3月27日
テレビをつけると戦争シーンが映し出される。いい加減にして欲しいと思うが現実に戦争が行われているのだ。愚かとしか言い様がない。人類全体が戦争など望んでいないのに、ごく少数の利益を先行した人間のエゴがご都合主義の大義名分の元に全人類を不幸な運命に導こうとしている。全く人間の魂を無視した動物以下に成り下がった人間同志のケンカに過ぎない。戦争が浄化につながる時代の戦争もかつてあったが、このイラク戦争に関しては「愚か」の一言だ。またそれに加担する一国の総理は魂の欠片もない国を滅ぼそうとする人間であるとしか言い様がない。
3月24日
この間メリナ・メルクーリの「日曜はダメよ」という映画を観た。昔観た時は彼女が怖い人のように思えたが、今観ると実に魅力的な女優さんだ。もしかしたら今一番気に入っている女優かも知れない。また白黒映画が彼女の美しさを強調しているように思えた。カラー映画になってから素晴らしい女優さんは中に出てこなくなったように思う。ちょっといい女優さんはほとんど白黒時代の人達ばかりだ。それはきっと彼女達が彫刻のように見えたかも知れない。
3月22日
今日は(20日木曜日)朝から富士山がアトリエからくっきり見える。夕方になると陽が富士山の陰に落ちて富士山がシルエットになる。昔は東京のどこからでも富士山が見えていたということを浮世絵が語ってくれている。ぼくが初めて富士山を見たのは高校の修学旅行で東京に行く途中大井川からだった。写
真に撮ったらあんまり小さくてよく写っていなかった。その時の富士山は希望や夢の実現の象徴として、その後のぼくの作品の中にしばしば表された。今、そんな富士山を窓越しに見ながら、昔見た富士山と同じ富士山なのか、それとも別
の富士山なのかと不思議な気持になっている。
3月21日
大方の意に反して戦争が始まった。恐怖しない者はいないはずだが、その恐怖の波動が一人一人の精神に与える影響を考えると、このことも危険だ。だから先日も言ったが、自己の精神を外界から守る必要があると思う。
戦争と言う破壊のエネルギーは、一方で創造のエネルギーと裏腹でもある。
そんな破壊のエネルギーを創造のエネルギーに変えて、一人一人の日常をよりクリエイティブにする必要がある。ぼくはそう思う。
3月19日
糸井さんのところからどっさり野菜や果物が届いた。これが実に美味なのであります。うちの事務所に週二日来てくれている田島さんもこの野菜のファンで、注文したら混んでいてと言っていたけど、皆さん一度試してみて下さい。止められなくなること請負います。又同時に河口湖の近くの糸力さんから糸力カレーが沢山届いた。これも糸井さんが味など吟味してこしらえたカレーです。
野菜が欲しい方は下記にアクセスしてみて下さい。
http://www.e-skip.com/
3月18日
いよいよ戦争が始まるようだが、外部にまどわされない生き方をしなければならないですよね。このことで心が乱れないよう。日常生活が大事です。肉体と魂がひとつになった時、心の秩序は乱れないのですが、何しろ心は厄介な存在です。昨日は絵を描きながらオノ・ヨ−コさんが送ってくれたジョン・レノンのCDを聴いていました。さあ今日は何を聴こうかな。山口叔子、渡辺はま子、霧島昇、伊藤久男などのエキゾチックな懐メロを聴くとしよう。若い皆様には縁のない歌手ばかりです。情緒的になるのは時には必要かも知れないが、自分から情緒を生むのはどうかと思いますね。なんたって普遍性が情緒にないからね。情緒が好きな人には結構モダニストが多いんです。そんなモダニストに気に入られようなんて思って情緒的な作品を描いたらいけない。危ない。危ない。
3月17日
世の中チョット忙し過ぎます。それと同調して自分まで忙しくなっています。これはよくないと思います。時間は平等ではないので世の中の時間とは別 の時間を生きるべきです。自分だけの時間をちゃんと確立して、他から犯されることのない時間を持つべきだと考えます。そのためには仕事もセーブしなければいけません。全ての依頼を受けるべきではないと思います。他人から必要とされることは嬉しいことですが、他人を喜ばす必要もないと思います。忙しいと心が乱れます。「忙」という字は「心を亡くする」と書きますよね。もし肉体と魂が通
じ会っているなら心なんかない方がよっぽどいいですが、まあそんなわけにもいきません。肉体と魂の間に心が位 置していて、ああでもない、こうでもないと迷うのが専門で結局人を苦しめているだけです。心に振り回されない生き方が一番いいと思いませんか。
3月15日
テレビのチャンネルをひねるともう全く暗い話ばかりじゃありませんか。時代はだんだん人類が望んでいない方向に流されつつあります。テレビをつけると途端に憂鬱になりますね。他のテレビを見ようと思うと料理番組だったり次元の低いバラエティ番組で、ドラマでさえ殺人ものばかり。テレビと生活が密着している日本人の精神状態はかなり危険じゃないかと思いませんか。だからスポーツ番組と自然科学と海外ドキュメントぐらいしか見なくなりました。逃避でもなんでもありません。見るべきものが失くなってきたのです。そんなわけでテレビより本を読むことが多くなりました。それも古典ものが中心。古典の中には失われた日本人の心や生き方が描かれているからです。現代物はどうもぼく的ではないのです。時代に逆行した生き方しか自分を守れないような気がします。美術界に於いても同じで時代の潮流に背を向ける創造しかないように思います。
3月11日
お弁当について何かというリクエストがありました。
ぼくは弁当の匂いが大嫌いで、弁当の時間などは学校で苦痛でした。自分の弁当の匂いではなく、皆の弁当の匂いがひとつになったのが嫌いだったのです。自分の弁当の中味は大抵がお餅でした。アンコロ餅、砂糖醤油餅などです。
花見などは両親と一緒なんですが、その時はおにぎりです。自然の匂いの中でおにぎりの匂いは気になりませんでした。
今は新幹線では牛肉弁当専門です。
3月7日
今日は一日中雨。3月だというのに春の気配はない。庭に大きな桜の木が3本あるが、まだ芽が出ていないみたい。
満開時は毎日が花見だ。酒も飲めないし、カラオケも歌えないので俗っぽい花見ではなく、桜を見ながら深淵に哲学をする。という感じかな。
子供の頃は両親に連れられて川の堤によく行ったものだ。そんな桜の木も今は郷里にもない。別の場所に桜の園は移ってしまって、なじみがない。でも春は早く来て欲しいものだ。なんたって寒いのは大嫌いだ。初夏の生まれだからね。
3月4日
風は凄く冷たいが快晴だ。こういう日は外がいいのか家の中がいいのか迷ってしまう。ガラス張りの部屋があれば、部屋の中から青い空を眺めていたい。でもウィークデーは皆仕事をしているかと思うと、つい自分も何かしたくなる。ぼくの場合の何かは絵を描く事だ。外が快晴であろうと大雨であろうとキャンバスに向かう時間が多い。遅々として進まぬ
作業だけれども、これが生きることの証でもある。描いては消し、消しては描くことのエンドレスの作業が取り合えず今のぼくには「面 白い」のである。これが世の中の為に描くということになると急に面白くなくなるだろうなあと思う。じゃ誰の為に描くかということになると・・・・・。今年の多摩美の大学院の小論文のテーマがこの「誰のために描くか?」だった。大抵の人は「自分のため」と書いた。間違いない答えだ。でもそれだけだろうか。ではぼくは?そうだなあ、インスピレーションが与えられた源泉へのお返しといえば変だろうか。ぼくならきっとそう書くだろうなあ。