2月26日
 まだこれから本格的な寒さが控えているようだけれど今のところ風邪も引いていない。
インフルエンザの予防注射をしたせいだろう。かつて予防注射などしたことがないがやはりするとしないのとでは違う。
とはいっても本当の極寒はこれからで油断は出来ないけれど。
毎年一度は風邪を引いて1週間位寝込むのが定番だけに今年はこのまま乗り切れるかなという感触はある。
 熱が出て終日寝込むのも嫌じゃない。
日頃読めない本を開いたり、テレビを見たりして我を忘却するのも修行(?)だからだ。
寝込むということは非日常的な時間の流れに乗ることで、物理的時間を超越して形而上的な神秘を味合うことが出来る。
またとないチャンスである。
 でもやっぱり平熱で平常で居ることが一番だ。
 最近東京都公衆浴場業生活衛生同業組合のポスターをデザインした。
このポスターは銭湯に行かなきゃ見ることが出来ないらしい。
なんでもポスターを額に入れて脱衣場に飾ってあるらしい。
富士山に帆掛け船のタイル画を前にオッさんが後ろ向きで湯舟につかっていて、その向こうに丸まげのお嬢様が
2〜3人やはり湯につかっているという図柄である。
 銭湯には長い間御無沙汰しているが、時に夢で銭湯に行くことがある。
すると三島由紀夫がいたり高倉健がいたりするのだ。
また夢で風呂に入っている時はだいたい身体が冷えて居ることが多い。
だから風呂の夢はぼくにとっては風邪の危険信号であり、風邪の予知夢と認識している。
皆様はいかがでしょう。
 ところで三島由紀夫さんは風呂で身体の全面しか洗わないそうだ。なぜって後は自分では見れないからだ。
如何にも三島さんらしい。
 ぼくはコンセプチュアルアートが嫌いだ。なぜかというとアイディアで勝負したがっているからだ。
だけどぼくの近作の「Y字路」シリーズは一見コンセプチュアルだ。
 だけどこの「Y字路」はアイディアではない。生理なのである。頭がもとめたのではなく、ぼくの生理が求めたからだ。
だいたいコンセプチュアルアートは反生理的だ。
 まあこんなことはどうでもいい。ぼくの「Y字路」シリーズは「滝シリーズ」や「赤い絵画」シリーズのようにしばらくは
続きそうだ。
いつ止めるかは生理が決定するから今は何とも言えない。
原美術館で発表した『暗夜光路』展の「Y字路」以後の「Y字路」は少しずつ変化が見えてきた。
100点も「Y字路」を描けば最初の1枚と最後の100枚目はまるで無関係に見えるかも知れない。
 「Y字路」捜しには肉体が伴う。肉体の伴ないアイディアだけの作品はどこか弱いように思う。

2月25日
 最近「こだわっています、甘栗さん」というのにはまっています。成城学園前の「石井」の前の焼き甘栗のことです。
毎日切らさないように2日一ぺんは焼き立ての甘栗を買うことにしています。
どこに行くのもカバンの中に甘栗を入れて持って歩いています。
ぼくにとっては今のところ甘栗は 癒し系のひとつです。
 去年ローマに行った時スペイン広場の前で焼き栗を買って以来、日本の焼き栗を思い出したと言う訳です。
でも家の近くに屋台があったからはまったわけで、わざわざ遠くに買いに行くようなものではないのです。
何でも普段の生活環境の中に存在していないとなかなかはまりません。
特に食べ物に関しては。
 最初から皮を剥いた甘栗がありますが、あれは過保護すぎます。
甘栗の醍醐味は何と言っても歯を立てて皮をパコンと割る音です。
音を食べるのです。

2月22日
 原美術館での「暗夜光路」展に出品していたぼくの頭蓋骨のレントゲン写真を見たある病院の
院長先生との会話。
 「4〜5歳までの小さい子供は自分の頭蓋骨写真を見て欲しがるんです。だけど6〜7歳以上になると
自我が確立され始めるので、レントゲン写真の自分は自分でないとして認めたがらないんです。
だけどある年齢に達すると再び自分の頭蓋骨写真に興味を持ち始めます 」
 「そう言えば,ぼくだって数年前までは自分のレントゲン写真など見るのが嫌だったのですね。
だけど今は違います。と言うのも自分の自意識には少しづつ興味が持てなくなって、
自分でないことの方が気分がいいんです。だからレントゲン写真を自分の本性と認めた上で、
その意味を越えた普遍的な「モノ」として写真を見る傾向に変わってきたように思いますね 」

