8月29

 人間はセンチメンタルやノスタルジーにはなぜか弱い。両方とも過去の思い出と結びついている。
ときどき聴く昔の歌謡曲がいいなあと思うと、
知らず知らず 思い出にどっぷりと漬かっている自分に気づくことも一回や二回ではない。
「アッ、いけない」 と思って、ぼくはあわててCDプレイヤーのスイッチを切る。
センチメンタルな気分になってノスタルジーに浸っていたのだった。
じゃあ、どうして「いけない」 のかというと、過去を引きずっているそんな自分を愛しているからだ。
 自分を愛するのは今というこの瞬間だけでいいのではないか、と思うからだ。
生きているのは過去でも未来でもない。 今という瞬間だけにしか自分は生きて いないからだ。
 ぼくが郷里西脇を去ってから、すでに四十数年が経っている。
そして、 ぼくの意識は常に郷里と深く繋がっていて、まるで宝物のように後生大事にしていた。
いざというときには、郷里という過去の中に逃げ込んでしまえば安全でいられるからだ。
 ところが先日、郷里に十日間ほど滞在することになった。
郷里を舞台にした作品を郷里で制作して、 それらを地元の西脇市岡之山美術館で
展示することのなったからだ。
最初は、すでに姿を消してしまった思い出の場所などを哀惜を込めて描くつもりでいた。
 ぼくが郷里の町に住んでいた頃、織物の町西脇は常に活気に溢れ、非常に想像的だったが、
いつの間にかかつての生命感溢れた面影はどこにも見当たらないほど町は空洞化し、
地盤沈下していた。こんな現状を目の当たりにして、ぼくはますます過去の記憶の中に必死にもぐり込み、
その時間の中で生きようとしていた。滞在してから何日目かのある日、
そんなぼくを過去の悪夢から一度に解放してくれた出来事に遭遇した。
それは一枚の夜景写真だった。
 子供の頃、いつも訪ねていた小さい模型店があった。
その家を求めて、ぼくはその場所に行ってみた。
ところがその家はすでに壊され、 立ち退かされていたのだった。
 ぼくは膝を折ってその場にしゃがんみ込みたくなったほど、がっかりしてしまった。
せめて立ち寄ったという アリバイ写真をと思って、夜であったが、 シャッターを切った。
翌日、現像してもらったその写真を見て、ぼくは「アッ」と思った。
 そこには当然、昔の模型店はない。見覚えのないただの家と壁と窓が写っているだけだ。
しかも左右の道路が分かれて、 その先は闇の中に吸い込まれるように消えている
だが、ぼくの「個人」としての想いが完全に消えてはいなかったものの、ここには「個人」を離れた、
単に「個」としての 町の一角が存在 していることに気づいたのだ。
 今までぼくは、郷里そのものを常に「個人」的なものとして見てきた。
それが今、目の前にあるのは「個」としてのある種の普遍性を持った町であった。
ぼくはここで、「あっ、そうか。これでいいのだ」と思った。そしてその瞬間、
ぼくの「個人」的な郷里はものすごいスピードで闇の中へ、
まさにブラックホールの中に吸収されながら消えてしまったのだった。
そしてそこに残されたのは、「個」としてのぼく自身であった。さらに過去としての郷里は、
この瞬間から「今」としての郷里になったのである。
そしてぼくは西脇で四点の夜景を描いた。過去の西脇ではなく、今の西脇を。
 ぼくはこれらの絵を描くとき、極力「個人」であることを禁じた。
そして「個」としての「私」であることに努めた。
どんな手法で描くべきかという想像から自由であるべきだと思った。
つまり、想像することを捨てるべきだと考えたのである。
 創造は想像することではなく、創造は想像を捨てることから始まるということを知覚する必要があった。
自我と想像を捨て、想念に振りまわされないことで、「個」になることが可能になるかも知れない。
「個」になって想像から解放されると、絵画は先ず、思想を持つ必要から自由になれる。
「思想主義」であろうとするのが、「作品(芸術)主義」になろうとするのか、それが問題であったが、
ぼくは「思想主義」を捨てることにした。
つまり読み解く作品から逃れることで、ぼくは「個」を守ろうとしたのかも知れない。
「個」が宇宙意識を呼び寄せ、宇宙原理の軌道に乗るとき、
そこに何かが起こりそうな予感がする。
すべての始まりは「個」から出発する ことだったのか。
 これでぼくは、郷里という過去からきっぱり離れることができたような気がする。
この次に郷里を訪れるとき、
そこにあるのは「個人」から自由になった「個」の眼で見るまったく新しい郷里であるはずだ。
その新しい郷里がキラキラ輝きながらぼくを待っているかも知れないと思うと、
これまで以上に郷里との 再会が楽しみである。


8月23日

 十代の自叙伝「コブナ少年」(文藝春秋) を出したばかりだというのに、
今度は神戸新聞から「わが心の自叙伝」を年末まで週一 (日曜日掲載)の割り合いで
連載することになり、8日からスタートした。
 以前にも日経新聞にて「私の履歴書」 を連載したことがある。
よほど自伝を書くのが好きだなあと思われそうだが、
ここ数年の絵画作品が かなり自伝色が濃くなっている。
 創作とは吐き出す行為だと思うから、過去の不透明な部分をこれでもか、
これでもかと書き、 描くことは自分のカルマの精算にもなるのではないかと思う。
とにかく吐き出せるものは吐き出し切ってあの 世におさらばするのが
一番だとお持っているからだ。
 また自我を超えることが創作の根源でもあるけれども、
吐き出したから自我が超克されるわけでもない。
森羅万象の事象のひとつひとつが解明されたがっているのを、
解明してやるのが創作だし、それによって自我が超克されることのようなものだ。

