体を調整してもらうようにしています。でもぼくは年中身体のどこかしらが悪いようで、それも日替わり病です。年末は入院したかと思うと、退院後は微熱が続き、それが治ったかと思うと、今度は家の中で階段を踏み外してケガをし、それが2ヶ月近く痛くて、やっと治ったら次は歯が痛み、それが終わったら足首が痛く、その後は偏頭痛、さあ次というか、明日はどこ?という感じで、昨日は45年付き合っている永井一正さんから「会う度にいつもどこかが悪いと言っているね」と笑われました。かつて「病気大好き」というエッセイを医療関係の雑誌に連載していましたが、テーマに事欠かなかったものです。
毎日でも書けそうですね。このテーマならば。

7月29日
 今、富山に来ています。「第7回世界ポスタートリエンナーレトヤマ2003」の審査を行なっています。アメリカ、フランス、ポーランド、日本の4カ国で日本側の審査員は永井一正さんとぼくです。今日(28日)一日目は和気あいあいに終了し、いよいよ明日入賞作が決定します。当然議論が予想されますが、国際審査の場はいつもエキサイティングで中々面白いものです。明日また報告しましょう。
  夜中に必ず一度は眼が覚めてテレビを見てします癖がついてしまいました。ところが偶然に見るにもかかわらず、その日の心境とか抱えている問題やテーマのヒントや解決になることが多いのが不思議なのです。だからついつい毎晩何らかの期待をして見てしまいます。
 昔は四谷怪談などの映画や芝居などを恐くてトイレに行けなかったほど恐ろしかったのに、今のお客は結構笑ったりするんですよね。亡霊の存在を信じていないからですかね。ぼく達の子供時代は信じるも信じないも、いつも幽霊の気配を感じる闇と共に生活していました。だから現在のように限界と異界の二項対立なんて考えたこともなく、異界は初めから現実の一部だったんですよね。

伊藤千恵さんからのメールへの返事です。
 怠け者はよくないですね。萩原朔美さんがあなたの「なにしてるんですか?」と言う質問に対して「仕事だよ〜!はっはっは〜!」笑いながら消えたなんて最高ですね。
われわれは自身の進歩や向上を捨てたも同然だと思います。そんな中からあなたが興味を抱いている社会的な運動や活動は生まれにくいんじゃないでしょうか。また萩原さんの返事の中には仕事を遊びと感じているところが、とにかく最高です。正に芸術は遊びへの門ですからね。

瀬越昌弘さん
 YOKOO's VISIONで横尾先生にお返事を頂いた「かついち」こと瀬越(せごえ)と申します。
じかにお言葉を頂き天にも昇る気分でした。一気に感想を書きましたが、BBSでは長過ぎるのでメールで送らせて頂きます。
またこの文章は私のHP用に書いたものですが、他にも先生のことを書いておりますので、よろしかったら御覧下さい。
とても恥ずかしい文章ばかりなのですが。8月3日の講演会にも是非出席しようと思っております。
大変お忙しいとは思いますが、お身体にはお気をつけください。
 この展覧会は、40年にも及ぶ横尾氏の絵画を、時代を全く無視して俯瞰し、その中に潜むある共通の素材を引っ張り出し、次々と連鎖反応のように並び替えていく。あたかも長編小説を読むかのように、鑑賞者はその物語の中に紛れこむのであった。
 横尾氏の絵を第三者として鑑賞する事は不可能である。何故なら注視すればするほどその絵に描かれた場面、状況の中に登場人物として私個人が参加してしまうからである。
 最も分かり易い例で言えば、Y字路の前に佇む私はすでにキャンバスに描かれた絵という意識がなくなり、どちらに行こうかという選択を迫られたり、遠い闇の向こうに潜む何かに怯えたり、ひと気のない街角の空気を感じたり、空の光や雨の冷たさをも感じてしまうのである。
 また「解かれた第七の封印―画家の誕生」や「受胎された霊感」のように天使と異界が描かれた非現実的な世界にすら、その絵の中に取り込まれ、意識の変革を迫られるのである。
 今回最も感銘を受けた絵は、1998年の作品「想い出と現実の一致」である。この絵は前回の展覧会「森羅万象」でも展示されており、また画集にも載っている絵である。
しかし特別な意味を今回持ったのは、この展覧会の絵の配置によるところが大きいのであろう。
 登場人物は、幼年期の横尾少年、横尾氏の実家が呉服屋であったためか算盤をはじく呉服商、囲碁を打つ娘と母親らしき人、そして何故かバルテュスの絵「猫と少女」からイメージを取り出した猫と少女である。
 注目すべきはお互いがお互いの存在を全く感じ取っていない、認識していない事である。唐突な現われ方のバルテュスの少女は当然の事として、囲碁をしている少女の視線は、相手を全く見ていない、宙を彷徨うような目をしている。横尾少年すらこの場面に居合わせてはいるものの、他者を全く認識していない眼差しである。
 同じ時代の衣装を身につけた横尾少年、呉服商、囲碁をする母と娘ですら、もしそれが同じ場所にいたとしても、同じ時間には決して存在していない。別の時間に存在する個々の姿を一枚の絵に描いているのである。
 そして今、私達が見ていると信じ込んでいるこの世界にも、意識を変えれば、波長を変えれば、見えないものが存在する事を気付かせてくれる。
 過去、現在、未来といった直線的な時間軸ではなく、全てが今この瞬間に存在している事をこの絵は表しているのだ。
 バルテュスの少女と猫は、日本、外国といった空間軸をも破綻させている。そして地球や惑星は大きさの概念をも破壊し、様々な視点があることを教えてくれる。
 この一枚の絵に入り込む事によって、我々が持っている固定観念が根本からくつがえされ、その場面と同化する事によって全く新しい、今まで感じたことのない視点を獲得するのである。
 見れば見るほど不思議で心地良い絵だ。しかしこれは絵画を読み解いているのではなく、感じ取った事を不自由な言語に置き換えている行為なのである。
 時間や空間などという概念は存在しない、という観点から横尾氏の全ての絵は描かれている。その横尾氏の視点に立って絵を見た途端、ヨコオワールドの虜になってしまうのだ。

