12月31日
 よいよ今年も終わりだ。個人的にも社会的にもいろいろ変化が激しかった年だった。テレビをつけるとアメリカのイラク攻撃、北朝鮮の拉致問題と軍備拡大などの物騒な話ばかりでついチャンネルを他に廻すが、廻したチャンネルがバラエティー番組や料理番組で、とうとうテレビを切ってしまう。こんな面 白くない世間から離れてアトリエで絵を描くしかないという正月になりそう。2003年は何ともイヤな破滅的な時代の予感に。もう絵を描くしかない!一人一人が想像的な生活と生き方をするしかないように思う。創造はその根本に平和を祈る精神があるからだ。来年は各自が自己発見していく年にしたいと思いませんか。

12月30日
 27日は東京新聞の連載エッセイ「遠い視線、近い視点」の担当編集者二人と「とんかつ椿」へ。そのあと成城駅前でマサラティを飲む。
その後自室で来春、国立能楽堂公演が決まっている梅原猛作「王様と恐龍」の狂言の装束の打合わせを茂山千之丞さんと能楽堂の人達と行う。
「ムツゴロー」、「クローン人間・ナマシマ」につぐスーパー狂言第三段。毎回チケットがすぐ完売されるのでお早めに。またご通 知します。

12月28日
 12月26日「椿説弓張月」の千秋楽を観た。33年前初演を観ているのに、全く初めて観るみたいに何にも記憶していなかった。又何十年後に観てもきっと同じことに違いない。首は飛ぶはなぶり殺されるは、切腹するは、で如何にも三島由紀夫好みの芳年的残酷世界の連続で、そこに市川猿之助のケレン味が加わったスペクタクルズが展開された歌舞伎の見世物よいう感じだった。猿之助さんの楽屋に行くつもりだったけれど、やっぱりまだ体調がもうひとつだったので失礼して帰ろうと思ったらロビーで猿之助婦人の藤間紫さんに会ったので、入院中の見舞花のお礼を言って表に出た。おー寒い、寒い。

12月24日
 入院する前はそんなに寒くなかったのに退院した日以来あんまり寒いので熱がまだ下がらないのかと思っていたのが、誰に聞いても「寒い」というので、ぼくの身体だけではなく世間全般 が寒いということにやっと気が付いたら、少しは気分が良くなりました。
退院以来は毎日アトリエで絵を描く生活です。坂本龍一さん、井上陽水さん、オノ・ヨ−コさんが贈ってくれたCDを聴きながら絵を描いています。しばらく描いて異なかったので、描き方を忘れているようです。
やはり毎日描いていないと、ダメですね。そういう意味ではスポーツの選手と同じです。
やはりアートだといっても職人的な側面があるからですね。
 それからNHK出版から1月末に出る「捨てる VS 拾う」という〈私の肯定的条件と否定的条件〉を1,000数百項目挙げた本が出版されます。この本は今までのどの本とも違ったもので、いつでも、どこでも読める、少し考えながら、また遊びながら・・・・・そんな本です。また発売日が近づいた頃もう一度お知らせします。

12月19日
 糸井重里さんの「ほぼ日」に2人が電話で話したことが出ていたのを見ましたか?一というわけだけれど、糸井さんとは親和性を感じるし、糸井さんは時代の無意識をスゴク読む感性の人です。
今度インターネットの文章の入力が如何に頭と身体をひとつにして書けるかという話などをしてくれる事になっていたり(あ〜コワッ!)、色々新しいことを教えてくれるそんな親切で優しい人である。
 さて、入院前と退院後は気温がどかんと下がって半病人にはこたえる。何しろ冷たい風に当たったらいけないそうだから。
ここまで書いたところで加藤和彦さんから「もう大丈夫?」と退院祝いの電話があった。フォーク・クルセダーズのライブがNHK・BS2の12/30 21時30分から放映されるが 、そのタイトルバック(短いけれど)をアナログ的に作った。というよりNHKのデジタルの限界がえらいアナログ的というわけ。でもお金をかければもっと凄いことができるけど、超低予算のためデジタルによるアナログになったわけ。
40年前の感性で作ったタイトルバックでえらいぎこちないけど、見てくれてもいいよ。
 全部仕事を断って無職貴族をおおかしていたのに、またまた仕事の依頼が集中して、受ける仕事、断る仕事の交通 整理中というわけ。まあほとんどが来年のものが多いけれど。

