6月27日
 今朝(6/27)見たら知らない間にBBSが開設されていたのでびっくりしました。
わがBBSは皆さんの解放された掲示板です。どうぞ活用して下さい。
楽しみにしています。

大勢の方からのバースデー・メッセージありがとう。もう年は忘れました。

祖師谷のあきさん
 ぼくも夜のY字路を撮るために、他人の家に向けてフラッシュをたくでしょう。すると、窓が開いて人が顔を出す。知らん顔して関係ない所を撮ったりしながら、後ずさりして自転車で逃げて帰るみたいな、不審者に早変わりです。これもスリリング。昔、友人の寺山修司が他人の家を覗いていて警察に通 報されて捕まったこともありますが、あなたも面白い体験しましたね。

6月25日
米同時多発テロ(遠い視線近い視点 東京新聞連載より)
 昨年九月十一日、アメリカで起きた同時多発テロの事件以来、芸術に対する考え方が変わったかどうかという取材を何件か受けた。
 この日ぼくはアトリエで制作して夜、家に帰った直後にこの事件をテレビで知った。最初は煙りに包まれた世界貿易センターに航空機が衝突したらしいという報道だけで詳しいことはわからず、まさかテロの仕業とは考えず、だれもがそう思ったようにまるで映画のような出来事だったと思ったが、間もなく二機目が突っ込んだ時は、思わずヤバイと叫んだ。
 間もなくワシントンの国防省にも旅客機が突入し、現在八機の旅客機がハイジャックされたという報道を耳にした時は、戦争だと思った。やがてアメリカのテレビでも戦争だと発言する人が増えてきた。ぼくがいちいち説明するまでもなく地球上の多くの人 たちがこの悪夢の一瞬を体験させられた。
 
ぼくは深夜遅くまでベッドの中で繰り返されるCMのようにビルに突入する旅客機と崩壊するビルのシーンをこれでもか、これでもかとイヤになるほど見せつけられた。そのうちに事件の悲惨さを超えて、映像だけが次第に自立し始めた。
 この繰り返される短い映像の連続性はまるでアンディー・ウォーホルの作品のように見えてくるのだった。ウォーホルが同じ写 真(時には事故などのニュース写真)を何度も何度も繰り返して描き続けた作品はあまりにも酷似していたからだ。作品という虚構を現実がそのままなぞっているようなテレビの画面 に、われわれアーティストは何を見たのだろうか。
 多くの人が、まるで映画のようだと思ったように、もはや現実と虚構の区別 がなくなりかけているのだった。フィクションでしかあり得ない出来事が現実におこったということは、想像力が現実の前で敗北したような気分にさせられた。
 眼に見えないものや現実でないものを創造するアーティストの想像の域を超えたものを見せつけられた時、われわれのやってきたこと、これからやろうとすることすべてが何やら無意味な気がしてきたのだった。あの事件をだれかアーティストが、あれは自分が仕掛けた作品だったとコメントした場合一体如何なる芸術的評価が下されるのだろうか。
 またあの悲惨な光景を芸術的に美しいと評したアーティストや批評家がいたら、彼らは罰せられるのだろうか。この事件はわれわれアーティストに様々な問題を投げ掛けたことは確かだった。
 ぼくは翌日アトリエに行った。昨夜描きかけの絵を見たぼくは、自作がまるで崩壊したビルの跡の荒廃した光景に見えた。筆を取ってキャンバスの前に立ったが、どうしても筆が入らない。作品はすでに自立していてもはやアーティストを必要としていないことがわかった。この未完成作に「2001・9・11」と記して完成させることにした。この作品の作者はぼくなのか、それとも「事件」なのか、一体だれなんだ。

6月24日
従野裕さん
 わざわざ山口県の錦町の羅漢高原の天井画を見に行っていただいたそうで、ありがとうございました。中々環境のいい所でしょう。年内に錦町の第三弾目のポスターを発表します。
 また岩手県の浄法寺町の「アッパービール」のポスター(ビールのラベルも)に引き続いて観光ポスターも制作します。浄法寺町は瀬戸内寂聴さんが住職の天台寺がある町です。ちなみに「アッパービール」の命名は瀬戸内さんです。