興味ある感想ありがとうございました。「なるほど」と感じ入る次第です。
丁寧に作品を感じ取っていただいたことに感謝します。自作をもう一度あなたの眼で見てみましょう。

7月27日
 今日世田谷美術館の横の通りをタクシーで通っていたら自転車に乗った女性がぼくの都現美の黒いTシャツ(グリーンとピンクの眼鏡の)を着ていました。顔はよく見えなかったが、凄い親しみを感じました。
 歌舞伎座の七月公演「四谷怪談忠臣蔵」の千秋楽を観てきました。夏場の出し物と冬場の出し物が合体した芝居をどう結びつけるのかと思っていたが見事に頭とお尻(失礼)が結びついていました。死んで亡霊になるとどうしてあんなに本能そのものになれるのかと感心します。我々生者も生きながらに亡霊になれば立派に本能的に生きることができそうですね。
 安藤忠雄さんとのトークショーではどうしてあんなに大勢の人が笑ったのかよくわかりません。シーンと静まりかえっているのも無気味ですが、あんなに笑われると不安になります。笑わせているつもりはないのに笑われてしまうのはコミュニケーションではなく、実はディスコミュニケーションなのかも知れませんね。

7月24日
京近美の個展を見てくれた人、ぜひ感想、叉は展覧会や作品に関する質問があればお答えします。
net@tadanoriyokoo.com

展覧会の感想を寄せていただきありがとうございました。
早速ご紹介いたします。

ナガタヒトミさん
HPでのお返事ありがとうございます。 で、早速見てまいりました。(BBSの方にも少し書かせていただきましたが) 作品の多さと世界観に圧倒。 2003年の作品が多く展示されていたのにも感動しました。動く横尾さんが感じられて 嬉しかったです。
A上層部:「..失礼だぞ、チミ!」 永田  :「すいません...。」
今まで横尾さんの作品を生で観たことがなかったので(いつも画集などでしたので)、 やっぱり迫力がありますね。 また、続けていくことは本当に大切なのだなぁと再確認できました。
バージョン違い や少しづつリンクさせている展開の仕方がとても面白くて、自分の自画像が画面 中に メインではなく紛れ込んでいたり、細部までのこだわりが笑えて「なんかあるんじゃ ねぇ〜かなぁ〜」と目を凝らしたり、昔描いたものを再度描いてみたりと、続けてい るからこそ、こういう展開が楽しめるのだなぁと感じましてね。アリやなぁと。 でも、お一人であれだけの作品数があるっていうのもスゴイです。まだまだあります よね。スゴイなぁ、うらやましい。
A上層部:「なぁんという口のきき方だね、チミ!」 永田  :「すいません...。」
『京都の大学に通っている』とBBSの方で書きましたが、美大に通 っておりまして (“京都造形芸術大学”です。御存じですか?)現在活動中なのですが、やっぱり作 品を作ったものを最終的には『人に見せる』んですよね?の時やはり『ただ見せる』 だけではつまらない。今度は『見せる仕掛け』が必要になる。また、一度作ったもの をそれが作り終えたら終わりではなくて、もう一度掘り返してみる。そのタイミング も“忘れたころに”くらいがいいんでしょう。自分も周りも。こういうことも仕掛け であって、で、横尾さんは今までそれを続けてらっしゃったわけで、その『続けてい く』=今までやってこれた“衝動”的なものは一体何なのですか? 続けるということは、そう簡単ではないと思うから、とても気になります。 やめない秘訣。
A上層部:「なにが聞きたいのだね、チミは!」 永田  :「すいません...。」
いろいろ聞きたいことがたくさんありますが、ツライでしょうからここらへんで一時 中断しますが、またお便りするかもしれません。
永田  :「一方的で、すいません...。」
“スタジオボイス”での生意気氏との対談を見ましたが、『楽しく生きているからこ そ、作品も面白くなる』また『アートを一番にしない』という生き方だからこその作 品達なんでしょうか。ウヌヌムム〜…。

