2002年4月

4月30日
若木七瀬さん
 吹き出物が出るなんて若い証拠じゃないですか。気になるなら病院でも、薬局でも行って相談しなさい。
吹き出物は大体内臓とかストレスとかと関係ありそうな気がしませんか。先ず原因追求ですね。
でないと塗薬程度じゃ治りそうもないような気がします。
ぼくは病気は嫌ですが、ちょくちょく病気になります。いつも大した事無く、結局自分に対する過保護だったりして、
その事に気が付くと治ってしまいます。多分に「病は気から」的なところがありますね。
でも魂が浄化されれば病気にならないと言いますが、一度挑戦してみて下さい。
2年程前「病気大好き」と題して病院対象の雑誌にエッセイを2年間連載した事があります。
また単行本にはしていないけど、病気を受け入れてその状態を楽しんで味わってみようと言う内容です。
病気は治ればなんだって「楽しかった」と言えるもんですね。
吹き出物だって一生続きません。病気を抱えて見る世界を今だからこそ楽しんでやろうと言う気になれませんか。
無理でしょうね。
風邪だなんて言ったものだから大勢の方からお見舞い頂きありがとうございました。
「風邪じゃなかったんだ」と思って水を大量に飲んだらケロッと30分程でヒーヒー言っていた10日間がなんだったんだと
言わんばかりに元の身体になりました。病気って結局幻想なんですかね。まあこの世は全て幻想ですが。。。。
 横尾重樹さん、あなたも風邪ではありません。
味噌を大量に入れて味噌の力で治して下さい。

雪村さん
 どうして皆手相や占いに興味を持つ人が多いんでしょう。と言うぼくも雑誌の企画で何度か手相や人相を
観てもらった事があるけれど、みんな忘れてしまいました。占いなんてそんなものです。
忘れるべきです。いつまでも占いに執着しているとろくな事ないです。自立心の無い人は皆占いに頼ります。
失敗を恐れるからでしょう。失敗を繰り返す事で自立していく訳だから、自分の運命は自分の力で変えてやろうと
言う位の意気込みが必要です。
運命を操るのは意志の力と実践力です。
すると自分の運命は自分で占えるようになるはずです。

4月28日
 今日(26日)の広島は暑い。のぞみで東京まで4時間かかる.。
来る時は乗り換えがあったので5時間かかった。こんなにかかるとエコノミー症候群にならないように時々身体を
動かさなければならない。また水分をたっぷり採る必要あり。血液が濁らない為だ。
車の中でこの文章を書いている。まもなく広島駅に着く。これ以上書けないかも知れない。また月曜日に報告する。
そう言えば日曜日には宝塚の「風と共に去りぬ」の今度は花組公演の方を観に行く。
雪組公演と比較して観るのもファンとしては楽しみの一つだ。

4月27日
 羅漢高原交流センターの竣工式に町長さんの車で出席。天井画の評判は良くテレビや新聞の取材多し。
東京から「ド−ラク」誌の取材も来ていて、この記事は6月21日発売のVol.4に掲載される。
「ド−ラク」は道楽から来ているがぼくは道楽と呼ぶべきだと思う。つまり楽の道を極める事だからだ。
楽の道を極める事は自己実現でもある。
 式が終わって錦町に戻り錦川の橋の上から鯉や鳩にパンのエサをやる。車で広島駅へ。
明日能楽堂に能を観に行く予定だったけれど、都現美の個展の作品を描かなければならないのでキャンセルの連絡を取る。
5月と6月は他の制作を中断して個展に集中するつもりだ。

4月26日
 昨日から山口県の岩国に来ている。 岩国は太鼓橋で有名な錦帯橋がある。
目下この橋の修復工事を行っている最中だ。今日の錦町の羅漢高原交流センターの落成式に参加する為にやって来た。
先日報告したこの建物の天井画も披露される。
この前はまだ足場が組んであってその全貌が見られなかったが今回はそれが見れるので楽しみだ。
 昨日は岩国に着いてからは当時のY字路探索に出掛ける。幾つか発見するが本命は一ケ所ぐらいかな。
ルックスのいいY字路は中々無いものだ。このテーマは表現を変えながら今後もかなり続きそうだ。
気分としては滝のコレクション同様世界中のY字路まで発見させたい。
 夕食は錦町の寺本町長と岩国市内の中華料理店で今まであまり食べた事のない中華料理だった。
特に10時間煮たと言う黒マグロの頭の肉は珍味だった。夜はホテルで7月に平凡社から発刊される新書版
「私の現代美術」(仮題)の語り下しのゲラの校正をする。現代美術について初めて語った本である。
現代美術との最初の接近はネオダダだった。
現在の現代美術に対する考え方も語ったつもりである。
 朝は6時起床。ホテルの部屋から錦帯橋の一部が見える。錦川に面した山の上には城が見える。
徹夜に続いてゲラ校正をする。
 天井画に関するセレモニーなどの様子は後程報告したい。

