5月28日
 東京都現代美術館の個展をひかえて、毎日絵を描いています。6時〜6時半に起床して7時半〜8時にアトリエにサラリーマンみたいに
きっちり自転車通勤をしています。それで大体夜の・0時まで制作です。昼食、夕食時間以外約12時間は絵を描いている事になりますが、
油絵はそう簡単にどんどん描ける訳ではないです。
 同じテーマで同じスタイルで描けると思ったら大違い毎日違うスタイルの絵になってしまいます。自分の中の「他人」みたいな者が
いてその彼がぼくに反抗して違った絵を描こうとするのです。もうそんな時は面 倒なので、その「他人」にまかせてしまうんです。
  それが同じ他人だったらまだしも、毎回別の他人が関わって来るので、どれもこれも別 々の複数の画家の作品みたいになって
しまうんです。勝手に描いてくれるので便利がいいと言えばこれほど楽な事はないですけどね。
 昨年から今年に掛けて放映されたぼくについての90分のドキュメント番組(ハイビジョンBS朝日)をもう一度未使用のビデオテープ
を利用して2時間の作品にして都現美の個展会場で上映する準備をしています。何しろ300時間位 のテープの中から準備する作業は
大変です。実際に放映されたものより面白くなると思います。もちろん、VHSとDVDの両方で販売します。この作業が7月から
我がスタジオで機具と編集マンを入れて開始されます。今から楽しみです、今後色んな形で映像や舞台などの仕事に関わっていきたいと
思っています。それもつい昨日ハイビジョンを手に入れた事と大いに関係がありそうです。部屋の中にもう一つの現実が入り込んだと
言う感じです。くだらない番組はよりくだらなく見えるので、劣悪番組は見なくなりそうです。特に自然を映した映像が美しいので、
うっとりと見てしまいます。普段だったら注意しない自然の様々な事物に対して何か特別 の意識が働きます。
ハイビジョンの映像体験が逆に現実をもう一度ちゃんと見直す機会を得たように思います。

5月24日
yasukawaさん
 直感は誰にも平等にあります。動物はほとんど直感的に行動しているように見えますが、動物の場合は直感と言うより本能でしょうね。
勿論我々にも本能があって、この本能に従がうべきでしょうが、本能と欲望をごっちゃにしている場合があるんじゃないでしょうか。
直感と閃きは厳密には異なるわけですが、この際一般的に直感と言う事にしておきましょう。
 直感と考えは別物です。考えは心と言うか頭の作用で、肉体のように正直ではないと思います。直感を判断するのは頭ではなくむしろ
肉体でしょう。それを頭が出しゃばって来るから、ああでもないこうでもないと御都合主義的な答えを出してしまうんだと思います。
直感はダイレクトにやって来ます。時には見逃すほどさり気なくやって来る事もあります。それを頭ではなく肉体で感じ取る事ですね。

5月22日
 ぼくは巨人ファンだ。去年までは。今年から阪神に移ろうかとも思った。開幕以来の破竹の勢いは圧倒的な魅力だった。
ところがだ。このところの巨人には異変が起こっている。なぜだ!と言いたい程面 白いゲームをするではないか。
原監督は長嶋を越えた?はずがない。それにしてもイキイキしている。去年までは巨人の選手は味方のベンチと試合をしていた。
それが今年からはちゃんと相手チームと戦うようになった。あの清水があんなに活躍するなんて長嶋のお蔭としか言い様がない。
長嶋がベンチに居なければあんなに活躍する。第一毎日スタメン出場だ。原は居なくても巨人は勝てる。
と思ったけど21日の阪神戦の代打攻撃は冴えまくった。正に原マジックだ。同点打を打った19日3三振をくいらった元木を
使ってくれたのは嬉しかったね。大した監督に成長したもんだ。こんなに面白い野球を見せてくれるならもう一年巨人ファン残留だ。
 でも阪神を優勝させたい。巨人が優勝しても東京も増して日本も変わらない。だけど阪神が優勝すれば大阪いや関西は完全に変わる。
その経済効果は日本中に波及しかねない。
 関西の美術界も活性化する。宝塚もしかり。巨人の選手一人一人が大活躍して、優勝は阪神がよかろう。
阪神の選手には興味ない。巨人は清原と元木のファンだ。