実作品を初めて見ていただいたこと、ありがとう。「アートを一番にしない」という意味は実生活の反映がアートであるという意味です。

H.Kさん
横尾忠則様 初めまして。 膨大な作品の中に迷い込み 「なぞなぞ」と「しりとり」を楽しませていただいております。 私が、初めてみた横尾忠則さんの作品は、 20年以上前に、TVドラマのタイトルバックになっていた背中の絵で、 背中って、なんてステキだろうと強く思いました。 その後、様々なイメージの作品を観る機会を得ましたが、 私の中の「横尾忠則」は、あの「背中」なのです。 今回の展覧会を観ても何故かあの作品が思い出されてなりません。 しかし、今日1階のショップで20数年ぶりに画集の中にあの「背中」を ビデオも写真もなく私の脳にだけあったあの「背中」の絵を見つけました。 タイトルが「sky&sea」だと知りました。 タイトルバックの中では、スケッチに近いような物やリトグラフのような物や いろんなバージョンがあったと思いますが、 画集を拝見しても、その他の本を観ても、 後にも先にもあのようなイメージの作品に出会ってないように感じます。 何のドラマのタイトルバックだったのかも忘れてしまったのに 20年以上、ずっと気になっていたあの「sky&sea」の事、教えて下さい。

「Sky & Sea」は版画の為の作品で、それをTVドラマのタイトルに使用したのですが、ドラマ名は忘れてしまいました。また別 の機会にお見せすることがあると思います。

岡本辰春さん
横尾忠則様
突然はじめまして。私は京都に住む岡本辰春と申します。 恥ずかしながら、私も絵で僅少のお金をいただいたりしながら、 いずれはその仕事を本職にしたいと望んでいる芸歴6年の駆け出し者です。 BBSの方では「辰」という名で、勢い余って初めて投稿させていただいた者です。 京都近代美術館の個展を拝見し、横尾作品の数々に接しまして、 これまでには決してない感鳴を受けてしまい、思わずメールを書かせていただきまし た。 私はこの歳になるまで、美術の学校にいったわけでもなく団体に所属したわけでもな いの で、 ろくに美術界のことも知らないアウトローの絵描き人です。 横尾様のお名前は当然知っておりましたが、 失礼にも横尾様の作品に関しては、 今となっては赤面するほど大雑把なイメージでしか捉えていませんでした。
この歳になるまで横尾様の作品を鑑賞する機会がなかったことは、かなり恥べきことだと も言えますが、 前向きに考えるとすれば、 これまでの人生経験の積み重ねを経て、やっと横尾作品を味わうことへのお許しが出 たと いう、 まさに運命的な出会いだと強く思っていたりする調子者でもあります。 会場では、入口を入っていきなり、壁に架かっていた作品の数々に、惹き付けられま し た。 それは、日本へやって来た印象派の絵画を見るごとく、 穴が空くほど見ておかなければもったいないという部類の見方ではありません。 決して肩に力を入れることなく、軽く見ることができるのですが、 しかし次の作品へ移るためにその作品から目を離すキッカケが なかなかうまくつかめないと言ったらいいのでしょうか。 見ていてとても楽しいし、とても心地よいのです。 作品を見るたび、それぞれに拍手を差し上げたくなるような感動が湧きあふれてくる ので す。 絵に拍手したくなる気持ちになるなんて今ま
で思っても見ませんでした。まさに目が 覚め る思いでした。 今回の個展に遭遇することができて、私の今までの芸術観が変わりました。 いや、変わったというよりは、しばらく自信をなくして迷走しつつあった自分流の芸 術観 が、 横尾様の作品に接したことによって軌道修正され、 新たなチャプターへ向かう準備ができたという感じです。 これからは横尾作品を見ながら、いろいろ勉強させていただきます。
近代美術館も会期中、出来るだけ足を運ぶつもりです。岡之山美術館にも行ってみようと 思っています。 感動したこの思いをご当人にお伝えせずにはいられないと、爆発しそうになる気持ちを抑えて、抑えて、なるべく失礼のないように書いているつもり ですが、 読み返すと、とても無礼な内容かもと心配になってきました・・・
言葉を綴るのがヘタで、本当に申し訳ありません。 横尾忠則様の、今後の益々のご活躍ならびにご発展をお祈りしております。