伊藤純子さん
 岩手県の浄法寺町の地ビール「アッパービール」のラベル、(ポスター、パッケージetc)をデザインしたんですが、これが目茶目茶好評で、ビールの製造が追っつかない状態です。ぼくはビールが飲めないけれど嬉しいことです。「アッパー」というのは、この地方の古い方言で「母ちゃん」という意味です。そんなわけで、マリア観音像を図像化しました。

なるもとまゆみさん
 骸骨が好きならぼくの作品の中にあるのでじっくり探してみて下さい。骸骨のハイヒールも作っています。また大皿小皿セットも骸骨の絵です。今度立花ハジメ君が出すピクチャー・レコードにも骸骨が描かれています。

マンダヴィル・ナオミさん
 あなたが捜しておられる仕事(職場)は、例えば「美術手帳」とか「版画芸術」などの雑誌を出版している編集部にお問い合わせしてみたらいかがでしょう。

すぎやまともこさん
 ぼくの子供の頃は夜空の星のように(といって現在の東京の夜空を想像しないよう)螢が川岸にすずなり、川面 を乱舞していました。ぼくが螢のポスターや天井画を描いている螢の里山口県の錦町のホタル祭に行きましたが、それも凄かった(現在では)が郷里の螢はそれ以上だったです。それも今は一匹もいません。そんな子供の頃の記憶を描いた絵画を沢山今度の都現美の個展では発表します。見て下さい。そして想像して下さい。

伊藤暢子さん
 人間も生き物の一部でしょう。自分を大事にしたいんだったら自分の一部である自然も大事にしなきゃと思いませんか。自然あっての人間、人間あっての自然ですからね。自然や環境と共生、共存なんていっている人間はいい加減なものですね。だって自然は人間にとって大家さんみたいな存在でしょう?それに勝手に樹を切ったり、海や川を汚染しておいて、自然と共生、共存しましょうなんて実に虫のいい話です。家を借りている人間が大家さんに無断で家の柱や壁を壊すようなものです。「自然」を頭で考えないで、肉体でもって自然と直に触れて下さい。ぼくの死んだ母は自然を神格の象徴としてとらえていました。だからわざわざ「自然」なんて言葉を口にしたり、それについて考えたりするようなことはなかったです。昔の人は皆そうです。あなたが鳥や猫と会話できるのもきっと自然と対等に生きておられるからでしょう。

 今日は小林旭のCD全集を買った。アトリエで制作中に聴く為です。次は高峰三枝子を注文しています。超レトロでしょう。前を向いて進む為には、ぼくは後ろにも向いて進みます。新しいものを作る為には古いものも愛します。世の中で流行しているものより流行していないものに関心を持つことがぼくの「現在」を生きるコツです。

6月21日 
死の世から生を (遠い視線近い視点 東京新聞より)

 この前、絵を描く時にはモーツアルトを聴くといったが、最近はそこに石原裕次郎が加わった。モーツアルトと石原裕次郎の因果 関係は一応、ないといっておこう。ぼくは昔から石原裕次郎の歌が好きだ。というより彼の声が好きなのである。タフガイのくせに声は優しく甘ったるい。
 女性はきっとこんな声に弱いんだろう。というぼくも裕次郎の声には弱いのである。裕次郎の歌を聴く時は必ず制作時である。絵は無心になって描くのが一番いいが、彼の歌によって一種のトリップ現象が起こるのだ。裕次郎によるトリップは過去の郷愁の世界にぼくの魂を運んでいくのである。それも子供のころ育った郷里にである。
 子供時代は自分の中に物語を作って記憶している。その物語はあくまで創作されたものだから、必ずしも現実の出来事ではない。そんな創作の物語が石原裕次郎の歌声によって再生された世界が身体の中に染みわたっていくのである。それをぼくは郷愁と呼んでいる。
絵を描くことは想念の彷徨(ほうこう)だと思う。けれども、郷愁も失われた時間と空間の中を彷徨する。この二つの彷徨が身体の中でピタッと一致すると、そこに創造が生まれるのだ。創造は一種のトリップ状態が成す業でもあるように思う。身体と魂がひとつになったような不思議な快感だ。この快感を味わうために再び創作作業に入るのである。
 何かのために絵を描くというのではなく、この快感を味わうために再び筆を持つような気がする。絵を描く行為は一種の宇宙体験でもある。ちょっと言い方を変えれば、死の体験といってもいいかもしれない。
 石原裕次郎に「骨」と題する歌がある。あんまり知られていない歌である。この歌の作詞家は中原中也である。この歌の中では裕次郎は死んでいる。霊魂になって野ざらしにされた自分の骨を見て、「生きていた時の苦労に満ちた、あのけがらわしい肉を破って」地面 に立っている骨に霊魂が語りかけている。
 なんとも不思議な奇妙な光景が思い描かれている。ぼくはこの光景を絵にしたことがある。どういうわけか懐かしい歌なのだ。まるで自分がかつて死んで、生きていた時の骨を見ているような郷愁に惹(ひ)かれるのである。この世から死を想(おも)うのではなく、死の世から生を想う感覚こそ自分の本性ではないかと。
 生きている間はなかなか本性が見えにくい。だけど死ぬと本性と真正面 から対峙(たいじ)することになるのではないかと思う。そしてその時、初めて生きていた時になかなか発揮できなかった本性、つまり真の自分に向き合うことになるかもしれない。
 そんなことを石原裕次郎が歌っているような気がしてならない。まして今は亡き裕次郎を想う時、彼の声は死の世界から聞こえて来るのである。ぼくはインスピレーションとは、もともと死の世界に属するものと信じている