勝山英恵さん
 わざわざ広島から兵庫の西脇市岡之山美術館まで来てくれてありがとう。
メキシコにつかれておられるご様子。メキシコは2回行った事があります。イエロッパという島。無法者やヒッピーやジャンキーなど
流れ者が集まって来るという本当に小さい小さい島です。何が起こるかわからないがもし勇気があれば行ってみたらいかがですか。
またオハカもいい町です。きれいな教会や昔の天文台の遺跡があって。メキシコシティにはシケイロスやリベラの壁画や美術館が
沢山あります。
一昨年メキシコシティにポスタービエンナーレの国際審査委員で行った時はフリーダ・カーロの家に行った。現在は彼女の美術館に
なっているが必見の価値あります。近くにはトロツキーの家もあり、ここも見学可能。
 喘息のぼくはメキシコではピッタリと治まったが、その代わり全身痒くなって日本大使館に飛び込んで、ここの医師に診断して
もらったりした事がありました。ただ時間がルーズなのでイライラの覚悟は必要。展覧会会場でテレビに出演する事になって
来いというので行ったらディレクターが1時間半遅れてやって来たので怒ったぼくはホテルに帰ってしまったけれど、
こんな事は日常茶飯事らしい。あるアーティストが家に招待してくれて数人で行ったら、外から帰って来ていなくて
1時間以上家の外で皆は待ったという。その時もぼくはメキシコ・タイムについて行けなくてサッサと帰ってしまったけれど。
 またメキシコ人はいつも死者と一緒に暮しているらしく至る所にお菓子や人形の骸骨が売っています。お土産にひとつ。
 
5月21日

 時々裏庭に来ていたさえない野良猫が3日前から家の中に入って住むようになった。
野良猫のくせにというか人恋しいのか人の足下にすり寄ってきて、感極まって足首にかぶりついたりする。
まあ愛情表現なんだが、夕べなどはベットの上で眠っている。もともと家猫だったのが捨てられてやっと新たな
安住の地を探し求めて来たという事らしい。
 2年前に我が家の猫が2匹続いて死んでしまったのでそれ以後猫なし生活なので、この予期しない訪問者に対して
ぼくは大歓迎なのだが、どうも妊娠している様子だ。もし子猫が生まれたらこのHPを通 じて養子先を決めるつもりである。
その時は命名して子猫のポートレートを掲載するので希望者を今から募りたいと思っている。
多い場合は貰われる身元調査が必要かも。といっても妊娠ではなくただ単に肥っているだけなのかも知れない。

 2日前は西武百貨店全国26店の店内用ポスター(B全版)に娘と出演する為にカメラマンの久留幸子さんによって
撮影された。父の日にちなんだキャンペーンポスターである。地下鉄などには貼られないので店内でなきゃ見られない。
まあ娘はともかく父親のぼくはポラロイドを見た限りでは情けなさそうな写真に撮れていた。
先月はサントリーのポスターに出演したがこれはポスターB全を横に4枚並べた非常に大きい作品だ。
各年代に作られたサントリー製品に合わせてその時代のぼくが6人ぐらいずらっとカウンターに並んでいるという
ポスターで、何しろ都内でも6カ所しか展示スペースがないので見た人はそんなに多くないかも知れないけれど、
ぼく自身は各年代の自分をこうして1列に並ばせられると何とも無気味にしか思えないのだ。

5月17日
takamiさん
 魔除猫を買ってくれてありがとうございます。
大切にしてくれればと思います。
そのうち阿修羅王も考えましょう。  

5月16日
seichuuさん
 岡本敏子さんはまるで太郎さんが乗り移ったように最近はますます太郎さんそっくりになってきましたね。
太郎さんが自分以外に興味がないのと同じように敏子さんは太郎さん以外に興味がないのじゃないでしょうかね。