あなたの心に何らかの影響を与えたとのこと大変嬉しいです。

長谷川敦史さん
こんにちは  はじめまして 長谷川と申します。  
昨日、京都の展覧会拝見させていただきました。  
MOTでの展覧会も拝見させていただいたのですが  
やっぱりすごい、と痛感させられました。  
全開ですね。この人は全開だ、と思いました。 僕も絵を描いているのですが、まだまだだなと   
痛感しました。もっと全開になりたいです。   
ありがとうございました。  
長谷川敦史  
PS 今イタリアの"this is a magazine"という  オンラインアートマガジンの最新号に僕の作品が表紙とカバーストーリーの数ページに使われています。  お時間があれば見ていただけると幸いです。  http://www.thisisamagazine.com  です。 issue10 chaos happens というところをクリックすれば  マガジンのダウンロードが始まり閲覧できます。  よろしくおねがいします。

そうです。MOTとは又一味違った内容になりました。一点一点が連鎖しているのがわかっていただきたいと思います。

石井朝子さん
こんにちは。京都近代美術展の展示を拝見させていただきました。私は作品ひとつひとつおもしろいと思いましたが、展示の仕方もすごいよかったです。なぜよかったと思うのは、一つのイメージからいろいろ広がっているんだなあと感じることができたからです。横尾さんの頭の中でどのように展開してるかちょっとのぞけたような気がしてどきどきしました。
私はこの展示を見て横尾さんのアートについてもっと知りたくなったんで京都でやってくれてありがとうございます!
いい作品を期待しています!
(なんだかよくわからない文面でごめんなさい。。。)

この展示は学芸員の河本さんです。カタログの中にも展示コンセプトについて詳しく書いておられます。ぜひ読んでみて下さい。

江草久子さん
はじめまして。私は京都嵯峨芸術大学の2回生のしょうこと言います。観光デザイン学科です。一度BBSにも書かせていただきました☆
私は今回、生まれて初めて横尾忠則さんの展覧会に行きました。是非初日に行きたくて大学の先生(鯛天成雄先生です。一度会ったことがあると聞きました!)に課題提出日を延ばしてもらい、なんとか初日に行くことができました。。。しかし閉館時間がすぐに迫り、正直最後のほうはじっくり見れませんでした。。。しかし!学校が近いので、もうあと2回3回と行かせていただく予定です!「300年の宴」は高校の時、模写 したので見つけたとき懐かしく感じたり嬉しく思いました。あと、以前NHKの番組で制作活動されていたY字路(スクリーンに写 真を写して描かれていたさくひんです)が不意に現れたので、ドキッとしました。テレビで見た時「下書きみたいな色だなあ・・・」と思っていたのですが(私みたなものがすみません・・・)実際見てみると日光に照らされて、夏の日差しの強さをとても感じました。私は最近(プロの?)作品や制作活動も目の当たりにすると自分と比較してしまうのか、距離を感じてしまいます。素直に感動すればいいのですが・・・。今回はなんと言っても時間がなかったので、次は早めに行って以前と見方など変えて見てみたいと思います。長々とすいませんでした。これからも健康に気をつけて楽しく絵を描いてください!8月3日は必ず行きますね!