4月25日
 糸井重里さんが今年の夏用の腹巻のデザインの依頼に来て、
「ピカソ天才の秘密」(1957年当時、神戸新聞会館の映画館で観た)をDVDで観た話を興奮して話してくれた。
ぼくは45年前に観たのであの映画の素晴らしさはよく知っている。
特に海水浴場の油絵が完成していくプロセスはまるでサスペンス映画を観ているような緊張感があった。
見る見るうちに絵が出来て行くのだが、本人は不満で別の絵を描いた紙を張り付けていって、
とにかく自己否定をしてしまうのだった。そして意識の視線を変えてあっと言う間にクライマックスに持って行く
そんな天才の秘密が垣間見られる。作品をいつの間にか「作って行く」事に気付いたのだろう。
そんな時作者は一種の恐怖に怯えはじめる。「作って行く」と言う自我意識がそうさせるからだ。
「作って行く」と言う自発性ではなく、どんどん「描けて行く」と言う歓びが必要で、
それが味わえない時は上手くいっていない証拠だと思うべきだ。ピカソが中断して大変更をした時、
そこには「作って行く」事から「描けて行く」(歓びを伴う)事へのギアチェンジを必要としたに違いない。

4月23日
 風邪だと思ったら風邪はもうすっかり治っていて、この季節によくある一種の倦怠感だそうで、水を大量 に
飲むと治るとメダカをくれた薬局のおじさんに教えられてそうすると本当に風邪の症状が取れたので不思議。
 今日のような陽気は喘息にいい。兵庫県立美術館の館長の木村重信さんより大阪の喘息の名医を紹介された
手紙をもらう。早速と言う訳にはいかないけれど来月にでも一度訪ねてみよう。
喘息は不治の病と言うけど現実に治った人も居るのであきらめない事だ。
糸井重里さんだって治したと言うし、美輪明宏さんだって同じだ。
でも喘息の友がどんどん治ると言うのも 淋しいものである。

4月22日
ユウヤさん(女性)
 願い事をかなえる秘訣があればそんな便利な事はないですよね。
よく頭の中で既に願望が達成したイメージを過去完了型で想像すればいいとマ−フィとか言う人が言ったのを
受け売りして言っているのを聞く事があるけれど、やっぱり地道に努力するしかないとぼくは思うね。
ただその願望への欲求はむしろ強く持たない方が良いと言うのがぼくの体験からそう思うんです。
前にも言ったけれど想いが強いと執着になるからです。
結果や目的から離れると言うのも時には大事だと思うんですがね。

morinoseikatsuさん
 創造における敵、味方ですか。大体物を創る人間は相対的な対象を持つ事を問題にする事自体がおかしいのに
ジェラシーからライバルを想定したりしますね。
 自分にとって一番厄介な存在は自分の中の敵、味方かも知れませんね。
自分に勇気があるかないかによって自分の中の敵、味方の出方が決まるのじゃないでしょうか。
無意識と顕在意識が一つになった時や、本能そのものを味方にして表現される時にはもはや敵などないも
同然じゃないでしょうか。

4月19日

S.M.さん
 劣等感などは無いに越した事はないけれど、劣等感の無い人なんて滅多にいないだろいうね。
また若い頃は劣等感をバネに向上したり飛躍した人もいる事を思えばこれも良しと言う事になるのかな。
だけど劣等感を売り物にして稼いでいる人はいただけないと思うね。
昨日だったかな有名な俳優が「俺はダメだダメだ」と言い続けながら、自身に満ちた顔で物を言っているのが居たけど、
こう言うのが劣等感の商品化と言うんじゃないかな。
 それから羞恥心ね。これも無いに越した事ないと思うけど、昨日のテレビの俳優は、これも売り物にしていたな。
「俺は恥ずかしいんだよ」と言わんばかりに、小さくなってみたりしてね。
劣等感にしても羞恥心にしてもわざと見せる物じゃないよね。
本来はそんな物無い方がうんと自然に生きられるのだから、ポロッと自然に出てしまうのは可愛くていいのじゃないかな。
 お問合せのベジャールのバレエは次の日神戸行きの為制作が終わらず、とうとう行けなかった。
来年東京バレエ団の為に一本制作するとかで、その時にまた彼に会う事にしよう。

 東京に40年以上住んでいるのに殆ど知らない。
何処が好きと言われても「ここ」と言う所がないな。まあ今住んでいる成城としか言い様がないけど、この町だって、
行くとこもない。 撮影所はあっても映画館はない。 大学があっても本屋が一軒しかない。
美容院と医者ばかりが軒並みにあるだけで、行き付けの食べもの屋だって1〜2軒しかない。
有名人やスターが住んでいるけど見る人はいつも同じ人で、見た事のない人の方が多い。
昔は銀座に仕事場があったり、渋谷に住んでいたり、新宿をぶらついたりしていたけど、今は何処にも興味はないね。
絵のシリーズの「Y字路」がある所だったら何処でもいいかな。
まあ絵の中で架空の街をいつも描いているので、やっぱり絵の中の街と言う事になりそうだ。