12月18日
退院後の生活
14日(土 )
 昼過ぎに退院。もう一週間いて絵でも描きたかった。何しろ特大の病室に入れられた(希望したわけでもないのに)ので、快適だった。ホテル以上だった。陽当たりは最高だし、富士山は大きく見えるし、部屋は花で囲まれているので、退院が残念だったくらい。
帰宅してすぐ増田屋のカレーの出前。午後は本屋へ、何も買わなかったけど古本屋で原節子の写 真集と、明治の春画集を買う。
夜は9時に病院と同じように寝る。10時頃オノ・ヨーコさんから電話で、明朝お見舞いを兼ねてちょっと顔を見に行きたいとのこと。

15日(日)
 9時間寝た。9時半頃オノ・ヨーコさんと息子のショーン・レノン君、それに彼のガールフレンドと3人で来られる。
11時頃までの2時間アートのこと9・11事件のこと、お互いの作品のこと、ショーン君のことなど話す。ショーン君は両親が偉大だから、何かと世の中の彼を見る眼がイルージョンでしか見ないので、悩みがありそう。彼は絵がなかなか上手いので、よかったら日本で発表するようすすめる。次はニューヨークのダコタハウスで、と別 れる。
夜7時過ぎにベッドへ。

16日(月)
 東大病院へ検査に。もう治っているので検査なしで食堂でとんかつ重を食べて帰る。
午後本屋へ。伊丹万作の映画術(タイトル忘れた)の本を買う。そのあとアトリエへ行って、入院前の絵の続きを描く。
夜は鍼の先生に来てもらって治療してもらう。
9時就寝。

17日(火)
 午前中ベッドの中で送ってきた文芸誌「すばる」に掲載されている岡本敏子さんの小説を読む。岡本太郎との性生活をよくもまあここまで描くかと呆れたり感心したりする。昼は増田屋で、久し振りに冷やしきつねうどんを食べる。
顔にオデキでもできて外出出来なくなったのではと思っていたんですと言われた。なかなかいい感じだ。抹茶のサービスをいただく。
アトリエに昨日の続きの絵を描く為に行く。お見舞いの花を頂いた方や見舞いに来ていただいた方に電話でお礼と退院の報告をする。
皆いい休養になってよかったじゃないですかと言ってくれる。本当にそうだった。
糸井重里さんととも話ながら、「ファンの人達の入院を気遣ってくれるメッセージが可愛くって、元気が出てきますよね、嬉しくなりますよね」と我が事のように喜んでくれる。それでは今からそのBBSを読みにオフィスに行きます。
HPの文章はいつも手書きで書いたものを長男が入力してくれるという話を糸井さんに話したら、「2日もあればちゃんとコンピューターで書けますよ、今度そんな話でもしに行きますから 」と言ってくれたけれど、本当にできるとは思えない。糸井さんが2日なら、ぼくは2ヶ月から2年はかかりそう。もしできたら革命か奇跡できっと大騒ぎしそうだ。
 夕方オフィスで人に会う。夕食後家で絵を描く。家には絵を描くスペースがないので食卓に小さいキャンバスを置いて描く。
夜、瀬戸内寂聴さんが退院のお祝の電話がある。南座の顔見世(歌舞伎)を観に行ったけど、つまらなかったので途中から帰って来たそうだ。  
12月14日
 全ての仕事を断ったので完全休業状態だ。最高の気分を味わっている最中だ。また断る快感もなかなかのものだ。生活の為ならともかく、他の為なら仕事はしない方がいいことがよくわかる。ただ絵を描いていればそれでいいのだ。でも結局はまた始めるのだろう。ぼくは自分から仕事を求めるタイプではないので、持って来てくれるなら今まで一度もやったことのないような仕事がいい。ありきたりの仕事はお断りだ。こちらも選ぶから、そちらも選んでもらいたい。