8月3日は早めに来てじっくり見て下さい。

Tomonori Fukutani
はじめまして、横尾先生。 僕の年齢は25歳で、神戸に住んでいます。 絵描きを志していますが、描けないでいる人間です。 仲間内では、先生のことを、「横尾さん」と言っていますので、あえて、ここでは親 しみを込めて、「横尾さん」と呼ばせて頂きたいと思います。 昨日(11日)、楽しみにしていた、京近美の個展を見に行く事が出来まして、横尾さ んの作品に出会うのが、昨年の東京都現代美術館での「新羅万象」以来でしたので、 居ても経ってもいれない思いになり、早速、京都にのりこみました。 そして、美術館に着き、待ちにまった作品群と対面 した時に、おもわず、笑いが込み 上げてきまして、それが何なのか?鮮やかな色彩 がそうさせたのか?自分でもよく解 らないのですが、確かに言えることは、「心からの喜び」、だったと思うんです。 一人でニヤニヤしていると、職員の人に変に思われそうなので、悟られないように絵 を見ていました。 僕は、今まで一通り、横尾芸術を勉強してきた「つもり」なのですが、専門家の様に、 理論的な解釈が苦手な方で、頭でというよりは、「体で体感する」に近い方だと思い ます。それが、まず第一で、ここで横尾さんの作品に対しての、「思い」や「感動」 を伝え切るのは不可能だと思っています。一生掛かると思います。 今、日本に限らず、世界の大多数の人々は、経済的な不況を政治だけの責任にしたり、 戦争においては、どの国が「悪」で、どの国が「正義」か?などという事の「象」、 いわゆる事象ばかりを追っかけている様な気がします。この論理でいくと最終的に自 己の人生をも「他人のせい」にしかねませんよね。 なので、僕は常に事象の裏側にあるものに、注意を払うように、心がけています。そ れをしないと、真実は永久に現れないと思いますから。 その事の重要性
を教えてくれたのは、紛れもなく、横尾芸術だったと思いますし、そ の他全てだったとも思っています。 なので、僕がいつも美術作品を見て感じることは、一貫して、「あれは何だったのか」 という問いなんです。 見て直ぐに解った例しがない。 そして、自問自答が始まるんです。「僕の眼前に現れたのは何故だ?」って。 何故って、勿論、自分で見に行っているので当たり前なんですが... それは、やっぱり永い年月を掛けて、実生活の中で「解釈」が生まれるような気がし ます。作品自体は、ほぼ永久的に見る者に重要な「エレメント」を、投げかけている でしょうから。だから、謙虚でいないとキャッチ出来ない。故に実生活において、傲 慢は禁物なんですね。 この展覧会、自分にとっての「横尾byヨコオ」は見終わった後から来るような、そん な感じがします。 これからです! これから、横尾さんが起こす波に、準備しつつ、自分も「やらねば!」と勇気を貰っ た、そんな展覧会でした。 思いは書き尽くせないので、このへんで、失礼します。 あと、講演会にも足を運ぼうと思っております。楽しみです!

おっしゃる通り「謙虚でないと・・・」ということは大事なことですね。物を見ることの原点かも知れませんね。

7月21日
 野球はやっぱり監督の「創作的」だと思います。金曜日の巨人 VS 横浜の試合がそれを物語っています。またしても懲りない原のワンパターン野球で負けました。解説の張本さんも「こんな野球を今まで何十回も見せつけられてきました」ともううんざり気味です。相手の選手の心理も全く読めない人ですね。一人で野球をぶち壊しているのが面白いようにわかります。いい勉強になります。それでも「あの場合は最善の方法だと確信しています」なんてコメントは勝者のセリフで敗者のセリフではないですよね。もーまったく。阪神の野球のメカニズムは巨人を遥かに凌駕しています。最近はどのチームのファンでもないです。面白いか面白くないかが面白いだけです。
 
 多摩美大公演の「児雷也」の芝居の公演が作者の清水邦夫氏の都合で来春まで延期されそうです。決定次第お知らせします。ぼくにとっては「天井桟敷」の再来という感じなので、ちょっとあばれてみたいと思っています。
 安藤忠雄さんと故田中一光さんについてのトークショー(マリオン)、なかにし礼さんとの対談(婦人画報)と続きます。対談は思わぬ 人と会える機会だし、友達になる切っ掛けにもなります。このお二人とは知り合いだけれども、こういう機会でないとお互いの気持ちや考えが伝わりません。自分のことを伝えるのも大事だけれども相手の考えを知ることの方が学ぶことが多いと思います。話し上手より聞き上手になる方がいいけれども、大抵は自分のことを話したがる人の方が多いですね。
 
  夕食が終わった途端、花火の炸裂する音がし始めたので外に飛び出しました。音のする方に足早に行くと丁度高台から花火が見える場所が見つかりました。ちょっとスロープになっていてまるで観覧席のようになっていたのでそこにしゃがんで観ることにしました。最初は5〜6人だったのが終わって後を振り向くと100人近くの人が集まっていました。花火は雨雲の中で炸裂するのが一番美しかったが、大部分の人は残念がっている様子でした。雲の切れ目からはみ出した花火が見える瞬間は雲も花火と同じ色に染まり、何とも幻想的です。なのに人々に花火は全部見えないと満足しない様子です。美は隠されて初めて美を発揮するのにそう思えない人は一寸可哀想でした。
 
  ぼくは絵を描く時は必ずモーツアルトか懐メロを聴きます。懐メロを聴いていると今の自分が死んでいるように想えて、生きていた頃の歌を死後の世界から聴いているような気になり、魂が安らぎます。生きながらに死んでいるというこの感覚が大好きです。モーツアルトは魂と真の「私」が一致した感じになって宇宙的時間の流れに自分がいることを知覚させてくれます。

