11月27日
 昨日(26日)は一日中NHKのスタジオに隠ってフォーク・クルセダーズのコンサートのライブのタイトルバックの制作でした。放映は12月30日、時間はNHK-BS2, 9時30分からです。57秒のデジタルによる超アナログという昔のアニメーションみたいな作品です。
 宝塚と歌舞伎のポスターが刷り上がり、歌舞伎「椿説弓張月」はそろそろ街に貼られる頃です。宝塚は大劇場のある関西地区では見られると思います。4月には東京公演で見ていただけるはずです。雪組の新トップ朝海ひかるさんと舞風りらさんの「春麗の淡き光に」のポスターです。和物で絢爛豪華です。

11月25日 「闇夜行路」

163×227.3cm 
キャンバスにアクリル絵の具 2001

遠い視線近い視点 9/18掲載分 東京新聞連載より
Y字路
 ある世、郷里で夜のY字路を写真に写した。そしてそれを絵にした。すでに四十点近く描いた。「なぜY字路」とよく人に聞かれる。絵のモチーフはぼくの場合ふとした対象との出会いで決まる。考えた末に、やっとモチーフを得たと言うのではない。
 ぼくの場合、大抵、対象の方から声を掛けてくれることが多い。まるで「私の謎を解明してくれませんか」といわんばかりにだ。理屈ではない。こちらの生理が相手の欲求に反応するだけだ。
 
Y字路の場合もそうだった。何の変哲もない田舎町のよくある風景である。だけど普段は見落とす風景だ。それが絵になるとまるで岐路に立たされたような気分になるとよく言われる。現実の街のY字路に立った時は、「さあどちらの道を選択すべきか」なんて誰も考えないのに、絵になった途端形而上的な意味を持ってしまうようだ。
 最初は夜のY字路から出発した。二つに分かれたその先は夜空の闇に道路が吸収されて、道路の消失点はただ黒いだけだ。そんなブラックホールのような二つの黒い闇が見る人になぜか懐かしい感情を呼び起こすらしい。
 ぼくは別にそのような感情を表現しようとしたわけでない。普通の風景の形想を普通 の描き方で描いただけである。まして作家の内面表現など試みたわけでない。よく絵は内面 が描かれる必要があるといわれるが、ぼくはあくまでも外面に興味がある。事物の外面 を描くことで絵はいいのだという考えである。
 Y字路が夜景だからきっとノスタルジックになるかも知れないと思ったぼくは、では次は昼間のY字路を描いてみよう、そうするとは人は何というだろうという楽しみが湧いてきた。そこで開催中の東京都現代美術館の新作を展示した部屋に昼間のY字路を十五点ばかり並べた。さあ何と言うだろうか?
 答えは懐かしさは消えたが岐路という意味はまだ残ったようだ。ぼくにとって意味などどうでもいいことなのである。それなのにどうして意味に捕われるのだろう。絵はどこかで理解するもの、説明するものと考えているところがあるらしい。ぼくはそんなものを要求した覚えがないのに、どうも絵を知的に認識しようとするしゅうかんから自由になれないらしい。
 感性によって描いたものだから観る者も感性で受け止めればいいのである。アンディ・ウォーホールが、彼に「どんな考えで描いたのか」と人が聞いた時、「絵のウラには何もない、表面 に描いたものが全てだ」というような答え方をしたことがある。絵の意味など何もないということを言いたかったのである。
 黒澤明さんから「よく人から何を言いたいのかと思想を云々する奴がいるんだよ」と度々聞かされた。そういう人は、きっと眼でものを見ていないのである。黒澤さんが描きたいのは「美」である。つまり「美」こそが思想だからだ。「美」は説明するものではなく感応するものである。

11月23日
 ちょっと書込みを怠けたら、アクセスがすくなくなります。実に正直ですね。「ようこそ長嶋茂雄です」が11月25日より29日まで始まります。時間は15時からですが、1回分はそう長くないです。長嶋さんの話術に注目!よーく頭をひねって聞かないと難解ですよ。言葉がぼんぼん出てきますからね。長嶋さんの芸術論です!
 また今月29日、朝「はなまるカフフェ」にもチョロっと出ます。ためになる話などは一切しませんから。ためになる本は目下制作中のNHK出版の私の「肯定的条件」、「否定的条件」の本で、まだタイトルは未定。
 今日(11月22日)は特に寒いですね。風邪か疲労かわからないが微熱があります。さっき加藤和彦さんから電話があってこの間のNHKホールのライブ版CDのジャケットがえらい気に入ったとのことでした。特にお皿の生首が気に入ったそうです。見ていない人にはわかりませんがね。