12月13日
 14日土曜日に退院することになりました。ちょうど15日間入院しました。もう元通 りに回復です。まだ声がかすれて、出にくいことぐらいと、しばらく歩いていないので年内は仕事を断ったので、先ず気分的に解放されました。そろそろ次の展覧会のために新作の準備もあるので、1月は開店休業という感じでいくつもりです。でも大勢の人達が心配してくれたり激励してくれたのも早い回復につながったと思います。心からお礼をいいます。ありがとうございました。
でもまだ東大病院での検査も残っています。しばらくは足慣らしに散歩したり、再来週くらいから芝居などを観に行きながら、スローペースで体力を回復させていくつもりです。
 来日中のオノ・ヨーコさんからお見舞いの花を贈っていただいたのですが、まだ連絡がつかないのです。久し振りで心身共休養できたのと、依頼仕事をゼロにしてしまったというのがなによりも嬉しいです。このままずっと行きたいですね。
 しばらく休んでいた「YOKOO'S VISIO」への書き込みを始めます。BBSは病院にFAXしていてくれていたので拝見していました。今後も皆様の書き込み期待しています。

12月9日
 先週TBSの「はなまるカフェ」に出演した時にはすでに体調を崩していました。顔が熱を帯びて赤かったでしょう。そんな感想を言った人が沢山居ました。その2週間以上も前から、微熱があったけれど、まあ軽い風邪だと思っていたんですが、何しろ宮崎まで往復20時間以上の乗り物旅で帰京後河口湖の近くのNHK出版資料センターに3日間カンズメになったり、展覧会中のたまっていた仕事をこなしたりで少し過労気味だったことは確かだったんですが、ある時から食べ物が口の中に入りにくくなったり、飲み物が唇の端から流れ落ちそうになる現象が続いていたわけです。まあ一過性のものだからとタカを括っていたんですが、あんまり変なので「はなまるカフェ」が終了と同時に知り合いの先生のいる病院に行ったら、「即入院」と言われました。自分では気が付かなかったんですが、すでに右半分の顔が表情を失って、完全に非対称になっていたんです。口を「イー」 とすると半分がゆがんで、何か悪巧みをしている人間のように見え、頬を膨らますことも、口笛も吹くことができないことに気付きました。「さあ、こりゃあ大変」ということで非常にハードな検査が開始されました。顔がゆがむ症状には何種類かの病気が考えられるのですが、検査からひとつづつ否定して、やっとウィルスによるものと判断され、それに基づいた治療が開始されました。東大病院まで特別 の検査に行かされたりMRIやCTその他顔面と手足に電流を通したり、脊髄から随液を採ったり、もう冷や汗物の連続。その間にも顔は変型していくのです。でも治療の開始が始まってからは点滴をする度に原形に近づいてきました。あと何日か掛かると思いますが、まだ微熱が取れないのがちょっと困ったものです。
 病院にいるとストレスが溜まりますので、近くのデパートの本屋などへそろそろ足を伸ばしたいと身体も欲求しているので暖かい日が来るのを待っているといったところなんです。
  宝塚のポスター「春麗の淡き光に」を作った為に雪組新トップスターの朝海ひかるさん、娘トップの舞風りらさんと大阪のフジテレビ系の「いつでも笑みを」に出演する予定だったが入院することになり出演出来ないということが生番組で放映され、それをまた日刊スポーツが新聞で報道した為に、大勢の方々からホームページにお見舞いを頂きました。大変嬉しい次第です。本当に心温まる言葉に感動しております。
 また友人、知人、現在仕事で関わっている人達、演劇関係者や美術関係者の方々から、お花が沢山病室に運ばれ、まるで舞台の楽屋のように華やかで、春がやって来た感じです。日頃の親切な交友が示されたことに大変嬉しい次第です。退院後にはちゃんと御挨拶、御礼を申し上げるつもりです。
 今年は東京都現代美術館と目下開催中の広島市現代美術館の個展などで忙し過ぎたわけですが、病室ではまた来年の京都国立近代美術館のプランなども頭の中で構想中です。今回の入院がきっと次の飛躍につながるような気がしていますので、御心配していただいた方々には、どうぞ安心下さる様お願い致します。
 BBSに寄せて下さった全国の方々、電話を頂いた方々、お花をお送りいただいた関係者の方々にもう一度改めて感謝の気持を述べたいと思います。

                                              2002年12月7日 病室にて