7月20日
 娘の個展会場で絵本を出版している出版社の編集者に会いました。以前テレビで絵本の紹介番組がありましたが、可愛い本ばかりで、少々がっかりしました。勿論幼児や小学低学年の子供が見るのでしょうけれど、アイディアが先行しているものが多く、まあこれも悪くわないけれど、やはり子供に美を与えるためにはもっと美の力のある絵が必要だと思います。そこでぼくはその編集者にも話したのですが、ぼくの小さい頃高野山で親に買ってもらった「石童丸」という絵本の話をしました。この絵本の強烈なイメージと美しさには今でも忘れられない何かがありました。ある意味でこの絵本はぼくの作品の原点にもなっています。人間の心の奥にまで突き刺さる強烈な印象です。限り無く哀しく美しい物語と挿絵が何十年経っても色褪せないのです。こんな絵本が今はないように思います。そんな絵本を出版してもらいたいものですね。そう言えば今回の京近美の個展のカタログは絵本のようです。京都の山岡さんというデザイナーが学芸員の河本さんと相談して作ってくれたものです。

7月19日
 フリーダ・カーロとその周辺のメキシコ女流画家を紹介する展覧会のオープニングレセプションに出席しました。やはりフリーダ・カーロの作品は他の作家を圧倒するパワーがありました。このパワーこそ彼女の霊魂の質の高さを物語っていると思いました。質の高い作家はどんな小さな作品にも同じ力強さを感じます。作品の大小は関係ないのです。その人の手掛けた作品全てに万遍なく力が注がれそれが表れているのです。だから一人の優れた作家のどんな作品からも目を離してはならないと思いました。この作品はいいけれどもあの作品はどうも、という言い方は当てはまりません。
それは単に作品の内容を論じているに過ぎず、その作家の質をいっているのではないのですから。内容を問題にすること事態チンプなことです。問題は内容ではなく、その作家の魂の質なのです。
 映画「フリーダ・ダカーロ」の彼女役の女優さんに会いました。小柄な女性だったけれども、なかなか美人でチャーミングな女優さんでした。彼女はアートに深い関心を寄せています。メキシコのフリーダの家で撮影したそうなのでこの家に行ったことのあるぼくは映画を観るのが楽しみです。また近くにリベラの家があることを教えてくれましたが、ぼくはそこには行ったことがなかったので残念に思いました。ロスに来たら家に遊びにいらっしゃいと言われましたが、できればそれまでに文通しながら、アートの話ができればと思っています。

7月16日
 大学の総合指導で博士課程の生徒の作品を作家、批評家の教授によって一人一人の生徒の作品を指導(批評)するのですが、ぼくがここで学ぶことは他の教授陣の芸術観です。生徒のために語られる内容ですが、これがなかなか教わることが多いのです。
ノンストップで5〜6時間生徒の作品を前にして行われるのですが、ぼくの楽しみはこの時間なのです。教えるためだけではなく学ぶための実に貴重な一時です。

7月15日
 夜中に一度は目を覚まします。トイレに行った後はしばらくテレビを観る習慣がついてしまいました。お蔭で意外と拾いものの番組を発見することがあります。まあトータルで7〜8時間眠れるのだから安心です。年齢と共に睡眠時間が短くなるそうですが、ぼくは若い頃万年不眠症だったのが、今や世界の常識(?)と反対に眠れます。ある日新聞の本の広告で「眠れないと死ぬ 」というコピーを見て、ショックを受けたその夜から急に眠れるようになりました。

7月14日
●かついちさん
 「想い出と現実の一致」はある意味で総合的な作品です。ありがとう。また報告待っています。
●きららさん
 もっと「怪しい女」だと思われて下さい。監視員の方も「怪しい女」が多ければ多いほど喜んでいます。
●みやちゃん/さるくまさん
 京都のみの展覧会です。無理をしていらして下さい。
●HANAさん
 会場とカタログは一体です。前後の作品の関連を見て下さい。謎が見えてきます。
●国米さん
 西脇の前にも是非京近美を見ておいて下さい。
●Yuriさん
 本を読んで下さってありがとう。帰国中に京都に足を伸ばして京都国立近代美術館の個展を見て下さい。本よりずっとリアルに感じても らえると思います。
●こゆき&爺さん
 新作27点が旧作に混じってちらばっています。27種類の様式です。
●なつろうさん
 京都はまだ?京都の夏は燃えています。お早めにどうぞ。
●Chieさん
 三十三間堂は何度行っても感動しますね。美術でセットで見て下さい。
●ピンキーが結構ミュージアムショップで人気なんです。これが好評だと第二弾、第三弾と製作できるのです。
●永田さん
 大学の仲間に声を描けて、是非美術館に連れてきて下さい。
●ジギーさん
  たぬきうどんもいいけど京近美にはカレーもあります。
 
  日替わり天候が続いている。晴天の日は真夏並み、雨天の日は暖房が必要なくらいです。こーいう変化の激しい日が続くと体調を崩します。足の痛みが治ると歯痛が続き、今少しずつ治りつつあります。今まで歯医者知らずで今日まで来ましたが、歯が丈夫な者は歯茎が悪くなるといいますが、現在その歯茎が悪いのです。歯茎を丈夫にする薬用歯磨きと、うがい薬、歯科専用のガムで目下歯を強化している毎日です。
風邪と同様歯も万病の元のように思います。才能より体力を感じる年齢になったせいですね。

