5月29日
来月は引っ越しです。ぼくが今のアトリエにしているところは元々アトリエになるような家ではないのです。 現在スタッフがいる場所が実はぼくの本来のアトリエなのですが、いつの間にか荷物が増えてぼくがここから追い出されてしまったわけです。
そろそろ本格的に(?)絵の制作をと考えているので元のアトリエにぼくが戻ってきて、スタッフが町内に借りた別 の場所に移ることになったわけです。そんなわけで二軒の引っ越しが同時に行われるので大変です。ホームページはそのままなので安心して下さい
5月25日
やっと京都国立近代美術館の新作、小品ばかりだけど20点近く完成しました。1点1点が統一したスタイルで表現されていないので、この20点だけをまとめて展示すると20人のアーティストの作品に見えるかも知れませんね。だけど美術館に展示されると一人の作品に見えることになるでしょう。7月8日より開催です。新作のTシャツ3点も制作します。また個展のポスターは京都のデザイナーが作ることになったので、ぼくのポスターではありません。残念!その代わりというのも変だけれども秋に開催される京都国立博物館での「新選組」展のポスターを作ることになっています。
5月15日 遠い視線近い視点 12/18/2002 掲載 東京新聞連載より
悪夢とおさらば
「自画像」2001年 キャンバスにアクリル 45.5X38センチ
ある時からうがい水や飲み物が片方の口の端から糸を引くように流れ落ち始めた。また口の中で食物が左右均質に噛めないような状態になり、片目が変形し始めた。微熱も続き、一体何が自分に起こっているのかさっぱり分からなくなり病院に行った。
「即入院です」といわれtwさまざまな検査が開始された。最悪の病気は脳障害であり、命にも関わる。MRIやCTで脳や胸の断層写 真の撮影。脊髄から脳の随液を採取。顔と手足に電流を通して筋肉の反応を調べるなどなど二日間は検査の連続。その間にも顔は徐々に非対称を深めていく。
検査の結果、ひとつずつ否定されて最後に出た結果 は末梢神経による顔面神経麻痺ということになって、点滴と内服薬による集中治療が開始された。すると日に日に好転していくのがデーターにもはっきり示されるし、見た眼にも分かり始めた。
最初は眼を閉じたつもりでも薄目を開いていらたしい。頬をふくらまそうとしても片方 はできない。口をイーッといって横にしてもゆがんだギョーザのようになるだけで、まるで悪事を企んでいる者の口元そっくりだ。口笛さえ吹けない。
このまま治らなければ世間にも出れない。獄中記を書くようにアトリエに独り閉じこもってキュービズムになった自画像を描くしかない。人生も一巻の終わりかと悲嘆に暮れて点滴の落ちる一滴一滴を恨めしく睨んでいるのだったが、それもつかの間、この原稿が掲載される頃には退院できるところまで回復してきた。ぼくは今更のように、このスピード回復に医学の驚異を知らされた。でも中には治らない人もいるというので、先生は「神様に感謝してください」といわれた。
こんな病気を予感していたかのように、ぼくは昨年の夏の初めに顔のゆがんだ自画像を描いていたことを思い出した。その少し前にはやはり福笑いのような目や口がバラバラの顔の人間も描いているのである。絵が現実になってしまったのだった。
こんな絵を描いたためにそうなったのか、それとも無意識に未来を予知して、思わずあんな絵を描いてしまったのか、その辺のことは不確かだが、想像が現実化したことだけは間違いなかった。先生にその話をしたら「退院したらちゃんと元に戻った自画像を描いてくださいよ」と大真面
目な顔でいわれた。
ピカソのようにキュービズムを追求するために描いたのと違い、ぼくはある日フトゆがんだ顔の自画像を描きたくなってしまったのだ。ピカソの理論とぼくの直感の違いだった。こういう現象は今までにもあった。ビートルズが来日した時、彼等はJALの法被を来て飛行機から降りて来たが、それ以前にぼくは彼等が法被を着て空港に並んでいる絵を描いていた。また御巣鷹山に飛行機が墜落した前日、山に模型の飛行機が追突した作品を制作していた。他にも未来を先取りしたような作品があるが、フトそうしたくなるその源泉には一体何がそう作用させるのだろう。
再び先生は「退院したら来年は世界が平和になるような絵をぜひ描いてくださいよ」といわれた。