芦田昭英さん
 ぼくも42歳の厄年の前後に何かあったような気がしますが、それも後になってから「そういえば」という程度のもの。
厄年の最中(前厄、本厄、後厄と3年続くそうだが)は厄年の事をすっかり忘れていました。
忘れさせられていたと言うべきか、気にしない事が厄年を無事に通過する事になるとおもいますよ。

Masaruさん
 ぼくはサッカーの事はよく分かりません。中田の名前や顔くらいは知っていますが、とにかく凄い選手らしい事も。
日韓でのサッカー試合にちなんでフランスの発案で日本で美術展を開催する事になって、ぼくも作品の出品依頼を受けていたのですが、
日本側が対応し切れずにキャンセルになりました。それに対して韓国では美術展が開催されるそうです。残念です。

Kaulaさん
 「屋根」を見下している夢はまるで霊夢のような気がして、人様の夢とは思えない程感動のおこぼれをいただきました。
ぼくが滝シリーズの絵画を数年描き続けたのも夢で連続的に滝を見たからです。考えてアイディアをねるのではなく、
やは無意識からの情報は何かが違いますね。

横尾紀慧さん
 毎度毎度メールありがとう。交通事故を起こしてしまったあなたの心境の正直さは感動ものですよ。
事故を起こした結果あなたは成長したんだけど、相手の人大した事なければいいですね。
ぼくは加害者になった事はないけれど、いつも被害者でタクシーに乗っていて追突と正面 衝突されたのが計4回です。
他の2回は自分が勝手にケガ(例えば自転車でとか)ばかりで、まあ事故の後は入院とか休養とかでしばらく休めるので、
この間に「考え方変えてやるぞー」なんて、こう毎回事故が多いとだんだん厚かましくなるものです。

横尾繁樹さん
 毎度メール拝見しています。それにしても占いがお好きなんですね。
ついでにぼくの事まで占ってくれて。ぼくは昔は多少興味はあったけど、今は興味ないですね。と言うのは先の事は
関心がないからです。未来は運命が決めるものじゃなく自分が決めるものだから、未来を作る原因の今に一番興味があります。
まあ歳のせいでこんな考え方に至ったんだと思いますけど。

 
5月13日
遠い視線近い視点〈東京新聞 4/3/2002掲載より
弥勒モーツァルト

ぼくは普段何もしないで音楽だけを聴くようなことはない。絵を描く時だけしか聴かない。どんな音楽を聴くかというと大体はクラシックである。僕の絵が表現主義で激しかったころはワーグナーやマーラーをよく聴いた。
 絵の傾向が少し変化して、滝の絵や赤一色の宇宙の絵などを描き始めるようになってからはモーツァルト一色に切り替えた。理由は気持ちよく描けるからだ。描くという行為にモーツアルトが一番生理にピタッときたからである。時には画面 の中にモーツァルトの肖像も描かれることもあった。
 ところがぼくのモーツァルトときたら、身体が弥勒菩薩(みろくぼさつ)の姿をしているのである。弥勒菩薩はロダンの「考える人」とどことなくポーズが似ているので比較したくなるが、ぼくは「考える」ポーズよりも「眺めている」姿の方が美しく好きだ。特に弥勒菩薩は半眼で自分の外部を見ているのか内部を見ているのか、そのへんがあいまいで何とも気持ちがいい。きっと同時に内と外を眺めているのであろう。 そんな弥勒菩薩の顔がモーツァルトになっているのがぼくの絵なのである。モーツァルトが弥勒菩薩のポーズを取って瞑想
(めいそう)しているのである。もしかしたら自作の曲をモーツァルトが聴いているのかもしれない。
 ところでこの発想はどこから来たかというと、ヨセフ・ランゲという人が描いたモーツァルトのプロフィルを眺めていると顔の下に弥勒菩薩の身体が見えてきたからだ、そうだこの二つを合体させてやろうと思ったのである。モーツァルトと弥勒菩薩がぼくの中で交差し形而上化したのだった。
 ぼくはモーツァルトの音楽に関する知識にはあまり興味がないので、モーツァルトの音楽だったらなんでもいいという無責任さである。また弥勒菩薩を組み合わせたのも直感のなせる業で、西洋と東洋を統合させた作品を意図して描いたわけではない。作品はしばしばこんな風に気まぐれに出来上がるものである。
 コンセプチュアル・アート(観念芸術)が現代美術の潮流になって久しいが、ぼくはこの手の美術がどうも性に合わないのである。別 に理性や思惟(しい)を否定するわけではないが、それ以前に肉体を通 過したものでなければどうも納得できないのである。生理とか直感は肉体を通 して感応してくれるのでぼくはそれらに最大級の信頼を寄せているのである。
 なんといったて肉体はうそをつかない。それに比べて精神とか心という存在はあれこれ考えたり、迷ったりすることが大好きな性質を持っているように思う。だからぼくは生活においても創作においてもなるべく、肉体の求めるものに耳を貸し、生理の赴くままに従うように努めるが、ぼくにとっては一番、本性が現れるような気がするのである。

