2月25日
 昨日は京都の大江能楽堂で狂言「王様と恐竜」の試演会があり、その後、ロイヤルホテルで、原作の梅原猛氏、演出の茂山千之丞氏主演の茂山千作氏(人間国宝)、それに美術と装束の私の四人で記者会見がありました。今度は恐竜が出たりで今までの「ムツゴロウ」、
「クローン人間ナマシマ」とは又違ったものになりそうです。
 これが上演される頃は戦争が始まっているかと思うと嫌ですね。さて体調はもう元に戻りました。この通り元気です!といっても見えませんね。YOKOO'S VISIONに書き込みがないと見ていただけないのは淋しいです。YOKOO POST OFFICEも時々増えますので是非見て下さい。どんな方からのポストカードが来るか愉しみにしていて下さい。
その内「オッ!」という人が寄こしてくれるかも知れませんよ。

2月23日
 先週の金曜日は国立劇場に文楽を観に行って、その足で文化村のザ・ミュージアムで「メトロポリタン美術館展」を観、急いで国立能楽堂を訪ね、狂言と能を観るという、日本の古典と20世紀美術を一気に身体の中に呑み込むという駆け足行脚をしたのはよかったが、頭の中というか、身体の中がコンフューズを起こして、その夜は不眠症でありました。このところ仕事の関係で日本の古典に触れる機会が多いが、その都度、「日本」を知らな過ぎる自分にがっかりするのでした。
 さあ、今日の日曜日は京都行きだ。明日は梅原猛作、茂山千之丞演出、私の美術と装束の狂言「王様と戦争」の試演会と記者会見のため。初演は東京の国立能楽堂で、3月だったか、4月だったか忘れたけど、とにかく公演されます。日時はインフォメーションの項目を見て下され。
 それにしても関西は雨とか天気予報がいっていたが、快晴。はずれた時は国民にちゃんと土下座して、「またはずれました、どうかお許し下さいませ」とやってもらいたいものだと、皆様そう思いませんか?

2月13日

遠い視線近い視点 1/15掲載分 東京新聞連載より
「箱根駅伝」 103×72.8cm 
1996 オフセット

正月はニューイヤー駅伝と箱根駅伝を毎年ついつい観てしまう。今年もそうだった。ぼくは駅伝よりマラソンの方が好きだ。何人ものランナーが手分けしてひとつのコースを走るよりも、一人のランナーがコースを完走する方が人生に例えられるので感慨深いものがある。
 人生には昇り坂も下り坂もあり、他人との競争や駆け引きもある。時には挫折や脱落もあり、寿命を全うせずに早死にする場合もある。そんな人生とマラソンはどことなく似てはいまいか。
 栄光に向かって一目散に走るマラソンと死に向かって走る人生とはその目的が多少違うとしても、両者共長丁場である。マラソンは42.195キロと決まった距離だが、人生の距離は個人差がある。でもなんとなく平均寿命を目安にゴールと考えているのと違うだろうか。中には余力があって平均寿命のゴールを過ぎてもまだ走り続けるランナーもいるが。
  それに比べて駅伝は人生のある一時期を受け持つだけで、自分の運命は前後のランナーの影響によって左右されるので自力で自分の運命を決定するのは難しい。そんなところがマラソンに劣る、とぼくは長い間思っていた。
 ところが今年駅伝を観ていてふと面白いことに気がついた。それは区間を走るランナーを一人の一生と考えてみた。つまり一人の人間が次々転生していくというシステムが駅伝ではないかと考えたのである。一区間が一人の人間の一生でなのである。一人のランナーが走り終わると次のランナーにタスキを渡す。タスキを渡されたランナーはさらに次のランナーに、という具合に次々とタスキは最終ランナーであるアンカーに渡され、彼はゴール目指して最後の走りを見せる。
 輪廻転生は仏教の思想で、人は何度も生まれ変わりながら、徐々に霊性を高めて最後ゴールの涅槃を目指すことになっているという。そう考えるとわれわれはその途上、つまり区間を走るランナーと同じだということになる。人それぞれの霊性の高低によって何番目の区間を走っているかが天の眼から見ればわかるはずだ。まだ最初の区間を走っている者、中ほどの区間を走っている者、最終区間を走っている者もいるかもしれない。
 生まれ変わる度に顔も変わり、名前も変わるが、変わらないのは魂だけである。この場合タスキが魂である。肉体は変わっても魂だけは変わらない。区間によって人は変わっていくが、実際はひとりの人間なのである。ただ駅伝と輪廻転生が違うのはここは競争がない。一人一人の人間がひとつの生涯の中で魂を磨きながら、次なる人生で再び魂を向上させていき、ついにアンカーとなる。アンカーは輪廻を打ち止めにする役割が与えられ、一切の苦から解放された不退の土である涅槃の境地に入ることができるのである。
 さあ、あなたは今生において何区間目を走っておられるのだろう。