若木七瀬さん
 涅槃像を集めている時はよく骨董市に行ったけれど、市は大きくても自分の目的が無い所はつまらないと言う事に
なってしまうので、「何処」と言われても困るし、その時のタイミングだからね。
去年富士山の美術館で個展をした時どこかの神社の境内で開いていた骨董市は面 白かったけど、
どこの神社かは分からない。ちょっと面白いゴリラの哲学者の置物を色紙に絵を描いて交換したら、次の日から、
ぼくが買い上げたと言う様な事を書いて看板に出されたのはちょっとまいったけれど、あそこには色々昔の
印刷物などがあって面白かった。
とにかく足で歩き回るしかないのでは。またそうして手に入れるのがコレクションの醍醐味でもあるんじゃないでしょうか。

4月18日
 兵庫県立美術館での講演を聴いてくれた人達から沢山メールを受け取っています。
あの日は寒くて(会場が)咳が出そうでそれを押さえるのにちょっときつかったですが、
熱心に聴いていてくれる人達の為に時間があればまだ話してもよかったのですが、また次の機会に会いましょう。
大谷さんのメールでぼくと誕生日が同じ日だそうですが、ぼくは雨がしとしと降る日は大嫌いなのです。
とにかく雨が嫌い!でも今描いている「Y字路」シリーズの絵は雨降りの「Y字路」です。
 糸井重里さんの「ほぼ日刊イトイ新聞」から大勢のお客様が見えて、「糸井さんありがとうございます」です。
何しろ糸井さんはぼくのインターネットの永遠の師匠、導師です。何でも知っている年下の長老です。
 中野の31歳の男性さん。
僕がダリを芸術の父と言ったのは本当ですか?絶対そんなバカな。ぼくの芸術の父はピカソです。
とは言うものの最近の芸術の父はD.キリコです。 父は何人居てもいいけどダリだけは父にしたくないネ。
ヘンリー・ミラーと食事をした時、彼は「もし君がダリだったら、そのスープに毒を入れたいネ」と言ったものです。

4月17日
松井保典さん
 喜怒哀楽は人間の感情表現として誰もが持っている性質ですが、
「喜楽」と「怒哀」の二つに分けると前者がポジティブ、後者がネガティブと言う事になるけれど、
後者がネガティブと言う事になるけれど、全て相反する両極によってこの自然界が成立しているように
人間界だけが 例外じゃなそうですね。
だけどなるべくマイナスの感情に振り回されないよに注意していますが、時と場合によって、
と言うか理性のバランスを崩す事があります。
「喜楽」は生命エネルギーや創造に繋がっているけれど「怒哀」は その逆で破壊的ですよね。
破壊は芸術にだけ向けるべきで、芸術の場合のみ破壊は即創造に結びつくと思います。
でも一番の理想はこのような喜怒哀楽の感情に左右されない事だと思います。
つまりそこまでいくと悟りの境地と言うとこですかね。

MMさん
 
他人の批評は気になるけれど、自分が信じる創作だったら、気にしない事。
喜びを感じて創作しているならOKです。
自分でもビックリするようなモノを作ってください。

ショート・ショートエッセイ
 今日、東京都知事の石原慎太郎さんから裕次郎さんを描いたリトグラフの版画2点をちゃんと立派な額に入れて送ってこられた。
裕次郎ファンのぼくが、ぼくの版画2点と石原さんの版画2点と交換したのである。
映画「狂った果実」の頃の裕次郎の写真を版画かしたもので、ポップアートに属するものだ。
兄の弟に対するオマージュ作品である。
この前石原さんと話をしていたんだが、
石原さんは是非三島由紀夫のオマージュ作品を日本の作家数人で版画集を作りたいと言う計画があると言われた。
来年にでも計画して是非現実出来ないかなと思っている。


ショート・ショートエッセイ

 山口県の東北部の島根と広島の県境に羅漢高原と言うスキー場や牧場のある、天気のいい日には瀬戸内海まで
見渡せる所があって、そこに「羅漢高原交流センター」と言う建物が出来、そのホールの天井画を描いた。
このホールはエジプトのギザのピラミッドと東西南北同じ位置にあるピラミッド型の建物で、
正にピラミッドパワーのエネルギーが発生するように位置づけられている。
天井画の原型は錦町の為に制作したポスターの第二弾に基づいたもので、森林に囲まれた赤い夜空には無数の星座と
螢が輪舞し、中天には星雲が渦巻いている。そしてそこから緋鯉がら旋上に舞いながら降下して来ると言うような絵柄で、
ホールの床に寝そべって天井を眺めるとピラミッドパワーが作用して意識も肉体もそのまま宇宙に吸い上げられるような
気分になるはずだ。一度是非体験してもらいたい。 竣工式は今月の26日。
 また錦町の第三弾のポスターは神楽から日本神話をテーマにした作品になりそうだ。