8月20日

 瀬戸内寂聴さんを誘って宝塚大劇場の星組講演「ベルサイユのばら」の初日を観に行った。
30数年振りという瀬戸内さんは、自分が宝塚劇場にいることや、
舞台を観ていることが恥ずかしくってたまらないと首を 縮めて亀みたいになって座席に座っていた。
それも席はプラチナシートの最前列のド真中。
ところが拍手する場面では顔の前に手を持ってきて、思いっ切り叩いている。
まるでファンクラブのメンバーかと思われるほどだ。
そしてあとで手の平が「痛い痛い」と。
終わって楽屋を (といっても舞台のそで) を訪ね、
オスカルの稔幸、アンドレの香寿たつき、マリー・ アントワネットの 星奈優里に会った。
瀬戸内さんは相変わらず人の影に小さくなっている。
 まあ特別大きい女性だし、しかも舞台衣装のまま の生徒 (といってもスターだ) を
前にすればファンでなくとも 身体がかたまってしまう。
ぼくのデザインした「ベルサイユのばら」のポスターに3人のスターにサインをしてもらう。
瀬戸内さんにも1枚。
瀬戸内さんは宝塚ファンが知人にいるのでサイン入りのポスターを見せて自慢するのだと大張り切りだった。
 翌日は瀬戸内さんの新しい家を訪ねてお昼を御馳走になる。
客でこの家を訪ねたのはぼくが第一号とか。
秋には島田雅彦の作る料理に
山田詠美と一緒に招待を受けた。
その時の報告はまたいづれ。

 

8月13日
この夏は特に休暇は取らないが、この間、岩手の天台寺に15年振りに行ってきました.
このお寺の住職は瀬戸内寂聴さんで、彼女とは現地で合流しました。
瀬戸内さんとは前世では親子だったということになってします。
その瀬戸内さんと17日の宝塚大劇場での星組の
「ベルサイユのばら」を一緒に見に行くことになっています。
宝塚が出している雑誌「歌劇」には毎月 (僕の宝塚新発見) を連載しています。
10月号には瀬戸内さんの宝塚観劇記を書く予定です。
お盆が近づいた頃、1月から飼っていたメダカ5匹のうち3匹が急死しました。
近くの池に水を汲みに行って2匹は助けることができました。
最初は30匹いたのですが、死んだ様子もなく1匹づつ消えてしまって、とうとう5匹になったのですが、
それも今は2匹だけです。
 先日の夜中の3時にトイレに行った時、誰かが砂利を踏んで走ってきて、玄関のポストに何かを入れて、
また去っていきました。
「今頃誰だろう?」と思ってすぐ表に出ましたが誰もいません。ポストになにもない。
僕が耳にした足音とポスとの音は以前新聞を配達に来ていた 人のそれとそっくりでした。
第一こんな夜中に他人の家に音を立てて来る人はいません。
そういうとあの新聞配達の人は最近来なくなりました。
彼に何かあったのではと思って新聞配達所に行って調べましたが、
バイトの人が多いので、辞めた人から連絡がない限り、消息がつかめないというのが結論でした。
あの音は幽霊に違いないと思うようになりました。
お盆には色々と不思議なことがあります。
岩手から帰京した翌日、軽井沢の建築家の磯崎新さん、
美術家の宮脇愛子さん夫妻の家に招かれました。
その夜は今度10月に個展をする原美術館の館長さんの原さんらとレストランへ行きました。
夜でも若い人で通りいっぱい。次の日の昼は美術評論家の高階秀爾さんの別荘に招かれ、
皆で近くの美術館に行ってお茶を飲みました。
普段お互いに忙しくてなかなか会えない人達に連日会って親交を結びました。
わが家は残念ながら別荘がありません。
僕にとっての休息は仕事での小旅行と、アトリエでの絵の制作がそれに代わります。
絵を描いている時が一番身体の休まる時といえます。  

8月2日

 このところは毎日この秋 (10月20日より) 開催される原美術館 (東京、北品川) での
個展の制作に追われている。ほぼ全作が新作である。
個展名は「暗夜光路」。志賀直哉の「暗夜行路」をもじったもので、
最近取りかかっている夜のY字路シリーズだ。
この絵に描かれた街の風景は現実に存在するが、作品の中では非現実の街になると思う。
この世にあって、 ない街と言うことになろう。
「暗夜光路」とは夜の三叉路に光を与えると言う意。
この「暗夜光路」のシリーズの他に小作品を沢山出品する。
この小品は日記を書くように、一日の少しの余った時間に描いた作品で、
展覧会のオープニングの前日まで描き続ける予定。30点が目標。
他にもテーマの異なった作品のシリーズもあり。
 先日、井川遥をモデルにして写真を撮った。 この秋原宿のラフォーレ・ミュージアムで
井川遥展が開催されるが、 その告知ポスターと販売用のポスターの為である。
販売用のポスターの為である。かつて写真は何度か撮った事があるが
今回のようにポスターに使用するための 写真は初めてである。
今すぐに発表するわけにはいかないが、
展覧会のプロモーションが開始される頃にはこのホームページで
発表する事ができる。