7月13日
 木曜日は多摩美で博士課程の総合指導があって一日大学にいましたが、歯が痛くて痛くてモノを言うのもつらかったのですが今日は少し楽になりました。歯医者に診てもらったら自壊して自然に治ったそうです。とは言うもののまだ違和感がありますが、もう行かなくてよいこといなるとなんとなく寂しい気がしないでもないです。どうもぼくはどこかが悪いことを望んでいるのかも知れません。

7月11日
 この前西脇市岡之山美術館で拾った子猫をもらってくれた女の子が京近美でばったり会いました。彼女の顔も名前も忘れかけていた時、彼女が「ミューズ」といって声を掛けてくれました。「ミューズ」というのは美術館で拾った猫だから、ぼくが「ミューズ」(美神)と名付けたのです。そして彼女が今日「ミューズ」の写真を送ってくれました。ネズミみたいに小さくて小雨に濡れて、そのままにしていると一晩の命だったかも知れません。それが写真では大きくなって、幼稚園生うらいになっていました。今年の年末頃には美少女猫になるに違いありません。ぼくとしてはまるで養女のような気落ちで、ここまでちゃんと育ててくれた彼女に感謝しています。秋の西脇でのワークショップに「ミューズ」を連れて来てくれるそうで、再会が待ち遠しいです。

7月9日
 京近美の個展を見てくれた人、ぜひ感想、叉は展覧会や作品に関する質問があればお答えします。
net@tadanoriyokoo.com
永田さん
 色々京都案内ありがとう。全部行ったところばかりです。鞍馬山は何度も行っています。まさか男が舞妓さんのコスプレをするわけにはいかんでしょう。そんな趣味はありません。興味のある女性はどうぞ。

かついちさん
 そうですね絵を見る時間はひとそれぞれですが、今回の展覧会は展示作品の相互関係を見ながら会場を廻ると結構時間がかかりそうですね。ぜひ試してみて下さい。

まいこさん
 アトリエも自宅も人に公開して呼び寄せる場所ではありません。観光地ではないですからね。

 今日は歯が痛くて歯医者に行ってきました。ぼくは身体のどこが痛いとか悪いとか、調子がどうもという時はすぐ医者なり病院に行きます。不安のままおびえているより、治療を受けた方が安心だからです。どちらかというと病院が好きなのかも知れませんね。自分の身体を知るのは結構面白いじゃないですか。

7月8日
 京都国立近代美術館での個展「横尾 by ヨコオ」展のオープニングパーティーが7月7日に行なわれました。関西での友人、知人はそんなに多くなかったのですが、それでも400人も来てくれました。関西の有力美術関係者も多く期待以上でびっくりしました。またそれ以上に東京からの美術館学芸委員やギャラリーや美術評論家やジャーナリストも多く、大変感激しました。展覧会の中身の評価も大きく「面白い」と口を揃えて言ってくれました。一点だけを観ると言うより平置された同質イメージや反復されたイメージ、形態を関連付けながら観る者が創造できるような構成になっている所が非常にスリリングでミステリアスです。ぼくも思わず、誰かにこのコンセプトを説明したくなる衝動にかられてしまうほどで、会場もY字路同様、順路を選択で
きるようになっています。
 展覧会名の「横尾 by ヨコオ」とは社会化されたヨコオによって私である横尾を創造(クリエイティブ)すると言う一種のゲーム感覚を換起させるように構成され、同一イメージの作品の連作が複数並んでいるので、前後左右、時には上下に視点や身体を移動させながら観賞できる様になっていますので、ぜひその肉体感覚を体験してみてください。作家が言うのもなんですが是非おすすめの展覧会になりました。ぼく自身も何度も会場に足を運びたいと思っています。会場ではぼくが装束と美術を担当している狂言「王子様と恐竜」も公演され、またトークショーも行なわれますので、是非夏休みには是非京都へどうぞ。京都国立博物館では「スターウォーズ」展も開かれています。

7月7日


東京新聞連載 遠い視線近い視点「肯定VS否定」2003/2/19掲載分 

 最近「捨てるVS 拾う」という本を出した。サブタイトルに〈私の肯定条件と否定条件〉とある。どういうことかというと、例えば「捨てる」が肯定で「拾う」が否定なのだ。つまり捨てることによって所有するという執着から解放されて自由になれるから、いいことだと言いたいのである。こんな風にぼくにとって肯定するものと否定するものを、二千二百項目書き出して、両者を対立させてみた。例えば次のように。