ショート・ショートエッセイ
 久し振りの風邪で横になっている。
もともと喘息持ちだから風邪はこたえる。熱もあって鼻がじゅくじゅくしたり、涙が流れて花粉症まで一緒にやって来た
と言う感じである。ちょっと長引きそうだ。この際、都現美(NoTO)の個展の新作のアイディアを考えたり、
読書をしたりして体調が整うまで様子を見るか。
それにしても昨日広島で買ったお好み焼きはもう一つだった。
もう買わない。

4月16日
ショート・ショートエッセイ
 
兵庫県立美術館・芸術館で講演を行った。
この美術館は安藤忠雄さんの設計でとにかくデカイ。デカイだけではなく内部が迷路のようになっている。
美事にお目当ての展覧会をちゃんと見る事が出来るかどうかだ。
だから観賞そのものが肉体的体験なのだ。これは新規の美術体験かも知れない。
安藤さんは「この空間に対応する美術はあるかな?」みたいな発言をしていたが、
正にこれは建築家の美術家に対する挑戦である。まあ安藤さんは物理的空間の事を言っている訳だけど、
ぼくが挑戦するとしたら、小さいキャンバスであっても、そのキャンバスを絵画的空間をとらえて、
この事に挑戦するべきだ。
物理的空間VS精神的空間である。そんな事を考えながら美術館の中を歩いていたら、
いきなり喫茶店でお茶を飲んでいた安藤さんが飛び出して来て声を掛けてくれた。
彼の建物の中で会えた事が何やら必然のように思えた。
安藤さんの自由な精神がそのまま快楽になっている。

ショート・ショートエッセイ
 12日狂言「クローン人間ナマシマ」の初日に国立能楽堂で長嶋茂雄さんに会いました。
とにかく陽気でその上礼儀正しい人だった。
別に面白い話をしている訳でないのに、どことなく面白い。
多分言葉の選択が一般的でないと言う事ですかね。あまり会話で使わない言葉を使用されたり、
その発想がどこか少年的なんですね。隣同士の席で狂言を観たんですが、
時々大声で笑ったかと思うと皆が笑うところには一向に反応しなかったりで、
ぼくはそんな長嶋さんと同調するに神経を使ったものです。
狂言は長嶋さんをパロディ化したものだから、お客さんと一緒になってゲラゲラ笑うと隣の長嶋さんを
暗に批判しているように取られるので、長嶋さんが笑うところだけ一緒になって笑ったのだ。
長嶋さんとぼくは同じ年で、長嶋さんが2月 、ぼくが6月。
こういう時長嶋さんは「横尾先生(長嶋さんに「先生」と言われると他の人が言うより断然おかしいものがある)
と私が同じ年なら、次に知りたいのは何月かと言う事になります。よね」とおっしゃる。
内容は別におかしくないのだけれど、その言い回しとか、表情がどこか優しくて、この人はイイ人だなあと思ってしまうんです。
また何を話しても「ホホーッ、なるほど」と妙に感心されるので、こちらは「そんなに立派な事を言ったのかなあ」と思ってしまうのだった。
話し上手であると同時に聞き上手でもあります。
舞台でクローン人間ナマシマ七人が巨人の応援歌を歌うところは手で膝を叩きながら調子を取っておられたので、
ぼくも慌ててマネをしました。

4月15日
ショート・ショートエッセイ
 
ホームページへのメールを沢山の方から頂きいつも感謝しています。
必ず全員の方のメールにはプリントアウトして目を通しています。
ただその数が多いので一人一人にお返事を書く事は出来ません。ふと心にとまったメールにはお返事するつもりです。
神戸-錦町(山口県)から帰郷しましたがホテルのエアコンの調整が出来ずに風邪を引いてしまいました。
ここ数年風邪から縁がなかったのに、ちょっとまいった感じです。
今日は広島駅で買ったお好み焼きを食べて寝ます。

4月12日
ショート・ショートエッセイ
 
明日(13日)神戸に行きます。兵庫県立美術館の建物と中身を見るのが楽しみです。
そうですね、神戸で一番好きな場所は20代に過ごした神戸新聞新聞会館ですが、地震の為なくなってしまいました。
青谷に住んでいたんで、懐かしいけれども、あの周りも随分変わってしまった事でしょう。
それから西脇市岡之山美術館で目下公開中の展覧会「位相」展にはニューヨークで発行した「New Yokoo Times」
の新聞とそれに掲載されている作品の版画を展示しています。
他には小品絵画が数点、近作ポスターなどなどです。
時々作品の入れ替えがあります。