5月10日
 8月10日からの東京都現代美術館の個展の新作制作と準備などでHPへの質問や「テーマ」にはしばらくお答え出来ません。
だけど随時日常などの報告はしていくつもりです。
ただしメールを頂く事は歓迎です。必ず目は通しますから。
 今日は元総理の細川護煕さんと「細川護煕この人に会いたい」(TBSラジオ)に収録の為に出掛けます。
その前に岩手県の浄法寺町の町長夫妻が観光ポスターの依頼に来られます。

5月8日
 先日の祝日(何の日?)には近所に住む作家の花輪莞爾さんと初めてゆっくり話した。成城に住むようになって時々
道で会って会釈する程度で、いつか一度電話をもらって「夢日記」の事で少し話した事があったけれど、もあれから
何年も経ってしまってしまって、ここ数年道で会う事も無くなってしまったけれど、
昨日ひょんな事で会って駅前の喫茶店で1時間ちょっと話した。
 その時頂いた花輪さんの著書「悪夢五十一夜」と「猫学入門」と「夢日記事始記」によるとぼくの趣味に近く、
ぼくは夢日記をつけているし、愛猫家だし、その他の事で話していると重なるところだらけで、
おまけにY字路の謎も結構教わった。
民族学的に見るY字路は結構意味があって、この事は徐々に我がY字路絵画の中で表現しながら解き明かしていくつもりだ。
花輪さんと昨日急に会う事になったその必然性はぼくの中の無意識のなせる技であった事を知らされた訳だ。
だから毎日が驚きなのだ。
 その前の日はいつも行く増田屋でお昼にばったり小澤征爾さんに会った。
去年の暮れにウィーン・ニューイヤー・コンサートに発たれる少し前が最後だったのでおよそ半年振りだった。
ボストンを引き上げた話とかウィーンの話など聞きながらぼくはいつもの冷キツネうどん、小澤さんは天ぷらそば。
そこへ俳優の息子さんが現れて目下NHKの朝の連ドラと釣バカ日記の映画のニ本掛け持ちでロケ地の富士山とNHKを
行ったり来たりなんだそうだ。
おそば屋でバッタリ会っただけなのにぼくのうどん代も払ってくれた小澤さんには感謝あるのみ。
お礼に美術出版から出たダイアリーを送っておいた。
  今日は今年初めての上野毛の多摩美のぼくのアトリエへ。今年入った大学院の博士課程の生徒対象に話をする。
創作の態度について。それにしてもぼくのアトリエは地下なので部屋がヒーターを入れても足下から冷気が上がって来て
実に寒かった。昨日までは初夏のようでTシャツでいたのに今日はまた冬に逆戻り。その上雨。
こういう日は喘息にいけません。学食で熱い味噌ラーメンを学生達と一緒に食べて帰る。
 成城のアトリエに帰るとHPに沢山のメールが来ている。 感想あり、意見あり、質問あり、テーマの提案ありで
一つづつ答えるのは無理だけれど、いつもちゃんと読んでいます。
一般誌に書く様な長いエッセイはとても書けないので御了承の程を。
 東京新聞夕刊に第一と第三土曜日には「遠い視線近い視点」と言うエッセイを連載しているので機会があったら見て下さい。
このHPに再録出来ないか目下交渉中である。
  GWの5日は東京宝塚劇場へ月組公演「ガイズ&ガールズ」を見に行く。
トップスターの紫吹淳さんが銀橋(客席に張り出した弓状の花道)から目の前にいるこの私めに個人的に挨拶を送ってくれた。
これはちょっとシビレルのであります。宝塚の醍醐味はこんなところにもあるのです。
いい年して男のくせにのぼせ上がるなと言わないでいただきたい。
男役は我が内なるミューズ神であります。またこの世はすべて幻ですからね。