2月21日
 今日(20日)京都で梅原猛作の狂言「ナマシマ」の記者会見があった。
原作は前回の「ムツゴロー」に続いて 茂山狂言の第二弾である。
梅原さんは目下狂言に取り付かれたように 強い感心を寄せておられる。
 ところが狂言だけかと思ったら「ミュージカルもやりたい、横尾さんの美術で」と80歳前の
哲学者のエネルギーにはこちらも圧倒される。
「若い演出者を探してくれませんか」と頼まれました。
 梅原さんといえば「猿之助スーパー歌舞伎」の作者としても有名である。
その梅原さんが目下は狂言、次はミュージカルに触手がのびようとしている。
ミュージカルといえばぼくの場合、宝塚歌劇ということになる。
梅原猛と宝塚という組み合わせはいかがなもんだろう。
宝塚で、とはおっしゃらなかったが「女優さんはいいな、いいなと」木喰僧の仏像のような嬉しそうな
笑顔を残してタクシーで帰って行かれた。 2月19日 
  3月から「東京新聞」にエッセイの連載を始めることになりました。
仮タイトルは「遠い視野、近い視点」で、このエッセイを通して創作に関わる話をしていくつもりです。
今までにも色々書いてきましたが、ここではなるべく初めての話題を 提供していきたいと思います。
 特に今までの作品「私」をテーマにした自伝的な作品が多かったのですが、
そろそろこの姿勢を変えてより普遍的な主題に 移っていきたいと思っています。
体験や経験の限界を感じた為です。
でも吐き出す為にはこれも必要だったわけです。
 だから今度の「東京新聞」のエッセイにも当然このようなことが徐々に反映されてくると思います。
書きながら描き、描きながら書いていくことになるでしょう。
描くことも書くことも他人の為に書くわけではなく、
自分の学びの為だと思います。

2月18日 
  ここ1年、いや半年程の間にぼくの記憶喪失は急速に進んでいる。記憶といっても体験や経験を喪失したわけではない。
いわゆる言葉喪失というやつだ。固有名詞が出てこないというのは初期老化現象らしいが、
ぼくの最近は普通名刺が出てこなくなってきたのである。
例えば「山」とか「川」である。まあ「山」「川」は今のところ大丈夫だがいずれ出てこなくなるのかも知れない。
 よく「あれ」といって話し相手に想像させて言葉を誘発させてのらうことがあるが、それの重症だと思ってもらえばいい。
家の事務所の人の名前などすぐに出てこない。名前は固有名詞だから簡単に出てこないのは当たり前だが、
毎日一緒にいる人の名前は 実に困るのである。
 それが普通名詞となればちょっと悲劇的だ。得に取材を受けた時や講演の時は最悪だ。
そんな時は相手や観客に「それそれ何とかいうじゃないですか」といって相手にまるでクイズのように思い出してもらう。
それが一回の講演に一度位ならまだいいとして、三度、四度となるとさすがに話が続かなくなる。
この間などエッセイを書いていて言葉が出てこなくなった。辞書の引きようがないではないか。
 だから最近はなるべく話言葉を少なくしている。そのうち無口になるかもしれない。
意識的に無口ならばいいが、本当に失語症になって無口でいるというのは大悲劇だ。
だけど考え方を変えれば言葉を使用しないことで物凄く想像的になるかも知れない。という特典もあるかも知れない。
 とはいうものの、ぼくは普段からあまり想像することは心にとっていいことではないと思っているのでなるべく想像は
しないことにしている。
言葉は日々失いつつあるけれども、まだ形は思い浮かべる事ができる。
「山」や「川」という言葉が出来なくなってもその形は絵に描ける。そんな訳で完全にぼくの中から言葉が消えてしまった時に
描く絵の事を想像すると、まんざらでもないと心のどこかで強かに考えている自分がいるのである。
 だけれど真意はどんどん過去が消しゴムで消されていくのではないか。そしてたった今、この瞬間だけしか認識
出来なくなるのではという恐怖感もある。身体中全部が消えて目玉だけが残っているというほとんど
透明人間化する恐怖だ。そして、唯一の肉体であった目玉さえもついに消滅する。
死とはこのようなものかも知れない。 2月17日 
  花粉症なんて他人事のように思っていたが、とうとう自分ごとになってしまったらしい。
「らしい」というのは未だそれとはっきり認識していないからだ。
「まさか」というのがぼくの気持ちの中にあるからだ。
 数日前から微熱を感じている。我が家のメダカをくれた薬局の薬剤師の主人が「花粉症」だというのだ。
目を赤んべえして調べたら明らかに花粉症の症状を是しているという。
そして花粉症の症状をあれこれ説明されるとほとんど概当していることがわかった。
 用があってもなくっても年中鼻がむずがゆくて鼻をかんでいる。眼が常になんとなくかゆい。
花粉症はアレルギーだという。ぼくの喘息もそういうとアレルギーから来ていると以前医者からいわれた。
つまりアレルギー体質の人間はありとあらゆるアレルギーから自由になれないと考えるべきかも知れない。
 またひとつ人生の連れ合いができた。
 友人の和田誠君から「物語の旅」という挿絵入りの奇麗な本が送られてきた。彼が子供の頃から読んだ様々な本を
記憶をたどりながら紹介している。凄い記憶力だ。またその感性の素晴らしさ。文章が玄人よりいいし、上手い。
 ぼくは10代まで5冊くらいしか本を読まなかった。それも江戸川乱歩と南洋一郎のものだけだ。
ぼくは子供の頃から童話が嫌いだった。教科書に載っているからだ。
 だけど和田君の本を読んで自分の子供時代に大事なものをつかみそこなったと思った。
もっと読書をしておくべきだと。子供にも人生がある。哲学がある。そんな子供時代の人生と哲学が抜けている。
それを今からでも遅くないと思い込むことにして、和田君の読んだ本を順番に読んでいこうと思っている。
 ぼくはマンガは滅多に読まない。子供の頃は将来は漫画家と決めていたが、各誌にいくら投稿しても入選したことが
なかった。それが怨みに出て今はマンガが嫌いになってしまった。
 とはいうものの楳図かずおの怖いマンガは好きで「かくれ楳図」を装ってた。
そんなぼくが今井上雄彦の「バガボンド」を読んでいる。
読む気になったのは吉川英治の「宮本武蔵」を読んでいる最中だからだ。
この両者をほとんど同時に読んでいるが、そこでちょっとした混乱が生じている。
「バガボンド」の原作は吉川英治のもので、原作に実に忠実に 話が進んでいくかと思うと急に原作を無視してしまう。
だからぼくの頭の中には両者がひとつになった物語が生まれてしまった。
つまり第三の物語を創造したというわけだ。
この点はぼくの作品に共通する。いつも複数の本を同時に読む癖があるぼくは想像も記憶も垣根を超えて横断して
最後は頭の中は常にごっちゃ。