6月20日
 昨日は名古屋で講演しました。大勢の人が集まってくれました。定員700のところ1000人も来てくれて、申込みが増える一方なので、途中で情報を流すのを中止したとか。とにかく大盛況ありがとうございました。先ずはお礼まで。

中上信之さん
 「サクラ大戦」からの飛翔大歓迎です。仲間にも伝えてどんどんうちのサイトに飛んで来て下さい。「海神」が「海人」とはオドロキです。誰が書いたの?私ですか?だったら失礼。

6月18日
 このところ毎日、新作の制作を早朝からかかっているけれど、目標の点数まであと二、三歩で、あとは体力と時間との相談ってとこですかね。時間はなんとか超えられると思っているけれど、体力も超えられるかどうかの実験も兼ねてのお絵描きです。睡眠はちゃんと7時間取っているので大丈夫。あとはなるべく世俗に関わらないよう要注意です。

 昨日(15日)は終日、都現美の個展のカタログの編集のチェックなどで終わりました。都現美の個展の情報はこれから随時流します。実は都現美の後は11月3日より正月まで広島市現代美術館に移動します。だから中国、九州、四国地方の方は是非広島に足を運んで下さい。
 カタログは300ページの大冊です。当分これだけ作品を収録した作品集は発刊されないかも知れません。地方の方には同カタログが美術出版社より発刊されますので、ぜひ。でもぜひぜひ実物を会場で観ていただきたいのです。

6月17日
yasueさん
 えっ!?うちの奥さんと同じ名前です!ところで今回発表する新作のY字路は、以前と違って新作はむしろこちらにガーンと来る感じです。
まあ実物を見てもらうことですね。滝のポストカードのインスタレーションは原美術館の時よりスケールアップされるのでたのしみにしておいて下さい。

Shigeki Yokooさん
 浅野忠信の表紙の雑誌スタイルの何月号か教えて下さい。アルバム、ジャケットの記事見ていないような気がするので。浅野忠信ってよく知らないんだけど、彼のお父さんがぼくのファンとかで「忠信」の「忠」は「忠則」の「忠」を取ったとこのHPで誰かが言っていたし(うちの娘も言っていた)けど本当かな?

あきさん
 「緊張」ですか。緊張するのもいいじゃないですか。その時の自分をよく見るのも面 白いこと。他人が自分をどう見ているかと言うことに必要以上に自意識が働くと緊張するかもね。どう見られてもいい、と思えばうんと楽になるでしょう。好きなようにやってください。

kabasanさん
 風呂場の骨折ですか。そんなに知りたいんですか。お湯が熱かったので、湯舟以外の別 の蛇口からも水をくんで運んでいた時に、タイルの床が濡れていて、足を取られてスッテンコロリで肋骨を折ったという話し。これでいいですか。骨折の前触れ?ですか。別 に―。

SAKAGAMIさん
 メダカはどうも面倒なので水草も腐りそうなので捨てちゃいました。そこに卵も産みつけていたかどうかは、見ても分からなかったからです。また近所の薬局屋で子供をもらう事にしました。