肯定的条件

否定的条件

本性

虚偽

過去

未来

つぶあん

こしあん

未完成

完成

 こんな馬鹿馬鹿しいことを始めたのは四十年ほど前にシュールレアリストの画家サルバド−ル・ダリが「敵」、「味方」に分けて二つの事柄を対立させていたのが面白くて、ぼくもやってみたのだった。
 例えばダリの場合。

味方

均一性

多様性

平等主義

階級化

ほうれん草

蝸牛(かたつむり)


 同じ頃ダリだけでなくアメリカの作家ノーマン・メイラーも「Hip(反体制的といったニュアンス)」、「Square()体制的といった意味」に分けてこの「遊び」を試みていた。次のように。
Hip

Square

野性的

実際的

夜半

正午

セックス

宗教


 ダリもメイラーもせいぜい三十項目位だったが、ぼくは二千二百項目並べてみた。その気になれば森羅万象が対象になるのでいくらでも増える。物事を相対的に見ればいいわけで、「善」に対して「悪」、「美」に対して「醜」、「光」に対して「闇」という具合に挙げればきりがない。
 この結果浮かび上がってくるのはその人間の思想、趣味、嗜好、生理など、その人間の生き方が明らかになってくる。そういう意味では会社の採用試験などに応用してみては如何なものであろうか。というのはそこに人間の性格や本性が自然に出てしまうからである。また心理学者には人間研究の対象としては結構面白い材料になるかもしれない。
 しかし物事をこんな風に単純に相対的に比較してみるというのもどうかと思いだしてきた。だいたい◯×方式によって一方を切り捨ててしまうわけだから、人間はそう簡単に物事をどちらかに決めてしまうことができない場合だってある。
 というのもわれわれ一人ひとりの中にこの相反する矛盾する両者を抱えていて、分け難しく二つは結びついているからだ。自分の中の二つの要素の内ひとつは肯定し、もう一方は否定することになる。果たしてこのやり方は正しいのかどうかである。今の学校教育のやり方がこれではないのか。こんな本を出してこんなことを言うのもおかしな話だが、理想を言えば肯定も否定も「私自身」と認めて、この対立を超克していくのが理想かもしれないと今、ぼくはそんな風に考えている。

7月6日
  BBSいつも見ています。それにしても今日は(4日)真夏日よりですね。美味しいかき氷が食べたいけれど誘う人もいないので水を飲むことにしました。この暑さじゃセミの声が似合うのにまだ残念ながらセミはいないようです。仕方ないので耳鳴りの「ジーッ」という音でがまんします。
 新しいというか、元のアトリエに戻って絵を描き始めましたが、まだ環境になじまず、スムーズに筆が運びません。やはりY字路シリーズです。来年はY字路シリーズだけの大きい展覧会が宮崎県立美術館で開かれます。是非九州まで飛んで来て下さい。
 スタッフの長谷川君は京近美で8日からの個展の飾り付けに行っています。上手くいっているのかな?いつもまるで人の展覧会を見るような気持ちで初日を迎えます。
期間中、狂言「王子様と恐竜」が美術館で公演されます。また一日だけトークショーも行なう予定です。日時は今思い出せないので後日お伝えします。
 東京からオープニングパーティー(7日)には大勢の(?)来てくれるそうで楽しみです。ついでに翌日は京都見物になりそうです。伏見稲荷の山の頂上のぜんざいでも食べに行きますか。それとも鞍馬山にでも登りますか。久し振りの京都です。一体どこへ行けばいいんでしょう。京都からまた発信します。

7月4日
 ディズニーシーに行って来ました。なんとかという3Dのショーと映像を観ました。3Dの方はアラジンの物語で勿論マンガです。目の中になんだかわからない図形が次から次に飛び込んで来るのです。次に観たのはジャングルのショーです。これは二度目。幻想の連続だけれどもストーリーがないのが残念。最後にマーメイドのお姉さんが空中(いや海底かな)で踊るというアトラクションでこれも二度目。アラビアンレストランで3種カレーを食べて帰って来ました。ぼくが描いたミッキー・マウスのTシャツ見ましたか?あと2種類依頼されているので期待して下さい。他にターザンのTシャツも描く予定ですが、ディズニーのキャラクターではターザンの人気がもう一つらしいです。でも自分で着たいので作ります。

7月1日
 自分の仕事や生活を見渡すとなんだか台風のようです。台風は周辺が荒れまくっていますが、中心の台風の目は無風状態で静かなものです。だからいつも台風の目になるように心掛けています。何かに夢中になって無心で事を行っているという三昧(ざんまい)状態が台風の目のことだと思います。三昧事態を目的にして、原因や結果を考えないことです。結果を考えるといつも台風状態です。三昧とは究極の「遊び」だと思います。子供に帰るということはこういうことですかね。?