2月15日
  この間宝塚の雪組新トップの絵麻緒ゆうさん、同じく娘トップの紺野まひるさんが
公演の合間をぬって我家に遊びに来られた。
絵麻緒さんは雪組時代には二番手で妙に目立ち興味を抱いていた存在だった。
紺野さんは阪神大震災のあった年、明石公園で「兵庫ふれあいの会」 が開催された時、
会場で他の生徒と一緒に合唱した中で一人目立った娘役がいて、
関心を持っていたその「子」である。
 五月の絵麻緒さん紺野さんの新トップお披露目公園の為にポスターのデザインを、
と希望しておられるが果たして 劇団から依頼されるかどうかはわからない。
 この日は4〜5時間遊んで帰られたが、今度はジャージの上下を着て床に腰を下ろして
足を伸ばして話せそうだと言って、 近いうちにまたお邪魔しますと言って帰られた。
その三日間娘が青山のスペースユイで個展をしているのだが、
絵麻緒さんが赤い薔薇の花を贈ってくれたと喜んで電話を してきた。
 絵麻緒さんはウソのない本音で生きている宝ジェンヌである。
こういう人は身体から発するオーラが大きいのである。

2月9日
  今年はインフルエンザの注射をしたので今のところ風邪を引いていない。
でも時々変だなと思う時は葛根湯のエキスを飲む事にしている。
すると気のせいか薬のせいか知らないが直ぐ回復する。
よほどの時は鍼をしてもらう。
全身に20鍼ほど打ってそのおまましばらく横になる。
鍼を打つ時がチクッとするがそのうちこのチクッが快感になる。
抜く時に消毒液をつけられるのでそれがしみてピリッとした痛みが走る。
昼間打つと眠くなるので、なるべく夜打ってもらうようにしている。
 以前はちょっと疲れると習っ道引術をしていた。
これは忍耐力が必要なのでなかなか長続きしない。
だけど海外旅行など長期の時は毎晩ホテルのベッドの上で行っていた。
 最近は運動は自転車を止めて歩く事にした。これが意外にいいことに気づいた。
自分の肉体ひとつひとつの働きが確かめられるからだ。
変に思われるかも知れないが今は歩くことの「新鮮」さに感動している。

2月4日
  「私の肯定的条件・否定的条件」はいずれ単行本として発刊される予定です。
取りあえずサイトでの発表は終わります。
単行本は現実的になりましたら改めて通知します。
 この間ぼくの郷里兵庫県西脇市で「第4回サムホール・ビエンナーレ」の審査があった。
審査員はぼくの他に版画家の吉原英雄さん、画家の宇佐美司さんが参加しました。
毎回審査員が変わります。
今まで赤瀬川原平、森村泰昌、南信坊、白髪一雄、元永定正諸氏が担当しました。
応募作品の傾向は審査員によってかなり変わることがわかってきました。
また審査員によって選ばれる作品も大きく変わります。
 サムホールというのは最小のキャンバス(葉書2枚分)です。
この小さい画面を如何に大きく見せるかは画家の技量によります。
無地のキャンバスを見ている分では小さいがそこに絵が描かれると俄然宇宙が現実します。
その宇宙のサイズを観客が知覚するのです。

2月1日

私の肯定的条件 私の否定的条件
見る 考える
自動車 電車
記憶 記録
失敗 成功
イチロー 巨人
天才 秀才
国内旅行 海外旅行
暗夜光路 暗夜行路
デ・キリコ シュールレアリズム
ガラ ダリ
注射
ミルク ヨーグルト
蜂蜜 シロップ
自力 他力
霊界 現界
ホットケーキ パンケーキ
バリ パリ
アナログ デジタル
絵葉書 官製葉書
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臓器移植
浪費 貯蓄
直感 観念
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