4月11日
Chimeさん
 新幹線に乗るのは大好きです。
隣に誰か来なければと願いながら乗りますが、そんな時は他に空いた席に移ります。
新幹線は走る書斎。走る食堂、走る寝室、走る瞑想室、走るパノラマです。
土曜には神戸、日曜には広島へ行きます。本と原稿用紙を抱えて。

若木七瀬さん
 ショッピングは嫌いです。本屋に入るのは大好きですが。ショッピングほど面 倒臭いものはありません。
でも昔は外国に行くとショッピングに大半の時間を費やしてた事があります。
以前、涅槃の置物や滝のポストカードをコレクションしていた時は例外ですが。

田中利幸さん
 テレビに出演の霊能者は気味悪くて見ないようにしています。
人間には本来超自然的な能力がそなわっていると思います。勿論世の中には不思議な事が数多くありますが、
関心を持つのなら常に現実に立脚した意識と理性が必要だと思います。

多学生さん
 ポスターなどに時々現れる丸い顔のオッサンですか?
さあ、誰でしょう。
謎は謎のままにしておきましょう。

4月10日
おおのさん
 この世は病や苦から逃れられないのが宿命です。
カルマの解消が出来ないままこの一生を終わるのなら、やはりこの世は寸善尺魔と言うべきでしょう。
この現世に生を受けた以上寸善尺魔と共存せざる得ないのかも知れません。
ただし仏教の唯識では問題解決の道を説いているので一度挑戦してみて下さい。

Seichuuさん
 動物の骨コレクションには興味はないけど絵のモチーフとしては面 白いので今後作品の中に現れるかも知れませんが、
やはり人間の骨は一の死や自分の死を想起させるので、モチーフとしては身近に感じます。
死を常に自らに引き寄せて考えているので、死(または骨)とは仲良しです。

山本知子さん
 現代美術と言うくくりで美術を見る必要はないのではないでしょうか。
出来るだけ多くの美術に接する事が大切です。その内、ある日突然泳げるようになるように、
美術に対して開眼する時がやって来るものです。

若木七瀬さん
 メダカを飼っています。たった5匹ですが。毎日観察しています。
小さいけれど我々と同じ生き物です。メダカの行動を見ながら、一体何を考えているのだろうと思いますが、
そんな意識はメダカにはないでしょう。単に観賞だけですかね。
こんな小さい生き物では毎日せっしているとメディテーションをしているのと同じ気持ちになれます。
6月には子供が増えそうです。巨大な水槽に1万匹位飼ってみたいと思います。

4月9日
daiさん
 子供に関してはお互いに(親子)に自立していなければと思いますね。
子供にべったりの親、親にべったりの子供。両方共自立出来ない証拠だと思います。
親が子供に甘いのはまだ親としての自立が足りない証拠ですね。
両者が完全に自立出来なければ親子の関係は「兄弟、妹」になれると思います。
これが一番理想でしょうね。我が親子に関しては想像にお任せします。

野口裕子さん
 心理学の事は勉強した事がないので、よく分かりません。
河合隼雄さんとは2〜3回対談しました。またぼくの作品について2度ばかり書いてもらってます。
「芸術と心理学の接点」「芸術と心理学の関係」などぼくには難しくてお答え出来ません。
芸術は心の状態を表象したものですから当然そこには心理的なものが作用すると思います。
芸術は夢とよく似ていて、嘘がつけないものです。自然にその人間の本当の姿が表れてしまいます。
隠そうとしたら、隠そうとする心理がそのまま表れますので見る人が見たら全てお見通 しです。
芸術作品はまた観る者の心理によって変化する事もあるのではないでしょうか。
ある時期を置いて観ると同じ作品が以前とは異なって観える事だってありますからね。
変わるのは作品ではなく観る者の心だからです。
観る者を意識して描く人もいるかも知れませんがぼくはそこまで意識しません。
まだまだですが、出来るだけ強い意識を持って喜びの気持ちを抱いて描くように努めるしかないと思っています。

若木七瀬さん
 「自立」は非常に重要です。でないと自分にも他人にも甘えてしまいます。
仏教の「悟り」と言う事は「自立」と言ってもいいと思います。
「自立」こその本当の自由ではないでしょうか。

横尾紀慧さん
 性名判断には特に興味はありません。
名前がその人間を作るのではなく、その人間が名前を作るのだと考えています。

田中利幸さん
 政治への感心は国民の義務程度で、創造の中に持ち込むような事はあります。
アートと政治はきっぱりと切り離しています。疑惑問題の発覚はカルマと思えば実に面 白いです。