2月12日
 宇宙的な内容を希望する人がいますが、この手のものに興味を持つと妙に深入りしてしまって、視野を狭くするので、この際、現実生活に眼を向けましょう。現実とファンタジーを混同して、社会性の欠落した人格を作ってしまう危険性があるからです。現実ほどスリリングで冒険に満ちあふれているものは他にないですよ。ファンタジーを求めるなら「指輪物語」の世界へどうぞ!

川田 都さん
 「捨てるVS拾う」を書店に注文してくれてありがとう。
つまらない日常を飛び出して旅に出たいととのこと。ぜひそうしましょう。
旅に出るきっかけ?そんなものは思った時にするしかないでしょう。旅は偶然とちょっとした冒険に満ちていて、一瞬一瞬が新鮮な驚きだったりするわけだから、退屈ということはないでしょう。旅は命の水であり、火であると思いますよ。命が生き生きしていたら、たとえ退屈なはずの日常もエキサイトになるはずです。旅に出て、命を確認してしまった日常に戻ってくればいいんです。そこには以前とは違う日常があなたを待っているはず。
 
2月6日

 やっと、というか、たまたまというか熱が35度台に限りなく遠いが、まあ下がってくれたので気分がすぐれました。人間の行動って熱で止まったり動いたり、まるで機械仕掛けそのものだということを再認識しました。今日(火曜日)病院に行った結果 、まだアレコレ問題ありだけれど、この調子で押していくのではないかと少し光が見えて来ました。
 よーし、今年はなまけるぞー、と宣言したいものの肉体が認めないので、やはり出動開始ということになりそうです。

2月5日
 2,3日前は半日病院にいて、あれこれ検査をしてもらったり、点滴を受けたりして、結構くたびれたが、平熱に対して1度高い熱の為に、集中出来なかったり、疲労が激しいので、その原因を調べてもらっている最中です。ひとつひとつ怪しいものを否定していく方法で最後に残ったものが「それ」なんだ。果 たして「それ」はなんだろう。期待と不安の両立のこのところだけれど、なんでもいいけれど微熱だけは追放したいものですね。作品には微熱があった方がいいんですがね。感動する作品はみんな微熱がありますよ。作品から微熱を感じることができたら、一人前の鑑賞者です。
 広島市現代美術館の「森羅万象」が無事終了しました。足を運んでいただいた大勢の方々にお礼をいいます。わざわざ東京から行ってくれた人もいて、嬉しい限りです。次は今夏の京都国立近代美術館で待ってますよ。

2月4日
 一昨日は大学の入試に自分の書いたエッセイが出題され、一度解答を試みたが難しくてまいった。ところが今年また高校の入試に別 のエッセイが出題されたが、これも同様自分の学力には手に負えないものだった。小中高を通 して本(活字)をほとんど読まなかったぼくは、国語の成績はクラスのビリに近かった。今までの二つの入試問題だって、どうしてこう文法的に読まなきゃいけないのかね。正しく文法など理解したら、とっても怖くて文章なんか書けなくなるよ。。今回だってうっかりしたら自分に対してコンプレックスを抱くところだった。