5月14日 遠い視線近い視点 3/19/2003 掲載 東京新聞連載より
悪夢とおさらば

大島渚監督映画「新宿泥棒日記」の中の劇中劇に出演した筆者(1969年)
よく同じ夢を何回も見るという経験が誰にもあると思う。こういう夢に限って悪夢が多い。以前柴田錬三郎さんから聞いた夢だ。戦地で、起床ラッパで起こされ、軍服を着なきゃいけないのに服が山のように積まれていて、その中から自分の服を捜さなければならないという夢だ。この夢を何度も見るそうで、正に悪夢というしかない。
ぼくがよく見る夢は舞台に素人として出演することになっていて、開演時間が迫っているのにも関わらず、独白をちゃんと覚えていなかったり、台本を読もうとするのだが、その台本が手元になかったり、あったとしても全然暗記していなかったりするのだ。
また時には自分の衣装が決まっておらず、衣装係の人を楽屋中捜し廻ることになる。そして開演時間は刻々と迫る。さあ大変だ、どうしよう、とただ一人でうろたえているだけで誰もぼくのことをかまってくれる者はいない。
ぼく以外の」出演者は全員プロの役者で、ぼくのようにあわてふためいてウロウロしている者は一人もいない。そこでぼくは開きなおって、「どーせ俺は素人じゃないか、セリフを忘れたふりをして、台本を読めばいいじゃないか、それにしても俺の役は何なんだ、どのタイミングでしゃべればいいのか、さあ困った」とまたもや、ただただあせりまくるだけだ。
ぼくの一人のためにこの芝居はぶち壊しになるに決まっている、その責任はどうすればいいんだろう、と恐れが頂点に達した時、大抵夢から目が覚めて命拾いをすることになるのだ。
こんな夢を過去二十年間の内、毎年一回位は見るのである。夢の中でぼくは地獄の苦しみを味わっていて、まだかつて一度も舞台に立って今言ったようなハチャメチャをやって芝居をぶち壊して解放されたいという経験がないのである。
ところが、ついこの間、とうとう舞台に上がって念願のぶち壊し芝居をやってのけたのだった。なんと長い道のりであったことか。夢とはいえとうとうぼくは勇気を振りしぼって長い願望を達成したのだった。なんと爽快な気分だったことか。お客もぼくの破れかぶれの芝居に大拍手、大いに受けまくったのである。
それにしてもどうしてここまで来るのに二十年近くかかってしまったのだろう。ぼくの中の何かが壊れ、大きい変化が起こったことは確かだ。つまり一種の強迫観念から脱却したのである。このことがぼくの精神状態と、どのように関わっているのか知らないが、夢と実生活が無縁でないように思うのである。
こんな経験は誰にもあると思うが、無意識が実生活の虚実に何らかの形でかなり深く関わっているらしい。もしこの夢がぼくの中で無意識と意識が統合されたんだったら、もう二度とあの悪夢の再現はないはずだ。今回の夢を完結編として、悪夢とはおさらばしたいものである。
5月12日
目下制作中のポスターはサクラ大戦帝国歌劇団花組スーパー歌謡ショウの「新宝島」です。すでにご存知の方もおられると思いますが、アニメの声優による舞台化です。ぼくは二度(前回と前々回)観ましたが、お客はステージの登場人物と同じ衣装でコスプレした人達でいっぱいです。こんなところにこんな、世界が隠れていたのかって驚いてしまったのです。アニメ声優は全員女性で宝塚よろしく男装の麗人達です。念のため宝塚ファンは観ない方がいいと思います。
5月1日
まだ足の痛みが残っていてちょっと運動不足気味です。靱帯が伸びているかも知れないのでもしそうだったら6ヶ月もかかるとか。鍼の治療などでなんとかがんばっております。先日は松島へ行ってきました。年に一度あるかないかの天気で桜は満開。今年は桜についていて、郷里に行く前は内野庭の桜が満開、郷里に行くとまたタイミングよく満開。そのあと北陸の富山に行くとここも満開。そして今回の松島も満開。桜の満開時を追いながら旅行をしていた感じでありました。松島は「週刊日本遺産」の取材で本誌では絵を発表することになりそうです。松島と天橋立と宮島を日本三景と呼んでいますがご存知ですよね。ぼくはこの三景は今までにも何度か訪ねています。松島は船をチャーターして一廻りしました。その梅の光景と松島町内のY字路を合わせた絵を描く予定です。名物のずんだ餅と牛たんは買って参りました