Machiさん
 ふと浮かんだ言葉は三島由紀夫さんに言われた「礼節は霊性なり」と言う言葉です。

4月8日
ショート・ショートエッセイ
 今日(7日)は郷里の岡之山美術館で講演をする為に西脇市に来ています。
小学校の同級生、時に女性が10人以上も来てくれて、大いに盛り上がる。どう言う訳か女生と男性(やはり同級生)が
二つに分かれて談笑。学校時代の習慣が未だに影響しているのか。
夕方から夜に掛けてY字路捜しを同級生や美術館の人達と。
ホテルでマッサージをとる。マッサージ師は目の不自由な方で、ぼくが神戸新聞に連載中の「我が心の履歴書」を
点字で読んでいると聞かされる。
昨日は日生劇場でぼくがデザインしたポスター宝塚雪組、花組合同講演「風と共に去りぬ 」を観ました。
終了後、出演者全員と関係者のパーティーに招待され、スピーチをする。
主役の轟悠さんは今宝塚で最も実力のあるスターです。もうチケットは完売ですが、凄くよかったです。
先週観た田崎潤一郎の「春琴抄」原作の雪組新トップ絵麻緒ゆう、紺野まひるの「殉情」もなかなかのもので
「ここまでやるか宝塚」と言う感じで感動しました。
 明日は友人の画家のアトリエでY字路作品を制作する事になっています。帰郷は夜になりそう。

ショート・ショートエッセイ
 去年初めて娘を宝塚に連れていったら、いっぺんにハマってしまった。
「風と共に去りぬ」でスカーレット役をしている朝海ひかるのファンで、彼女に会いたがっていたので彼女を紹介すると、
えらい緊張して固まってしまった。彼女はバレエが得意なので、娘も朝海さんにあやかって、数カ月前からバレエを習い始めた。
娘はクリスチャンで、以前は会うと聖書の話しかしなじゃったのが、絵を描くようになってからは絵の話しかしなくなった。
その事に喜んでいたが、宝塚を見せた為に今では宝塚の話しかしなくなってしまった。
「もっと早く、私が中学生の頃に親が宝塚を見せてくれていたら、宝塚に入
りたかったのに」としきりに残念がっている。 もう今からは無理なので、せめて来世でと、バレエを習い始めたのである。
歌は、イグナチオ教会の聖歌隊に入っているので、そこで訓練しているようだ。
娘が生まれ変わってこの世に再び出て来た時、いかなる親の元に生まれるのか知らないが、
まだ宝塚が存在してくれる事を祈るだけだ。
宝塚は今年88周年を迎えた。娘が宝塚に入る頃は200周年位だろうか。
ぼくは二度とこの寸善尺魔の現世には再生したくないと願っているが、もし、生まれ変わってくるなら宝塚の男役トップスタートと
思っているが、娘も同じらしい。
来世では前世の親子が同じ宝塚の舞台に立つ事になるかも知れない。

4月7日
臼杆真穂さん
 「運命の女」と言う言葉から何を思うか?―うーんと考えてしまいますね。
毎回テストを受けているような気分で恐ろしい限りです。運命と言う以上、何か数奇な人生と言うか、
悲劇的な結末が待っていると言うか、偶然出会った男女によって未来が決定付けられてしまうと言うか、
超越的な事物によって人生が方向付けられてしまうと言うか、とにかく大きい選択を迫られているとか、
ぼくの「Y字路」の作品のように岐路に立たされて、さあ自分を見失なわないように生きられるか、
それとも失敗するか、みたいなそんな状況に絡んでいる「女」と言う事でしょうか。
こう言う「女」は多分前世からの因縁で、前世にちゃんと型が付いていなかった引きずってきた問題を、今生で
「さあ、どうする?」と言われているようで、いずれにしても決断する事しかないでしょう。
でないと来世にまた同じ人間と同じ事で苦しみそうです。

SEICHUUさん
 「近作の十字架」の件思い出しました。「New Yokoo Times」の中の作品群ですね。
この出版物はアメリカで昨年出版されたもので、自分でもすっかり忘れていました。
そう言うと十字架が沢山使用していました。この作品はアメリカの「LIFE」(50年代〜60年代)からコラージュしたもので、
たまたまこの時代の「LIFE」は宗教と戦争の記事が満載されていて、自然にこの両者がテーマになってしまった訳です。
アメリカ人は「Yokooはよほど宗教と戦争に興味がある人間だ」と思われたようですが、あれは「LIFE」の写 真のせいです。
 それからモーリス・べジャール のバレエは、今回はべジャールが来日しているので久し振りに会えるので行くつもりです。

Nomura Mitsuhiroさん
 少年時代に憧れた職業は小学生時代は漫画家、中学時代は挿絵画家、高校時代は郵便屋さんと画家です。
詳しくは拙著「コブナ少年」(文藝春秋社)を読んで下さい。
そこにあなたへの解答があると思います。

Ohnoさん
 バカみたいですがオリンピックの日の丸や君が代を聴くと涙が出てくる事があります。
宝塚歌劇のクライマックスで涙が出てくる事もあります。
年のせいか涙もろくなっているようです。涙は浄化作用と言うじゃありませんか。
なにも悪い事じゃないでしょう。大いに涙を流して下さい。

4月6日
Luis Eisensteinさん
 まだあなたの絵は見ていませんが、絶対見せていただきます。
ロシアの方ですか?