11月21日
 旅行などが重なったせいか、ちょっと体調を崩したようだ。微熱がある。そんな中、何本かの〆切りをかかえて忙しい。宝塚のポスター(雪組講公演)、歌舞伎座のポスター(「椿説弓張月」)、がやっと終わったかと思えば、次は銭湯組合のポスターだ。これは珍しくペインティング描き下ろし作品だ。このあとはフォーク・クルセダースのコンサート番組のタイトルバックのデザインとライブ版のCDのカバージャケット。
「新三国志・」のポスターなど。他にも本の装幀などもあって、これじゃあデザイナー顔負けの忙しさだ。でもそろそろこの手の仕事は整理して来夏の京都国立近代美術館の個展の制作に入らなければならない。この展覧会は「森羅万象」展と違って、ちょっと変わった展覧会になるだろう。
内容はまだ秘密!

11月20日
遠い視線近い視点 9/4 掲載分 東京新聞連載より
『眼鏡と帽子のある風景』1965年
 平岡威一郎氏蔵 70×54.5cm カラーインク/紙

三島由紀夫へ

 目下、東京都現代美術館でぼくとしては今までの中では最大規模の個展を開催している(十月二十七日まで)。ここにかつて三島由紀夫氏が所蔵されていたぼくの1965年に制作した「眼鏡と帽子のある風景」と題する作品が出品されている。この作品を見るのは実に37年ぶりだ。
 この作品は三島さんが亡くなるその日まで三島さんの書斎の壁に飾られていた。37年ぶりで出合ったわが作品は色がかなり退色してしまっていた。ぼくが東京で初めて個展をした時に三島さんが見て大変気に入られた絵だったが、今見ると随分メルヘンチックなややポップな表現の作品である。
 どうしてこの絵が三島さんに気に入られたのかいくら考えても解らない。そういえば三島さんの絵の趣味は時として理解に苦しむことがある。例えばビアズリー、竹久夢二、芳年、蕗谷虹児(ふきや こうじ)だったりする。するとぼくの「眼鏡と帽子の・・・」もこの系列に入るだろうか。三島さんは他にワットーやギュスターブ・モロー、エッシャー、デジデリオ、ダリなどの名も挙げている。芳年、ワットー、モロー、デジデリオ以外はぼくはあまり好きではない。夢二や虹児に至っては大嫌いだ。あの抒情性が許せないのだ。それはぼくの中にある負の性質だからかもしれない。
 三島さんは悪魔的な深まりや毒々しい諷刺の効いた作品が好きなはずだ。芳年やデジデリオはグロッタ(怪奇・異様)的であり、まだデカダンス的で、どこか世界崩壊の感覚に襲撃される。なのになぜ夢二や虹児なのか。
 するとぼくの「眼鏡と帽子の・・・」は一体抒情派なのか、それともデカダンス派なのかと三島さんに迫ってみたいような気がする。まあぼくの現在の作品と37年前の作品とは随分違った傾向を示しているので、何も昔の出来事をぶり返してみたいとは思わない。だけど「眼鏡と帽子の・・・」が、ずっと書斎に飾られていた意味は解明してみたい欲求にかられる。
 いつだったか三島さんは2人の共通する問題として、お互いに土着を嫌悪することと、日本人になかなかないブラック・ユーモアと、それに2人共手首の細かいことだなあ、といったことがある。土着に関しては、「君は土着を描くことによって土着を嫌悪する」といった。
 また三島さんはぼくをアプレゲールとしてとらえ、自らと対比していたところもあった。そしてポップアートが大嫌いだった。するとぼくの作品に対する三島さんは随分矛盾したとらえ方をしていたように思う。ぼくの「眼鏡と帽子の・・・」は土着的ではないかもしれないが、ブラック・ユーモア的であるかもしれない。しかしポップ的でもあるし抒情的でもある。
 そんな37年前の作品を今回の個展のポスターの中に引用して、今と昔を共存させてみた。三島由紀夫へのオマージュといえるかもしれない。