5月7日
 いよいよあと2ヶ月足らずになってしまった。何が?東京都現代美術館に出品する新作の〆切りの事だけど。
展覧会のオープンは8月10日。カタログの〆切りが6月いっぱい。
それに間に合わせるにはあと2ヶ月しかないと言う事。このところはこの新作制作の事ばかり。
さあ果して何点描けるか。まあ出たとこ勝負だ。
都現美の広大なスペース、ツーフロアーを使用した今までの最大級の個展になりそう。
過去の作品、嫌なのもそうでないのもズラーッと並べる事で、先ず自分が見えてくるけれど、全て過去の遺物。
「私」はすでに過去にいない。と言って未来にもいない。
じゃあ現在だろう、と言う事になるけれど、現在にもいない。 どこに?
 いるのはたった「今」、このメールを書いているこの瞬間だけ。
人間が存在しているのはたった「今」しかない訳でしょう。あとは全部幻みたいなものだと思う。
そんな幻の一瞬一瞬だけが現実だと思えばあれこれ苦にしたり気にしたりすること事態ばかばかしくなる。
だから「今」の一瞬の実感が大事だと言うしかない。
 と理解するもののあと2ヶ月なんて気にする「私」がここにいるわけだ。
そこには仕事や人と絡むからそうなる訳で、人を断ち、人との会話も断って真の孤独を味わえれば自分の本能が
何を求めているかが、はっきり見えて来るはずだ。
 絵の制作はそう言った人間関係を断ったところで成立する訳なので、ただただ目的も結果 も考えないで、
「今」だけの充足のみに生きているので最高である。
そんな瞬間の連続が生なのではと思う。
 連休は制作三昧だったのでメールは今日までお休みしました。

5月2日
いづ吉さん
 20年程前かな、まだ現在のようにアロハを着ている人がそんなに多くない頃、それも日本的な柄を愛用していたので行く先々で、
まるで入れ墨をしている人種の違う人間のように好奇な目でよく見られたものです。
またぼくにとってアロハは入れ墨みたいなものでした。御存知だと思いますがアロハはもともと日本人の移民者があんまり暑いので
日本の着物を利用して作ったシャツだったそうです。そう言えば着物の裏地ですよね。
だからぼくは如何にもトロピカル風のデザインより原点になった着物風が好きです。
でも近年着物風が流行りだしたので着なくなりました。去年などは一回も着なかった。
さて今年は?

松本さん
 作品の良し悪しの判断は好き嫌いしかないと言う人がいますが、その人の判断基準が問題ですよね。やはり出来るだけ多くの作品に
触れて(古典も含め)自己の感性を高める必要があります。
とは言うものの教養のある人が必ずしも感性が高いとは限りません。むしろセンスのないインテリの方が多いくらいです。
教養と知性が邪魔になるんでしょうね。感性はその人の個性(悟性のレベル)が如何に自立しているかどうかによるものだと思います。

木村公美子さん
 感情のコントロールはむずかしいけれど、その為に理性があるはずです。理性が発達しているかどうかが決め手じゃないかな。
「いつも心に穏やかな包んでくれる人が良い」と言う彼氏、随分甘ったれていますね。
自立が出来ていない証拠です。自立が出来ていない人は他人にあれこれ要求するものです。
 芸術は感情表現だけでは幼稚です。感情のコントロールが楽しいのです。頭と身体がばらならだったらコントロールも無理。