Goro Ishiiさん
 深沢七郎さんの今川焼き屋の包装紙のデザインは、ポスターを作り、それを包装紙にしていたのですが、
今川焼きを包むと紙がくしゃくしゃになると言ってお客さんが嫌がるので新聞で包んでポスターをその上に置いて
手渡すと言うような作業に深沢さんは決して喜ばなかったようです。
絵柄は農園(ラブミー牧場)に立つバニーガールがお皿に盛った今川焼きを手にしており、その今川焼きに
甘い物を見つけた蜜蜂が群がっていると言うものです。

落合秀郷さん
 三島由紀夫と思われた絵はぼくの自画像です。ただし、その特攻隊のポーズは確かに三島のそれを借りたものです。
そこに書かれている詩は記憶にないですが、「花が咲くとき蝶が飛ぶ・・・」と言うフレーズは確か森進一の歌だったと思います。
作詞家の了解を取らないと、そのままCDなどに使用すると著作権侵害でスキャンダルになるとヤバイですよ。

彩さん 「別世界」
 ハイ、別世界の存在は信じます。それはあなたと同じように感じるからです。
その別世界がこの世のどこかにあると言うのではなく、心の中に存在していると思います。
内なる宇宙意識を有した時その世界を感じるはずです。時にはビジョンとして観る人もいるかも知れません。
我々が感知する肉体感覚の領域はたいした事ないはずです。
確かに宇宙は三次元だけえでなく、四次元や多次元から成っっているけど、我々の意識が三次元に溜まっている限り
四次元以上の世界を知覚認識する事はないかも知れませんね。
21世紀の人類が宇宙意識を持つ事を期待したいものです。

清水浩司さん
 森山大道さんとは長い間会っていません。
70年代にぼくがニューヨークに行く時、一緒に行って同じホテルで毎日行動を共にしていました。
その事はあなたが読んだ本に書いているはずです。交友関係もあの文章の一字一句に示されています。

マリ大学生さん
 
「コブナ少年」を読んでくれてありがとう。
この続編は「波乱へ-横尾忠則自伝」(文春文庫)に書いています。
一読いただければ嬉しいです。

エッセイ
 
毎日多くの方からメールをいただき感謝しています。
全ての方々に意見を求めてこられる方がいますが、このサイトはあくまで「テーマ」を
与えられる事を期待して設けた欄ですので、どうぞよろしく。
中には個人的な想念を綴ってくる人もいますが、そう言う方には対応出来ませんのであしからず。

4月5日
塚田亜由美さん
 老いについては考えなくもないです。でも不安と言う気持ちはないです。
ただ残された時間はそんなにないので、一日一日の時間を無駄なく過ごすように心掛けています。
それと、強い意志によって絵を出来るだけ沢山描く事です。
ただ点数を増やすだけだったら意味がない事です。
描く対象の背後にある形而上的な力を見極めながら自立した作品を描き続ける事です。
そうする事によって時間は気にならない存在になると思いますから。

”az”さん 「勉強と恋愛」
 この両者の両立が出来ないとの事。どうでしょう?
この二つは別に対立するものではないでしょう。恋愛は心や感情の状態で、勉強は学びと言う意欲でこの二つを
両立するしないと言うような問題じゃないように思います。
あなたが考える恋愛と勉強の両方に何か問題があるのではないでしょうか。恋愛は労働でも仕事でもないはずです。
むしろ恋愛は勉強の邪魔になるどころか、活力になるべきです。ピカソは完全に両立させています。
他のアーティストも同様です。
例えばの話で、アーティストだけが両立させている訳ではありません。人生に正直であれば両立は当然の事だと思いますよ。

角屋直美さん
 印象に残っている滝は沢山あります。それぞれ表情も違うし。
それは自分と滝の相性だと思います。チョロチョロ滝がよかったり、
雄大な滝がよかったり、その時の気分が決める事もあります。
滝は変わらないけれど、こちらが変わるのです。
見たいと思う滝が、その時の滝だと思いますよ。
山形県の山寺(風雅の国)は最初瀬戸内寂聴さんと、 二度目は仕事でだったかな?(忘れました)
頂上までは行かなかったけれど、 風雅の国から見上げる景色がまるで中国の山水に描かれている神仙境みたいでぼくは好きです。

4月4日
若木七瀬さん
 ぼくが聴く音楽はすでにこのサイトで答えているはずです。(と思うのですが)
参照して下さい。

SAKAGAMIさん
 「顔」の絵皿と言うのは骸骨の絵の事でしょうか。
皿にドクロがと驚く人も居ますが、好評です。お客様を呼んで驚かせて下さい。
在庫はあるはずです。(サイトにて購入出来ます)
美美は近い内に海外に行くそうですが、留守電にメッセージを入れるか、英に連絡を下さい。