11月15日

 宮崎から帰った翌日、こんどは河口湖の近く、と言うより富士山の裾野にあるNHK資料センターに3日間カンズメになって単行本の仕事で行って来ました。ちょうど紅葉で富士山も雪が積もっていて、巨大な富士山が目の前にドカーンと鎮座しておりました。ここは何度も来ていますが、毎回富士山の美しさに圧倒されています。今回はカメ虫が大量 発生して、それが部屋の中に入って来て、約50匹ほど退治したんですが、帰る時まだ部屋に2匹いました。この虫は物凄く臭くて石鹸で手を洗っても臭いは取れません。帰路は東名で事故があって4時間以上かかりました。宮崎へ往復20時間電車でゆられてまた東名で事故。カメ虫と長距離で今日はくたくたです。ついでにカメ虫の臭いまで東京までついてきました。


11月8日
遠い視線近い視点 8/21 掲載分 東京新聞連載より
「彼岸へ」
キャンバスにアクリル絵の具 
91×72.7cm (2000年)

死者と蛾

 僕の生まれた 町は空襲にあったことも、まして昭和二ケタ生まれでは、戦争に行ったわけでもないのに、三十数名のクラスメートが、すでに他界している。高校の一学年が約三百名としても、十人に一人の割合いで死んでいることになる。
 六十歳代のぼくたちは、まだ老死とは言わないだろう。いや言いたくない。死んだクラスメートの大半は五十代以前だった。だから事故死の者や、中には自殺者もいる。特に仲の良かった友達も多い。ついお盆になると、彼らの霊に想いが傾く。
 故郷に帰ると、いつもクラスメートの何人かと会うが、その時、気になるのは、友達の死の話題だ。今までに二度ばかり、彼らの霊を絵にしている。一番近作は一昨年描いた「彼岸へ」 と題する小品だ。この作品は郷里の一年後輩の友人のアトリエを借りて描いたものだ。
 子どもの頃、よく遊んだ鉄橋の近くの線路に立って見た懐かしい風景に、死んだ友達の面 影を墓標のように描いた。そしてその中に自分の姿をそっと赤い色で書き添えてみた。存命中に墓を作ると名前は赤で書く風習があるので、それに従った。いずれもぼくも彼らの彼らの仲間になる約束の印だ。 手前(絵を参照)の彼岸花は、この絵を描いた時期、田んぼの畦道を真っ赤に染めていた。右下の大きい黄色の蛾は、僕が絵を描いている足元の床に終日へばり付いていたものだ。
 この蛾を見ているうちに、僕はふと、この蛾に乗って友達の霊魂がやってきたような想いに捕われた。
そこで、この足元の蛾を写生して、画面の中に移した。「さあ、これでこの絵は完成した」と声を発した途端、蛾は羽を細かく振動させながら、身体を回転し始めた。と次の瞬間、蛾は光線のように一直線に飛び立ち木立の頂上を超えて姿を消してしまった。絵を描いている間中、微動だにしなかった蛾が、絵の完成と同時に飛んでいったのである。そばにいて事の成り行きをみていた友人たちもこの出来事に感動した。こういうことは偶然と言ってしまえばそれまでだ。だけど、こんなちょっとした出来事がなぜか、僕の心を豊かにしてくれる。
 今回、こんなエッセーを書いたのもお盆に、忘れていた死んだ友達がふと想い出させてくれたためかもしれない。今後もこうした鎮魂のための作品を描き続けるかもしれないが、できれば描く機会が来ないにこしたことはない。だけれど不思議なもので、彼らを描くことで逆に彼らを蘇らせているような気もする。
 どういうことかというと、絵にすることで、生と死の境界がはずれたように思うからだ。死者を描くことは死者との対話である。絵を描きながら彼らと僕は両界を超えてひとつに融合しているような感覚に襲われる。
 そして彼らの魂は決して死んでいないということを心の奥で実感するのである。  

11月6日
 11月3日より広島市現代美術館で「森羅万象」展が始まりました。当日オープニングは午前中に開催され、地元の人達、それから東京からも友人、知人も駆けつけてくれて、1、500人以上の人達が来られました。都現美より20点少ないそうだけど、会場はまた別 の雰囲気で活気がありました。すでに広島展を観てくれた多くの方々からBBSに感想を寄せて頂き、大変喜んでいます。次はトークショーのある12月15日に行きます。