ショート・ショートエッセイ
 細江英公さんと今井恵さんが来られた。
細江さんが館長をしておられる山梨県の清里フォトアートミュージアムで今井さんの馬の写 真を集めた大展覧会が
7月20日より3ヶ月開催されます。
今井さんは世界でも有名な馬の写真家だ。その見事な馬の写真を見せられて感動してしまった。
特に馬の肖像画はルネッサンスの肖像画を見ている様な思いだった。
その今井さんの写真展の為のポスターを制作する事になった。どんな作品になるか、自分でも楽しみである。
この美術館MoPAはホテルと合体していて、自然環境が抜群である。

4月3日
佐藤ゆうこさん
 お宅(失礼?)の息子さんは面白いですね。息子さんの言う通 りにしましょう。
アーティストは本来両性具有的であるのが理想だと思っています。
一人のアーティストの中に男性原理と女性原理が存在していて、この両性が結びついて創作が生まれるものです。
つまりアーティストの中の男と女が愛し合うことで子供、つまり作品が生まれるのです。
女性原理がインスピレーションを受信して男性原理が作品として社会に発信する訳です。
だから、アーティストは両性具有であるべきです。

越谷Takashiさん
 ラテン系の人格の資質はよく分かりませんが、いつも「今」を大切にしている人種ではないでしょうか。
だとすればアーティストは常に「今」に生きる人間であるべきです。ぼくは関西出身です。
大阪人を見ているとどうもラテン系っぽいですね。するとぼくの中にも少しはラテンの血が流れているのかも知れません。

SEICHUUさん
 近作(?)版画に「十字架」が主題になっていると聞いて、「おや?」と思います。
十字架を主要テーマにした記憶はないので、どの作品かな?と。
あまり考えないで、または無意識にそのような形を使用してしまう事があります。
十字架のようなシンプルな記号化した形は何か人間の原形の記憶にあるのかも知れませんね。
十字架はキリスト教と自然に結びつきますが、ぼくの中では必ずしもそうとは限りません。単に形の魅力で使用する事があります。
十(プラス)の持つ形状のエネルギーを信じて。

清水浩司さん
 
 森山大道さんの「犬の記憶」のぼくのエッセイはかなり昔(70年代の初めかな?)に書いたものの再録です。
また「にっぽん劇場写真帳」の中に写っていると言う「腰巻きお仙」のポスターが本物かニセモノかはどちらでもいい事です。
別に確かめる必要もないでしょう。

4月1日
中本千晶さん 「インターネット時代のコミュニケーション」
 
目下インターネットのホームページを通じて受けるメールに対して対応しているのがインターネットへの唯一の関わりです。
何もかも知っているインターネットにぼくはどうも恐れているようで、活用する事が少ないです。
インターネットで調べれば直ぐ解る事でもぼくはつい書店に行って本棚から情報を得ると言う従来の原始的な方法に頼っています。
このところ重要性は身体を通して情報を得る訳だから、一つ一つが身に尽き、それは重要な体験になるのです。
ぼくのような古典的(?)なタイプの人間は情報化時代について行けないかも知れません。
ぼくはやはり身体を通したコミュニケーションが一番信頼出来るのです。
だからインターネットはあまり深入りしない程度で付き合って行きたいと思います。

さ湯さん
 
以前住んでいた家の角(交差点)はよく事故がありました。
その後もこの場所で事故を何度か目撃した事があります。魔の交差点とでも言えるそんな場所です。
踏み切りも近い為、いつも車が表の通りで渋滞していました。そんな訳で家の中には排気ガスが入って来ます。
この家にはそんなに長く住んでいなかったもので、大家が立ち退きを命じた為に自然に出る事になったのです。
やはり本能の要求に従うのが一番いいと思います。
本能が次なるチャンスを作ってくれるのではないでしょうか。

若木七瀬さん
 
キスの効用おめでとうございました。
キスに限らずスキンシップは大事なコミュニケーションです。
キスには快楽が伴うので、肉体の喜びも得られますね。
まあ愛の表現と思って、キスでよりよい人生を味わって下さい。

中本千晶さん 「芸術とエンターテイメント」
 
芸術とエンターテイメントは対立するものと今までは考えられて来たように思いますが、
現代では芸術の重要な要素の一つとしてこの両者を分離する意見は少数だと思います。
中本さんもぼくもそうですが宝塚ファンならこの問題は避けて通れませんね。
例えば轟悠さんの「凱旋門」の彼女の演技は正に芸術的だと思いました。女性があそこまで男性的になりきれるかと
言う一点のとってもあの演技の素晴らしさは、結果としてあの年の演劇人に与えられる最高の賞を受けた事でも彼女の
「芸術性」は証明された訳です。証明された訳です。
芸術とエンターテイメントの垣根を取り外すのはぼくの創作活動と一端でもあります。
このテーマはいつかちゃんと書きたいと思います。